学位論文要旨



No 121329
著者(漢字) 李,永仲
著者(英字)
著者(カナ) イー,イヨンジュン
標題(和) ヒト免疫不全ウイルス(HIV)のアクセサリー遺伝子機能に関する分子基盤研究
標題(洋) Molecular basic studies on the function of accessory genes of human immunodeficiency virus(HIV)
報告番号 121329
報告番号 甲21329
学位授与日 2006.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3042号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 明石,博臣
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 助教授 久和,茂
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
内容要旨 要旨を表示する

ヒト免疫不全ウイルス(human immunodeficiency virus: HIV)は後天性免疫不全症候群(aquired immune deficiency syndrome: AIDS)の原因ウイルスである。HIVはレトロウイルス科、レンチウイルス属に分類されるprimate immunodeficiency virus(霊長類免疫不全ウイルス)の一種であり、HIV-1とHIV-2の2種類が知られている。特にHIV-1は病原性が強く、またアジア・アフリカ諸国を中心として現在も感染が拡大している。

HIV-1遺伝子は通常のレトロウイルスと異なり、構造遺伝子(gag, pol, env)のみならず調節遺伝子(tat, rev)及びアクセサリー遺伝子(vif, vpr, vpu, nef)から構成されている。特にアクセサリー遺伝子はその発見当初機能的意義が明らかでなかったことから名付けられたが、その後の研究によりウイルス複製・増殖に関与するのみならず様々な宿主細胞への調節機能を通じて持続感染や病態発現に重要な役割を果たすことが明らかにされてきた。しかしながらその分子レベルでの作用機序についてはまだ多くの謎が残されている。そこで本研究では、このようなアクセサリー遺伝子の中でも近年特に注目されているvif 及びnef遺伝子に着目し、その機能発現に関わる分子機構を明らかにすることを目的とした。

第1章 Nef蛋白によるMHC-I発現制御機構に関する研究

nefは霊長類レンチウイルスに共通に存在する遺伝子であり、AIDS発症に重要な役割を果たしている。アカゲザルにおけるSIV感染実験結果により、Nefを欠損させたSIVはウイルス増殖が抑制され、AIDS発症に不可欠であることが初めて明らかとなった。また、AIDS長期未発症者におけるHIV遺伝子を解析した結果では、nef遺伝子部位における変異、あるいは欠損が確認され、AIDSの病態進行にnef遺伝子が関与していることが示唆されている。Nefの主な三つの機能、すなわち(1)CD4およびMHC-Iの発現抑制、(2)感染細胞のシグナル伝達制御、(3)ウイルス感染性の増強効果、のなかでも特にMHC-I発現抑制は、ウイルス感染細胞の特異的CD8+CTLからのエスケープ、つまりウイルスが宿主の細胞性免疫を回避するといった重要な役割を果たしており興味深い。しかし、その分子メカニズムは未だに不明の部分が多い。

これまでの報告では、NefのN末端側の二つの領域、すなわちMet20およびEEEE62-65がMHC-I発現抑制を規定していることが知られている。後者に関しては細胞内輸送に関わる蛋白であるPACS-1がその関連宿主因子であることが示唆されている一方、Met20についてはその詳細は不明である。NefのMet20の近傍にはアルギニンが4つ存在し(17,19,21,22位)、塩基性クラスターを形成している。Nefのようなミリストイル化蛋白では、この正電荷クラスターは細胞膜に存在する酸性リン脂質(負電荷を持つ)と相互作用することにより、ミリストイル基による膜局在を補強することが知られている。そこで、Nefが有するこの塩基性クラスターがMHC-I発現抑制機能に果たす役割を検証するため、この塩基性クラスター部位の置換変異体Nef蛋白(Arg→Ala:R4A変異体)を作成し、そのMHC-I発現抑制機能を解析した。

その結果、予想に反しR4Aは野生型Nefとほぼ同等の機能を維持している事が示され、従ってこの塩基性クラスター自体はMHC-I発現抑制に関与していない事が強く示唆された。この結果を受け、次にMet20周辺における保存性の高いアミノ酸残基の検討を行ったところ、Met20に加えてTrp13、Val16がNef機能発現に関与していた。以上のことより、MHC-I発現抑制機能の発現にはNefのN末端部位の塩基性クラスターではなく、離れた3箇所のアミノ酸残基が関与している事が明らかとなった。

