学位論文要旨



No 121929
著者(漢字) 松村,誠一郎
著者(英字)
著者(カナ) マツムラ,セイイチロウ
標題(和) リズムに着目したサウンド・インスタレーションの研究
標題(洋)
報告番号 121929
報告番号 甲21929
学位授与日 2006.12.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学際情報学)
学位記番号 博学情第7号
研究科 学際情報学府
専攻 学際情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒川,忠一
 東京大学 教授 原島,博
 東京大学 教授 佐々木,正人
 東京大学 教授 河口,洋一郎
 東京大学 助教授 苗村,健
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、物体に接触する音を活用したリズム表現の可能性と、規則的な拍を意識せずに入力した音によって構築される音のリズム表現の可能性を、サウンド・インスタレーションの体験を通して提案し、論じるものである。

 本研究において、3つのサウンド・インスタレーション作品群「サイクル・オブ・タッチCycle of Touch」「ホップ・ステップ・ジャンクHop Step Junk」「サウンド・ローズSound Rose」を実践的に制作し、展示発表を行なった。これらの作品群は、いずれも人間が物に「触る」、「叩く」、「足踏みする」等の身体動作が発生する微小な接触音を録音し、反復再生を行なうプロセスを実現するシステムを有する。そのプロセスにより、人間が意図せずに物体へ接触した音も、音のリズム表現のための素材として活用される。

 音の表現を考える時、我々は一般的に音楽を意識することが多い。そして、特に西洋文化の影響を強く受けた現代社会では、音楽には音の送り手と受け手が存在し、音の送り手は特殊な音楽的表現能力を持っている人間に限られるという概念が根強く存在している。一方で、音の受け手はその音の表現をただ享受する立場にあり、自らが音を生み出す必要性はない。また、そこでは音楽の創造に使用可能な音は、響きが「美的か否か」という主観的な判断基準によって選別された「楽音」に限定されている。リズムに関して言えば、伝統的西洋音楽の演奏ではテンポを保ち、楽譜に忠実な「美的な」音響の創造と再現を行なうために、規則的な拍、および細分化された一定間隔の拍を根底に強く意識する必要がある。実際に、これらの音楽の送り手となるためには楽器の演奏や歌唱等の技術が不可欠であり、その技術の習得のために専門的な訓練が必要となる。もちろん、訓練を経た演奏者が「美的な」音響を有する音楽を創造する事実とその発展は尊重されるべきものである。しかし、一方でその専門的訓練とそれに関連する価値観の存在ゆえに、音の表現を試みることに躊躇する人々も多く、誰もが簡単に音の表現を試みることが容易ではないという一面も存在する。

 世界的な視座で見た場合、音の送り手と受け手の区別や美的な音響を始めとする上記の考え方とは異なる考え方に基づいた音楽が存在する。例えば、共同体社会においては「人間は誰でも音楽的能力を有する」という考えの下、共同体のメンバー全員が祝祭や儀式等の音楽の創造に参加することが自然とされている。また、音の美的な響きやハーモニーの結果に重点を置かずに、音が発生するまでのプロセスを偶発性も含めて設計することを作曲行為とみなし、そのプロセスを遂行することを演奏と捉えて価値を置く実験音楽の流れも存在する。そのような状況下において、従来の音楽の価値観とは異なるこれらの考え方と音の表現に触れることによって、それまで躊躇していた人々が音の表現に対してより自由度を感じる可能性を模索することは大きな意義がある。それは音に対する価値観を拡大することによって、自ら音の表現の発信者に転ずる可能性に他ならない。

 本研究では、この音の送り手と受け手の構図や特定の演奏技術の有無を前提としない音の表現を生み出すプロセスについて検討した。その結果、コンピュータ・テクノロジーの援用によるサウンド・インスタレーションの体験という手法に到達した。そして、以下の要素を実現することによって、作品群の体験者が自らの身体動作が音のリズム表現を創造する可能性を含んでいることに対して意識的になる契機を提供することが可能になると考えている。

1) 音の表現の送り手と受け手の境界線の解消

2) 身体動作の接触音によるリズム表現

3) 正確な拍を意識しない入力音によるリズム表現

 本研究の作品群では、音響を創造する人間と聴く人間が同一である状態となり、楽器から発する美的な響きの「楽音」ではなく物体に接触する音「具体音」を用いている。具体音を使用する理由は、体験者の身体動作が直接発する音を用いることによって出力音と体験者の関連性を容易に認識できるようにするためである。

 これは特徴の1)及び2)を満たしている。具体音を用いた音楽表現としてピエール・シェフェールに端を発した具体音楽が存在するが、それは音楽スタジオで綿密に構築された音楽作品であり、作曲者やエンジニア、すなわち音の送り手からの表現に留まっているものであった。本研究のサウンド・インスタレーション作品群では、体験者が自身の身体動作によって具体音の音響表現を即時に構築することが可能な環境を提供している。

 特徴の3)については、作品群から出力される音響に音の表現が含まれているか否かの判断が必要である。本研究では実験を通して出力音における音のリズムの存在を検討し、判断の材料とした。

