学位論文要旨



No 123075
著者(漢字) 大瀧,友里奈
著者(英字)
著者(カナ) オオタキ,ユリナ
標題(和) 都市生活者の意識変革に必要な「水リテラシー」という概念の提唱
標題(洋)
報告番号 123075
報告番号 甲23075
学位授与日 2007.10.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学際情報学)
学位記番号 博学情第15号
研究科 学際情報学府
専攻 学際情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐倉,統
 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 教授 吉見,俊哉
 東京大学 教授 田中,明彦
 東洋大学 学長 松尾,友矩
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、「水リテラシー」という概念を提唱し、先進都市の現状俯瞰、歴史的考察、途上国都市の現状分析を通してその全貌を明らかにすることを試みてきた。

「水リテラシー」とは、自分自身が使用する水について、どのような水源からどのように作られ、また使用後はどのように処理されているのかを認識し、その使用量・使用用途・安全性を自ら判断し使用できる能力、と定義する。これは、単に水に関する知識が豊富であるということでは不十分で、ブラックボックス化してしまっている水システム全体を把握し、水が水源から各家庭まで運ばれてくる経路を自覚し、自身の行動と環境に関わる問題を合理的に理解し行動することができる能力である。

第1章では、「水リテラシー」という概念とその有効性について論じ、生活者一人一人が物理的にも精神的にも豊かで健全な生活を送るためには、現在とくに先進大都市で見られているような技術だけに頼りきった、安全を与えてもらう生活ではなく、一人一人が水に対する理解力=水リテラシーを持ち、自分自身で考え、安全であると判断して生活することが必要であることを確認した。

第2章では、世界の様々な先進都市を見渡し、家庭用水の用途別水使用量の比較を行うことを通して水リテラシーの現状を探り、生活者の水リテラシーのレベルが相対的に高いと考えられる都市について、なぜそれが実現できているのかを分析した。分析にあたっては、家庭用水の用途別水使用量を水リテラシーの指標として用いた。水使用量を決める要因は水リテラシー以外にもあり、それが直接的、間接的に影響しあっているため、水使用量の大小=水リテラシーの大小ということはできないが、使用量をもとに具体的な使い方などの情報を組み合わせていくことで、それぞれの都市における水との付き合い方や水リテラシーを見ることができた。その結果、水が足りないという実体験や、一つの河川を複数国で共同利用するというような水資源の性格を都市生活者が認識することが、水リテラシーを身につけるための原動力になるということが明らかになった。

第3章では、東京の水システムや水使用形態の変遷と共に、水リテラシーがどのように変容してきたかを、歴史を振り返ることにより解明し、これからの水リテラシーのあり方について考察を試みた。江戸時代から明治時代前半にかけての江戸型水システムの時代は、水の衛生状態そのものに問題があったがゆえに、人々は高い水リテラシーなくしては生活することができなかった時代であった。第二次世界大戦後、近代型水システムの整備が進み、水の問題は、衛生から水源の枯渇、公害、化学物質による水源汚染といった新たな問題へと転換した。それに伴い、水リテラシーも特に水源の量を意識した新たな水リテラシーへと転換した。しかし一方で、水源である川と都市民との心理的な距離が遠ざかり始めた時期でもあった。その後、とくに利根川水系からの取水によって水源量の不安がなくなると、水リテラシーは急速に失われ、水の大量消費時代を迎えた。その結果、現在の東京においては、衛生や水源枯渇、公害といった問題がない代わりに、水という対象を日常生活と結びつけることができず、水に対して根拠のない漠然とした不安感を抱える結果を招いてしまった。

第4章では、水のインフラ整備がまさに発展途中であり、システムとしての不完全さゆえに生活者の水リテラシーが残っているタイ北部の都市チェンマイにおいて、生活者の水の使い方についての実測調査やインタビューからなるフィールドサーベイの結果を報告した。チェンマイでは複数水源を使い分けたり、自分で水を作ったりという行為が普通に行われている。自分の使う水について、自分で能動的に考え、判断して使っているのである。チェンマイのこのような状況は、それぞれの地域、それぞれの都市に根ざした生活スタイルを残すことで、水リテラシーを喪失することのない発展を可能にする方途を示唆しているように思う。

そもそも、その土地の気候や地理的条件、歴史的背景によって生活スタイルは異なり、水の使い方や水との関わり方、水リテラシーも世界各地で異なっていた。しかし、そこに画一的な近代型の都市水システムを整備したことにより、東京を始め多くの先進都市で水リテラシーの喪失が起きている。

