学位論文要旨



No 122963
著者(漢字) 鈴木,俊洋
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,トシヒロ
標題(和) 数学の哲学としての現象学 : ヴァイアーシュトラスからの課題へのフッサールの解答
標題(洋)
報告番号 122963
報告番号 甲22963
学位授与日 2007.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第769号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村田,純一
 東京大学 教授 今井,知正
 東京大学 教授 野矢,茂樹
 東京大学 准教授 信原,幸弘
 放送大学 教授 長岡,亮介
内容要旨 要旨を表示する

《目的》

本論文の目的は、深い関係があると推察されながら論じられることの少ないフッサールの哲学と数学(あるいは数学論)との関係を、なるべくフッサール現象学の立場に即して規定することである。

フッサール現象学と数学との関係についての問いは二つに分けられる。一つは、(1)フッサールが現象学的方法を完成させるまでの哲学的展開において数学論がいかなる役割を果たしたのか、もう一つは(2)フッサールの現象学的方法が数学論にいかなる寄与をするのか、というものである。本論文は主に(1)の問いに答えることを目的としているが、第八章、第九章、第十章において(2)の問いが考慮されている。

《基本的主張》

上で二つに分けられた問いは、相互に関係のない個別の問いではない。本論文の底流には次のような主張がある。それは、フッサールは、実際に数学研究を遂行する数学者working mathematiciansの数学的実践の主潮流の要求に沿う形で数学論を展開させ、その中で現象学的方法論を生み出し、そのような過程で生み出された方法論は、数学の主潮流に哲学的基盤を与えるものである、という主張である。

ここで数学的実践の主潮流とは、ヴァイアーシュトラスの解析学の算術化プログラムからヒルベルトの公理的手法へと至る流れのことである。フッサールの立場を中心軸にすえる本論文では、フッサールが大きな影響を与えたとされるブラウアーの直観主義数学については必要な限りの言及のみで詳しく扱わない。しかし、このことはフッサールの数学論が形式主義的数学論であるという主張につながるものではない。関係を一言で述べれば、フッサールの数学論は、ヴァイアーシュトラスの算術化プログラムの数学観やヒルベルトの公理的手法による数学研究のあり方に哲学的基盤を与えようとするものであるが、それが提出する数学観は直観主義の唱える数学観に非常に近いものである。

《全体の考察の展開軸》

本論文の考察は具体的には、ヴァイアーシュトラスから与えられた課題にフッサールが答えていく過程に沿って進む。その中でカントル、フレーゲ、ヒルベルト、デデキントといった数学者とフッサールの関係が論じられる。

《各章の内容の概要》

本論文は大きく三つの部分に分かれる。

〈前半部(第一~第三章):フッサール哲学の問題背景の規定〉

最初の三つの章(以下「前半部」とする)はフッサールが数学者から哲学者へと変わり哲学を展開させていく過程の基本的目的と数学論上の問題背景を規定するためのものである。

まず、第一章でフッサールに最初の大きな影響を与え、彼を数学者から哲学者へと変えた数学者であるヴァイアーシュトラスの唱えた解析学の算術化プログラム(本論文では「ヴァイアーシュトラス・プログラム」と呼ぶ)を三つの基本テーゼのもとにまとめ、それらの詳細を論じる。フッサールへの影響関係において注意しなくてはならないのは、それら基本テーゼがそれ自体として述べていることよりも、それらを受け容れることが何を意味し、それらを受け容れた者が何を意図していたのか、という点を正確に捉えることの重要性である。

そのため、第二章、第三章は、ヴァイアーシュトラス・プログラムの各テーゼがフッサールに何を与えたのか、という点についてより詳細な観点を得るために割かれる。

第二章では、ヴァイアーシュトラス・プログラムのテーゼの一つである「抽象による自然数の定義」に関して当時フレーゲとカントルの間で交わされた論争及びそれへのフッサールの対応を取り上げ、フッサールの数学論上の基本的姿勢を規定する。

第三章では、数学史研究において「19世紀数学における存在論的革命」と呼ばれる数学の現代化過程の解釈を取り上げ、それがヴァイアーシュトラス・プログラムといかなる関係にあり、哲学的にいかなる問題を誘発するかを論じる。最終的に冒頭部の議論の結果として第三章末尾でヴァイアーシュトラスからフッサールに与えられた課題が何であったのかを規定する。

〈後半部(第四~第八章:現象学発生に至るフッサール哲学の歴史的展開)

続く五章(以下、「後半部」とする)では、冒頭部で規定された「ヴァイアーシュトラスからの課題」に答える過程としてフッサール自身の哲学の展開を歴史的経過に沿って辿る。

