学位論文要旨



No 123827
著者(漢字) 奥,裕介
著者(英字)
著者(カナ) オク,ユウスケ
標題(和) グラム陽性細菌細胞表層のリポタイコ酸の生合成酵素の同定
標題(洋)
報告番号 123827
報告番号 甲23827
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1254号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 准教授 東,伸昭
 東京大学 准教授 有田,誠
内容要旨 要旨を表示する

細菌や真菌の細胞壁などの細胞表層の構成成分は、細胞の恒常性の維持や他の細胞との相互作用に関わると考えられている。これらの生理機能の解明は、微生物の増殖システムや、微生物感染症の病態の理解につながる。グラム陽性細菌は、その細胞表層にリポタイコ酸を有する。リポタイコ酸は、ジアシルグリセロールに2分子のグルコースを基部として、約30分子のグリセロールリン酸がポリマーを形成している(図1)。黄色ブドウ球菌のリポタイコ酸はペプチドグリカンの分解酵素の活性や細胞膜の安定性に影響を与えること、さらに宿主の自然免疫系の活性化を引き起こすことが生化学的解析により指摘されている。しかし、リポタイコ酸のグリセロールリン酸鎖の合成に与る酵素は未同定であり、細菌細胞の増殖や宿主との相互作用におけるリポタイコ酸の役割についての遺伝学的な解析はなされていない。

本研究で私は、黄色ブドウ球菌のリポタイコ酸のグリセロールリン酸鎖の生合成に与る酵素を初めて同定し、リポタイコ酸の生理機能に関する遺伝学的な解析を行なった。その結果、リポタイコ酸がペプチドグリカン分解酵素の活性調節、高温での細胞膜への安定性、および宿主との相互作用に寄与する分子であることを示唆する結果を得た。

また、リポタイコ酸とともに、細胞表層に存在するアニオン性のポリマーである細胞壁タイコ酸と、リポタイコ酸が同時欠損できないことを明らかにした。このことは、細胞表層のアニオン性のポリマーであるリポタイコ酸、細胞壁タイコ酸がグラム陽性細菌の増殖に必須の役割を果たすことを示唆している。

結果

1.黄色ブドウ球菌1tα3欠損株は高温感受性を示す

当研究室では黄色ブドウ球菌の高温感受性変異株を多数分離している。この中で、私は、ItaS(lipoteichoic acid synthase)と名付けた機能未知遺伝子によって高温感受性が相補される3株に着目した。3株の染色体上のltaS遺伝子には、アミノ酸置換を導く塩基置換が見出された。1つの株では、染色体上のltaSの読み枠中にストップコドンを生じていることが分かった。ltaS遺伝子欠損株を構築したところ、30℃では増殖可能であったが、37℃以上の高温では増殖ができなくなっていた(図2)。したがって、機能未知遺伝子ltaSが低温での増殖には不要であるが、高温での増殖に必須であることが示唆された。

2.ltaS欠損株におけるリポタイコ酸の欠損

ltaS3遺伝子がコードするタンパク質は全長68kDaであり、N末端側に膜貫通領域を有している。またC末端側にはalkaline phosphatase様のドメインが存在する。C末端にヒスチジンタグを融合したltaSタンパク質を発現させると、全長のタンパク質は膜画分に回収された。また、C末端側のalk証nephosphatase様のドメインを含む領域は、培地中に検出されることが分かった。このことから、LtaSタンパク質の触媒部位は細胞外に配向しており、リン酸を含む細胞表層の構造物の代謝に与ると予想された。ltaS欠損株の細胞表層構造物に失われているものがあるかを調べたところ、ltaS遺伝子欠損株は、リポタイコ酸を欠損していることが見出された(図3)。

リポタイコ酸のグリセロールリン酸鎖はフォスファチジルグリセロール(PG)を供与体として合成されると考えられている。そこでltaS遺伝子欠損株のPGの代謝回転をパルスチェイス法により調べた。その結果、ltaS欠損株のPGの半減期は120分以上であり、野生株の20分よりも著しく長くなっていた。これらの結果は、ltaS遺伝子がPGを基質としたリポタイコ酸の生合成に必要であること、および細胞膜のPGの大部分はリポタイコ酸の生合成に用いられを示唆している。

3.ltaS遺伝子を大腸菌細胞内で異所発現することによりリポタイコ酸が合成される

リポタイコ酸を持たず、リポタイコ酸合成の基質であるPGを有する大腸菌の細胞内でLtaSを異所発現させた結果、リポタイコ酸の合成が生じた。大腸菌細胞内でのリポタイコ酸の合成は、PGの量が著しく低下しているpgs3変異株では見られなかった(図4)。したがって、ltaS遺伝子がPGを基質とするリポタイコ酸の合成酵素をコードすることを示唆された。

