学位論文要旨



No 122774
著者(漢字) 梶原,健嗣
著者(英字)
著者(カナ) カジワラ,ケンジ
標題(和) 戦後ダム開発の論理と構造 : 利根川水系を中心に
標題(洋)
報告番号 122774
報告番号 甲22774
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(国際協力学)
学位記番号 博創域第311号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 国際協力学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,恒昭
 東京大学 名誉教授 田端,博邦
 東京大学 教授 國島,正彦
 東京大学 教授 山路,永司
 東京大学 教授 中山,幹康
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は利根川流域を中心的な考察事例にして、戦後日本のダム開発における論理と構造を明らかにしたものである。本研究で考察対象としたのは、「利水と治水の一体性」という戦後河川行政の政策原理を体現する存在として、その政策手段の中心に据えられた多目的ダムにおいて、治水需要と利水需要がどのような論理と構造で、同居・統合されていたのかを考察するものである。

 はじめに第1章で問題の所在と論文の主題を確認し、次いで第2章で多目的ダムの制度的な展開について、通時的な分析を試みた。これらを踏まえ、第3・4章で利水面について、また第5・6章で治水面についての考察・分析を行った。

 利水需要における分析では、次の3点が重要である。まず第1に、これまでの水資源開発の目的であった水需要の不均衡の解消については、概ね目的は達成されていること。そして第2に、水資源開発の新しい政策目標に据えられた、安定供給量の確保という論理では、安定供給量の算定値に不確かな点が多いこと。そして、この政策決定の基礎情報の不確かさを鑑みれば、安定供給量の算定値のみを根拠とする開発計画は、妥当な意志決定とは言えないこと、の3点である。

 通事的な事例とした利根川水系、そして水源開発の対象としての東京都を見ても、上記の3点は確認できる。高度成長期の増大する需要を賄うのに、利根川水系の開発は大いにその効果を発揮した。だが、東京都の水需要は過去10年以上にわたって、需要の低下が続いており、保有水源との乖離は年々大きくなっている。本来ならば新規の水源開発の必要ないはずである。それでも東京都は、八ッ場ダムへの参画を表明している。その根拠も安定供給量の確保であるが、利根川水系には第3章で問題点を指摘した安定供給量のシミュレーション値さえ存在しない。第4章3節で検討した本研究の代替的な推定からは、東京都の水源開発の目標である給水安全度1/10はとうに達成されている可能性を指摘できる。安定供給量という論理にたったとしても、東京都には、水源開発を必要とするような「問題」そのものが不在なのではないかと考えられる。

 第5章からは、本研究のもう1つの焦点である治水計画に分析を転じた。考察の対象は引き続き利根川水系であり、5章で指摘したのは、多目的ダムをその達成手段に位置づけた治水計画の問題点である。戦後策定された、3回の治水計画(1947,1980,2006)は、その要であるはずのダム候補を、いずれも曖昧にしたまま策定され、グランドデザインとしての具体性は欠如している。

 実際のダム事業の展開は、利水需要が主要な開発要因として働いており、治水計画の要請するダム配置とは異なる立地展開をみることになった。ここに見えるのは、治水計画の政策的な自律性の欠如である。

 治水計画の自律性の欠如は、計画策定過程においても見ることができる。1980年計画の策定時には、烏・神流川の重点整備を問題意識として掲げながら、策定時には利根川水系で治水容量を総計約6億トンの確保と目標を総量把握に置き換えた。すなわち、自ら治水計画の目標を、その事業効果を高く上げるためのポイントを曖昧にしたのである。その結果、建設或いは立案(休止を含む)されたのは、いずれも利水機能に優れた奥利根地域の多目的ダムである。策定過程でその政策目標を曖昧にしたことで、事業効果が限定的なものにしかならなかったのである。

 水需要の増大に助けられる形で、進捗を図ってきた利根川治水計画は、第3・4章で確認したような水需要の停滞によって、その達成の目処が極めて困難な状態になっている。利根川では、残りの3,900m3/s相当のダム調節効果の達成に具体的な手段は示されていない。2006年計画は、そうした問題点を持っている。