まず、第四章でフッサールの最初の著作である『算術の哲学』を取り上げ、第五章でその直後の展開を辿る。『算哲』期の数学論は本論文の目指すフッサール数学論ではない。ここでこの時期の展開を取り上げるのは、後の数学論発生のための助走路となるいくつかの萌芽的着想をそこから取り出すためである。

第六章で『論理学研究』において新しい道具立ての中でフッサールが「抽象」という過程の現象学的な記述に到達する過程を扱い、第七章で『物と空間』から『イデーンI』を経て最終的にフッサールが到達する現象学的対象観について論じる。

後半部の最後の第八章で、第三章で規定されたヴァイアーシュトラスからの課題へのフッサールの解答を提示する。

〈第九章、第十章:フッサール数学論の展開〉

最後の二つの章は、第八章で答え残された問題(実数への排中律の適用の問題)に答えるためのものである。

第九章で、後期の道具立てを付加したフッサール数学論がヒルベルトの形式主義的数学観にいかなる哲学基盤を提供するかが論じられ、最後に第十章で、第九章で得られる数学的世界の考察枠組みのもとに、ヴァイアーシュトラス・プログラムの実数の構成にあてられたブラウアーの批判にフッサールがどう答えるかを規定する。

〈付録:「多様体」概念について〉

付録では、フッサールが独自の意味で使用する「多様体」概念がいかなるものかが、現象学的対象観を使って規定される。フッサール現象学における難解な概念の一つである「多様体」概念は、フッサールの数学論を論ずる上で避けることのできない重要な概念である。付録の論述は、本論文の本文中で獲得される現象学的対象観を使って「多様体」概念を解釈するものであり、本論文で獲得される現象学的数学論の枠組みをフッサール解釈に適用した適用例の一つでもある。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、数学と深いかかわりがあることが自明であると見なされながら、これまでほとんどその関係を論じられることのなかったフッサールの現象学と数学の関係を、同時代の数学の展開の歴史のなかにフッサールを置くことによって明らかにした意欲的な論考である。

二〇世紀の哲学の代表的流れのひとつである現象学の創始者、エドモンド・フッサールは、その研究を数学者として始めた。フッサールは、解析学の基礎を確立したベルリン大学の数学者カール・・ヴァイアーシュトラスのもとで学び、その助手を務めてもいる。他方で、数学者として出発したフッサールは、ウイーン大学の哲学者フランツ・ブレンターノの影響によって自らの研究の道を哲学へと大きく転換させることになる。そして哲学者としてのフッサールが最初に取り組んだのが数学の基礎を哲学的に解明する仕事であり、その最初の研究成果といえる就職論文の題名は「数の概念について」であった。

このようにフッサールにとって、少なくともその初期においては、数学は重要な意味を持っていた。しかし、数学がフッサールの現象学的哲学の展開全体のなかでどのような意味を持っていたのか、この点は必ずしもはっきりしない。フッサール自身、自らの現象学的哲学を形成し発展させる過程で、必ずしも数学を主題的に論じることはなくなっていく。それでは、数学はフッサールの現象学の形成にとってどのような意味を持つといえるのだろうか。また、もしフッサールに特有な現象学的な数学の哲学というものがあるとすると、それはどのような特色を持つものなのだろうか。

こうした問いは、フッサール現象学を理解するうえで不可欠の問いだと思われる。にもかかわらず、これまでのフッサール研究や現象学研究では、フッサールの哲学にとって数学が重要な意味を持っていたということはしばしば自明のこととして語られながら、こうした問いに正面から答えを提出するような研究はほとんどなかった。

鈴木俊洋氏の博士論文「数学の哲学としての現象学――ヴァイアーシュトラスからの課題へのフッサールの解答」はこのフッサール研究におけるいわば盲点となっていた空隙を埋めようとする大変意欲的な論文である。

以下簡単に内容を紹介する。

10章からなる本論文の議論は大きく二つに分かれている。

1章から8章までの前半部では、フッサールの哲学の展開をヴァイアーシュトラスから与えられた数学の基礎をめぐる課題への応答の過程として描くことによって、フッサールの現象学の中核には数学の哲学があったという解釈が呈示される。