生活者の水リテラシーのレベルが相対的に高いと考えられる先進都市であっても、その水リテラシーの背景にあるのは日常生活に影響を及ぼす水源量への危機感である。そういった水資源への危機感だけで保たれている水リテラシーは、都市への安定的な水供給のために水資源開発が進められ、都市民が水資源への安心感を持つとともに薄らいでいく。そうするとやがて水使用量が増大し、また更なる水資源確保に奔走しなければならないという悪循環が生じる可能性が高い。東京の事例は、その典型である。危機感だけに支えられた水リテラシーしか存在しない状態だと、水資源をいくら確保しても安全安心な生活を長期的に保証することはできないのである。

こういった悪循環から脱し、システムが整備されたことによる安全な生活を保ちつつ、都市民が水のあり方を自ら理解して安心であると判断できる生活を実現していくために、東京においても他の先進都市においても必要なことは、現在の状態に適した新しい水リテラシーを再構築していくことだろう。これからは、日常生活の差し迫った危機に対応し個人個人の身を守るための水リテラシーではなく、日々使っている水がどのように確保され、どのようにして手元まで届き、そして排水となった後はどうなるのか、それらが周りの環境とどんな関係をもち、どんな影響を与えているのか、といった背景と日常生活と結びつけて考えることを通じて、地域全体、国全体、地球全体の問題と個人の生活を結びつけることができる、水システム全体を俯瞰した新たな水リテラシーを再構築していく必要があるのだ。

先進都市が、水リテラシーを喪失している、または喪失にむかっている一方で、水システム整備が発展途上にあるチェンマイでは、新しいシステムと古くからのシステムをうまく融合させている結果、日々の生活の自然な振る舞いの中で水リテラシーが育まれている。これはシステム整備が遅れたために図らずも実現したものともいえるが、チェンマイの中では公共水道が整備されている地域でも水源の併用は続いているし、チェンマイの特徴である、「水を溜める」、「水源を併用する」、「水を自身で作る」ということに関して、生活者からの不満はなく、みな納得して使用しており、それによって水リテラシーが保たれている。

チェンマイにあるのは、先進都市のような危機感に迫られた水リテラシーではなく、その土地の生活に根ざした水リテラシーであり、だからこそ、近代型水システムの整備が進んでも直ちには失われることなく、人々の生活の中で有効に機能しつづけることができているのだと思う。チェンマイの事例は、そういった土地に根付いている素朴な水リテラシーを失わずに近代化するという「第三の道」の存在を示唆している。

本論文での事例研究をもとに、水リテラシーを段階的に3分類し、それぞれの水リテラシーがあるとはどのようなことを示しているのか、表1にまとめた。

この水リテラシーと同様の概念が、廃棄物、エネルギー、食料といった他の都市生活要素にも当てはめることができるだろう。水リテラシーを考えることで、廃棄物や、エネルギー、食料といった、都市生活全般を網羅するような、更に大きな「都市生活リテラシー」にもつなげていくことができると考えている。現在の都市をめぐる問題は、都市生活によって生じた問題を解決するための方策がまた更なる問題を生じさせるという悪循環に陥っている。これら、現代都市の諸問題を解決するためには、抜本的なパラダイムシフトが必要であるように思う。水リテラシーに相当する「都市生活リテラシー」を都市民が身につけることこそが、自ら問題解決能力を持つ都市民への変革につながり、それこそが根本的な都市問題の解決策となるのではないかと考える。

