No | 123240 | |
著者(漢字) | 井原,章之 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イハラ,トシユキ | |
標題(和) | 顕微発光分光法によるドープ量子細線中の1次元電子系の研究 | |
標題(洋) | Investigation of one-dimensional electron systems in a doped quantum wire by microscopic photoluminescence spectroscopy | |
報告番号 | 123240 | |
報告番号 | 甲23240 | |
学位授与日 | 2008.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5121号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 物理学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | ドープ半導体量子構造は、空間自由度の制限された低次元電子系を内部に形成することができ、その光学応答には低次元系特有の物理現象の発現が期待され、注目を集めてきた。特にドープ半導体量子細線に形成される1次元電子系の光学スペクトルには、状態密度やクーロン相互作用の特異性が顕著に現れることが期待されてきた。しかし、試料成長や測定が難しいため、量子細線のバンド端エネルギー領域の光学スペクトルに現れる特徴を明らかにした実験はこれまでに無かった。 本論文は、ドープ量子細線に対する顕微発光分光測定によって、縮退/非縮退1 次元電子系の存在下における光学スペクトルの性質を明らかにすることを目指したものである。特に1 次元状態密度の特異性や、クーロン相互作用による発光や吸収の増強効果(クーロン増強効果)の影響を明らかにするため、電子濃度や電子温度、正孔の有効質量といった物理量がスペクトルに与える影響を実験的に調べ、自由粒子近似モデルやハートリーフォック近似モデルの数値計算結果との比較を行った。特に着目したのは発光励起(PLE)スペクトル測定であり、実験的に難しいバンド端エネルギー領域のPLE スペクトル測定を実現するため、独自の顕微発光分光測定光学系を開発した。研究に用いた試料構造と試料加工方法、測定方法、解析方法、理論モデルに関しては、第2 章に詳細を記した。 第3 章では、ゲート付きn 型変調ドープT 型量子細線に対して測定した発光(PL)とPLE スペクトルの温度・電子濃度依存性の結果を示し、自由粒子近似モデル計算と比較した。図1 が、用いた試料構造の概要図である。T 型に組み合わさった2 つの量子井戸の交線部分に、単一の量子細線が形成されている。Si の変調ドープによって、1×1011 cm-2 程度の2次元電子ガスがstem well 内部に形成されている。さらにarmwell の上部にゲート電極を設けてあり、ゲート電圧(Vg)の印加によって電子濃度を変えることができる。励起と検出を直交に配置し、さらに励起光と検出の偏光を互いに直交させることによって励起光の散乱を減らし、単一の量子細線に対するバンド端エネルギー領域のPLE スペクトル測定を実現した。 図2(a)が、電子ガスの濃度を高濃度(6×105 cm-1)にして測定したPL(破線)とPLE(実線)の温度依存性である。5 K では電子ガスが縮退していることを反映して、フェルミ端に対応したPLE オンセット(FE)が現れ、PL スペクトルにはバンド端に対応した発光ピークが現れた。高温にすると縮退が解け、50 K ではPL とPLE ピークが両方ともバンド端に観測された(BE)。これらの特徴は、自由粒子近似モデルによる1次元電子ガスのスペクトル計算(図2(b))によって、よく再現できた。高温の非縮退1 次元電子ガスの存在下において、1 次元系に特有の鋭い吸収ピーク構造がバンド端に現れることが明らかになった。一方で低温のフェルミ端吸収オンセットには、顕著なクーロン増強効果が現れなかった。 図3(a)は、ドープ量子細線において、ゲートで電子濃度を変えながら5K で測定したPL(破線) とPLE(実線)スペクトルである。0.7 V が6×105 cm-1 に対応し、電子濃度の減少とともに、フェルミエネルギーの減少を反映したフェルミ端吸収(FE)のレッドシフトが観測された。0.4 V あたりで縮退が弱まり、FE オンセットの低エネルギー側にバンド端の吸収ピークが現れ、0.35 V で特徴的なダブルピーク構造を示した。さらに濃度を下げると0.2 V で非対称な形状の単一ピークとなり、このピークは0.15 V で対称的な形状の吸収ピーク(X-)となった。さらにここで高エネルギー側に別の吸収ピークが現れ、0 V ではこのピーク(X)のみが観測された。ノンドープ系の実験結果との比較、および2次元電子系の実験結果との類推から、X とX-ピークはそれぞれ中性励起子および荷電励起子と同定された。0.2 V より高電圧側の特徴は、自由粒子近似モデルによる1次元電子ガスのスペクトル計算(図3(b))によって、よく再現できた。特に0.35-0.4 V の特徴的なダブルピーク構造がほぼ完全に再現できており、1次元系に特有のバンド端の鋭い吸収ピーク構造が、低濃度の非縮退電子ガスの存在下においても発現することが明らかになった。 