学位論文要旨



No 123980
著者(漢字) 津田,浩司
著者(英字)
著者(カナ) ツダ,コウジ
標題(和) 体制転換期インドネシアにおける「華人性」の諸相
標題(洋)
報告番号 123980
報告番号 甲23980
学位授与日 2008.04.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第821号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関本,照夫
 東京大学 教授 並木,頼寿
 東京大学 准教授 福島,真人
 東京大学 准教授 名和,克郎
 東京大学 講師 渡邉,日日
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、スハルト新秩序体制末期から改革の時代へと至る体制転換期インドネシアの地方小都市における「華人性」の諸相を描いた民族誌である。

近現代インドネシアにおいては、「華人であること」が社会的に大きな意味を帯びてきた。独立以降も華人系住民は、「華人はいつまでたっても華人である」として、陰に陽に差別の対象となってきたのだ。とりわけスハルト体制下では、国を挙げて対処すべき重要課題として「華人問題」が設定される中、「華人である」とされる人々が持っているとされる「華人性」なるものが、抹消されるべき対象と位置づけられた。ただ、「華人は問題である」との言説が社会に溢れるのとは裏腹に、それが一体どういう意味において「問題」なのかは空洞化され、結果として逆説的ながら、「華人性」なるものは人々の日々の生活の中で遍在的に顕在化され、また再生産されるようにもなった。

学術面においても、従来インドネシア華人に関する研究ではしばしば、華人はプリブミ(かつて「原住民」と呼ばれた人々)社会に同化しているか」などといった類の問いが繰り返されてきた。しかし論理的に言って、華人が完全にプリブミ社会に同化しているならば、研究対象としての華人を取り出すことはできまい。つまりこうした問題設定は、あらかじめ「華人性」や「華人意識」を持った「華人」というものを固定的に捉えようとするものであったと言えよう。

インドネシアの華人に限らず、ある特定の民族や人種の区別が自明化されている社会においては、そこに直接的に国家の権力が介在していようがいまいが、その人間分類のイデオロギーは現実に個々人の生活の前に大きな構造として現出する。それがいくら虚構であるとか錯覚であると言ってみても、実際にその只中に生きている人々にとっては、その圧力は様々な制度などを通じて払いのけられないものとして降りかかってくるのだ。そうして個々人に振り向けられた分類と意味付与の暴力性に目をつむり、その圧力を蒙っている当人らの民族性やエスニシティの核(たとえば「華人性」や「華人意識」などと称されるもの)を闇雲に追い求めてみたり、あるいは状況的アイデンティティなどとして彼らの自発性や戦略的な営みのみを無批判にクローズアップするわけにはいかない。また、民族集団の生成の過程やそのイデオロギー性、そしてそれに伴う諸制度を外部から大局的に眺め批判するのみで、当該社会に生きる全ての人々が全面的にそうした分類イデオロギーに絡め取られていると考えるのもまた、短絡的である。

現代インドネシアの文脈で言えば、確かに「華人かプリブミか」の別は自明のこととして人々の生活レベルにまで入り込み、また法や制度、あるいは社会全般を覆う圧力などを通じて、「華人であること」や「華人性」といったものが日常的に意識させられてもいる。しかしその一方で強く確認しなければならないのは、たとえそうした様々な力によって生み出される強固な構造があろうとも、個々人の日常の営みというものは、必ずしもその構造のもとに全面的に回収されるわけではないという視点である。人々の生活実践は曖昧で一貫性がない雑多なものかもしれないが、それゆえにこそ、物事を一定の秩序のもとに配置しようとする構造化の力によっても絡め取られない、何かしらの広がりを持っているはずなのだ。

本論文では、このように「華人性」をめぐって諸力・諸制度が強固に働く現代インドネシアにおいて、「華人」として生きている人々の生活の場から、民族現象・エスニシティ現象としての「華人性」を捉えていくことに努めた。そこでは、「華人性」、あるいは「華人意識」などといったものを所与の固定的なものとは捉えず、むしろ人々の生活の中で具体的に「華人性」と呼び得るものが立ち現れるプロセスを、体制転換に伴って大きく揺らぎつつある当の諸力・諸制度そのものを照らし返しつつ、諸相ごとに明らかにした。