第1章では、ヴァイアーシュトラスによる解析学を自然数によって基礎付ける算術化のプログラムの骨格が三つのテーゼにまとめられて示される。第2章では、そのひとつのテーゼで述べられる「抽象による自然数の定義」という主張の意味を、当時議論が交わされたカントールやフレーゲの見方を考慮に入れて考察される。自然数を具体的な集合からの抽象によって定義するという見方は、フレーゲによって根本的に否定され、集合間の同値関係によって定義する見方が主流となっていく。他方で、ヴァイアーシュトラス、カントール、そしてフッサールはあくまで抽象という考え方を基本とする見方をとり続けることになるが、その点に、鈴木氏は、フッサールがその後発展させていくことになる現象学的な数学の哲学の基本姿勢を見出す。すなわち、自然数をフレーゲのように同値関係によって定義する試みが論理的分析を基本とするのに対して、フッサールがヴァイアーシュトラスから受け継いだのは、数学者の意識にとって現れるあり方を基本とする見方であった。第3章では、ヴァイアーシュトラスのプログラムの持っていた意味を明らかにし、フッサールがおかれていた歴史的背景を明らかにするために、19世紀後半に起こった数学の流れのなかでの「存在論的革命」といわれる出来事の意味が解明される。この「革命」という言葉は、数学という学問が数や図形といった「抽象的対象」を扱うものから、自然数構造、幾何学的構造などの「構造」を扱ったものへと変化する過程を示すために使われており、具体的には、デデキントによる「集合アプローチ」から始まり、ヒルベルトらによる「公理論的アプローチ」によって終結することになる。フッサールがヴァイアーシュトラスから受け継いだ数学の基礎付けの課題はこうした流れによって規定されることになる。

こうして問題の背景が描かれた後に、第4章から第7章にかけて、実際にフッサールが数学の哲学的基礎付けをめぐる議論をどのように展開していったかが描かれる。

通常、フッサール現象学の展開は、ブレンターノの影響を受けて書かれた『算術の哲学』に見られる心理主義の段階からはじまって、心理主義を徹底的に批判して数学や論理学の対象のイデア性を強調した『論理学研究』の段階、そしてさらに、カント哲学の影響を受けて対象の構成という観点を強調する『イデーン』に見られる超越論的段階、といった具合に整理される。鈴木氏は、こうしたフッサール現象学の展開をヴァイアーシュトラスから与えられた数学の基礎付け、特に、自然数と実数の基礎の解明、という課題に答えるなかから生み出されたものであるという解釈を呈示する。この解釈は、これまでのフッサール解釈にはなかった視点であり、ここに本論文の第一のハイライトが見られる。

前半部の最後の第8章では、こうした解釈に基づいて、数学者の志向的意識構造を描くために、「近位項」「遠位項」という鈴木氏独自の概念枠が呈示され、それによって、一方では、数学的意識と通常の知覚意識の構造的類似性と、他方では、数学で問題になる複雑で高次の対象を相手にした意識のあり方も一貫した仕方で視野に入れることができることが示される。

以上の前半部に引き続いて、9章と10章からなる後半部では、前半部で示された解釈を発展させる形で、フッサール的「数学の哲学」の特色を、形式主義や直観主義との対比のなかで描き出すことが試みられる。鈴木氏によると、フッサールの数学の哲学は、これまで見てきたように、実際に数学を営んでいる数学者に対して数学的対象がどのように現れているかという点を中心に据えた哲学であり、この点で、この現象学的数学観は、一方では直観主義の立場に類似しているが、他方では、直観主義のように現実の数学に制限を設けたり変更を求めたりすることを行うようなものではなく、むしろ、数学の主潮流に対して補完的に哲学的基礎を与えることになるものだということになる。

具体的には、第9章で、ヒルベルトプログラムに見られる形式主義に対して、プラトニズムとは違って対象の構成という仕方で応じる現象学的観点の特徴が示され、さらに、最後の第10章では、この現象学的方法がデデキントの「切断」による実数の定義の解釈に有効に機能することを描いて見せ、直観主義との違いを説得的に示している。このように、現象学的数学観を具体的な事例を分析しながら描いて見せた点が、本論文の第二のハイライトをなしている。

最後の付録では、本論文のフッサール解釈の観点に基づいて、これまで謎に包まれてきたフッサールがしばしば用いる「多様体」という概念の意味を解釈して見せることがなされ、本論文の議論を側面から支えている。

以上のように、鈴木氏の論文は、「数学の哲学として」フッサールの現象学を描いてみせるという大胆な課題を設定して、それにおおむね説得的に答えを提示しているという点で、その内容は高く評価される。

もちろん、その大胆な解釈に対してはさまざまな批判の可能性が残されている。特に、フッサールが中期から後期にかけては直接数学に関して論じることが少ないという事情をどのように解釈すればよいのか、あるいは、「遠位項」と「近位項」という図式化された概念枠組みで数学的活動の十分な解明ができるのかどうか、など、根幹に関わるところで異論が出される可能性は排除できない。しかし、これまで重要な問題と考えられながら集中的に論じられることのなかった問題に果敢に挑戦した意義は高く評価されるし、また、議論の明晰さや、視野の広さという点から見ても、博士論文の水準は十分にクリアーされていると考えられる。

したがって、本審査委員会は、本論文は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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