この3アミノ残基の機能的意義を解析する目的で、これまで報告のあるNefのNMRデータを元に構造解析シミュレーションを行った。その結果、Val16・Met20はその側鎖でミリストイル基とその側鎖でミリストイル基と、またTrp13はTrp5の側鎖とそれぞれ疎水結合する事により、Nef蛋白がミリストイル基をCore構造内部に格納するという三次構造変換、いわゆるミリストイル・スイッチがMHC-I発現抑制機能の発現に関与している可能性が初めて示された。本研究結果は、HIVによる宿主細胞性免疫からの回避機構を分子レベルで解明するための重要な知見であると考えられた。

第2章 Vif蛋白によるウイルス成熟過程の制御に関する研究

vif遺伝子はEIAVを除く全てのレンチウイルスに存在し、その遺伝子産物であるVif蛋白はウイルスの複製に必須である。近年の研究より、Vif蛋白はリンパ球やマクロファージなどの自然宿主細胞内において、抗HIV因子APOBEC3Gのプロテアソーム分解を促進することによりHIV感染性を増強することが明らかとなった。一方、Vif蛋白は細胞内APOBEC3G発現量に関係なくウイルス粒子へ取り込まれる。特に、Vif蛋白はウイルスゲノムRNAやヌクレオカプシド依存性にウイルス粒子に取り込まれ、粒子内ではCoreにおけるウイルスゲノムRNAと共局在することから、何らかの機能的役割が予想されていた。興味深いことに、Vifを細胞内で過剰発現すると、それに相関してウイルス粒子内Vif(v-Vif)も増加し、結果としてウイルス感染性が顕著に低下する。特に過剰量v-VifはGag p2/NCプロセシングのみを特異的に抑制することでウイルス成熟過程を阻害し、この作用はVif N末端側領域により規定されているとともに、この作用はpermissive cellで産生されたウイルスでも認められることから、APOBEC3Gと独立した新たなVif機能を反映しているものと考えられた。そこで本章では、v-Vifによるウイルス成熟制御作用に寄与する機能領域を明らかにし、もってv-Vifの生理学的な機能解明の基盤とすることを目的として研究を行った。

その結果、Vifの10-13アミノ酸残基を欠損した変異体M-3およびその欠失アミノ酸残基をアラニンに置換したM-3/4A変異体は感染性抑制作用が失われることが明らかとなった。また、M-3およびM-3/4A変異体の細胞内発現やウイルス粒子への取り込み効率はほとんど野生型Vifと同程度であったこと、さらにウイルス粒子への取り込み量を増加させてもウイルスプロテアーゼによるGag p2/NC cleavageの阻害効果および感染性抑制効果が見られなかったことから、10VWQV13アミノ酸残基はv-Vif作用を規定するドメインであることが示された。本研究結果は、v-Vifに関する機能的役割に関するこれまでの報告を実証すると共に、v-Vifのウイルス成熟制御作用に係る分子機構を解明する上で重要な知見であると考えられた。

結語

エイズウイルスは、進化過程において、通常のレトロウイルスには見られないアクセサリー遺伝子群を獲得することによって、免疫機構の中心的プレーヤーであるCD4+T細胞への感染性およびCTLからの回避能力を獲得した。このことは、これまで多くのレトロウイルスが宿主との共存を果たしてきたのに相反し、エイズウイルスが宿主を死に至らしめる結果をもたらすこととなった。このようなウイルスの進化がもたらす人類への脅威が、僅か20kD程度のアクセサリー蛋白によって規定されていることは非常に感慨深い。

審査要旨 要旨を表示する

ヒト免疫不全ウイルス(human immunodeficiency virus: HIV)は後天性免疫不全症候群(aquired immune deficiency syndrome: AIDS)の原因ウイルスである。HIV-1は多くのアクセサリー遺伝子を有しており、アクセサリー遺伝子はウイルスの複製・増殖に関与するのみならず持続感染や病態発現に重要な役割を果たすことが明らかにされてきた。しかし、その分子レベルでの作用機序についてはまだ多くの謎が残されている。本論文では、このようなアクセサリー遺伝子の中でも近年特に注目されているvif 及びnef遺伝子に着目し、その機能発現に関わる分子機構を明らかにすることを目的としている。