表1 水リテラシーの分類と、その具体的項目

水システムの状況

水システムの問題点

必要な水リテラシー

具体例

必要最低限の水確保も困難

個人の生命を守ることが切実な問題

実用水リテラシー

・生命維持に直結する判断と行動

例)-生水を飲まない

-手を洗う

-炊事場での汚物処理回避

必要な水量と水質の確保は可能だが、水の供給や処理が完全にシステマティックではない状態

個人の健康で安全かつ豊かな生活を水システムが保証することは不可能

生活水リテラシー

・自分が使用する水についての知識がある

-水源

-水質・安全性

-量

-排水の質と量

・近代型水システムであれば水システム側が与えてくれるはずのものを、個人の力で補う工夫

-水量や水質の変動を補う工夫

*複数水源の確保

*水質による水源の使い分け

*水の貯留

*多段階利用

-衛生問題を引き起こさないように排水を生活圏から排除する工夫

近代型水システム

水の大量消費により引き起こされる副次的な社会問題や環境問題、生活者のかかえる水への不信感

社会的水リテラシー

・近代型水システムが直接的、間接的にもたらすさまざまな社会問題や環境問題を認識し、それを最小レベルにとどめるよう考え行動すること

-どのような問題が起きているのか認識している

-問題の原因を認識している

-問題の原因と自身の水使用行動を結びつけて考えることができる

-問題を最小化するために自分にできる行動をとっている

・近代型水システムによってもたらされたプラスの側面を評価すること

-科学的根拠に基づいた水質への信頼

-水の再利用技術や莓水利用システムなどの評価

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「水リテラシー」という概念を提唱し、先進都市の現状俯瞰、歴史的考察、途上国都市の現状分析を通してその全貌を明らかにすることを試みたものである。「水リテラシー」は、自分自身が使用する水について、どのような水源からどのように作られ、また使用後はどのように処理されているのかを認識し、その使用量・使用用途・安全性を自ら判断し使用できる能力、と定義される。単に水に関する知識が豊富であるということでは不十分で、ブラックボックス化してしまっている水システム全体を把握し、水が水源から各家庭まで運ばれてくる経路を自覚し、自身の行動と環境に関わる問題を合理的に理解し行動することができる能力である。

このような概念を提唱する理由として、人間と水の関係を、より健全なものにしたいという申請者の信念がある。かつては、地域や環境によって水供給システムのあり方は多様であった。しかし、近代化とともに、とくに都市では水源から一括して取水し、消毒滅菌し、一括して供給して排水するというあり方(申請者の言う「近代型水システム」)が、地域の環境や水源の状況などと無関係に普及、定着した。これによって衛生的な水を安価に安定して公平に供給できるという大きなメリットが得られたものの、一方では水に対する都市住民の意識が希薄化し、水源地域への社会的・生態学的負担増や水消費量の増加を招き、環境破壊や地域格差などが生じている。また、都市で供給される水道水の安全性に関する過剰なまでの不安感の蔓延も見られ、近代型水システムが都市住民から信頼されているというわけでもない。これらの現状を改めていくためには、人と水との距離感を見直し、使用者が水とその背後にある水供給システムに対して自覚をもつことが必要である。水リテラシーはそのための有力なひとつのきっかけになるというのが、申請者の主張である。

以上の枠組みを踏まえ、まず第1章で、「水リテラシー」概念の有効性が論じられる。衛生的な水が安定して供給できない地域では、生活水を確保するためにこのような能力が必要である(生活水リテラシー)。一方で現在の東京のように近代型上下水道が完備されている地域では、水供給が当たり前になってしまった結果、水源地への不可や水消費量の増加などが顕著である。これらの諸問題を解決するためのきっかけとして、各使用者が水リテラシーを涵養することが重要であるとされる(社会的水リテラシー)。

第2章では、世界の様々な先進都市を見渡し、家庭用水の用途別水使用量の比較を行うことを通して水リテラシーの現状を探り、生活者の水リテラシーのレベルが相対的に高いと考えられる都市について、なぜそれが実現できているのかが分析される。その結果、水が足りないという実体験や、一つの河川を複数国で共同利用するというような水資源の性格を都市生活者が認識することが、水リテラシーを身につけるための原動力になるということが明らかになった。

第3章では、東京の水システムや水使用形態の変遷と共に、水リテラシーがどのように変容してきたかを、歴史を振り返ることにより解明し、これからの水リテラシーのあり方について考察が展開される。

第4章では、水のインフラ整備がまさに発展途中であり、システムとしての不完全さゆえに生活者の水リテラシーが残っているタイ北部の都市チェンマイにおいて、生活者の水の使い方についての実測調査やインタビューからなるフィールドサーベイの結果が報告される。チェンマイでは複数水源を使い分けたり、自分で水を作ったりという行為が普通に行われている。自分の使う水について、自分で能動的に考え、判断して使っているのである。チェンマイのこのような状況は、それぞれの地域、それぞれの都市に根ざした生活スタイルを残すことで、水リテラシーを喪失することのない発展を可能にする方途を示唆していると結論される。

最後の第5章では、以上をふまえて、現在の状態に適した新しい水リテラシーを再構築していくためにはどうしたらよいかが提唱される。また、水だけでなく、食糧問題やゴミ問題、エネルギー問題など、都市生活全般を網羅するような「都市生活リテラシー」にも発展させる可能性も示唆されている。

このように本論文は、公衆衛生学や都市工学のみならず、歴史学や文化人類学の手法も取り入れつつ、文献調査とフィールド調査、広範なデータ分析など、多様で多角的な方法を駆使した労作である。水リテラシーという概念の未熟さや、その必要性にやや説得力が欠ける点など、いくつかの欠点も予備審査会では指摘されたが、これらはむしろ申請者が今後の研究実践活動を通じて解決していくべき将来への課題と位置づけられよう。学際的な手法を使うだけでなく、まさに新しい分野を開拓していくチャレンジ精神は、情報学環・学際情報学の理念にふさわしいと思われる。

以上を鑑み、本審査委員会は、本論文が博士(学際情報学)の学位に相当するものと判断する。

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