学位論文要旨



No 122037
著者(漢字) 越智,英輔
著者(英字)
著者(カナ) オチ,エイスケ
標題(和) 筋運動が骨格筋および関節の機能に及ぼす効果とそのメカニズム
標題(洋) Effects of repeated muscular exercises on muscular and joint functions and their mechanisms.
報告番号 122037
報告番号 甲22037
学位授与日 2007.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第714号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 教授 久保田,俊一郎
 東京大学 助教授 八田,秀雄
 東京大学 助教授 柳原,大
 東京大学 助教授 村越,隆之
内容要旨 要旨を表示する

・緒言

 ヒト骨格筋は可塑性を持ち,筋運動により大きなメカニカルストレスを与えることで骨格筋が肥大し筋力が増強することが知られている.一方,高強度の筋運動は一時的に関節柔軟性の低下を引き起こし,不活動の場合も同様に関節の柔軟性を低下させる.継続した筋運動により長期的適応を引き起こす間には,様々な過程が存在すると考えられるが,ヒト実験では環境的・遺伝的な条件を揃えることが困難である.そのため,実験動物を用いて筋運動の量・強度を定められるモデルを作り,その効果を見ることが必要である.

 本研究では,ラット足関節底屈筋群を対象にして,肉離れ損傷モデルをもとに筋運動の強度・量を定量化できるモデルを作成し, 繰り返しの筋運動に伴う骨格筋及び関節の適応変化を検討した.

・実験1 「ラット筋運動モデルの作成」

 実験1では,ラット筋運動モデルを作成し,筋肥大・筋力増大の効果を検討した.筋運動モデルには,肉離れモデル等の先行研究を基に強度を設定した筋運動モデルを採用した.

 実験動物にはWistar系ラットを用い,無作為に5セッションのエキセントリック筋運動群(n=10),10セッションのエキセントリック筋運動群(n=7)と5セッションのコントロール群(n=10),10セッションのコントロール群(n=7)とに分けた.麻酔下のラットを専用の台に固定し(膝関節180°,足関節90°),腓腹筋内側を皮膚表面から電気刺激した状態で,サーボモーターで強制背屈(エキセントリック収縮)をさせた.筋運動は先行研究をもとに,2日に1回とし,一回のセッションは,5回×4セットの筋収縮であった.各セッションの筋運動後に解剖し,筋湿重量,筋線維の組成,筋線維タイプ別の横断面積の分析を行った.さらに,各筋運動セッション前に等尺性足底屈最大トルクを測定した.コントロール群は筋運動を実施せず,エキセントリック筋運動群と同様に麻酔し,等尺性足底屈最大トルクのみを測定した.

 その結果,筋湿重量はコントロール群との比較で5セッションでは有意な差が認められなかったものの,10セッション後の腓腹筋内側に有意な差が認められた(P<0.05).さらに筋線維レベルの検討では,タイプIIb/d線維数の減少とタイプIIa線維数の増加から筋線維タイプの移行が示唆された.そして全ての筋線維タイプで横断面積の増加傾向を示し,特にタイプIIa線維で有意な増加が認められた.等尺性足底屈最大トルクは,筋運動実施から徐々に増加し,コントロール群との比較で筋運動12,14,16,18,20日後において有意差が認められた(12日後;P<0.05,14,16,18,20日後;P<0.001).またコントロール群では,10セッションの測定中に有意な増加は認められなかった.以上のことから,本研究で作成した繰り返しの筋運動モデルは,ヒトにおけるトレーニングのメカニズムを検討する上で有用であると考えられた.

・実験2 「筋運動に対するサイトカイン・成長因子応答」

 実験1の結果,繰り返しの筋運動によって筋が肥大するとともに筋力が増強し,筋線維レベルでも変化することが明らかになった.それらの変化を仲介する物質的要因として,サイトカイン・成長因子の関与が示唆されている.単発の筋運動後のサイトカイン産生に関しては様々な報告がされているが,繰り返し行った筋運動の効果については報告が少ない.そこで実験2では,実験1で確立した筋運動モデルを用いて,繰り返しの筋運動に対するサイトカイン・成長因子応答について調べた.

 5セッションまたは10セッションのエキセントリック筋運動後に腓腹筋内側を摘出し,Western blotting法により筋中のIL-1beta,IL-6,IL-10,TNF-alphaを定量した.さらにIL-6について免疫組織化学染色を行い,その局在についても検討した.また,骨格筋肥大に関与する代表的な成長因子であるIGF-1,myostatin,follistatinについても検討した.myostatin,follistatinはWestern blotting法により定量し,IGF-1はリアルタイムRT-PCR法によりその発現量を定量した.

