No | 121037 | |
著者(漢字) | 桧垣,正吾 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ヒガキ,ショウゴ | |
標題(和) | 大気中微量気体濃度測定におけるステンレススチール表面からのメタンおよびハロゲン化メチル発生過程の解明 | |
標題(洋) | Emission of Methane and/or Methyl Halides from Stainless Steel Surface in the Determination of Atmospheric Concentration of Trace Constituents | |
報告番号 | 121037 | |
報告番号 | 甲21037 | |
学位授与日 | 2006.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第4837号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 化学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 大気中微量気体成分の一つであるメタンは地球温暖化の原因となる温室効果ガスであり、そのため大気中濃度の経年変化を知ることが不可欠である。大気中メタン濃度の約200年前からの急激な増加は、人間活動の活発化によるものであると考えられている。人間活動以外の自然起源の大気中濃度を評価するために、南極などの氷床コアから取り出された氷試料に気泡として閉じこめられた太古の大気中の濃度測定が行われている。メタン同様、温室効果ガスとしてその濃度の経年変化を知ることが不可欠なCO2やN2Oは水に溶解しやすいため、氷床コア試料は凍ったまま真空排気された容器中でミリングカッターなどによる粉砕法により気泡が取り出される。その際に、ステンレススチール(SS)の衝撃・変形等によりメタンの汚染が起こることが広く知られているが、原因は明らかにされていない。また、MSOと呼ばれる、高真空中でSSに機械的な摩擦や刺激を与え塑性変形が起こると、気体が発生する単純な焼き出しや脱ガスでは回避することができない現象が知られている。変形が起こるとメタンが放出されることのみ報告されているが、メカニズムの明確な解明はなされていない。 SSの衝撃・変形等によるメタンの生成過程を解明するには、例えば、SSにトレーサーとして重水素(D)を導入して、質量分析計で検出する手法が考えられる。しかし、質量分析ではメタンはCH4+よりもCH3+となりやすい。そのため、CH2D+とCH4+との分別定量に高分解能が必要であり、困難である。そこで、ラジオアイソトープのトリチウム(3H、以下T)を用い、放射線検出器を備えたラジオガスクロマトグラフ装置(Radio-GC)を新たに製作して使用した。SSの表面積を広くし、SS同士の摩擦や衝突による衝撃を与えるため、SS製容器に大量のSS小球を入れ、その内部表面に種々の方法でTを浸透させた。その容器をシェーカーで振盪することによりメタン発生を再現し、SSからのメタン生成過程を解明することを目的とした。 また、SS製大気試料容器に環境大気を採取・保存した場合、採取後半年から2年間程度にわたり、ゆっくりではあるがハロゲン化メチルの濃度増加が見られることが種々の研究機関で指摘されている。吸着、脱着、反応、汚染の可能性についてこれまで検討されてきたが、その原因は未だ明らかにされていない。その生成過程を解明することも試みた。 SSからのメタン生成過程を解明するための実験には、SS316 製小球(直径3mm)を約1800個(体積25cm3、表面積500cm2)入れたSS316製容器(内容積50cm3、厚さ1.7mm、内表面積103cm2)を使用した。各容器にD2希釈のT2 (T2/D2=0.24%または0.27%)を導入し、異なる4種類の方法でTをSSに浸透させた。容器を46時間加熱のみ行ったものをThermal法とする。46時間の加熱の内、24時間シェーカーで(240回/分)振盪したものをMechanical法とする。加熱後の容器に残った気体を分析し、SS中に浸透したTの量を算出した。Table 1 に各方法でSS中に浸透したTの量および割合を示す。その後、容器内に残った気体は高真空に排気した。 上記の方法で作成した容器にHeを15 kPa導入し、全体を各温度で30分間加熱した。その後、加熱したままシェーカーで15分間(240回/分)振盪した。 発生した気体の測定には、自分で設計・作成したRadio-GCを用いた。Fig. 1に流路図を示す。容器内で発生した気体は、真空ラインによりドライアイス−エタノール浴のTrap 1で水蒸気が除かれ、液体窒素温度のTrap 2に低温濃縮される。流路を切り替えた後、Trap 2 を90℃に加熱することで、分離カラムで分離された後に検出器へ導入される。四方バルブを切り替えることにより異なる2つの検出器に導入できる。CH4の定量にはFIDを、CH3TおよびHTの定量にはガスフロー型比例計数管を用いた。測定後、容器内の気体は高真空に排気して、同じ容器で繰り返し実験を行った。 