No | 124333 | |
著者(漢字) | 加藤,晋 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | カトウ,ススム | |
標題(和) | 合理性・道徳性・社会厚生 | |
標題(洋) | Rationality, Morality, and Social Welfare | |
報告番号 | 124333 | |
報告番号 | 甲24333 | |
学位授与日 | 2009.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(経済学) | |
学位記番号 | 博経第255号 | |
研究科 | 経済学研究科 | |
専攻 | 経済理論専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 本稿は、経済学の規範的分析を主題としており、4部から構成されている。第1部(1-4章)においては、社会的選択理論における不可能性と決定構造が検討される。第1章では、理論的な展望もかねて、アロー流社会選択理論の諸定理とギバード=サタースウェイト定理の簡潔な証明が与えられる。第2章では、【準決定性】という概念を導入することで、社会選好が完備でない場合の決定構造の分析がなされる。第3章では、社会選好の循環性の十分条件・必要条件に関する議論が与えられる。第4章では、ナッシュ遂行の必要条件であるマスキン単調性が決定構造に与える制約に関する分析がなされる。 第2部(5-7章)においては、社会的決定ルールの特徴づけの問題を扱う。第5章では、弱パレート・強パレート・正の反応性の条件の同値性を再考することで、多数決制の新しい特徴づけを行う。第6章では、強パレート・匿名性・中立性を満たすルールのクラスを、様々な集団合理性の下で、統一的な方法によって特徴づけることが試みられる。第7章では、常識的道徳を考慮に入れた拡張された社会選択の枠組みのもとで、常識的道徳を辞書的に優先するような社会的選好が特徴づけられる。 第3部(8-11章)においては、無限人口の経済における分配の衡平性の分析が行われる。第8章および第9章では局所的無羨望条件の概念を提示し、その含意が検討される。10章では、平等性等価条件と無羨望条件の関係が分析される。無限人口の経済において、この二つの原理の対立は避けがたいものであることが示される。第11章では、無限先の将来も考慮に入れた世代間衡平性の問題が議論される。世代間衡平性の問題に、無羨望条件・平等性等価条件を導入することを試みる。しかしながら、そのような意味で衡平な社会的選好は、社会的選好の定常性と矛盾することが示される。 第4部(12-16章)においては、公営企業の不完全競争市場における役割が分析される。第12章では、理論的展望もかねて、公営企業の技術水準と社会厚生の関係が検討される。短期においては公営企業の技術レベルが悪化することで、むしろ社会厚生が上がりうることが示される。しかし、長期においてはそうしたことは起こりえない。第13章では、公営企業が研究開発によって生産費用を下げることができるような状況が分析される。一般的な関数の下で、公的独占における研究開発レベルが、私企業も存在する混合寡占の下での開発レベルを上回ることを示した。また公企業の研究開発がスピルオーバーするような場合についても分析を行った。第14章から16章では、企業の生産活動が環境被害を起こすような産業における公営企業の役割が分析される。第14章では、政府が環境政策を行わない場合の分析を行った。特に、私企業の自由参入のありうる長期において、民営化が社会厚生を挙げるための必要十分条件を求めた。第15章および16章では、政府が環境政策を行う場合について分析した。各企業の汚染排出量は、生産量と汚染削減努力に依存している。第15章では、政府が企業の汚染削減努力に対して補助金を与える場合の分析を行った。第16章では、汚染排出量に課税する場合について分析した。 | |
審査要旨 | 1.論文の概要 この博士論文は、全体で16章あり、4部で構成されている。厚生経済学に関連する様々な問題を、社会的選択理論・分配の衡平性の理論・産業組織論などの枠組みの中で検討したものであり、全体として「道徳哲学(Moral Philosophy)」としての経済学構築の試みと見なすことができる。第1部(1~4章)では、社会的決定の不可能性をめぐる諸問題が検討され、2部(5章~7章)では、社会的決定の可能性のもとでの決定方法の特徴づけが行われている。第3部(8~11章)では、経済環境の下で「衡平性」の問題が検討されている。特に、無限人口の経済のもとで、「羨望のない状態としての衡平性(equity as no envy)」および「平等性等価としての衡平性(equity as egalitarian equivalence)」という2つの衡平性概念の精緻化や論理的な含意が分析されている。最後の第4部(12~16章)では、産業組織論における「混合寡占(mixed oligopoly)」と呼ばれる分野の研究がまとめられている。