学位論文要旨



No 120890
著者(漢字) 菅野,幸子
著者(英字)
著者(カナ) スガノ,ユキコ
標題(和) プロクロス『ユークリッド原論第1巻注釈』の哲学と数学
標題(洋)
報告番号 120890
報告番号 甲20890
学位授与日 2006.03.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第623号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今井,知正
 東京大学 教授 村田,純一
 東京大学 助教授 野矢,茂樹
 東京大学 助教授 岡本,拓司
 東京大学 教授 山本,巍
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、古代末期の新プラトン主義者プロクロス(ca.411-485AD)が、哲学の中で数学(とりわけ幾何学)をどのように位置づけ、いかなる学問と考えていたのかを、その著『ユークリッド原論第1巻注釈』(以下『原論注釈』と略記)の内容を検討しながら論じた。プロクロスにとっての数学は、現代の我々が通常イメージするような抽象的な純粋数学などとは大きく異なる様相を呈している。それは古代末期に特有の哲学、特にその中の神学的宇宙論と密接に関連しており、きわめてグローバルな広がりを持つ世界であった。しかしながらこのことは従来の数学史家からはほとんど顧みられてこなかった。その理由はおそらく、ユークリッド『原論』は、およそ哲学などとは直接的にはほとんど関係ないとみなされていたためであると思われる。だが本論文では、プロクロス哲学の支柱ともいうべき神学的宇宙論との関連に注目して『原論注釈』の内容を検討した。

プロクロス『原論注釈』については、これまでT. L. ヒースをはじめとした多くの数学史家によって、ギリシャ数学のいわば資料集として扱われ、同書にはプロクロスの独自性はほとんどないとみなされてきた。確かに同書に数学的資料としての側面があることは否定できないが、それは『原論注釈』の本質的要素ではない。プロクロス自身は単に資料集を作成しようとしたわけではなく、それとは全く次元の異なる哲学的観点から同書を執筆したからである。本論文では、『原論注釈』を数学的資料とみなしてきた従来の数学史研究のあり方とは視点を変えて、そもそも『原論注釈』は本来どのような意味を持つ書であったのかを検討した。プロクロスは『原論』第1巻で扱われる幾何学的対象を、単なる平面幾何学の領域にとどめることなく終始哲学的に考察し、とりわけ宇宙論的な観点で解釈した。また『原論』の持つ演繹的構成についても、プロクロスは『原論』の体系性の背後に大きく宇宙論的な根拠を求めようとしている。そしてこれらの議論の背後には、プロクロス以前のプラトン、アリストテレス、新プラトン派などの哲学からの影響が見て取れる。

第1部ではまず、プロクロスが『原論注釈』を哲学研究の中でどのように位置づけ、『原論』をどのような目的で研究したのかを見た。プロクロスはアカデメイアの学頭という立場から、哲学教育の一環として同書を執筆したため、プロクロス哲学の一般的な特徴を概観した。その特徴は端的には、あらゆる存在は至高の「一者」から発出し、そして再び「一者」へ還帰するという考え方である。プロクロスは、ギリシャ古来の神々を「一者」「知性」「魂」の三つのレベルに段階づけ、「一者」を頂点とする体系を創ろうとした。このことは従来の数学史研究ではほとんど顧みられてこなかったことであるが、プロクロスの哲学と数学との関連を考える上では看過することのできない、きわめて重要な点であると筆者は考える。なぜならプロクロスは幾何学的対象についても、「一者」からの発出・還帰をするダイナミックな運動性を持つ存在であると考えたからである。また数学上の論証を行なう人間の思考過程についても、「一者」からの発出と還帰という流れの中で考察されている。このような考えの下でプロクロスは、『原論』を最終的には「宇宙図形」を把握するために必要な書であると考えた。また『原論』の体系性に学ぶことで、哲学を志向する者が魂をディアノイアから知性へと上昇させることを目指したのであった。

以上のプロクロス哲学の特徴をみた上で、『原論注釈』に関わるプロクロス以前の哲学の歴史を辿っていった。プロクロスが最大の拠り所としたプラトン哲学については、『国家』第6巻、第7巻を中心に考察した。プラトンは、数学的諸学科を彼の哲学の最高概念である「善のイデア」へ上昇するために必要不可欠な学科として捉えていた。数学は単にそれ自体として充足する一学問ではなく、ディアレクティケーに必要な頭脳を養成する学科である。したがって、数学的諸学科は算術、幾何学、天文学、音階学の全てに貫かれる共通のロゴスを鋭意、把握することこそが本来の目的であった。本章ではプラトンにとっての数学的諸学科の持つ学問的意義の一端を明らかにし、また『ティマイオス』の議論(宇宙の成り立ちや宇宙図形について)についても概観した。