 これまでの音のリズム知覚研究について調査した結果、音のリズムは物理的な音の配置そのものではなく、人間が耳で聴いた音列を解釈する心的なメカニズムによるものであることが判明した。音列を固まりごとに認識する音の「群化」現象、そして群化された音の複数の固まりをさらに大きな枠組みで捉えて認識する音の「体制化」現象を経て、初めて音列は音のリズムと認識される。本研究の作品群における反復再生する音列を聴き、人間が音のリズムと感じるのはこれらの「群化」と「体制化」が人間の心的処理として容易に発生しやすいためである。この音列が「音楽的か否か」の判断は本研究の範疇ではなく、音の表現へとつながる音のリズムが本研究の体験型サウンド・インスタレーション作品群からの出力音に存在していることを確認するに留まっている(第7章参照)。しかし、少なくとも体験者が自らの身体動作によって音のリズムを創造するシステムが機能していることの確認を行なった。

 体験者の身体動作から発生する接触音を録音し、反復再生するという単純な構造を採用する本研究の作品群では、音列の群化と体制化を通してリズムを知覚する人間の能力に大部分を負っている。コンピュータ・テクノロジーが表現に関わるすべての部分をサポートしてコントロールするのではなく、人間が担う部分を確保し、人間の感覚と判断が中心的な役割を果たしている。これは音の表現の価値観を拡大することを試みると同時に、人間主体のコンピュータ・テクノロジーとの関わり方の一例をも示している。

 本論文の構成は以下の通りである。

 第1章「序論」では、「美的か否か」の判断に基づいて構成されてきた従来の音楽とは異なる音の表現の可能性について述べている。新しい音の表現の要素として、「音の表現の送り手と受け手の境界線の解消」「身体動作の接触音によるリズム表現」「正確な拍を意識しない音のリズム表現」に着目し、それらを実現する手法として身体動作を用いた体験型サウンド・インスタレーション作品群の有する可能性を示している。

 第2章「研究の背景」では、音楽の発展の中で形づくられた音の送り手と受け手の境界線について、民族音楽、実験音楽の状況と比較しながら述べる。また、電子楽器開発、サウンド・インスタレーション、インタラクティブ・アート等の関連する分野の先行事例と作品群について触れた上で、本研究が目指す方向性を示す。

 第3章「音のインターフェイスを有するメディア・アート」では、本研究の中心的な成果である「リズムに着目したサウンド・インスタレーション」の制作に至る過程で、筆者が制作に関わったメディア・アート作品「ウォーター・キャンバス・ウィズ・イアーズ Water Canvas with Ears」、「リキッド・スカルプチャ Liquid Sculpture」について述べる。特に、この2つの作品において実装した、音を使ったインターフェイスと得られた知見について述べる。

 第4章「サイクル・オブ・タッチ」では、体験者が素材の異なるオブジェに手で触れる音を使い、多層構造の音のリズム表現を生み出すシステムの制作と実装について述べる。また、実際に展示を行なった際に体験者の行動を観察した結果、判明した問題点、必要な改良点について検証する。

 第5章「ホップ・ステップ・ジャンク」では、台の上で体験者が足踏みをする身体動作により、音のリズム表現を生み出すシステムの制作と実装について述べる。さらに、実際の展示において観察した体験者の行動を基に、判明した問題点と今後必要な改良点について検証する。

 第6章「サウンド・ローズ」では、再び指先を用いて「叩く」身体動作が音の表現を創造する作品と実装されたシステムについて述べる。複数のコンタクト・マイクを用いた位置検知システムと映像のコントロールとの組み合わせにより、発展した作品により可能になった表現とインタラクションについて検証する。

 第7章「音のリズムの存在」では、「ホップ・ステップ・ジャンク」を基にした実験システムにおいて複数名の被験者による実験を行い、入力音と出力音を記録した。記録したデータを解析し、本研究の作品群からの出力音におけるリズムの存在について検証する。

 第8章「考察」では、音のリズム表現システムとしての本研究におけるサウンド・インスタレーション作品群を、従来の音楽における表現方法と対比し、総括する。

 第9章「結論」では、本研究のサウンド・インスタレーション作品群の果たした役割、段階を追って実装した機能について述べる。そして、楽音以外の音、具体音を用いた音楽制作ツールとサウンド・インスタレーションとの相互作用による音の表現の今後の発展性について述べる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「リズムに着目したサウンド・インスタレーションの研究」と題し、9章からなる。音を表現の中心に据えたサウンド・インスタレーション作品は現代アートの分野において多数制作、発表されているが、それらは作者の意図や作品のコンセプトを展示空間内に表現するための手段というものがその主たる役割であった。一方、これまでの伝統的西洋音楽の分野において、音楽の聴取者は、音の送り手である演奏者からの音を受容する受け手の関係性に留まっており、また音楽表現に使用される音も、楽器の演奏行為による楽音によって構成されている。近年になり、鑑賞者が耳を澄まして周囲の音環境に積極的に働きかける聴取行為や、楽音とは異なる非楽音や雑音を使用した音楽表現が提唱・発表されてはいるが、そこでも依然として音の送り手と受け手の図式は根強く存在するものである。本論文は芸術および科学的な視点から、楽音とは異なる、物に接触する音を用いて作品の鑑賞者自身が音のリズムを構築する装置、すなわち体験型のサウンド・インスタレーションの制作と発表について詳述し、音響出力におけるリズムの存在の可否について検討し、その有効性の実証を試みたものである。

