学位論文要旨



No 121333
著者(漢字) 大屋,智香
著者(英字)
著者(カナ) オオヤ,チカ
標題(和) カニクイザルにおけるBウイルス感染に関する分子疫学的研究
標題(洋) Molecular Epidemiological Studies on Herpes B Virus (Cercopithecine herpesvirus 1) Infection in Cynomolgus Macaques (Macaca fascicularis)
報告番号 121333
報告番号 甲21333
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3046号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 明石,博臣
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 助教授 久和,茂
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
内容要旨 要旨を表示する

Bウイルス(Cercopithecine herpesvirus 1)は、マカカ属サルを自然宿主とするα-ヘルペスウイルスである。ウイルスは初感染後、三叉神経節(TG)を含む脊髄知覚神経節において潜伏感染を起こし、宿主動物生涯にわたり持続感染する。潜伏ウイルスが様々な刺激により再活性化されると、宿主はウイルス潜伏知覚神経節支配領域の粘膜分泌液中に感染性ウイルスを排出することが知られている。マカカ属サルにおけるBウイルス感染は、通常不顕性感染、あるいは口腔領域の水疱、潰瘍形成といった軽症に終わる。一方、ヒトでは早期治療がなされなければ、上向性の脳脊髄炎によりその約80%が死に至る。Bウイルスにおいて最も重要な点は、ヒトに致死的な感染を引き起こす点である。

しかし、Bウイルスが近縁ヘルペスウイルス(ヒト単純ヘルペスウイルス1型、2型:HSV-1、-2)と免疫学的および遺伝子学的に高い類似性を持つこと、またウイルスの分離培養はヒトに対し感染の危険性を伴い、P3以上の生物学的封じ込め施設が必要であることからBウイルス感染の診断は困難であった。TGにウイルスを保有するマカカ属サルはウイルスの再活性化により唾液中に感染性ウイルスを排出する潜在的危険性を持ち、ウイルスに汚染された唾液はヒトへの重要な感染源である。さらに、カニクイザルは生物医学研究において広く用いられているマカカ属サルである。これらのことに鑑み、本研究ではBウイルスに特異的な分子生物学的診断法の確立および自然宿主であるカニクイザルにおけるBウイルス感染について調べることを目的とした。

本論文は以下の3章からなる。第1章ではBウイルス特異的なDNA診断法の確立およびその有用性の検討を行い、第2章ではカニクイザルTGにおけるBウイルス感染状況を検索した。さらに第3章では、カニクイザル由来Bウイルス検体について遺伝子解析にもとづく系統的解析を行った。

第1章 PCR-microplate hybridization法によるBウイルスゲノムの特異的検出および同定

BウイルスゲノムUS領域内にプライマーを設計し、AからFの6領域についてBウイルス、HSV-1、HSV-2、ヒトサイトメガロウイルス(HCMV)およびサルサイトメガロウイルス(SCMV)株DNAをPCRにより増幅した。6領域中A、CおよびE領域の3領域において、HSV-1、HSV-2、HCMVおよびSCMVと交差することなくBウイルスDNAのみが特異的に増幅された。次に、Bウイルス分離株間で高い遺伝的多型性を示す領域の増幅産物を、PCRにより作製されたプローブを用いたmicroplate hybridization法により同定した。BウイルスSMHV株とE2490株、およびBウイルス抗体陽性カニクイザルTG抽出DNA由来のPCR増幅産物が、BウイルスDNAであると同定された。以上から本章において、Bウイルスの遺伝的多型領域遺伝子の検出および同定に対し、PCR-microplate hybridization法が有用であることが示された。

第2章 カニクイザルTGにおけるBウイルス感染

Bウイルスに感染したサルの唾液を介したヒトへのBウイルス伝播の危険性の観点から、抗体陽性カニクイザルのTGに着目し、TGにおけるBウイルスの保有状況およびその動態について検索した。