いずれの方法でTをSS中に浸透させた容器においても、容器に15 kPaのHeを導入して振盪すると、バックグラウンド大気中濃度(約2ppmv)よりも高濃度のCH4が再現性良く発生することが明らかになった。また、同時にCH3TおよびHTが発生することも明らかになった。 Fig. 2に227℃Thermal法によりSSにTを浸透させた容器で発生したCH4、CH3TおよびHTの放出量を示す。1日目から14日目まで、He雰囲気での容器の振盪による各気体の放出量は、容器を振盪する際に加熱する温度によって変化し、回数を重ねるに従って減少した。メタンの比放射能(CH3T/CH4)は、加熱する温度によらず、回数を重ねてもほぼ一定であった。また、CH3T/HTは回数を重ねるに従って減少する傾向が見られた。これらのことは、メタン源となる炭素含有物質(CH3など)の放出量が変化していると考えることにより説明できる。 容器を振盪しない場合には、加熱した場合にHTのみ発生するが、CH4およびCH3Tは加熱のみでは全く放出されなかった。このことから、SS表面に存在する酸化膜がメタン(CH4およびCH3T)放出を制御していると考えられた。そのことを確認するために、容器に導入する気体をO2に変えて同様の実験を行うと(15日目から18日目)、CH4、CH3TおよびHTは加熱して容器を振盪しても全く放出されなくなった。その後、再び容器に導入する気体をHeに戻して(19日目以降)振盪する実験を行うと、CH4、CH3TおよびHTが再現性良く放出されるようになった。また、120℃Thermal法および120℃ Mechanical法によりSS にTを浸透させた容器で、He 90%と酸素10%の混合気体を導入して容器を振盪した場合にも、同様の現象が確認された。SS 中のメタン源が尽きたものによることではないことは、再びHeのみを加えて振盪するとCH4 およびCH3T が発生することから明らかである。 70℃ Mechanical法では、120℃Thermal法とほぼ同量のT2 in D2を容器に導入し、同程度SS中に浸透した。このことから、加熱だけではなく容器の振盪によっても、TはSS中に浸透すると考えられた。70℃Mechanical法でSSにTを浸透させた容器で発生したCH4、CH3T およびHTの放出量をFig. 3に示す。放出されるCH4の量は高温ほど増加するが、回数を重ねてもあまり変化しなかった。HTおよびCH3Tの放出量は温度により変化し、温度が高いほど増加した。CH4とは異なり、回数を重ねるに従って低下した。一方、メタンの比放射能は回数を重ねるに従って減少したことから、SS中でHに対するTの分布は表面近くで高いと考えられた。また、CH3T/HTは回数を重ねても変化しなかった。 以上の実験結果から、SSからのHTの生成過程は以下のように考えられる。He雰囲気で、加熱はしても容器を振盪しない場合には、HTのみ発生した。これは、SS内部に存在するHまたはTが加熱により酸化膜を通過し、互いに結合してHTを生成することによるものである。容器を振盪すると、振盪なしでは放出されない低い温度でもHTが放出されることから、衝撃により酸化膜の一部が一時的に破壊され、その部分からHまたはTの放出が促進されると考えられた。O2存在雰囲気では、容器を振盪してもHTは発生しなくなった。このことから、酸化膜を通過するHまたはTは、互いに結合してHTを生成するよりも、容器内に大過剰に存在するO2と反応して水を生成しやすいと考えられた。 一方、SSからのメタンの生成過程は以下のように考えられる。He雰囲気で容器を振盪しないと、メタンは発生しない。しかし、振盪すると発生するのは、衝撃によって酸化膜の一部が一時的に破壊されることにより、その部分からSS中に存在するメタン源となる炭素含有物質の放出が促進され、HまたはTと結合してメタンを生成することによると考えられた。O2存在雰囲気では、容器を振盪してもメタンは発生しなくなった。このことから、HまたはTがSS から放出される炭素含有物質と結合するよりも、容器内に大過剰に存在するO2 と反応して水を生成しやすいため、メタンがほとんど生成しなくなったと考えられた。 ハロゲン化メチルの生成過程を解明するための実験には、SS304 製小球(直径3mm)を約1800個(体積25cm3、表面積500cm2)入れたSS304 製大気試料採取容器(内容積2050cm3)を用いた。120℃で高真空排気後、容器にHeに O2を0%から30%の各割合添加したものを120℃で1気圧となるように導入し、120℃で60時間加熱しながら静置してハロゲン化メチルを発生させた。CH3C1 およびCH3Brの定量にはGC/MS装置を、CH4 の定量には上記のFID-GC装置を用いた。測定後、容器内の気体は高真空に排気して、同じ容器で繰り返し実験を行った。一連の実験後、同様に気体を導入して120℃で60時間加熱し、そのうちの最初の3時間または最後の3時間を上記のTを用いた実験と同様に振盪してCH4およびハロゲン化メチルを発生させた。Fig. 4に発生した気体の濃度を示す。SS316を用いた上記の実験と同様に、He雰囲気で振盪するとSS304製容器からもCH4 が発生した。また、振盪しない場合にCH4は発生せず、O2を添加すると振盪してもCH4が発生しなくなるのも同様であるが、逆にCH3C1およびCH3Brの発生量はO2添加により多くなった。