 第6章では、計画の目標値と達成手段との大きな乖離が見られることを踏まえて、ハードな施設対応の負担を減らすために、治水計画の目標値(基本高水流量)を下げることは不可能なのか、を考察した。現在の治水行政はこれに難を示しているが、その根拠は次の2点である。第1に、水害訴訟の制度的な規定によって、行政には絶対的な安全確保を目指して治水事業を伸展させていく義務が課されていること、そして第2に、基本高水は科学的な算定によって求められた想定洪水であり、その適正さと達成手段との乖離は分けて考えられるべきこと、である。

 第6章の分析からは、上記した行政の見解には双方ともに根拠の具体性がない。前者については、水害訴訟の機能を著しく制限することになった大東水害訴訟最高裁判決の論理から考えて、およそ成り立たない論理である。また後者については、現在の科学的水準でそれを唯一解として絶対視するだけの確かさは、保証されるものではない。その算定は、ある程度の幅をもった形にならざるを得ないのであって、科学的な唯一解とするだけの根拠はない。

 上記を踏まえて、本研究の結論を第7章で展開した。はじめに、戦後ダム開発の論理として、下記の3点が指摘できる。

1.基幹手段としての多目的ダム

 政策原理とした「治水・利水の一体性の確保」と、手段としての多目的ダムとが同一視され、治水目的・利水目的のための専用ダムを建設することは忌避されてきた。

2.ダム開発をリードした水資源開発

 多目的ダムの開発目的のうち、優先的に整備されてきたのは利水目的(水資源開発)である。先行・広域開発を可能にした水資源2法(1961)は、戦後ダム開発における大きな画期点であり、こうした制度的な後押しは河川開発を大きく前進させる契機となった。本研究で事例分析の中心的な対象とした利根川では、この傾向は顕著に伺える。

3.治水計画/事業の自律性の欠如

 戦後の治水計画は、戦前の築堤主義からダム治水計画へと転換する。治水計画においても、ダム建設はその計画の要諦である。この時の達成手段も、多目的ダムである。

 本研究で考察対象に据えた、利根川の治水計画/事業を見る限り、治水計画/事業には、論理的・政策的自律性が欠如している。これは、多目的ダムがその達成手段とされ、また水資源開発に政策上の重きが置かれたことに、起因すると言える。

 そして、この論理から見られる構造は下記の通りである。高度成長期には、水資源開発の進展に伴って、治水計画が進展するという構造が見られた。この傾向は、本研究の中心的な考察事例とした利根川ではその傾向が極めて強く表れている。即ち、治水計画の政策目標から独自にダム事業計画が策定されるのではなく、水資源開発から要請される事業計画に治水計画が乗っかるという構造である。

 その結果もたらさせるのは、治水計画の目標に対する事業効率の低さである。利根川の降雨特性を鑑みれば、治水機能を重視したダムは烏・神流川流域に、利水機能を重視したダムは奥利根地域に、配備をするのが効率的である。利根川の降雨特性を鑑みれば、多目的ダムが効率的な手段とはなりにくい条件があるのである。

 ただし、この構造は近年では新しい形に変化をしている。それは、進展の遅れた治水計画の進展のために、水資源開発計画が「巻き込まれる」という形への変化である。水需要の減退期においても、治水計画の達成手段として多目的ダムが位置づけられ続けるならば、治水計画を進捗させるために、必要以上の/不必要な水資源開発がもたらされる可能性が生じてくる。水資源開発の進捗によって進展してきた治水計画/事業という構造は、水需要の減退という社会状況の変化により、今後は、治水計画/事業を推進させるために、水資源開発が動員されるという構造へ転化していく可能性が指摘できるのである。

 本研究の結論からは、「治水・利水の一体性の確保」と手段としての多目的ダムを同一視することは、事業効果・今後の治水計画の現実性を踏まえて、その誤りが指摘できる。戦後日本のダム開発から見える、重要な教訓である。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は利根川流域を中心的な考察事例にして、戦後日本のダム開発における論理と構造を明らかにしたものである。本研究の対象は「利水と治水の一体性」という戦後河川行政の政策原理を体現する政策手段の中心に据えられた多目的ダムにおける、治水需要と利水需要が同居・統合される論理と構造である。

