学位論文要旨



No 122826
著者(漢字) 祁,景えい
著者(英字) Qi,Jing Ying
著者(カナ) キ,ケイエイ
標題(和) 中国のインターネットにおける対外言論分析 : 対日米言論を焦点に
標題(洋)
報告番号 122826
報告番号 甲22826
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学際情報学)
学位記番号 博学情第10号
研究科 学際情報学府
専攻 学際情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,明彦
 東京大学 助教授 原田,至郎
 東京大学 教授 尾崎,文昭
 東京大学 教授 高見澤,磨
 早稲田大学 教授 花田,達朗
内容要旨 要旨を表示する

一、問題意識

 情報化の波にさらされる中国はこれまでにない課題に直面している。もともと情報の受信しかできなかった人々が、ニューメディアを生かし、自ら発信するようになる。インターネットによって脚光を浴びた事件が相次ぎ、政策さえ変えるケースも出てきた。そこで、今の中国を扱う場合、政治指導者やエリートだけではなく、その中で躍動する1つ1つの個体をも視野に入れ、多様で新鮮なメッセージを読み解くことが必要になる。しかし、中国のインターネットはナショナリスティックな内容と情緒的な言葉遣いに満ちているという認識が根強い。事実それだけであったら、政策過程までに浸透するほどの影響力を持ち得なかっただろう。中国におけるネット言論は、それなりに存続及び拡大する理由がある。

二、理論的導入と中国の現実

 インターネットの急ピッチな普及で、公共圏をめぐる議論に新味を加える。中国の学界でも、公共圏論は静かなブームを起こしている。しかし、中国の文脈で公共圏を語る時、2つの問題が起こりがちだ。1つはあまりに楽観的な議論に傾くこと。もう1つは、その反面であり、中国では公共圏成立の前提がないという理由で思考を停止する。公共圏論に内在する緊張感とダイナミズムを取り戻すには、本論はネット対日米言説の特徴を分析することで、「ネット公共圏」に向かうメカニズム及びあり方を課題にする。

1、公共圏の基本的基準

 公共圏を確立するため、ハーバーマスは3つの基準、つまり平等性、公開性と自律性を提起する。デニス・マクウェルはメディアのアプローチから、自由、公正/平等、秩序/連帯という基本的価値を備えるべきだと主張する。本論では「公開性、平等性、自律性」は、それぞれ「情報の公開」「送信と受信の平等」「言論の自律」という意味を付与し、実証研究に基づき3者の内部関係を表す枠組を築く。

2、中国における公共圏3基準の実態

(1)公開性―情報の公開

 政府による情報の公示と民衆による情報の追求を分けてみる。政府はサイバースペースの利用に取り組んでいる一方、有害情報と目するものに、各種の条例と各掲示板の自主規制によって審査を行なう。

(2)平等性―受信と送信の平等

(1)発信者の脱規制化

 インターネットは一元的だった世論状況に3つの変化をもたらす。

 第1に、従来の情報規制は失効しつつある。

 第2に、エリートの権威は相対的に低下する。

 第3に、もともと潜在化していた同じ階層の分裂が、匿名による発信で顕在化される。

(2)情報・経済・意識的格差が深刻化していく中、弱者層を排除してしまう。

(3)自律性―理性的かつ自主的言論

 雑多な見方を図1に収斂してみる。縦軸は言説の形態を表す。「表層」とは、作り話や罵詈雑言などを含む知覚できるネット言論だ。「深層」とは、そうした罵りの背後に潜むものだ。横軸は物理的空間を物差しにする言説の性質である。「普遍性」とは、国や地域を問わぬ書き込みの共通性だ。それに対して中国のネット言論は「独自性」を有するはずだ。

 上述した状況を踏まえ、中国「ネット公共圏」は次のようにアンビバレントな性格が見られる。

3、政治・メディア・階層の構図

 極めて雑種化されたコミュニケーションの状況の中で、イデオロギー装置としての官製メディア、市場経済の商品である商業メディア、多重性を包摂する電子掲示板は、それぞれ対応する送り手と受け手をもつ一方、他者と一定の関連性がある(図2)。