 その結果,筋中IL-6量は,5セッションのエキセントリック筋運動群,10セッションのエキセントリック筋運動群ともに有意な増加を示した(図1).IL-1betaは,5セッションのエキセントリック筋運動群のみ増加していた(P<0.01).一方,IL-10,TNF-alphaの発現は変化がなかった.免疫組織化学染色の結果から,IL-6は,筋運動5セッション後,10セッション後ともに筋線維間で主な局在が観察され,10セッション後のエキセントリック筋運動群でのみ筋線維内部及びその周囲で確認することができた.また,IGF-1 mRNA,myostatin,follistatinについては筋運動5セッション後では変化がなかった.一方,10セッション後のIGF-1 mRNAの発現量はコントロール群との比較で増加傾向を示した(P=0.066).筋中myostatin量は,10セッション後に有意な減少を示し(P<0.05),一方筋中follistatin量は有意に増加した(P<0.05).

 以上の結果から,エキセントリック筋運動に伴い,5セッションという比較的短期には,IL-1betaを含む一連の炎症反応が起こっていることが示唆され,10セッションの筋運動後のIL-6の増加は,筋線維周辺でその局在が認められたことから,筋線維での産生が含まれる可能性が示唆された.さらに,サテライト細胞の分裂を抑制するmyostatinとmyostatinのアンタゴニストであるfollistatinは筋運動5セッション後では変化がなく,筋の肥大が確認された筋運動10セッション後にそれぞれ減少または増加していた.さらに,IGF-1mRNAの発現量も10セッション後で増加する傾向にあったことから,比較的長期の筋運動における筋の適応は,IL-6,myostatin,follistatin,IGF-1などのサイトカイン・成長因子が相互に関与しながら導かれていることが示唆される.

・実験3 「筋運動が関節スティフネスに及ぼす影響」

 実験3では,実験1で確立したモデルを用いて,繰り返しの筋運動後の関節スティフネス(Passive Resistive Torque; PRT)の変化について検討した.同時に筋内細胞骨格タンパク質で骨格筋の受動張力と深く関係するとされているコネクチン(タイチン)のアイソフォーム,結合組織の弾性に関与するI型コラーゲンmRNAの発現量ついても検討した.

 実験1の場合と同様10セッションのエキセントリック筋運動の結果,エキセントリック筋運動群の筋湿重量,等尺性足底屈最大トルク,筋線維断面積は有意に高値を示した.一方,足関節の背屈(45度)に対するPRTを測定した結果,エキセントリック筋運動群のPRTが有意に低下するという結果を得た(図2).そして,コネクチン(タイチン)のアイソフォームに関しては群間で差は観察されなかった.一方,I型コラーゲンmRNAの発現量は筋運動後に亢進していた. 

 これらの結果から,繰り返し筋運動を実施することにより関節スティフネスは低下し,その主な要因は筋線維自体の弾性特性の変化によるものではないことが示唆された.今後,結合組織の分解系について検討する必要があるものの,I型コラーゲンmRNA発現量が増加したことから筋内結合組織の構造変化が関与している可能性が考えられる.

・まとめ

 本研究で用いたラット筋運動モデルでは,10セッション(20日間)の筋運動期間で筋肥大・筋力増強が起こることを確認することができた.そして,タイプIIb/d線維数の減少とタイプIIa線維数の増加及びタイプIIa線維の横断面積の増加が認められたことから,ヒトにおけるトレーニングのメカニズムについて検討可能なモデルであるといえる.そして,作成したモデルを使用して,骨格筋の適応変化に影響すると考えられるサイトカイン・成長因子について検討した結果,筋肥大時には,IL-6,IGF-1,myostatin,follistatinなどの様々なサイトカイン・成長因子が相互に関与していることが明らかになった.さらに筋運動により関節スティフネスは低下し,その要因は筋線維の弾性特性の変化によるものではないことが示唆された.

図1 筋中IL-6量の変化

■はエキセントリック筋運動群を,■はコントロール群を示す.

平均±標準偏差を示す.

***:群間の有意差(P<0.001)

図2 Passive Resistive Torque(PRT)の変化

◆はエキセントリック筋運動群を,■はコントロール群を示す.

平均±標準偏差を示す.

*:群間の有意差(P<0.05)

+++:筋運動前との有意差(P<0.001)

審査要旨 要旨を表示する

 筋・骨格系は力学的環境に対する高度な適応能をもつ。適切な運動・トレーニングを繰り返すことにより、筋では代謝特性の変化、タンパク質の発現変化、肥大、筋力増強などの長期的適応が起こるが、最近の研究から、こうした筋の適応には、さまざまな成長因子やサイトカインが関連することが示唆されている。しかし、これらの知見は主に培養細胞系や遺伝子組み換え動物などを用いた研究に基づくものであり、実際のヒトの運動・トレーニングにおいてどのようなメカニズムが中心的役割を果たしているかについては不明の点が多い。一方、運動・トレーニングが筋や関節の柔軟性に及ぼす長期的効果については、十分な研究がなされておらず、一貫性のある見解が得られていない。これらの課題を解決するためには、実験動物を用いた適切なトレーニングモデルが有用である。動物トレーニングモデルが満たすべき要件として、1)生理的な運動刺激を用いていること、2)運動の強度と量を定量化できること、3)ヒト骨格筋と定性的に共通した適応を示すこと、4)トレーニング効果を経時的に評価できること、5)短期間で効果が発現すること、6)再現性がよいこと、などがあげられる。これまでいくつかのトレーニングモデルが開発されてきたが、これらの要件を十分に満たすものは得られていない。本研究は、メカニカルストレスの大きな伸張性収縮(eccentric contraction)を利用した新たな動物トレーニングモデルを開発し、繰り返し運動刺激が、筋の構造と機能、および関節の柔軟性に及ぼす効果を調べ、さらにそれらの効果のメカニズムを探るための初歩的実験を行ったものである。