混合寡占市場とは、社会厚生を最大化することを目的とした公営企業が私企業と競争しているような市場である。特に、(1)公企業の生産効率性の問題と(2)民営化と公害の関係に焦点が当てられている。 以下において、各章の内容を要約する。 第1部では、社会的決定の「集団合理性」と不可能性定理の関係が検討されている。集団合理性とは、個人の選好を集計した際の社会的選好に求められるべき合理性の性質を意味する。 第1章では、アローの社会的選択理論の分野において、よく知られている6つの不可能性定理が統一的なアプローチで証明されている。 通常、社会的選択理論における不可能性定理はField Expansion Lemmaと呼ばれる補題を基礎とする。しかし、近年、Geanakoplos (Economic Theory, 2005)がアローの定理をField Expansion Lemmaとは異なるアプローチで証明した。第1章では、このGeanakoplosのアプローチを応用して、Blau (Journal of Economic Theory, 1979)およびBlair and Pollak (Journal of Economic Theory, 1979)の不可能性定理、Gibbard (unpublished manuscript, 1969), Guha (Econometrica, 1972), Mas-Colell and Sonnenschein (Review of Economic Studies, 1972)の寡頭制定理、 Mas-Colell and Sonnenschein (1972) の準推移性独裁者定理やBlair, Bordes, Kelly, and Suzumura (Journal of Economic Theory, 1976)の三項非循環性不可能性定理、Wilson (Journal of Economic Theory,1972)の定理が証明されている。 第2章は、集団合理性として社会的選好の完備性を課さない場合のアロー的社会的選択理論の検討を試みるものである。まず、決定性の概念よりも弱い、準決定性(Quasi-decisiveness)という概念が提示された。推移的な社会的選好を与えるようなアロー公理を満たすルールに関する、準決定的なグループのクラスの性質が特徴付けられた。そして、人口が有限であれば、完備性が満たされていなくともアロー的な社会決定ルールは非常に制約されていることが示された。 第3章では、社会的選好の循環性の必要条件・十分条件に関する問題が分析されている。近年、Schwartz (Journal of Economic Theory, 2007)が、impotent partitionという条件を与え、投票のパラドックスの一般化を与えた。Schwartzは、まず、パレート条件とimpotent partitionを満たしているならば、社会的選好の循環は起こることを示した。また、緩やかな独立性条件(Mind)の下で、循環が起きている場合には、impotent partitionは満たされていることも示された。第4章では、impotent partition とFerejohn and Fishburn (Journal of Economic Theory, 1979)の研究との関連が分析されている。第1に、Ferejohn and Fishburnの条件をFF条件として定式化し直し、FFのもとで社会的選好の循環が起こることを示した。第2に、パレート条件とimpotent partitionを満たしているならば、FF条件は満たされていることが示された。これは、Schwartzの最初の結果が系として導かれることを意味する。第3に、FFとMindが満たされていれば、impotent partitionが満たされることが示された。 第4章では、ナッシュ遂行の必要条件であり、ほとんど十分条件となっている、「マスキン単調性」が社会的選択対応に与える制約が検討されている。選択関数の場合はMuller and Satterthwaite (Journal of Economic Theory, 1977)や Dasgupta, Hammond, and Maskin (Review of Economic Studies, 1979)によってマスキン単調な社会的選択関数は独裁的なもののみであることが示されているが、社会的選択対応の場合についてはあまり研究されてこなかった。第3章では、選択対応に合理性に対して一定の合理性を課すならば、マスキン単調な社会的選択対応はやはり独裁的とならなければならないことが示されている。 第2部の各章は、アローの公理や匿名性などを満たす社会的決定ルールの特徴づけを試みるものである。まず、第5章では、多数決ルールの新しい特徴づけが試みられる。まず、第5章の前半において、もし完備的で推移的な社会的選好が、緩やかな選好の定義域の条件のもとで中立的かつ匿名的であるならば、弱パレート条件・強パレート条件・正の反応性の3つの条件が同値であることが示された。