4、書き込み者の位相――ナショナリズムの視点

(1)複数のネット・コミュニティー

 不特定多数の人が同時に書き込むのは、趣味によって無数のコミュニティーが作り出される。交友や消費を楽しむ若者と一部の裕福者に対して、もう一部の人は時事関連の掲示板で中米・日中と内政問題について火を散らす議論を交わす。<憤青>と<小資>の相違は、最も対照的だ。

(2)広汎な分布

 「怒れる」中国人は必ずしも「若者」だけではない。<憤青>ならぬ、<憤中>と<憤老>も増え続けている。政治的身分において、体制批判派以外、体制内部の人――共産党員、国家公務員も大勢いる。そのうえ、1つのことに対して書き込み者の意見は常に百人百様だ。

(3)弱者層への配慮

 電子掲示板は、異議を唱える人達の言論の場であり、主張を反映させるツールを有しない「声なき民」を代弁する場合もある。

 そこから、書き込み者構成の複雑さが見えてくる。その特徴を掘り下げるには、年齢、収入、性別、地域、学歴、社会地位などよりも、公式見解との乖離度と、その遠近感を基準にしたほうが適切だと思われる。

三、本論の主張

 これらの理論的背景と現実の風景を踏まえ、3つの主張を提示する。

 第1に、中国ネット言論の「表層」と「普遍性」の裏側には「深層」と「独自性」があると繰り返し強調してきたが、そのコンテンツは一体何か。図1の疑問を解く答えとして、ネット対米・対日言論はナショナリズムとデモクラシーの混成であると言っておきたい(図3)。それは決して単なる嫌悪感と過激なナショナリズムの表れではなく、自我意識の目覚めとエリートによる自国政策決定への不満などデモクラシー志向の訴求も含まれる。そのうえ、メディアの誘導と相手国の動向など社会的・国際的情勢は錯綜度を増す一方だ。

 相手国にとってナショナリスティックなネット言論は、自国政府にとってはデモクラシーを訴えるものである。しかも、「神は細部に宿れり」の如く、ネット対外言論の本質が個々の書き込みに潜む。相手国・事例によってそのナショナリズムとデモクラシーのコンテンツが異なる。その相違があるからこそ、それに応じて中米・日中の摩擦を対症的に解決していくべきだ。

 同時に「神様は全体を鳥瞰する」。高揚したナショナリズムと言われるネット対外言論が、変動期の中国社会でどう位置づけられるか、その最終的結論はまだ出ていないが、中国が民主化していくプロセスの一環として必須のものと言えよう。

 第2に、中国ネット対外言論の「深層」と「独自性」を裏付けるのは、理性的かつ自主的な書き込みだ。メディアにおける自律性の度合いは公共圏の3基準の相互関係に拘束される。公開性、平等性と自律性は政治的風土やメディアの種類によって異なるほか、1つのメディア内部でも必ずしも同調していない。

 1つの国において、マスメディアとネットにおける公共圏の達成度は落差がある。マスメディアが公共圏の理想態に近ければ、「ネット公共圏」の達成度は反って低くなる傾向がある。とりわけネット言論の自律性は低下する。逆にマスメディアが公共圏の理想態に遠く及ばない国では、「ネット公共圏」が相対的に理想態に近い。その言論の自律性も高い。

 このアンバランスはサイバースペース内部にも発生する。3つの基準を曲がりなりにも備えた中国のネット空間では、公開性と平等性を抑制する要素と思われる情報規制や激しい社会格差が、実は公共圏を助長する役割を果たす。書き込み者は一層規制から逃れ異議申し立てに走る逆効果を生じる。簡潔に言えば、公開性の欠如は、受信と発信の脱規制化(平等性)をエスカレートさせるほか、発言の質(自律性)も高める。

 第3に、「情報の公開」と「受信と発信の平等」が発達するとともに、ネット言論は意見表出の場だけではなく、事件さえも起こし得る社会の一極として成長していく。その傾向を恐れるが故に、政治勢力がサイバースペースの「再封建化」に取り組む動きも加速化する。サイバースペースはやがて「権力が浸透したアリーナへと膨れあがった」。1