4.ltaS欠損株における細胞の分離不全

リポタイコ酸は、ペプチドグリカン分解酵素と結合し、その活性に影響を与えることが報告されている。そこで、リポタイコ酸を欠損するltaS変異株では、ペプチドグリカン分解活性が野生株と比べて大きく低下していた。さらに細胞を電子顕微鏡下で観察すると、ltaS欠損株は培養温度によらず細胞の不分離を生じており、細胞壁が肥厚していた(図5)。これらの結果は、リポタイコ酸がペプチドグリカン分解酵素の活性を促進することを介して細胞の分離に働くことを遺伝学的に示したものである。また、細胞の分離不全は30℃でも生じることから、ltaS欠損株の増殖不全を説明しないと考えられた。

5.ltaS欠損株は高温で細胞膜に障害を生じる

合成膜を用いたin vitroの研究から、リポタイコ酸は、細胞膜の流動性を低下させる作用を有することが報告されている。私は、リポタイコ酸を欠損するltaS欠損株では、高温で細胞膜が障害される可能性を考えた。SYTOX Greenは核酸に結合して蛍光を生じるが、細胞膜内外の電位差が保たれていれば排出されるため、生細胞はこの色素により染色されない。細胞膜の電位差が失われると、この色素は細胞内に取り込まれ、核酸に結合して蛍光を生じる。伽3欠損株を高温シフトすると、SYTOX Greenで染色される細胞の割合が増大した(図6)。この結果は、ltaS欠損株は高温で細胞膜内外の電位差を失うことを示唆している。すなわち、リポタイコ酸は細菌細胞膜の障害を防ぐ役割を有し、この機能が黄色ブドウ球菌の高温での増殖に必須であると考えられた。

リポタイコ酸は感染宿主の微生物認識に与る受容体に認識され、炎症性サイトカインの放出を導くことが報告されている。マウス腹腔マクロファージを熱処理菌体で刺激したところ、リポタイコ酸を欠損するltaS変異株は野生株と比べてIL-6放出量を低下することが分かった(図7)。これは、リポタイコ酸が炎症性サイトカインの放出促進に寄与することを合成酵素の変異株を用いて示した初めての結果である。

7.リポタイコ酸と細胞壁タイコ酸はグラム陽性細菌の増殖に必須である

グラム陽性細菌は、リポタイコ酸と構造的に類似し、細胞壁に共有結合する細胞壁タイコ酸を有する。これらは、細胞表層に負電荷を付与し、細胞表層でマトリックスを形成する。リポタイコ酸、および細胞壁タイコ酸は、それぞれ単独で欠損することが可能である。リポタイコ酸と細胞壁タイコ酸の両者が増殖に必須な役割を果たすかを検証した。細胞壁タイコ酸の合成に必須なtagO遺伝子と、ltaS遺伝子との2重欠損株を作出した結果、ltaStagO遺伝子欠損株は、いずれの培地においても増殖できなかった(図8)。このことは、リポタイコ酸及び細胞壁タイコ酸が増殖に必須の役割を果たすことを示す初めての結果である。

考察

私は黄色ブドウ球菌のリポタイコ酸のグリセロールリン酸鎖の合成酵素をコードする新規遺伝子ltaSを同定した。ltaS遺伝子は、グリセロールリン酸型のリポタイコ酸を有するグラム陽性細菌に広く保存されていた。したがって、LtaSはグラム陽性細菌のグリセロールリン酸型のリポタイコ酸を合成する酵素であると考えられる。

ltaS欠損株の作出により、リポタイコ酸を完全に欠損するグラム陽性細菌変異株を初めて得た。これによりリポタイコ酸が細菌の高温での増殖に必要であることを見出した。リポタイコ酸の細胞膜障害からの防御能が高温での増殖に必要であると考えている。さらにリポタイコ酸は、ペプチドグリカン分解酵素活性を促進する働きや、宿主の免疫担当細胞による炎症性サイトカインの放出促進機能を有することが示唆された。本研究の結果は、リポタイコ酸が、細菌の生理や宿主の相互作用において、多様な機能を有することを示している(図9)。