第1節 カニクイザル左右TGにおけるBウイルスゲノムの不均等な分布

第1章で有用性が示されたPCR-microplate hybridization法を用いて、臨床症状を示していないBウイルス抗体陽性カニクイザルの左右TGにおけるBウイルスの保有状況を調べた。Bウイルスゲノムは30頭中12頭(40%)のカニクイザルの片側および両側TGから検出された。12頭中5頭においてはその両側TGから、また残りの7頭では片側TGのみからBウイルスゲノムが検出された。本実験の結果から、Bウイルス抗体陽性カニクイザルがそのTGにBウイルスを保有する潜在的リスクは最大で40%であること、およびウイルスはカニクイザルの片側あるいは両側TGに不均等に分布することが示唆された。

第2節 カニクイザルTGにおける潜伏感染Bウイルスゲノムコピー数の定量

Bウイルス抗体陽性カニクイザルにおけるBウイルスの再活性化の有無を調べるために、抗体陽性カニクイザルの末梢血単核球(PBMC)についてBウイルスゲノムの検出を試みた。さらに、定量PCR-microplate hybridization法によりカニクイザル左右TG中のBウイルスゲノムコピー数を定量した。抗体陽性の20頭のカニクイザル全てにおいて、そのPBMCからBウイルスゲノムは検出されなかった。また、各TGにおけるBウイルスゲノムコピー数は、TGあたり104.8から106.6コピーであった。また、本法の検出限界はTGあたり103.6コピー以下であった。これらの結果から、20頭の抗体陽性カニクイザルにおいてBウイルスの再活性化は起こり得ていないことが示唆された。さらに、Bウイルスが、カニクイザルTGにおいてTGあたり104.8から106.6コピーの範囲で潜伏感染していることが示唆された。片側あるいは両側TGでウイルスゲノム陽性の場合および性差について、そのTGにおけるウイルスゲノムコピー数に統計学的有意差は見られなかった。

第3章 カニクイザルTG由来Bウイルス検体の塩基配列解析

これまでにSmithらによって、Bウイルス分離株には宿主マカカ属サル種に関連した3つの遺伝子型が存在することが報告されている。さらに、Ohsawaらによっても日本国内のニホンザルが保有するBウイルスには、固有の遺伝子型が存在することが報告されている。

本章ではカニクイザルの片側あるいは両側TG由来の13検体のBウイルスについて、遺伝的多型を示すUS5の大部分とその3'側非翻訳遺伝子間領域の塩基配列の解析を行った。13検体の塩基配列の比較により、同一個体の左および右側TG由来Bウイルス検体の塩基配列はそれぞれ同一であること、および13検体が互いに近縁であることが示された。さらに、本章で決定されたカニクイザルTG由来検体の塩基配列とこれまでに報告されている4種のマカカ属サル由来Bウイルス分離株のそれを比較し、系統樹を作製した。カニクイザルTG由来検体は、カニクイザル由来E90-136およびSMHV株と同じ遺伝子型(Genotype 2)に分類された。また、カニクイザル由来Bウイルス間においても、本章で調べられた13検体と先に報告された2株の間にはわずかな遺伝的距離があることが示された。したがって、Bウイルス遺伝子に見られたウイルス由来マカカ属サル種に関連した遺伝的差異は、Smithらによる先の報告を支持する結果であった。さらに本研究によって、カニクイザル由来分離株間にカニクイザル個体群の地理的分離に起因する遺伝的差異が存在する可能性が示唆された。

上記の結果より、PCR-microplate hybridization法が臨床検体におけるBウイルス感染の診断に有用であることが示された。さらに、これらの研究結果はBウイルス抗体陽性カニクイザルからヒトへのウイルス伝播リスクの解析、SPFマカカ属サル群の確立および自然宿主におけるBウイルス感染のさらなる研究に寄与することが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

Bウイルスは、マカカ属サルを自然宿主とするαヘルペスウイルスであり、初感染後、脊髄知覚神経節において潜伏感染を起こす。再活性化されると、宿主はウイルスが潜伏している知覚神経節支配領域下の粘膜分泌液中に感染性ウイルスを排出する。自然宿主でのBウイルス感染は通常不顕性であるが、ヒトでは上行性脳脊髄炎により約50%が死に至る。