 本研究で開発したモデルでは、ラット足関節底屈筋(腓腹筋)を対象とし、専用に製作したダイナモメータを用いて、麻酔下で運動刺激を負荷した。最大強度以下での電気刺激と強制伸張(最大下の伸張性収縮)5回×4セットを1セッションとし、1セッション/2日、合計10セッション(20日間)のトレーニングを行った。トレーニングと同時に、最大刺激による等尺性最大足関節底屈トルクを測定した結果、トレーニング群では経時的な筋力増加が認められ、10セッション後にはsham 群と比較して約40%もの差が見られた。筋湿重量では、電気刺激の主なターゲットとなった腓腹筋内側頭で、10セッション後にsham群と比べ約14%の増加が見られた。筋線維レベルでは、タイプIIb/d 線維数の減少とタイプIIa 線維数の増加が見られ、タイプIIb/d からタイプIIa への移行が示唆された。また、タイプIIa線維にのみ有意な横断面積の増加が認められた。これらの変化はいずれも、長期的なトレーニング後のヒト骨格筋に見られる変化に類似しており、このモデルの有用性を強く示唆している。また、トレーニング効果には個体差があり、筋湿重量の増加の程度と、1セッション当たりに発揮されたトルクの時間積分(力積)の間に有意な正の相関が認められた。このことは、トレーニング効果を決定する上で、力積が重要な初期要因となっていることを示唆する。

 次に、トレーニングによる筋肥大のメカニズムについての知見を得るため、5セッションおよび10セッションのトレーニングの12時間後に筋を摘出し、筋内の成長因子/サイトカインの変化を Western blot または RT-PCR によって調べ、sham群と比較した。その結果、10セッション後には、従来から筋肥大刺激因子とされているIGF-I(mRNA)の増加と、筋肥大抑制因子とされている myostatinの著しい減少が見られた。さらに、myostatin の antagonist である follistatin が増加しており、筋肥大にはmyostatin による肥大抑制の低減が重要な役割を果たすことが示唆された。一方、伸張性収縮においては、筋線維の微小損傷が起こりやすいとされることから、代表的な炎症性サイトカインの変化についても Western blot により調べた。その結果、5セッション後には IL-1β、IL-6などの増加が見られ、炎症反応の進行が示唆された。光顕観察によっても、筋線維の損傷像が確認された。一方、10セッション後では、IL-6のみが有意に高値を示した。また、免疫染色像から、10セッション後のIL-6の一部は、筋線維自身から分泌される可能性が示された。IL-6は筋サテライト細胞の増殖を促すという報告があることから、トレーニングに伴うその変化については、今後より詳細に調べる必要があろう。

 本研究では最後に、トレーニングが関節柔軟性に及ぼす効果について調べている。一般にメカニカルストレスの大きな伸張性筋運動を行うと、一過的な関節柔軟性の低下が起こり、長期的にも筋内結合組織量の増大によるスティフネスの増加が起こるとされているが、動物モデルを用いたトレーニングの長期的効果についての研究は行われていない。本研究では、関節柔軟性の指標として足関節背屈に対する受動的トルク(passive resistive torque; PRT)を経時的に測定し、10セッションのトレーニング後に有意な低下(約50%)が起こることを示した。このときには、等尺性最大筋力、筋湿重量ともに上記と同様に増加しており、繰り返しトレーニングは筋肥大と筋力増強をもたらす反面、関節の柔軟性を向上させることが判明した。また、筋線維内の弾性タンパク質であるコネクチンのアイソフォーム含有比には有意な変化が見られなかったことから、筋線維自体の固さは変化していないことが示唆された。一方、RT-PCRにより、I型コラーゲンmRNAの有意な増加が見られたことから、筋内外の結合組織の構造変化が関節柔軟性の変化に関与しているものと考えられた。

 以上のように本研究は、繰り返しの筋運動が筋と関節に及ぼす長期的効果について、新たな動物モデルを用いて調べたものである。メカニズムについての踏み込みは十分とは言い難いが、IL-6の特徴的な変化や、関節柔軟性の向上など、興味深い新規知見を得ており、今後の展開が期待される。また、有用性の高い動物モデルを開発した点で、その独自性は高く評価される。

 したがって,本審査会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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