学位論文要旨



No 122649
著者(漢字) 渡邊,浩子
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,ヒロコ
標題(和) 妊婦の栄養管理の基礎的研究 : 母体の体組成および脂質代謝と胎児発育
標題(洋) Maternal nutrition and fetal development : Impact of maternal composition and lipid metabolism on fetal growth
報告番号 122649
報告番号 甲22649
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第2945号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神馬,征峰
 東京大学 助教授 黒岩,宙司
 東京大学 助教授 梅崎,昌裕
 東京大学 助教授 上別府,圭子
 東京大学 教授 武谷,雄二
内容要旨 要旨を表示する

背景:血中ケトン体の上昇は、低カロリー摂取、飢餓などの低栄養状態でエネルギー代謝に糖質が不足し、脂肪酸の利用が増加して生じる現象である。妊娠中の体重管理は妊娠高血圧症候群、妊娠糖尿病の発症予防を目的に体重増加を抑制する傾向にあることから、妊婦の栄養摂取量の不足が想定される。近年、平均出生体重が減少している現況は妊婦の栄養摂取量の低下および体重増加抑制型の管理が影響しているのではないかと考える。

目的:妊娠期の栄養状態と脂質代謝および出生時体重との関連を調査し、児体重を規定する因子を明らかにすることである。

方法

1) 調査対象および調査期間

 対象は、2005年6月〜9月に埼玉県内のNクリニックを受診した初診の妊婦(妊娠6〜8週)のうち、2006年5月までに正期産で単胎を出生した197名である。妊娠初期から産後1ヶ月の健診時までを調査する前向き縦断研究を行った。なお、非妊婦30名をコントロール群とした。

2) 調査項目

 Nクリニックでの妊婦健診項目(体重、血圧測定、子宮底・腹囲測定、超音波測定)に加え、妊娠12、20、32、36週の健診時に採血および採尿を行った。測定項目は遊離脂肪酸(FFA)、ケトン体分画:アセト酢酸(AcAc)、3-ヒドロキシ酪酸(3-OHBA)である。総ケトン体はAcAcと3-OHBAを合わせたものであり、その合計が124μmol/l以上を高ケトン体血症と診断される。食事頻度調査はDHQ (Diet history questionnaire)を用いて妊娠12、20、32週の採血時に実施した。

3) 共分散構造分析

 出生体重を規定する因子を探るため、以下の、仮説をたて共分散構造分析にて検証した。仮説は、"妊娠中の体重増加が抑制されるような体重管理がされた場合、妊娠中の栄養状態が不良となり、児体重に影響を及ぼす。つまり、妊娠中の栄養摂取カロリーが制限されると体内でケトン体生成が亢進し、体重増加が抑制され、生まれてくる児の出生体重は少なくなる"である。潜在変数を母体の体重管理、母体の栄養状態とし、先行文献により出生体重に影響を及ぼすことが報告されている観測変数12を含むパス・モデルを作成した。観測変数;(1)母親の年齢、(2)喫煙歴、(3)児の性別、(4)在胎週数、(5)妊娠中の全体重増加量、(6)妊娠中の体脂肪増加量、(7)非妊時BMI、(8)妊娠中期の体重増加量、(9)妊娠末期の体重増加量、(10)ケトン体値、(11)アルブミン値、(12)エネルギー摂取量

4) 倫理的配慮

 本研究はNクリニックおよび東京大学医学部倫理委員会の承認を得て行なった。

結果

1) 妊婦の栄養状態および体重増加量

 妊婦のエネルギー摂取量は妊娠初期から末期にかけてほとんど変化せず、1723.0±591.6〜1792.5±442.9kcalであった。これは、厚生労働省の推奨量である2000〜2050kcal(妊娠初期)、2250〜2300kcal(妊娠中期)、2500〜2550kcal(妊娠末期)より少なく、非妊婦の摂取量と差はなかった。妊娠中の全体重増加量は、やせ群(非妊時BMI<18.5kg/m2)で10.1±3.1kg、ふつう群(<18.5BMI<25.0 kg/m2)で9.3±3.5kg、肥満群(BMI≧25.0)で7.9±5.8kgであり、3群間に有意差はなかった。厚生労働省が推奨する体格区分別推奨体重増加量(やせ群:9〜12kg、ふつう群:7〜12kg、肥満群:個別対応、しかしおよそ約5kgを目安)からみると、推奨範囲内にあった者がやせ群で約46%、ふつう群で約50%であった。一方、推奨範囲以下の者が全ての群で約30%を占めていた。また、1週間あたりの推奨体重増加量からみると、妊娠中期で0.3kg未満の者は、やせ群で11.4%、ふつう群で16.0%であった。妊娠末期で0.3kg未満の者は全ての群で約50%を占めていた。一方、妊娠中期、末期ともに0.3kg未満であった者はやせ群とふつう群で約12%、肥満群で約23%であった。