また、本研究では、グラム陽性細菌の細胞表層を構成するアニオン性ポリマーであるリポタイコ酸および細胞壁タイコ酸は増殖に必須の役割を果たすことを明らかにした。これは、アニオン性のポリマーが、グラム陽性細菌の細胞表層において必須の役割を果たすことを示唆する結果である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、グラム陽性病原性細菌である黄色ブドウ球菌の細胞表層構造であるリポタイコ酸の生合成酵素をはじめて同定したものである。

リポタイコ酸は、細胞膜にアンカーするアニオン性のポリマーであり、ジアシルグリセロールに2分子の糖と、約30分子のグリセロールリン酸からなる。リポタイコ酸は細胞壁に共有結合する細胞壁タイコ酸とともに、細胞表層にアニオン性のマトリックスを形成する。精製したリポタイコ酸を用いた研究から、リポタイコ酸は、細胞の分離に与るペプチドグリカン分解酵素の活性調節や、細胞膜の安定化、宿主の炎症性サイトカインの放出促進に与ると考えられていた。しかしながら、リポタイコ酸のグリセロールリン酸鎖を合成する酵素は未同定であり、リポタイコ酸の細菌生理や宿主との相互作用に関する遺伝学的な解析はなされていなかった。

申請者は、黄色ブドウ球菌の高温感受性変異株ライブラリーから、ltaSと名付けた機能未知遺伝子の高温感受性変異株を見出し、ltaSが高温での増殖に必須であることを明らかにした。LtaSタンパク質は、膜タンパク質であり、C末端側にアルカリフォスファターゼと相同な領域を有していた。申請者は、LtaSタンパク質の触媒部位が細胞外に配向していることを明らかにした。LtaSの触媒部位の配向から、LtaSがリポタイコ酸のグリセロールリン酸の合成に与る可能性を考え、ltaS欠損株を用いて検証した結果、伽3欠損株はリポタイコ酸を欠損していることを見出した。ltaS欠損株では、リポタイコ酸合成の基質と考えられている細胞膜リン脂質であるフォスファチジルグリセロールの代謝回転が低下していることを見出した。また、ltaS欠損株の高温感受性が、リポタイコ酸の前駆体の蓄積では説明できないことを、前駆体合成酵素との2重欠損株を用いた解析から明らかにした。さらに、LtaSを大腸菌細胞内で異所発現したところ、大腸菌細胞にリポタイコ酸が合成され、このリポタイコ酸の合成はフォスファチジルグリセロールの合成に欠損を生じるpgsA3変異株では見られないことを見出した。以上の結果から、ltaSはフォスファチジルグリセロールを基質とするリポタイコ酸のグリセロールリン酸鎖の合成酵素であり、リポタイコ酸の生合成は高温での増殖に必須であることを明らかにした。

さらに申請者は、リポタイコ酸を失うltaS欠損株を用いて、リポタイコ酸の細菌生理および宿主との相互作用に関する遺伝学的な解析を行った。ltaS欠損株では、ペプチドグリカン分解酵素の活性が低下しており、これに基づいて細胞の分離に異常を生じていることを見出した。このことから、リポタイコ酸がペプチドグリカン分解酵素の量の維持に働くことを遺伝学的に示した。また、ltaS欠損株では、高温で細胞膜障害を生じやすくなっていることを明らかにし、リポタイコ酸が細胞膜の安定化に寄与することを遺伝学的に示した。

さらに、ltaS欠損株は、マウスマクロファージからの炎症性サイトカインの放出促進能を低下していることを見出し、リポタイコ酸が炎症性サイトカインの放出促進に与ることを遺伝学的に初めて明らかにした。また、申請者は、グラム陽性細菌の細胞表層に存在し、細胞表層にマトリックスを形成するリポタイコ酸と細胞壁タイコ酸を失う2重欠損株を作出し、リポタイコ酸と細胞壁タイコ酸がグラム陽性細菌の増殖に必須の役割を果たすことを明らかにした。

本研究は、長年未同定であったリポタイコ酸のグリセロールリン酸鎖の合成酵素を同定し、リポタイコ酸が高温での増殖、ペプチドグリカン分解酵素の維持、細胞膜の安定化、宿主の炎症性サイトカインの放出促進に寄与があることを初めて明らかにした。また、グラム陽性細菌の細胞表層に存在するアニオン性のポリマーが増殖に必須の役割をすることを明らかにした。ltaSは、37℃以上の高温での増殖に必須であることから、LtaSは新規抗生物質のターゲットとして有用であると考えられる。

本研究は、細菌学、免疫学、薬学上、重要な発見であり、その寄与は大きい。従って本研究は博士(薬学)の学位に値するものと判定される。

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