このことから、ハロゲン化メチル生成過程が酸化膜との関係性が低いことが明らかになった。 この結果から、SSからのハロゲン化メチル生成過程は以下のように考えられる。He 雰囲気では、SS中に存在する炭素含有物質がSS の表面ないし表面近くに存在する微量のハロゲンと反応してハロゲン化メチルを生成する。一方、O2存在雰囲気では、SSから放出されるHがO2との反応と競合するため、炭素含有物質がハロゲンと反応する割合が増加すると考えられる。このため、酸素が含まれる環境大気試料では、SS容器内で保管中にメタンの汚染は起きないのにハロゲン化メチルの汚染が起きる現象が確認された。 以上のように、これまで世界中の大気測定の研究機関で現象として確認されながら、その原因が解明されていなかったSSの衝撃・変形によるメタン生成過程を、ラジオアイソトープのトリチウムを用いて初めて明らかにした。この情報は、核融合炉の研究において主要な金属材料であるSSと主要な燃料であるトリチウムとの相互作用によるトリチウム化メタンの生成解明・その制御にも有用であり、同分野における展開も期待される。さらに、環境大気試料のSS製容器中保存時におけるハロゲン化メチル汚染についても、メタンの生成過程と併せて考察することで、その生成過程が定量的に示された。 Table 1. Injected tritium in SS by several methods. Figure 1. A schematic diagram of the Radio-GC system. Figure 2. (a) Emission of CH4 from SS316 canister with SSballs inside (tritium injected by 227℃ thermal method)observed by FID-GC after the 15 min shaking.(b) Emission of HT (above, smaller symbols) and CH3T(below) both observed by Radio-GC after the 15 min shaking.◆: 25℃, ●: 70℃, ◇: 120℃, ○: 200℃.Symbols with ※ at between the 6th and 8th day are resultswithout shaking; ○: 70℃, ◆: 120℃, ●: 200℃. Figure 3. (a) Emission of CH4 from SS316 canister with SSballs inside (tritium injected by 70℃mechanical method)observed by FID-GC after the 15 min shaking.(b) Emission of HT (above, smaller symbols) and CH3T(below) both observed by Radio-GC after the 15 min shaking.Symbols are as described in Figure 2. Figure 4. Emission of methane and methyl halides fromSS304 canister and balls.(a) Without shake. (b) With shake.●: CH4, ◆: CH3C1, ▼: CH3Br (O2 0%).Open symbols represent samples containing O2 10 - 30%. | |
審査要旨 | 本論文は、全6章からなる。 第1章は、イントロダクションとして、本研究の目的と、そのバックグラウンドが述べられている。地球温暖化をもたらす温室効果ガスであり大気中微量気体成分の一つである大気中メタン濃度の太古までの経年変動は、南極などの氷床コアから取り出された氷試料に気泡として閉じこめられた太古の大気を取り出して濃度測定が行われている。しかし、凍結氷床コア試料のミリングカッターなどによる粉砕法では、ステンレススチール(SS)の衝撃・変形等によりメタンの汚染が起こることが世界の研究機関で知られているが原因は明らかにされていない。また、MSOと呼ばれる高真空中でSSに機械的な摩擦や刺激を与え塑性変化が起こると気体が発生する現象も知られているが、メカニズムの解明はなされていない。これらSSの衝撃・変形等によるメタンの生成過程を解明するため、本研究では、初めてラジオアイソトープのトリチウム(以下T)を導入し、放射線検出器を備えたラジオガスクロマトグラフ装置を新たに製作してその挙動を放射能により追跡した。SS金属表面積を大きく、金属同士の摩擦や衝突による衝撃を与えるため、SS製容器に大量のSS製小球を入れ、その内部表面に種々の方法でTを浸透させた。その容器をシェーカーで振盪することによりメタン発生を再現し、SSからのメタン生成過程を解明した。また、SS製大気試料容器に環境大気を採取・保存した場合、次第にハロゲン化メチルの汚染が見られることが多くの研究機関で指摘されているが、原因が明らかにされていないことから、その生成過程を解明することも試みた。 