2) 妊娠中の栄養状態と体重増加量が児体重に及ぼす影響

 やせ群において妊娠中の体重増加量と児体重には有意な正の関係が見られた(r=0.3、p<0.05)。ふつう群および肥満群では体重増加量と児体重に関係は認められなかった。妊婦の妊娠中のエネルギー摂取量は妊娠前期、中期、末期で変化はなく、非妊婦のエネルギー摂取量とも有意差はなかった。妊婦のエネルギー摂取量を平均値の1800kcal未満と1800kcal以上の2群で分けた場合、総エネルギーに対する脂質エネルギー比率を推奨量の30%未満、30%以上の2群で分けた場合、また、糖質エネルギー比率を推奨量の50%未満と50%以上の2群で分けた場合、生まれた児の体重に差はなかった。

3) 妊娠中の脂質推移および高ケトン体血症発症率

 妊娠中の血清FFA(mEq/l)、AcAc(μmol/l)、3HB(μmol/l)、ケトン体(μmol/l)は非妊婦に比べて有意に高値を示した(median;妊婦(20wの値)vs非妊婦、FFA: 0.29 vs 0.21; p<0.001, AcAc: 22.8 vs 13.0; p<0.001, 3HB: 31.0 vs 14.2; p<0.001, ケトン体: 53.1 vs 30.6; p<0.001 )。また、これらの値は妊娠が進むにつれて上昇し、妊娠36週で高値を示した(p<0.001)。AcAc, 3HB、ケトン体値はFFAと正の相関を示した(FFA vs AcAc, r=0.64; p<0.001, FFA vs 3HB, r=0.82; p<0.001, FFA vs ケトン体, r=0.79; p<0.001)。高ケトン体血症発症率は妊娠20週で21.2%、32週で28.5%、36週で23.3%であった。妊娠中全ての時期で高ケトン体血症を発症しなかった妊婦は100名(50.8%)であり、一方、全ての時期で高ケトン体血症を発症した妊婦は9名(4.6%)であった。また、妊娠中期および末期のいずれかで高ケトン体血症を示した妊婦は約45%であった。

 妊婦の全体重増加量とAcAc,3HBおよびケトン体の関係をみると、体重増加量が推奨範囲以下であった妊婦のAcAc値、3HB値、ケトン体値は推奨体重増加範囲内にあった妊婦に比べて高値を示したが、有意差はなかった。一方、妊娠中期および末期の1週間あたりの体重増加量とAcAc,3HBおよびケトン体の関係をみると、AcAc値、3HB値、ケトン体値は、妊娠末期の1週間あたりの体重増加量が0.3kg未満の妊婦の場合、0.5kg以上の妊婦に比べて高値を示した。

 エネルギー摂取量を平均値の1800kcal未満と1800kcal以上の2群で分けた場合、AcAc値、3HB値、ケトン体値に差はなかった。また、脂質エネルギー比を推奨量の30%未満、30%以上の2群で分けた場合、AcAc,3HBおよびケトン体値に有意差は認められなかった。しかし、糖質エネルギー比率を推奨量の50%未満と50%以上の2群で分けた場合、50%未満の妊婦のAcAc,3HBおよびケトン体値は50%以上の妊婦に比べて高値を示した(p<0.05)。また、エネルギー摂取量が1500kcal未満でかつ糖質エネルギー比率が50%未満の場合、3HB濃度は有意に高値を示した(p=0.04)。

 やせ群において、妊娠中期および末期で高ケトン体血症を示した妊婦から生まれた児の出生体重は2937.8±351.9g。ケトン体が正常であった妊婦から生まれた児の出生体重は2998.0±285.7であり、高ケトン体血症群で出生体重が少なかった (p<0.05)。同様に、ふつう群でも、妊娠中期および末期で高ケトン体血症を示した妊婦から生まれた児の出生体重は2884.0±252.0g。ケトン体が正常であった妊婦から生まれた児の出生体重は 3093.1±339.9gであり、高ケトン体血症群で出生体重が少なかった (p<0.05)。しかし、肥満群では出生体重に差はみられなかった。

4) 児体重を規定する因子

 喫煙歴は児体重に負の関連を、在胎週数は正の関連を示した。母体の体重管理に影響する変数は、妊娠中の全体重増加量、体脂肪増加量、妊娠中期および末期の体重増加量であった(β=0.9;p<0.001, β=0.78;p<0.001, β=0.68;p<0.001, β=0.66;p<0.001)。非妊時のBMI(β=0.03;p=0.72)は影響しなかった。一方、妊婦の栄養状態に影響する変数はケトン体値とアルブミン値であり、両者とも負の関連があった(β=-0.43;p<0.001, β=-0.22;p<0.05)。エネルギー摂取量は有意な影響を示し、正の関連を示した(β=0.49;p<0.001)。児体重を規定する因子としては、妊娠中の体重増加量、体脂肪増加量、妊娠中期・末期の体重増加量、在胎週数、児の性別、妊娠中の母親の喫煙であった。妊娠中の栄養状態と体重増加は相互に影響(r=0.35,p<0.01)し、妊娠中の体重管理は児体重に直接影響(β=0.24;p<0.01)し、妊娠中の栄養状態は体重管理を介して児体重に影響(β=-0.25;p=0.054)していた。