 ところで、「再封建化」の指令に抗するマスメディアとネットのリスクは異なる。指導に従わないメディアは停刊処分や人事更迭で「痛み分け」の可能性が高い。他方、ネットは受信と発信者が不特定多数で、しかもグローバルに分布するため、リスクも分散される。裏返して言えば、ネットに対する規制はブーメラン効果を生じる。ネットを規制すると、越境的かつ強い反発がそっくり自分の所へ返ってくる。現実態としての公共圏は、こうした「再封建化」をめぐる攻防戦の渦中で浮き沈みする。

四、事例分析による主張の検証

 第II部「ネット対米言論の事実関係」の場合、9・11事件と「趙燕事件」を取り上げる。第III部「ネット対日言論の事実関係」において、修士論文の2事例「靖国神社参拝」「軍旗スタイル事件」を統一の分析方法でやり直すほか、2005年春の反日デモを考察する。5つの事例分析によって、主張の妥当性が検証された。

五、限界点

 本論はネット言論を知的に位置づけようと試みたが、2つの落とし穴を避けられなかった。

1、機械分析の空白

 事例研究の際、書き込みにプログラムをかけて単語頻度を数えた。しかし、機械処理のブランクが2箇所残った。第1、書き込みが内容規制から逃げるため、わざと誤字や語呂合わせを使うことである。第2に、1つの意味を表すための書き込み用語は把握しきれないほど多い。喜びを表す場合、一般の「うれしい」のほか、顔文字"^_^"もあれば、俗語の"cool""爽"もある。

2、発展途上の研究

 ネット言論は絶え間なく変動しつつおり、研究者は永遠に開かれた姿勢で臨むからだ。しかし、論文としては結論を出さないといけない。現段階では「未完のプロジェクト」の一環としてネット言論の一側面における一時期の報告書にとして位置づけるしかできない。

1 ユルゲン・ハーバーマス著 細谷貞雄・山田正行訳『公共性の構造転換――市民社会の一カテゴリーについての探究』未来社1994年第2版序言XIV

図1 ネット言論の四つの象限

表1 中国の「ネット公共圏」のアンビバレンス

図2 トップダウン式の政治体制とメディア・社会階層の分化

図3 中国ネット対外言論の「独自性」と「深層」

図0-4 中国と欧米諸国における公共圏の3基準の実態

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、中国におけるインターネット上の二つの電子掲示版(人民日報ネット版の人民網の「強国論壇」と「中日論壇」)に登場した対日・対米言論を体系的に分析することによって、現代中国における対外認識の諸相を明らかにするとともに、インターネットがもたらした中国メディア空間の新しい特徴を著者なりの「公共圏」論の射程のなかで位置づけようとした業績である。インターネットの登場とともに、中国における言論空間としてのインターネットが注目されるようになり、とりわけ日中関係や米中関係にける「反日的言論」や「反米的言論」がジャーナリズムの脚光を浴びるようになった。しかし、これまでのところ、中国におけるネット言論については、印象論的な評論のみが存在し、世界的にみても体系的で本格的な分析がなされることがなかった。その中で、本論文は、極めて興味深い5つの事例を体系的に分析することによって、中国におけるネット言論分析の新しい道を切り開く先駆的業績として高く評価できる。

 論文は、4部構成で、第I部が問題提起、第II部は対米言論を分析した二つの章、第III部は対日言論を分析した三つの章、第四部は結論という形になっている。第I部では、対日言論や対米言論が注目を集めることになった背景と、これまで通常なされる評論的見解を批判的に検討したうえで、このようなネット言論を分析することによって現代中国におけるメディア空間の特質が解明されるのではないかとの展望が示される。さらに、メディア空間の特質を解明するための理論的枠組みとしてハーバーマス以来の「公共圏」めぐる議論が検討され、著者なりの判断基準が示される。このような検討をベースとして、著者は対日・対米言論を検討することで、中国の対日・対米言論の特質のみならず、中国のネット言論空間の深層にある、ナショナリズムとデモクラシーの交錯する言論活動の独自性の解明が可能となり、メディア空間内におけるネット言論が示す中国型ともいうべきモデルを提示することが可能となると主張する。