図4は、PL とPLE のピークエネルギー(a)、および自由粒子モデルによるフィッティングから決定した電子濃度とフェルミエネルギー(b)を、ゲート電圧に対してプロットしたものである。BE のシフトはバンド端収縮効果を反映したものである。1x105 cm-1 以下の電子濃度では、励起子効果による束縛状態(中性励起子および荷電励起子)を反映した鋭い吸収ピーク構造が現れた。フェルミ端やバンド端といったバンド間遷移の構造は荷電励起子ピークから連続的に生じ、クロスオーバーの途中(0.2V)において1 次元系に特有の単一ピーク構造が現れることが分かった。 第4章では、低温1 次元電子ガスの存在下における光学スペクトルの特徴とクーロン増強効果の影響を調べるため、静的プラズマ遮蔽効果を取り入れたクーロン相互作用を用いてハートリーフォック近似のもとで数値計算を行ない、第3章の実験結果と比較した結果を示した。 図5は、0.7 V のPL とPLE の実験結果(点線)に対してハートリーフォック近似モデル計算(実線)でフィッティングを行なった結果である。電子温度はKennard-Stepanov(KS)関係式から決定し、電子濃度をパラメータとした。現実的な正孔の有効質量の値を用いた場合は、比較的高濃度の領域で実験結果とよく合うことが分かった。一方で正孔の有効質量を大きくして計算すると、フェルミ端のクーロン増強効果が顕著に現れ、実験とは一致しなかった。このことから、縮退1 次元電子ガスのフェルミ端オンセットに顕著なクーロン増強効果が現れなかったことが、有限温度であることと、正孔の有効質量の小さいバンド間遷移の特徴を反映したものであることが結論づけられた。 また、クロスオーバーの中間濃度にあたる、非縮退1 次元電子ガスの存在下において、クーロン増強効果によってバンド端の吸収ピークがより顕著になる効果が発現することが分かった。このことから、非縮退1 次元電子ガスの存在下で実験的に観測されたバンド端の鋭いPLE ピーク構造が、1 次元状態密度そのものではなく、クーロン増強効果の影響が加わったものであることが示された。 第5章では、正孔の局在が1次元電子系の光学スペクトルに与える影響を実験的に調べるため、アクセプター不純物を有するn 型変調ドープ量子細線に対して光学スペクトル測定を行った結果を示した。arm well において、2次元電子ガスの濃度を変えた時のピークシフトの様子から、band-toacceptor発光はフェルミ端が強調されることが分かった。wire に関しても、やはりband-to-acceptor発光のフェルミ端が強調され、バンド端が抑制されることを示唆する結果が得られた。これによって、発光スペクトルのバンド端が顕著に現れ、フェルミ端のクーロン増強効果がほとんど現れなかった第3章の実験結果が、正孔の有効質量の小さいバンド間遷移の特徴を反映したものであることが、より確証付けられた。 第6章では、バンド端エネルギー領域で測定したPL およびPLE スペクトルからKS 関係式を用いて電子温度を測定することの妥当性を検証するため、単一のドープ量子井戸に対して5-220 K の範囲でPL とPLE 測定を行った結果を示した。KS 関係式とは、熱平衡系の発光(I)と吸収(A)の間に成立する一般的関係式として知られ、以下の表式で書かれる。 ここでhω は光子エネルギー、kB はボルツマン定数、Tenv は環境温度である。 図6は6×1010 cm-2 程度の電子ガスをドープした単一量子井戸に対する測定結果の例で、環境温度は33±1 K である。実線が共鳴励起で測定したPLスペクトル、破線がPLE スペクトルで、縦の線分がln(PL/ω2)-ln(PLE)をプロットしたものである。プロットの傾きの逆数が温度に対応するとして重み付き最小二乗法を用いて見積もったところ、T*=33.4±0.1 K となり、環境温度と良く一致した。さらに温度を5-220 K の範囲で変えて測定したところ、共鳴励起の条件下であれば、PL とPLE スペクトルはKennard-Stepanov 関係式に従い、式から決定される電子温度が環境温度と良い一致を示すことが明らかになった。非共鳴励起の条件下では、求まる温度が環境温度とずれ、その大きさは50 K以下において共鳴励起近傍で±0.5 K/meV 以下であった。関係式がスペクトル形状に依らずに一般的に成立したことから、第4章において1 次元電子系の電子温度を見積もる際に、この手法を用いたことの妥当性が確かめられた。 第7章では、本研究で得られた知見をまとめ、今後の課題を記した。 図1 ゲート付きn型変調ドープT型量子細線の試料構造。6 nm のarm well と14nm のstem well の交線部分に量子細線(wire)が形成されている。 図2(a) ドープ量子細線のPL( 破線) とPLE(実線)スペクトルの温度依存性と、(b)自由粒子近似モデルで計算した1 次元電子系の発光(破線)と吸収(実線)スペクトルの計算結果。ゲート電圧はVg=0.7 V。 図3(a)ドープ量子細線のPL(破線)およびPLE(実線)スペクトルの電子濃度依存性と、(b)対応する計算結果。 図4 ゲート電圧に対してプロットした、ドープ量子細線の(a)PL とPLE ピークのエネルギーシフト、および(b)計算から求めた電子濃度とフェルミエネルギー。 図5 0.7 V のPL とPLE の実験結果(点線)に対する、ハートリーフォック近似モデル計算によるフィッティング結果(実線)。 図6 環境温度33±1 K において共鳴励起の条件下で測定したPL(実線)とPLE(破線)、およびln(PL/ω2)-ln(PLE)(縦の線分)のプロット。2 つのPLE ピーク(四角印)はML 揺らぎに起因。 | |