第1章 Nef蛋白によるMHC-I発現制御機構に関する研究

nef遺伝子はAIDS発症に重要な役割を果たしている事がアカゲザルにおけるSIV感染実験やAIDS長期未発症者由来のHIV遺伝子解析結果から示唆されている。特にMHC-I発現抑制機能は、ウイルスが宿主の細胞性免疫を回避するといった重要な役割を果たしており興味深い。しかし、その分子メカニズムは未だに不明の部分が多い。

これまでNefのN末端側のMet20及びEEEE62-65がMHC-I発現抑制を規定していることは知られているが、その詳細は不明である。一方、Nefのようなミリストイル化蛋白ではN末端の塩基性クラスターがミリストイル基による膜局在を補強することが知られている。この事実に着目し、NefのMet20の近傍にある塩基性クラスターがMHC-I発現抑制機能に果たす役割を検証するため、この塩基性クラスターの置換変異体(Arg→Ala:4A変異体)を作成し、MHC-I発現抑制機能を解析した。その結果、塩基性クラスター自体はMHC-I発現抑制に関与していない事が示唆された。

次にMet20周辺における保存性の高いアミノ酸残基の検討を行ったところ、Met20に加えてTrp13、Val16がNefのMHC-I発現抑制機能に関与している事が明らかとなった。この3アミノ残基の機能的意義を解析する目的で、これまで報告のあるNMRデータを元に構造解析シミュレーションを行った。その結果、Val16・Met20はその側鎖でミリストイル基と、またTrp13はTrp5の側鎖とそれぞれ疎水結合する事による三次構造変換、いわゆるミリストイル・スイッチがMHC-I発現抑制機能の発現に関与している可能性が初めて示された。本研究結果は、HIVによる宿主細胞性免疫からの回避機構を分子レベルで解明するための重要な知見であると考えられた。以上から、エイズウイルスは免疫機構の中心的プレーヤーであるCD4+T細胞への感染性及びCTLからの回避能力を持っていることが明らかになった。このことは、これまで多くのレトロウイルスが宿主との共存を果たしてきたのに相反し、エイズウイルスが宿主を死に至らしめる結果をもたらすこととなった。このようなウイルスの進化がもたらす人類への脅威が、僅か20kD程度のアクセサリー蛋白によって規定されていることは非常に興味深い。

第2章 Vif蛋白によるウイルス成熟過程の制御に関する研究

Vif蛋白は、抗HIV因子APOBEC3Gのプロテアソーム分解を促進することによりHIV感染性を増強することが知られている。一方、ウイルス内Vif蛋白(v-Vif)を増加させるとウイルス感染性が顕著に低下すると共に、ウイルスプロテアーゼによるGag p2/NCプロセシングが特異的に抑制されることも報告されている。この作用はVif N末端側領域により規定されていると考えられている。そこで本章では、v-Vifによるウイルス成熟制御作用に寄与する機能領域を明らかにし、v-Vifの機能解明の基盤とすることを目的としてリバースジェネティック手法により、アミノ酸の欠失および置換を起こした多くのプロジェニーウイルスを作成し、研究をすすめた。その結果、Vif N末端の10VWQV13アミノ酸残基の欠失および置換変異体は発現量が増加しても感染性抑制効果及びGag p2/NCプロセシング阻害を起こさないこと、このv-Vif作用を規定するドメインそのものであることが示された。本研究結果は、v-Vifに関するこれまでの報告を実証すると共に、v-Vifのウイルス成熟制御作用に係る分子機構を解明する上で非常に重要な知見であると考えられる。

本論文はエイズウイルスのアクセサリー遺伝子に注目し、その機能をリバースジェネティック法を用いて分子遺伝学的に証明したものであり、、獣医学領域での貢献が多大である。よって、審査委員一同、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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