 第II部と第III部は、第I部でしめした理論的展望を実証するため、五つの事例についての言説分析が展開される。とりあげた事例はアメリカに関しては、2001年の9・11事件、中国人女性がアメリカの警官に暴行をうけた趙燕事件、日本に関しては、2001年の小泉首相の靖国神社参拝、中国人モデルが旭日旗風デザインを着用して問題となった軍旗スタイル事件、2005年反日デモ事件である。事例ごとに若干データの取り方には差異があるが、原則的にはこれらの事件に関連して著者がダウンロードした膨大な数の書き込みについて、単語出現頻度を計測し、頻出単語の分布からみられる事例ごとの特質を検討するとともに、その中から重要かつ典型的な書き込みについて、質的な分析を行っている。すべての事例について、『人民日報』などの公式メディアの報道とネット言論の内容が比較検討され、ネット言論にみられる対日・対米言論の特質が明らかにされる。また、それぞれの事例に関して、言説空間の「公共圏」的特性(公開制・平等性・自律性)の度合いが検討される。

 第IV部では、5つの事例分析の結果が、第I部で示した理論的展望におおむね合致することが示される。反日とか反米とみられる言説が、ナショナリズムに鼓舞される側面を持つとともに、そこに内政面における民主主義への期待が語られる。単なる反日や反米にとどまらない自律的で内省的な言説も展開されていることが示される。さらに一般的に、通常のメディアが強く規制されているという中国の状況が、かえってネット言論において自律性の高い言説を生み出すという中国モデルについても、実証分析はこれを支持していることが示される。しかしながら、著者は、本論文の実証は依然として中間報告であり、これが中国社会全般の公共圏の成立につながるかどうかについては慎重な見方をとっており、今後の課題であるとして論文を終わっている。

 本論文は、以下の三つの点で高く評価することができる。第一は、現代中国にとっても、また日中関係や米中関係にとっても極めて重要な現代的現象であるインターネット言論に、正面から取り組み、評論的な印象論を超える分析を提示したことである。事例として検討される五つのケースは、そのいずれもが極めて興味深い事例であって、これまで行われてきたいかなるジャーナリスティックな分析をも凌駕する情報を提供している。第二に、単にインターネット上でいかなる事が論じられているのかという分析にとどまらず、伝統的メディアとインターネットが交錯する社会におけるメディア空間の特質について、既存理論を援用しつつ理論的な検討を行い、中国の特質に迫ろうと努力した点である。著者の今後の展望に関する結論は極めて抑制的かつ慎重なものであるが、今後の中国社会の動向を検討する場合に有用な視座を提供しているし、また、中国以外の発展途上国や社会主義諸国の今後のメディア状況を検討する場合にも役立つ枠組みを提供している。第三に、インターネットにおける書き込みの言説分析に、出来うる限りの体系性をもちこみ、今後のネット言説の分析にも参考になるような手法を試みたことである。インターネット上で行われる膨大な量の言説をどのように分析するかは、今後の社会科学研究の一つの大きな課題である。本論文は、その意味でもきわめて先駆的な試みとしての価値を持っている。

 本論文にも問題点がないわけでもない。第一に、結論部分における著者の抑制的慎重さにもかかわらず、事例研究の言説分析の中にときに著者の価値判断が強く表れる表現が散見される。著者の中国社会に対する思いが行間に現れすぎる部分は、かえって分析の説得力を弱めかねない。第二に、公共圏の形成とネット言論に関する理論的考察は、まだまだ深める余地があるように思われる。著者自身の概念規定や、中国社会にあてはめるモデル形成のやり方については、より説得的なあり方が、まだまだ追求される必要がある。第三に、インターネット上での言説分析の方法についても、改善の余地があると思われる。定量分析に限界があることは確かだとしても、より徹底的な定量分析を行うことによって、質的分析の説得性を向上させる余地があったと思われる。しかしながら、このような問題点は、いずれも、現代的テーマについて先駆的な試みを行う研究には、ほぼ必然的につきまとう問題であって、本論文の学問的価値を大きく損なうものではない。したがって、本審査委員会は、本論文が博士(学際情報学)の学位に相当するものと判断する。

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