正の反応性・中立性・匿名性を満たす社会的決定ルールは多数決制のみであることが知られているので、この同値性を利用して多数決制の特徴付けが与えられる。これは弱パレート条件・中立性・匿名性と集団合理性によって多数決制が基礎付けられたことを意味する。 第6章では、さまざまな集団合理性のもとで、匿名的かつ中立的な社会決定ルールのクラスの特徴付けが試みられている。近年、Bossert and Suzumura (Journal of Economic Theory, 2008)が整合性(Consistency)という集団合理性の下でルールの特徴づけを行ったが、彼らのアプローチに従って、推移性(Transitivity)・準推移性(Quasi-transitivity)・非循環性(Acyclicity)・三項非循環性(Triple-acyclicity)などの集団合理性の下でのルールの特徴づけがされている。また、経済環境の下での特徴づけの問題も検討されている。 第7章では、社会的決定状況における非帰結主義的常識の役割が分析されている。この章の分析の出発点はSuzumura and Xu (Social Choice and Welfare, 2004)である。Suzumura and Xuでは、選択の自由という非帰結主義的要素に対して辞書的な優先性を置くような個人が存在するならば、アローの不可能性は解決されるということが示された。第7章では、非帰結主義的要素を特定化しない形で置くことで、常識的道徳の変化する可能性を考える。すなわち、Suzumura and Xuの枠組みでは、固定された常識的道徳を考えているのに対して、本章ではあらゆる常識的道徳の可能性を許している。このような道徳の変化の可能性を考えると、アローの公理を満たすような社会的選好とは、常識的道徳に辞書的な優先性をおくものだけに限られることが示された。 第3部では、分配の衡平性の理論の研究がまとめられている。まず、8章および9章では、連続体の経済と複製経済の無限人口の環境の下での、羨望のない状態としての衡平性の精緻化が試みられている。このような無限人口の環境における衡平性の研究は、Varian (Journal of Public Economics, 1976)やZhou (Journal of Economic Theory, 1992)などによって研究された。この2つの章では、それぞれの環境に合わせて局所的無羨望条件(local envy-freeness)という衡平性概念が提示されている。通常の無羨望条件は、各人がその「ほかの全ての」個人を妬まない、ということを要請する。これに対して、局所的無羨望条件は、各人がその「近隣の」個人を妬まない、ということを要請する。この概念は明らかに、通常の無羨望条件よりも弱い制約しか与えない。しかしながら、連続体の経済と複製経済などの環境の下では、パレート最適かつ局所的無羨望な配分は、大域的な意味での無羨望条件を満たすことが示されている。これは、パレート条件のもとでは、局所無羨望が鎖のようにつながって、全体に拡がっていくことを意味する。 第10章では、連続体経済のもとで、平等性等価としての衡平性と羨望のない状態としての衡平性の両立可能性が検討されている。ここでは、連続体経済のもとで、パレート効率的で平等性等価な配分が、無羨望であるための必要十分条件を与えている。さらに、各人がコブ・ダグラス型の効用関数を持つ場合には、必要十分条件が満たされるのは、全ての個人の選好が完全に一致するときのみであることを示している。 第11章では、無限時間のモデルにおいて、世代間衡平性の基準として無羨望条件と平等性等価条件を導入した。一方で、Koopmans (Econometrica, 1960)によって提示され、その後、社会的選択理論に導入された定常性条件(Stationarity)を課している。定常性条件は、時間によって社会的選好が影響を受けないことが要求されていることを証明している。ここで示されたことは、無羨望条件と平等性等価条件のどちらを考えようとも、衡平な社会的評価は定常性を満たさないことである。この両立不可能性は大変意義深い結果である。しかも、その背後には衡平性と定常性の「過去」の取り扱い方の違いがあることが指摘されている。 第4部では、混合寡占と民営化の問題が検討されている。この分野の近年の発展にもっとも大きく貢献した論文はDe Fraja and Delbono (Oxford Economic Papers, 1989)である。De Fraja and Delbonoは、公企業が社会厚生を最大化することを目的としていたとしても、民営化が社会厚生を改善する可能性があることを指摘した。この結果の背後にある論理とは公営企業から民間企業への「生産代替 (production substitution)」である。公企業は社会厚生の最大化を目的とするため過大生産する。そこで民営化すると、公企業が生産を減らし民間企業が生産を増やすために、公企業の過大生産による過大な生産費用が節約されることによる便益が生じるために、社会厚生が改善される可能性が生まれる。