その人々の生活が営まれている場として本論文が焦点を当てたのが、厚い相互認知の連なりによって互いに「華人である」ことが了解されている「華人コミュニティ」である。それは、言わば「顔の見える」関係性で結びついた者同士が、生活実践に根差す中で意識するレベルの共同体であり、本論文では、空間的にも濃密な日々のつき合いの上からも一定のまとまりを成すと当人たちによってイメージされている広がり、すなわち、あるひとつの小さな町で互いに「華人である」と認め合いつつ共に生活する人々の連なりを、便宜的に「華人コミュニティ」と呼んだ。ナショナリズムの起源と流行を論じる中で共同体を論じたB.アンダーソンは、このような対面状況の中で営まれる共同性について敢えて語ろうとはしなかった。しかし、彼が主張するような広く抽象的な形式によってイメージされるレベルの共同体(「顔の見えない」関係性)と、顔見知り同士の生活世界において成り立つレベルの共同体(「顔の見える」関係性)では、たとえ双方に共通して民族や人間集団にまつわる弁別の力が根深く入り込んでいるとしても、経験される豊かさの点においては両者には質的とまで言えるほどの差があると考えられる。

本論文の中心を成す3つの事例(第2章~第4章)は、この生活と密着した共同性の場である「華人コミュニティ」を舞台に、そこに降り注ぎ、またそこで生きられ、時にはそこで意識的に自己主張されもする「華人性」というものを、中部ジャワ北海岸に位置するルンバン(Rembang)県における筆者自身のフィールド調査をもとに、具体的かつ微細に描き出している。なおこのルンバン一帯は、古くから華人が定着した地として有名であり、ジャワ華人たちの間で故地のひとつとも目されている。

はじめの事例として第2章では、スハルト体制末期にルンバン町内にある2つの中国寺院が辿った地位変更過程を追った。そこでは、国の宗教政策と対華人政策によって生み出された磁場の中で、人々が当該寺院に「コミュニティ」の結節点としての役割を見出し、その過程でまさに上述の磁場に沿う形で「華人性」というものが意識化され、主張されていったのである。本事例は、「華人性」と呼ばれるものが人々の実生活の様々な行きがかりから事後的に立ち現れるプロセスを示すものであるが、これを通じて筆者は、民族現象やエスニシティ現象というものはあくまでもそれが立ち現れるプロセスの中で、そしてそれが立ち現れる諸々の相で見ていかねばならないと主張する。

第3章は、スハルト体制崩壊前後の混乱期にルンバンの華人たちが自己防衛のために作り上げたインフォーマルな組織(「影の華人組織」)の成立から消滅までの顛末を追った。1998年前後のインドネシアでは華人に対する暴力の嵐が吹き荒れていたが、自分たちも「狙われるチナ」であるとの思いを新たにしたルンバンの華人たちは、対処法を模索する中で、日頃彼らが生活している場である数百世帯から成る「コミュニティ」にシステマティックな形を与え、一致結束すべくひとつの組織を立ち上げる。さらには日常的にさほど密なやりとりのない近隣県の華人たちとも連携し、広域の「華人ネットワーク」を結成するまでに至る。こうして従来共に生活する中で培われてきた関係性をはるかに深化・拡張する形ででき上がった体制だが、危機が去るとすぐに自然消滅に向かう。その経緯を明らかにすることで筆者は、逆に日常の生活実感を伴う顔の見える形で結びついた「コミュニティ」というものが、日頃どういう姿を持ち、また人々にどうイメージされているかを浮かび上がらせた。

第4章では、改革の時代に入り「華人性」を自由にアピールできるようになった環境下で、インドネシアの全華人の地位向上を目指して活動を展開しようとする中央(ジャカルタ)の華人団体関係者が企てた運動、すなわち、歴史上インドネシアに貢献した華人を見つけ出し、「国家英雄」に推戴しようとした運動の顛末を追った。この運動で脚光を浴びたのは、ルンバン一帯の中国寺院で長らくひっそりと祀られてきた歴史上の英雄であったが、それが突如インドネシアの全華人を代表する「国家英雄」に仕立て上げられようとすることに対して、地元の人々が冷ややかで無関心な態度を示したことが明らかにされる。この事例を通じ筆者は、ローカルな場で「華人である」ことを生きている多くの人々にとって、その生活の文脈を離れた「インドネシアの全華人」などといった広がりに積極的に関与することに違和感があったことを、事例に即して説き明かしている。