第2章では、先ず、SSからのメタン生成過程を解明するための、新たな分析のための実験装置の製作と測定操作条件の検討等が記されている。さらに、SSからの気体発生を再現するための容器の作成と衝撃を与えるためのシェーカーを利用した振盪の工夫、放射性トレーサーTの金属表面への導入について記述してある。これら、実験装置と実験方法は、論文提出者が自ら設計・制作したもので、同人の寄与が大きい。異なる4種類の方法でTをSSに浸透させ、SSに取り込まれたTを定量し、その分布を見積もった。 第3章では、上記の方法で作成したトリチウムを浸透させた容器にヘリウムを導入し、全体全体を均一に加熱し、あるいは、加熱したままシェーカーで振盪した。容器内で発生した気体を真空ラインおよび低温濃縮装置により捕集・精製した後、ガスクロマトグラフで分離し、異なる2つの検出器で検出・定量した。メタン(CH4)の定量にはFIDを、放射性のトリチウム化メタン(CH3T)およびトリチウムガス(HT)の定量にはガスフロー型比例計数管を用いた。測定後、容器内の気体は高真空に排気して、同じ容器で繰り返し実験を行った。いずれの方法でTをSS中に浸透させた容器においても、容器にヘリウムを導入して振盪すると、バックグラウンド大気中濃度よりも高濃度のCH4が再現性良く発生することが明らかになった。また、同時にCH3TおよびHTが発生することも明らかになり、繰り返したときの結果から、これらの放出過程を推定した。 第4章では、以上の結果から、SS表面に存在する酸化膜がメタンの放出を制御していると考えられたので、そのことを確認するために、容器に導入する気体を酸素に変えて同様の実験を行うと、CH4、CH3T、HTはいずれの温度でも全く放出されなくなった。その後、容器に導入する気体を再びヘリウムに戻して同様の実験を行うと、すべてが再び再現性良く放出されるようになった。 これらの実験結果では、ヘリウム雰囲気で加熱はしても容器を振盪しない場合にはHTのみが発生した。これはSS内部に存在するHまたはTが加熱によりSS表面に存在する酸化膜を通過し、互いに結合してHTを生成することによるものである。一方、容器を振盪すると、その衝撃により酸化膜の一部が一時的に破壊され、その部分からHまたはTの放出が促進されると考えられた。酸素を添加した条件では、容器を振盪してもHTが発生しないことから、酸化膜を通過するHまたはTは、HTを生成するよりも、容器内に存在する酸素と反応して水(HTO,H2O)を生成すると考えられた。 一方、SS金属からのメタンの生成は、ヘリウム雰囲気で容器を振盪した場合に限りCH4、CH3Tが発生したことから、衝撃によって酸化膜が一時的に破壊され、SS中に存在する炭素を含む物質およびHとTの放出が促進され、それらが結合してCH4やCH3Tを生成したと考えられた。酸素を添加した条件では、容器を振盪してもメタンは発生しなったことから、TやHはSSから放出される炭素を含む物質と結合するよりも、容器内に存在する酸素と反応しやすいため、CH4とCH3Tが生成しなくなったと考えられた。 第5章では、保管した大気試料のSS金属容器からの臭化メチルや塩化メチル等のハロゲン化メチルの汚染の過程を解明するため、SSの小球を入れた全SS製大気試料採取・保存容器で実験を行っている。高真空排気後、容器に酸素量を変えたヘリウムを充填して、長時間加熱あるいは振盪して発生する超微量気体を真空ラインで低温濃縮した後、ガスクロマトグラフで分離し、メタンはFID検出器で、ハロゲン化メチルは質量分析計で検出・定量した。測定後、容器内の気体は高真空に排気して、繰り返し同じ実験を行った。メタンの発生および酸素の添加による影響は、第4章の結果と同じであった。しかし、臭化メチルや塩化メチル等のハロゲン化メチル発生量は、逆に、酸素の添加によってむしろ増加することが明らかになった。この結果から、酸素が含まれる環境大気試料では、SSから放出されるHは酸素との反応と競合するため、メタン源となる微量の炭素を含む物質が、SS表面ないし表面近くに不純物として存在する微量のハロゲンと反応する割合が増加する。このため、SS容器内で大気試料を保管中にメタンの汚染は起きないのにハロゲン化メチルの汚染が起きる現象が確認された。 第5章は、研究全体の成果をまとめている。これまで世界中の研究機関で現象が確認されながらその原因が解明されていなかったSSの衝撃・変形によるメタンの生成過程を、ラジオアイソトープのトリチウムを用いて詳細に明らかにすることができた。さらにメタンの生成同様、その原因が解明されていなかった大気試料のSS製容器での保存時におけるハロゲン化メチル汚染についても、その生成過程を明らかにした。 以上、本論文における問題点の所在は指導教官の示唆に基づくものであるが、装置の製作から各実験、測定は論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与が十分である。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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