多くの混合寡占の研究ではこの生産代替の構造を利用している。第12章では、公企業の外生的な生産技術の社会厚生に対する影響を考察している。企業数が外生変数である短期においては、公企業の生産技術悪化が社会厚生を改善する可能性があることが示された。この結果の背後にある直観はまさに公企業から民間企業への生産代替である。一方、企業数が内生変数である長期においては、公企業の生産技術悪化が社会厚生を悪化させることが示された。第13章では、公企業の内生的生産技術決定の問題が検討された。公企業のみが費用削減投資(Cost-reducing investment)をするような状況を考え、公的独占と混合寡占における公企業の投資量を比較している。第13章の前半では、Nishimori and Ogawa (Australian Economic Papers, 2002)が線形の需要と費用関数のもとで得た結果を一般の関数の下で得られることを示した。すなわち、公的独占における投資量は混合寡占の状況よりも高い。後半では、公企業の費用削減投資によって獲得された技術がスピルオーバーするような状況が考えられている。スピルオーバーが存在しても、結果が基本的に頑健であることが示されている。 第14章から第16章では、民営化と公害の関係が検討されている。すなわち、企業の生産活動による負の外部性が存在するような不完全市場における民営化が分析される。まず、第14章においては、政府が環境政策を課さない場合の民営化の問題が検討されている。短期分析では、外部効果が強くなると公企業から私企業への生産代替を起こすことが指摘された。また長期における民営化のための条件が求められた。 第15章では、政府が企業の汚染削減努力に対する補助金を考慮する状況が分析されている。まず、関数を特定化せず、一般的に最適な補助金率の性質を考察している。その後、線形需要と二次の費用関数に特定化して、民営化の最適補助金率への影響を検討している。そこでは、市場が十分に競争的な場合は、民営化により最適補助金率は上がり、競争的でない場合は下がることが示された。 第16章では政府が汚染税を設定するような状況が考えられている。第1の結果として混合寡占市場において最適課税は限界的な損害よりも低いものとなることが示された。さらに、費用関数が汚染削減と生産量について(多くの環境の研究で仮定されている)分離可能性を想定すれば、公営企業の生産量と削減努力が私企業のそれらより大きくなることが示された。加えて、古典的に検討されてきた2つの特殊例について検討がなされた。すなわち、汚染が費用削減にのみ依存する場合と、汚染が生産にのみ依存する場合である。次に、政府が、環境税と汚染削減補助金の2つの政策を組み合わせて課すような状況を考えた。このとき、政府が政策をうまく組み合わせることで、混合寡占市場でも民営化後の市場でも、最善の結果を達成できることが示された。 2.博士論文の評価 第1章の分析については、Geanakoplosの証明のアプローチの応用という意味では新しいものではない。しかしながら、加藤氏が社会的選択理論における基本的な不可能性定理の多くを統一的に証明したことは、Geanakoplosのアプローチの応用可能性を広げるものであるだけでなく、社会的選択理論の構造を大変見やすいものにした。また、第2章では、「準決定性」という新しい概念が提示され、その上で、新しい社会選択理論の新しい論理構造を発見している。また、Kirman. and Sondermann (Journal of Economic Theory, 1972)やHansson (Public Choice, 1976)の完備性の下での決定集合のクラスの特徴づけ定理を系として導ける点から、既存の結果を一般化することに成功している。第3章の非循環性に関する研究は、社会選択理論の分野で重要な貢献とされているSchwartz (Journal of Economic Theory, 2007) とFerejohn and Fishburn (Journal of Economic Theory, 1979)による2つの研究の密接な関連性を証明したという点で、意義深い。第4章は、一価の社会選択関数に関する研究が多くある一方で、社会選択対応に対するマスキン単調性の制約性についてはHurwicz and Schmeidler (Econometrica, 1978)の研究以降あまり議論されていない。多価の状況の重要性を考えれば、この章の研究的価値は認められる。しかし、選択対応に要請した合理性の仮定が強すぎるとも思われる。この合理性をはずした場合の研究が加藤氏の将来の課題になろう。 第5章で加藤氏は、多数決制の特徴づけ定理の新しいアプローチを試みている。既存の多数決制の特徴付け定理の多くのものでは、パレート原理・匿名性・中立性に何らかの追加的条件を加えることで結果を得ている。第5章は、追加的条件として集団的合理性を要求することで特徴づけを与えるものである。