以上のように本論文は、現代インドネシアにおいて「華人である」とされつつも、従来日々の暮らしの中で「華人性」なるものを顕示的に語ることのなかったような人々が、いかに「華人性」を捉え、現在進行中の体制変動の中でいかに「華人性」を生き、また主張していこうとしているのかを記述した民族誌である。そうして立ち現れる民族現象・エスニシティ現象としての「華人性」を具体的に諸相ごとに明らかにすることで、逆に現代インドネシアにおいて「華人(性)」なるものを取り巻く社会的枠組とその動態を照らし返すとともに、彼らの生活世界である「華人コミュニティ」というもののあり様をも浮かび上がらせているのである。

審査要旨 要旨を表示する

津田浩司氏の博士学位申請論文「体制転換期インドネシアにおける『華人性』の諸相」は、インドネシアの地方小都市における「華人性」の諸相を、まる2年間の住み込み調査に基づいて描いた民族誌である。またこの論文は、「インドネシア華人」の歴史的・民族誌的研究を通じ、民族、コミュニティー、共同性についての興味深い理論的考察を行っている。インドネシア華人の研究ではなく、現代インドネシアにおいて「華人性」が立ち現れるさまざまなプロセスと諸相を考察の対象としている点が、本論文の特徴であるが、以下の要旨では煩瑣を避けるため、括弧のつかない華人という便宜上のラベルを用いる。

インドネシア華人の研究は第二次大戦後、アメリカ、フランスなどで展開されてきたが、華人をよそ者と見るインドネシア・ナショナリズムと国家政治の影響もあって、十分に深められるには至らなかった。とくに1966 年以降のスハルト支配体制の下では、華人に対する同化政策がとられ学術調査自体がタブーとなっていた。スハルト体制が崩れこの禁が解かれてまもなく、現地華人コミュニティーでの長期フィールドワークを行い執筆されたこの論文は、長い研究の空白を埋めるパイオニア的なものである。津田がこれまでに学術雑誌に発表した諸論文はすでに国内研究者の注目を受け、昨年日本華僑・華人学会研究奨励賞を受けている。今後この学位論文の内容が英語その他で発表されるならば、国際的注目を受けるのは必至である。

論文は5章から成る。第1章(「序章」)では、今日のインドネシア国家社会における華人なるものの存在様態が、歴史的背景と共に論じられ、同時に人類学その他の分野における先行の民族・エスニシティー論、共同体論を参照しつつ考察の視座が確定される。先行するインドネシア華人研究に広く言及されており、日本、アメリカ、オランダ、シンガポール、オーストラリアにおける研究が検討されると共に、インドネシアにおいてスハルト体制以前と以後に行われた研究が詳しく参照されている。単に先行研究を羅列したレビューではなく、自己の論の展開に即して諸研究に広く言及し自分の主張を浮き立たせるそのやり方は、優れたものである。

津田はここで、華人なるものが歴史的・社会的に、また国家権力との関係において構成され変転するものであり、華人のおかれた状態とか、華人をインドネシアの他の民族集団と区別する特徴などが、論の既与の前提ではあり得ないと述べる。こうした主張だけで終わるなら、すでに本質主義批判等として繰り返されているもので新味はない。津田はさらに、日常生活の中に根を下ろした民族誌のなかでこのことを描き出す方法を探り、前述したように華人と言うより華人性に論の対象を絞る。すなわち、そこにある華人を研究するのではなく、華人性が立ち現れるさまざまな場面・プロセスに焦点を合わせ、当の住民たちに華人性が降りかかったり彼ら自らがそれを主張し、実践の中から華人性が事後的に現れてくる様態を描き出そうというのである。この視点は、すでに言い古された感もある本質主義批判や構成主義的民族論を、民族誌的研究の場で生産的に前進させる貢献である。また本論は、第2章以下の民族誌的な描写と議論を通じ、序章に提示された視点を豊かにすることに成功している。理論的・概念的考察と民族誌を書く作業とが、良くバランスを保っている点は賞賛に値する。