審査要旨 | 本論文は,キャリアードープした半導体量子細線で実現された1次元電子系を顕微分光法によって研究したものであり,7章から構成されている. 第1章では本研究の背景と目的が述べられている.半導体1次元電子系において理論的に予測されていた1次元特有の現象,たとえばバンド端における状態密度の発散やフェルミ端における赤外発散の特徴をとらえる実験は,主に試料の品質が低かったためにこれまで成功していなかったこと,そのような1次元系の特異性を実験的に明らかにするのが本研究の目的であることが述べられている. 第2章では本研究の舞台となる1次元系を実現するための,ゲート付きT型量子細線の作製法,この目的のために申請者が新たに開発した発光励起(PLE)スペクトル測定用顕微光学系,共鳴励起領域でPLEを測定するための解析方法について述べられている. 第3章では量子細線の光学特性の実験とその解析が記されている.PLEスペクトルを吸収スペクトルと解釈できることを利用し,ドープした細線の光吸収の温度依存性を測定した結果,極低温では縮退電子ガスにおいて自由電子モデルから予想されるとおり,フェルミ端の立ち上がりを見出した.また,高温ではバンド端に1次元系特有の鋭いピークを見出した.さらに,極低温(5K)の状態でゲート電圧により電子濃度を変化させて,発光,吸収スペクトルの推移を調べた結果,電子濃度の減少に伴うフェルミ端の低エネルギーシフトを観測した.さらに濃度を下げるとフェルミ端のピークは消え,バンド端のピークが現れて来ることを見出した.この振舞いは,自由電子モデルによって非常に忠実に再現され,低濃度の電子ガスの存在下でも1次元系特有のバンド端ピークが発現することが明らかになった.さらに濃度を105 cm-1以下まで下げていくと,バンド端構造は1価に帯電した励起子と中性励起子の吸収ピークへとクロスオーバーすることを見出した. 1次元系に特有のスペクトルの振舞いを広い電子濃度の範囲で調べ,理論との完璧に近い整合性を示したのは初めての成果であり,非常に高く評価される. 第4章ではPLEで求めた吸収スペクトルに対してハートリーフォック近似による計算を行ってフィッティングを試みている.正孔の質量を変化させた計算結果と実験とを比較検討した結果,高電子濃度でフェルミ端においてクーロン増強効果(赤外発散)が観測されなかったのは,正孔の質量が小さいためであると結論した.また中濃度領域での計算では,クーロン増強効果がバンド端にも現れ,1次元状態密度の発散効果だけを考えた場合よりもさらにピークが強調されることが分かり,クロスオーバー領域の実験で観測された顕著なピークの原因が解明された. 第5章では正孔の質量が光学スペクトルに与える効果を調べるために,アクセプターをドープし,正孔を局在させた量子井戸試料(2次元系)について測定を行った結果が記されている.アクセプター発光のPLEはフェルミ端で強調されること,すなわち,正孔の局在化はフェルミ端構造を強調し,正孔の非局在化はこれを抑制することが分かった.2次元系からの類推で,1次元系でもフェルミ端クーロン増強効果の抑制は正孔の質量が小さいためであるという4章の議論が裏付けられた. 第6章では,量子井戸(2次元系)において,発光スペクトルと吸収スペクトルの比を与える一般的な関係式(Kennard-Stepanov関係式)が成立っていることを実験的に示し,1次元系における電子温度の決定法(第4章で使用)が正しかったことを示した.同時に,この実験は余剰エネルギーを電子系に与えないなど注意深い実験条件のもとでは,この関係式が正確に成立つことを示した初めての例になっており,基礎光物性の観点からも価値がある. 第7章には以上のまとめと今後の課題が書かれている. この研究は,理論的には予測されながら検証されなかった1次元電子系特有の振舞いを,極めて高品質の試料と精密な測定手法,理論計算を駆使して実験的に明らかにしたものであり,1次元電子系の研究に大きな貢献をなしたものと認められる. 本研究のテーマには,複数の共同研究者が関与しているが,低温顕微PLE測定装置と解析法の開発は申請者の独自の仕事と認められる. T型量子細線の成長はアメリカのグループにより行われたが,エッチング,電極づけを伴う光学測定試料の作製は本人が行った.特に第5章で使用した試料は本人の発案により設計し,成長を依頼したものである.ハートリーフォック近似による計算には大阪大学の理論グループが開発したプログラムを用いているが,具体的に実験結果と対照を行う部分は申請者が行った.その他の測定,解析,理論解析などは本人が独力で行なったものであり,全体として申請者が主導的に研究を進めたものと認められる. 以上の理由により,提出された論文は,博士(理学)の学位を授与するにふさわしいものであると,審査委員全員の一致によって判断した. | |
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