第6章の加藤氏の証明方法の多くの部分はBossert and Suzumura (Journal of Economic Theory, 2008)に従っているが、さまざまな集団合理性のもとでの特徴づけ定理を統一的に整理しただけでなく、提示されたルールのいくつかは新しいものである。第7章は、Suzumura and Xu (Social Choice and Welfare, 2004)の拡張された社会選択の理論的枠組みにおける可能性定理を、特徴づけ定理に発展させることを試みている。この理論的枠組みでの特徴付けは、これまで検討されるべき課題と見なされてきたという点で、意義のある考察である。しかし、Suzumura and Xuの枠組みからより抽象的となっており、ここで導入されている非帰結主義的要素とその評価をする常識的道徳の具体的な状況設定が分かりにくい。より具体的な解釈が可能な形に発展させることが、将来の課題となろう。 第8章と第9章で提示された「局所的無羨望条件」という概念は、加藤氏が初めて導入した概念であり、規範的な基準として受け入れやすく直観的な意味合いを持っており、将来、この分野の研究に大きな影響力を持つ可能性がある。また、そこで示された結論は、Varian (Journal of Public Economics, 1976)とZhou (Journal of Economic Theory, 1992)によって与えられたアプローチを発展的に取り入れている。しかし、数理経済学の研究として、まだ発展の余地がある。特に、第8章の定理において、配分のタイプに関しての微分可能性が仮定されているが、これを例えば可積分関数という前提だけから議論を組み立てることが新たな課題となろう。第10章では、平等性等価条件と無羨望条件の両立可能性が議論された。この両立可能性については、Postlewaite(彼の議論はDaniel (Journal of Economic Theory, 1978)に含まれる)やThomson (Economic Letters, 1990)によって両立可能でないような例が与えられる。しかし、経済環境を連続体という特定のものに絞り込むことで、必要十分条件を与えている点について大いに独自性がある。第11章は、世代間衡平性の理論的枠組みのもとで、衡平性と定常性の両立不可能性を与えるものである。世代間衡平性における新しい両立不可能性は新しい形式の両立不可能性として大変に面白い結果である。しかしながら、分析がまだ基本的なものにとどまっている点と定常性の規範的な解釈について疑問の余地が残る点を考慮すると、さらに研究を批判的に発展させていく必要があるだろう。 第12章の分析は、De Fraja and Delbono(Oxford Economic Papers, 1989)以来の混合寡占の理論における、生産代替の効果の意味合いの明確化を試みている。第13章は既存のNishimori and Ogawa (Australian Economic Papers, 2002)を一般化しつつ、スピルオーバーという方向性を与えている。第14章・第15章・第16章では外部性のあるような混合市場の研究を行っている。これまでそのような市場の研究をした論文はいくつか存在するが、それらが特定化された需要関数と費用関数のもとでの分析を与えているのに対して、できるだけ関数を特定化しない形で分析している点で新しい。また、第16章は、外部性のない場合の生産補助金の分析を行ったWhite (Economics Letters, 1996)との対比を明確化した点について評価することができる。 以上、加藤氏が博士課程在学三年間でこれだけの内容の博士論文をまとめたことは賞賛に値する。一定水準以上の内容を持つ論文を16本も書いたということ自体が素晴らしいが、それも同じアイデアの「種」から量産したものでなく、第一部、第二部、第三部は同じ社会選択理論といっても、基本的な理論構造も分析方法も異なった問題を扱っており、それぞれの部が一つの独立した博士論文を構成しうる内容になっている。もちろん、章によっては、単なるtechnical noteとしか見なせないものもいくつかあるが、全体の質は高く、将来大きく発展する可能性のある分析手法や概念も少なからず導入されている。さらに、第四部も一つの博士論文を構成しうる内容になっているだけでなく、加藤氏が、狭い意味での社会選択問題だけでなく、広い意味での社会選択問題としての公企業問題や環境改善問題などにも深く関わっていることを示しており、社会科学者としての大きな広がりを予感させるものとなっている。 英語の表現力の不足という問題は多くの審査委員が指摘している。また、博士論文全体をもう少し鳥瞰図的に示すような序章があった方が良かったという意見もあった。ただ、量質ともに本論文が国際水準に達していることは間違いなく、審査委員は全員一致で博士(経済学)の学位授与に値するものであると判断した。 | |
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