本論の第2章は、調査の舞台であったジャワ北岸の小都市で、中国式の廟が、国家の同化主義政策に順応して仏教寺院に装いを変え、その後ふたたび「中国寺院」へと地位を変更するプロセスを描いている。中華廟から仏教寺院への地位変更が、国家の対華人政策、全般的宗教政策の下で、きわめて予想しやすいものであるに対し、それがふたたび民族性を前面に押し出した「中国寺院」に変化する事態はとりわけ興味深い。国家による政策変更がないところで、政策が生み出す磁場への人々の対応の結果、「中国寺院」にコミュニティーの結節点が求められる過程の描写は、民族現象の現れるプロセスを研究対象とする筆者の論を、できごとの連なりによって肉付けする優れたものである。

第3章は、1998 年スハルト大統領の支配が崩壊に至る前後の混乱期に、華人の自己防衛組織が成立し、また消滅するまでの過程を描いている。1990 年代にはインドネシアの各地で反華人暴動が頻発し1998 年にはピークに達する。日常における濃密な交渉だけがあって形をもつ組織がなかった調査地の華人コミュニティーに、静かにしかし急速に自己防衛の組織が出来上がる様は、類例のない興味深い記録である。筆者はさらに、スハルト体制崩壊後社会的政治的な危機が去るとこの組織が自然消滅していく過程を、詳細な聞き取り調査によって明らかにしている。華人性が外部から降りかかり、それが住民によって積極的に客体化され、さらに雪が溶けるように消えていく様を描くことで、筆者は華人性のありようを、説得力をもって提示している。

第4 章は、ポスト・スハルト期の政治変革により、国家による同化圧力と華人的文化への抑圧が大幅に除かれた時期の、国家次元の動きとローカルな反応とを論じる。インドネシア国家が定める「国家英雄」のリストの中に、オランダ植民地支配に抵抗した過去の華人の名を加えようという、首都ジャカルタでの動きから、調査地の中国寺院に祀られる18世紀の歴史的人物に注目が集まる。この章では、こうしたナショナリスト的想像力とローカルな住民の意識とのずれが記されている。アンダーソンはその「想像の共同体」論において、対面関係を越えた共同体はすべて想像されたものであるとするが、筆者は、アンダーソンが論じていない「対面関係の共同体」に焦点を合わせ、かつこれと「想像された共同体」との間に起きる裂け目や葛藤を論じる。それは共同体的想像力をメディアや制度によって固定することの限界を説くものでもある。同時に両者は屈折したつながりの意識で結び合ってもいる。この章は筆者がこうした思考を展開する格好の舞台となっている。

筆者は第5章「終章」で以上を総括し、華人性の、造られたものとしての側面、自己主張される側面、さまざまな関係を結びつつ「生きられる、実存する」側面が、矛盾し葛藤しつつ、華人性が現れるプロセスの中に切り離しがたく存在すると言う。日常の営みは一貫性が無く雑多であるが、それゆえに構造化する力に絡め取られない広がりを持つと言うのである。

本論文はインドネシア地方小都市の華人コミュニティーという小さな場の、深いフィールドワークによる緻密な研究であるが、それを通じて筆者は、民族、共同性、ローカル性をめぐるきわめて重要な考察を展開した。これは、人類学と社会科学一般、またインドネシア研究、インドネシア華人研究への重要な貢献である。世界に広がる華僑・華人をめぐっては、異なる専門分野から研究が蓄積され、また今日の中国経済発展の中で社会的注目を集めている。その中で本論文は、コミュニティーの日常生活実践からの視点・方法による研究として、国際的に先端的なものである。2年間に及ぶフィールドワークと言っても、その成果には研究者ごとの達成度の差がある。本論文で示された精細でニュアンスに富む情報は第一級のものであり、筆者が人びとに受け入れられ共感し合い、ものごとの深いひだにまで分け入る調査能力を持つことを立証している。筆者はレヴィ=ストロースが独特の意味で用いた「真正な共同体」「非真正な共同体」という対比や、アルチュセールに由来する「呼びかけ」「呼びかけられるサブジェクト」の対比を自分の流儀で転用しつつ、想像される共同性と顔をつきあわせた日常の共同性の関係のいかんについて、重要な問題提起をしている。これを理論的・概念的に深めるのはまだ今後の課題であり、その点では試論と言うべきものである。だが本論文はそれ自体ですでに、文化人類学研究、社会科学研究、地域研究に対して重要な貢献をなし遂げている。審査員一同は、本論文提出者に博士(学術)の学位を授与されるに充分な資格があるものと認める。

UTokyo Repositoryリンク