 第1章は序論で、音の美的評価を基準とした従来の音楽と比較し、「身体動作の接触音によるリズム表現」「正確な拍子を意識しない音のリズム表現」を軸とした新たな音の表現の可能性と、「音の送り手と受け手の境界線の解消」の重要性を示唆している。そして、その実現手法を体験型サウンド・インスタレーションの制作および発表と規定し、本研究の目的と意義を明らかにしている。

 第2章は「研究の背景」と題し、音楽の発展の歴史的側面、テクノロジーの登場による音楽形態の変化、メディア・アートの先行事例を基に、各々の特徴と問題点を挙げ、本研究におけるサウンド・インスタレーション作品群の位置づけと先進性について述べている。

 第3章は「音のインターフェイスを有するメディア・アート」と題し、本論文の中心的な役割を果たす体験型サウンド・インスタレーションの3作品「サイクル・オブ・タッチ」「ホップ・ステップ・ジャンク」「サウンド・ローズ」の制作より以前に、制作と発表を行なった「ウォーター・キャンバス・ウィズ・イアーズ」「リキッド・スカルプチャ」について詳述している。身体動作を用いたインターフェイスと機能の特徴、その後の発展性について言及している。また、実装の結果、国内の複数回の展示を通して多数の体験者から高い評価を受けたとしている。

 第4章は「サイクル・オブ・タッチ」と題し、異なる素材の物体に人間が接触した音が多重録音されていく音響構造と、それを軸とした表現を実現するシステムを有したサウンド・インスタレーション「サイクル・オブ・タッチ」を設計、実装している。作品体験者によって異なる振る舞いが生み出す音響出力と、接触する行為が生み出す音に対する体験者の反応について、展示を通して観察を行ない、実装されたインターフェイスの機能性と今後の方向性について論じている。

 第5章は「ホップ・ステップ・ジャンク」と題し、人間の足踏みという身体動作から発生する音を素材として、反復再生による音響表現を可能とするシステムと作品について述べている。また、メディア・アート作品の展示における安定した作品動作の重要性について指摘し、インターフェイスの設置位置の改良、使用機材の熱対策等、改良点についても述べている。実際の国内外での展示の実施を経て、当該作品の安定運用性、耐久性、インターフェイスの有効性が発展している様が窺える。また、接触した音の音量に高速で反応するコンピュータ・グラフィクスを併用することにより、より多数の体験者が作品の体験に没入できるとしている。

 第6章は「サウンド・ローズ」と題し、人間が指先で叩く身体動作から発する音を素材として、音響表現を構築するシステムの実装に関する記述と、作品の体験における体験者の振る舞いに関する考察を併せ行なっている。新たに加わった機能として、叩いた音の音量と検知時間差から叩いた位置を検出するシステムを併用しており、叩いた位置にバラの花のグラフィクスを投影するシステムとなっている。これによって、前二作品と比較し、音のリズム構築のためのツール的な側面がより強調された作品構造となっているのが特徴である。国外の学会における発表と展示において高い評価を得たことも示されている。

 第7章は「音のリズム表現」と題し、音の群化(Grouping)とその上位の枠組みを形成する音の体制化(Organization)が音のリズムの必要条件であるとし、従来の拍子の概念に規定された音楽演奏やリズムと比較して、より大きな枠組みの音のリズム解釈を提案している。本研究の作品群の体験から発生する音響に存在する音のリズムの可否について検証を試みている。そこでは、知覚心理学におけるリズム解釈に関する先行研究を十分に踏まえた上で検証実験を実施し、得られたデータの分析を通して、美的観念とは無関係な見地から人間がリズムを感じる心的機能の普遍性について考察を行なっている。ここで人間の「触る」という身体動作には音の群化作用を発生させる条件が存在し、本研究のサウンド・インスタレーションのシステムは、一定の時間長の接触音の音列を反復再生することによって、音の体制化を発生させる機能があることを明らかにした。

 第8章は考察で、本研究のサウンド・インスタレーション作品群の体験を通して発生する音響表現と従来の音楽における表現方法とを比較し、総括している。

 第9章は結論で、本論文をまとめている。

 以上これを要するに、本論文では、物に触れるという人間の日常的な身体動作から発生する音の中に、リズムを形作る要素が存在する点に着目し、その要素を有効に利用した結果、音楽経験や専門性の有無に関わらず、音のリズム表現を実行する体験が可能となる環境を創出するに至ったものである。また、本研究における音のリズムの検証の試みは、今後、同様の具体音とリズム構造を用いたアート表現を行なう者にとって、作品の表現内容の評価手法に関する試金石となり、貢献するところが大きい。

 よって、本審査委員会は、本論文が博士(学際情報学)の学位に相当するものと判断する。

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