 本論文は序を含めた7章で構成される。第1章で問題の所在と論文の主題を確認し、第2章で多目的ダムの制度的な展開について、通時的な分析を試みる。これらを踏まえ、第3章と第4章では利水面について分析し、第5章と第6章では治水面についての考察と分析を行っている。最後の第7章で結論を整理している。

 本論文では以下のことを明らかにした。

 先ず利水需要における分析では、主に次の3点を示した。第1に、水需要を満たすことを目的とする水資源開発については、概ねその目的は達成されていること。そして第2に、水資源開発の新しい政策目標に据えられている安定供給量の確保という論理には、政策決定の基礎情報として不確かな点が多いこと。そして第3に、それ故に、安定供給量の算定値のみを根拠に決定された開発計画は妥当な選択肢とは言い難い可能性があること、である。

 次に戦後策定された治水計画においては、その要であるはずのダム候補がいずれもそれらの目的と効果を曖昧にしたまま策定されたと指摘している。さらに、水需要の急速な増大に助けられる形で、進捗を図ってきた治水計画は水需要の大きな停滞によって、その達成の目処が極めて困難な状況にあると指摘している。そして計画の目標値と達成手段との大きな乖離が見られることを踏まえて、物的施設建設の負担を減らすために、治水計画の目標値(基本高水流量)を下げることは可能なのか、を考察している。現在の治水行政はこれに難を示しているが、その根拠は次の2点である。第1に行政には絶対的な安全確保を目指して治水事業を伸展させていく義務が課されていること、そして第2に、基本高水は科学的な算定によって求められた想定洪水であり、その値と計画目標との乖離は避けるべきこと、である。これらの主張に対して論文(第6章)では両者ともに根拠に妥当性が少ないと指摘する。前者については、水害訴訟の機能を著しく制限することになった大東水害訴訟最高裁判決(国家に賠償責任がない)の論理から考えて、弱い主張であるとする。また後者については、現在の科学的知見で基本高水流量の値を唯一の目標値として絶対視するだけの根拠は少ないと指摘している。

 本論文では、戦後ダム開発の論理として以下の3点を指摘する。(1)政策原理とした「治水・利水の一体性の確保」と、手段としての多目的ダム建設とが同一視されてきた。(2)多目的ダムの開発目的のうち、優先的に整備されてきたのは利水目的・水資源開発であった。(3)戦後の治水計画は、戦前の築堤主義からダム治水計画へと転換する、この時の達成手段は多目的ダムであった。

 上記を踏まえて、本研究の総括的な結論は以下のとおりである。

 中心的考察対象に据えた利根川を見る限り、近年に至って、治水計画/事業においては論理的・政策的妥当性が欠如している。これは、多目的ダムがその達成手段とされたことに起因すると言える。そして、この論理から見られる構造は下記の通りである。(1)高度経済成長に伴う急速な水需要増大期には、水資源開発(利水事業)の進展に伴って、治水計画が進展するという構造が見られた。(2)その結果もたらさせるのは、治水計画の目標に対する事業効率の低さである。利根川水系の降雨特性を鑑みれば、治水機能を重視すれば、その時のダムは烏・神流川流域に、利水機能を重視する場合には、奥利根地域にダムを配備するのが、効率的なダムの配置である。(3)ただし、この構造は近年では新しい形に変化をしている。それは、未達成とみなされる治水計画の進展のために、水資源開発計画が「巻き込まれる」という形である。すなわち、水資源開発の進捗によって進展してきた治水計画/事業という構造は、今後は、治水計画/事業を推進させるために、水資源開発が動員されるという構造へ転化する/している可能性を指摘している。

 以上のことから、本論文では「治水・利水の一体性の確保」とその合目的執行手段としての多目的ダム建設には明らかに乖離が生じていることを指摘している。

 本論文はアジア・モンスーン気候に位置する日本の流域管理政策に関する有益かつ実務的な論証で、多くの知見と教訓を示唆している。近年のアジア途上国が直面する深刻な水問題(利水と治水)に対しての日本の貴重な経験と教訓を論証したもので、本研究の成果はアジア・モンスーン諸国における統合的水資源開発管理政策に対して多大の貢献をなしうるものである。

以上のことから、本論文は、博士(国際協力学)を授与するに値するものと認めることができる。

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