考察

 代謝異常等の合併妊娠を伴わない妊婦を対象とした妊娠中の血中ケトン体からみた妊婦の栄養・体重管理についての調査はない。今回の調査は妊婦の高ケトン体血症発症率および妊娠中の体重増加量と高ケトン体値との関連を示したものである。

 ケトン体値は妊娠が進むにつれて有意に上昇し、妊娠36週で高値を示した。妊娠高ケトン体血症発症率は妊娠20週以降の中期に20%を超え、妊娠32週では30%であった。妊婦個人では、ケトン体症状は呈していなくとも約50%が妊娠中期または末期に高ケトン体血症を発症していた。一方で、妊娠中、約半数の妊婦は正常範囲内のケトン体値を維持していた。このことより、妊娠中のケトン体値の上昇は妊娠による生理的反応とは評価し難い。ケトン体値は低栄養・飢餓状態の有無を示す指標と考えられているため、本研究において、約半数の妊婦が妊娠中に低栄養状態にあると推定される。

 ケトン体値は全体重増加量とは関係なく、妊娠中期および末期に1週間の体重増加量が0.3kg未満の例に高値を示していた。また、妊娠末期の糖エネルギー比率が推奨量の下限である50%未満の妊婦に高値を示していた。特に、エネルギー摂取量が1500kcal未満でかつ糖質エネルギー比率が50%未満の場合に3HB濃度が高値を示すことが示唆された。

 ケトン体測定は、FFA測定と異なり採血後速やかに血清分離し-80℃で保存する必要がある。今回、ケトン体とFFA値は強い正の相関を示していたことより、臨床での栄養管理のマーカーとしてFFA測定がケトン体測定の代用として応用可能であることが示唆された。

 以上の結果より、妊娠中期および末期の体重増加の抑制は妊婦の脂質代謝を亢進させ、胎児発育を抑制することが示唆された。また、妊娠中期および末期の体重増加量は児体重の規定因子となり、この時期の体重管理が重要であることを示唆するものである。ケトン体値が妊娠中の体重増加量と関係を示していたことより、臨床でのFFAおよびケトン体測定が体重管理の指標として意義あるものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は妊娠初期から産後4週までの母親の栄養状態、妊娠中の体重増加および脂質代謝から妊娠期の栄養状態と脂質代謝および出生時体重との関連を調査し、児体重を規定する因子を明らかにしたものであり、下記の結果を得ている。

1.妊婦のエネルギー摂取量は妊娠初期から末期にかけてほとんど変化せず、全ての時期で厚生労働省が示す推奨量を大きく下回っていた。また、非妊婦の摂取量と差はなかった。

2.妊娠中の血清遊離脂肪酸(FFA)、アセト酢酸(AcAc)、ヒドロキシ酪酸(3HB)、ケトン体値は非妊婦に比べて高値を示し、妊娠初期から末期にかけて上昇した。全ての妊娠期間中に高ケトン体血症(124μmol/l以上)を発症した妊婦は9名(4.6%)であり、妊娠中期および末期のいずれかで高ケトン体血症を示した妊婦は約45%であった。

3.妊娠中期および末期の1週間あたりの体重増加量が0.3kg未満の妊婦の場合、AcAc値3HB値、ケトン体値は、0.5kg以上の妊婦に比べて高値を示した。

4.糖質エネルギー比率が50%未満の妊婦は50%以上の妊婦に比べてAcAc,3HBおよびケトン体値は高値を示した。また、エネルギー摂取量が1500kcal未満でかつ糖質エネルギー比率が50%未満の妊婦の3HB値は有意に高値を示した。

5.やせ群およびふつう群の妊婦では、妊娠中期および末期で高ケトン体血症を示した妊婦から生まれた児の出生体重はケトン体が正常であった妊婦から生まれた児に比べて出生体重が少なかった(やせ群:2937.8±351.9g vs 2998.0±285.7g、ふつう群:2884.0±252.0g vs 3093.1±339.9g)

6.児体重を規定する因子は、妊娠中の体重増加量、体脂肪増加量、妊娠中期・末期の体重増加量、在胎週数、児の性別、妊娠中の母親の喫煙であった。妊婦の体重管理は児体重に直接影響(β=0.24;p<0.01)し、妊婦の栄養状態は体重管理を介して児体重に影響(β=-0.25;p=0.054)していた。

 以上、本論文は代謝異常等の合併妊娠を伴わない妊婦を対象に妊娠中の血中ケトン体値の推移、妊婦の栄養・体重増加および出生体重との関連を明らかにした。妊娠中期および末期での週あたりの体重増加量、妊娠末期の糖エネルギー比率およびエネルギー摂取量が高ケトン体血症の発症および児の出生体重に関連していたことを示した。また、妊娠中の体重増加量、体脂肪増加量、妊娠中期・末期の体重増加量が出生体重を規定する因子であることを示した。本研究は出生体重が減少し、かつ低出生体重児の出生率が上昇している日本の現況において、妊婦の栄養管理および体重管理指針に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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