Bウイルスは近縁のヘルペスウイルス(ヒト単純ヘルペスウイルス1型、2型:HSV-1、-2)と免疫学的および遺伝子学的に高い類似性を持ち、その分離培養にはP3以上の施設が必要であることからBウイルス感染の診断は困難であった。他方、自然宿主であるカニクイザルは生物医学研究に広く用いられているマカカ属サルである。これらのことから、本研究ではBウイルスに特異的なDNA診断法を確立し、カニクイザルにおけるBウイルス感染について調べることを目的としている。本論文は以下の3章からなる。

第1章:PCR-microplate hybridization法によるBウイルスゲノムの特異的検出及び同定

BウイルスゲノムUS領域内に設計したA〜F領域のプライマーを用いBウイルス、HSV-1、-2、ヒトおよびサルサイトメガロウイルス株DNAについてPCRを行った結果A、CおよびE領域プライマーセットで、BウイルスDNAが特異的に増幅された。Bウイルス分離株およびBウイルス抗体陽性カニクイザル三叉神経節(TG)抽出DNAのPCR増幅産物が、プローブを用いたmicroplate hybridization法によりBウイルスDNAであると同定された。以上から、Bウイルスの検出・同定に、PMH法が有用であることが示された。

第2章:カニクイザルTGにおけるBウイルス感染

TGにBウイルスを保有するサルは、ウイルスの再活性化により唾液中に感染性ウイルスを排出する危険性を持ち、ヒトへの主要な感染源となることから、抗体陽性カニクイザルTGにおけるBウイルスの保有状況およびその動態を検索した。

第1節 カニクイザル左右TGにおけるBウイルスゲノムの不均等な分布:PMH法により、Bウイルス抗体陽性カニクイザルの左右TGにおけるBウイルス保有状況を調べた。Bウイルスゲノムは30頭中12頭(40%)のTGから検出された。12頭中5頭において両側TGから、また7頭では片側TGのみからBウイルスゲノムが検出された。本結果から、抗体陽性カニクイザルがTGにBウイルスを保有する潜在的リスクは最大40%であり、ウイルスは片側あるいは両側TGに分布することが示唆された。

第2節 カニクイザルTGに潜伏感染しているBウイルスゲノムコピー数の定量:Bウイルスの再活性化を調べるために、20頭の抗体陽性カニクイザルの末梢血単核球(PBMC)からBウイルスゲノムの検出を試みた。さらに、定量PMH法によりカニクイザルTG中のBウイルスゲノムコピー数を定量した。20頭のカニクイザルにおいて、PBMCからBウイルスゲノムは検出されず、TGにおけるBウイルスゲノムコピー数は、104.8〜106.6コピー/TGであった。以上から、これらの抗体陽性カニクイザルにおいてBウイルスの再活性化は起こり得ておらず、104.8〜106.6コピー/TGの範囲でBウイルスが潜伏感染していることが示唆された。

第3章:カニクイザルTG由来Bウイルス検体の塩基配列解析

カニクイザルTG由来13検体のBウイルスについて、US5の大部分とその3'側非翻訳遺伝子間領域の塩基配列を解析した。同一個体の左右TG由来Bウイルス検体の塩基配列はそれぞれ同一であること、および13検体が互いに近縁であることが示された。さらに、カニクイザルTG由来検体および既報のマカカ属サル由来Bウイルス株の塩基配列に基づいた系統樹より、カニクイザルTG由来検体は、既報のアカゲザル、ブタオザルのBウイルス株と異なりカニクイザル由来株と同じ遺伝子型に分類された。しかし、カニクイザル由来Bウイルス間にも、TG由来検体と既報の株間には遺伝的距離があることが示された。以上の結果は、Bウイルス遺伝子型が宿主マカカ属サル種に関連するという、Smithらの報告(1998)を支持した。さらに、カニクイザル由来Bウイルス間に宿主個体群の地理的分離による遺伝的差異が存在する可能性が示唆された。

本論文は獣医公衆衛生上、ウイルスの分子疫学上、獣医学領域での貢献が多大である。

よって、審査委員一同、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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