次にアリストテレスの議論について、『形而上学』Μ巻、『分析論後書』を中心に検討した。新プラトン派はアリストテレス哲学を、プラトン哲学を理解するための予備学として位置づけていた。プラトンの場合は、数学的対象はイデアの似像であり、数学的対象の究明は「善のイデア」の観得へ繋がっていくという意味で、数学的探究をきわめて広くかつ高い次元で捉えていた。しかしアリストテレスは実体について、そして数学的対象について根本的にプラトンとは異なる捉え方をしており、プラトンのイデア論には批判的であった。アリストテレスは感覚される個物こそが実体であり、数学的対象については実体とはみなさない。数学的対象は感覚的事物から抽象して人間の思惟の上でのみ捉えられる存在であり、きわめて限定づけられたものであった。したがって、数学的探究はプラトンが考えていたほどには学問上重要な位置を占めず、結果として実体の解明のための補助的な役割しか持たなかった。そのためアリストテレスは宇宙論においても、プラトンのような「宇宙図形」や、宇宙の原型である知性的な存在も認めないことになる。

次にプロクロス以前の新プラトン主義哲学及び数学的議論を考察した。新プラトン派にとっては人間の魂の活動のあり方が、重要な探求課題であった。そのためにアリストテレスの「抽象主義」的見解についても一定の理解を示していた。なぜなら、彼らは「一者」へ近づくために自らの魂をどのようにしたら感覚界から叡智界へ、「一者」へと上昇できるのかを模索していたからである。

第2部では、『原論注釈』の内容に即してプロクロスの哲学及び数学的議論について論じた。

『原論注釈』序論では、数学が神学とどういう関係にあり、数学的対象が「一者」「知性」「魂」とどういう関係にあるのかという議論が重要である。プロクロスは、数学的諸学科の中でも神学により近い領域として「共通定理」という概念を提示する。この「共通定理」の中でも重要な要素となるのが比例論である。「共通定理」は数学史家の間でよく解説されるような、単に抽象的な量一般についての比例論などを意味するのでは決してない。「共通定理」は宇宙全体の創造に関わるもの、すなわち神々の領域に深く関わるものであり、神が構築した宇宙における各天体運動の諸関係から見出されるものであることが本論文で明らかにされた。また数学的対象の存在は全面的に知性に依拠しており、そこからディアノイア、さらにファンタシアへと投影されることで、人間の魂において把握されたものである。プロクロスは彼以前の新プラトン派に比べて、この投影の過程をより整序し克明に描き出した点が大きな特徴の一つである。

『原論注釈』本論では、『原論』第1巻の内容に即して、定義、公準、公理、そして各命題についての注釈が順に記されている。定義については、点、線、面、図形等の幾何学的対象の一つ一つを、プロクロスは宇宙に存在する諸々の事物の中に見出そうとする。また公準・公理についてはプロクロス以前の諸説が検討され、プロクロスなりに公準・公理を論理的に区別しようとする意図が見られ、『原論』全体の構成をより体系性あるものとして捉えようとするプロクロスの姿勢をみてとることができた。また命題については、プロクロスはディアレクティケーがどのようにして幾何学上の論証に適用されるのかを示している。ディアレクティケーの4つのあり方として「分割」、「定義づけ」、「解析」、「証明」(総合)が挙げられ、それらは魂の「一者」からの発出・還帰と重ね合わせて解釈されている。またプロクロスはある命題について、ユークリッド『原論』にはみられない、宇宙の無限性に関わる原理を公理として用いながら論じている。このことからプロクロスは幾何学を宇宙論との深い関連の中で捉えていたことがわかる。また『原論』にはないものを公理として取り入れたという意味で、この点でもプロクロスにはユークリッドより体系性のある幾何学を志向していた可能性がある。さらにプロクロスに特徴的なことは、『原論』第1巻全体を辿っていく際の魂の運動に着目していることである。魂は定義や公準、公理を把握すること、つまり「知性」から始まり、そこから「ディアノイア」へと降り、さらに「ファンタシア」のレベルで幾何学的対象を吟味し、そこから再び一般的な帰結へ、すなわち「知性」へと還帰するという魂の運動を、『原論』の学習を通して行なうことの必要性を説いているのである。プロクロスは『原論』の単なる解説に終始することなく、『原論』をいわば踏み台として、哲学的観点から幾何学研究をより秩序づけたものにし、神学的宇宙論を解明できるような研究のあり方を創り上げようとしていたのである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文はプロクロスの『ユークリッド原論第1巻注釈』を取り上げ、その「哲学と数学」について論じたものである。

プロクロスは古代末期の5世紀にアテナイの学園アカデメイアで活躍した新プラトン主義の哲学者であり、その著『ユークリッド原論第1巻注釈』(以下、『原論注釈』と略す)はユークリッド(ギリシア名「エウクレイデス」)の『原論』第1巻について著された注釈書である。従来、この書物は古代ギリシア数学の内実を後世に伝える貴重な「資料集」として評価され、T.L.ヒースをはじめとする多くの数学史家によって数学史の分野において研究されてきた。ユークリッドの『原論』が第一級の数学書であるとすれば、それに関する『原論注釈』も数学書の一つと見られることは理の当然というものであろう。しかし、このような『原論注釈』の見方は実は一面的であって、決して本来的で、全面的に正しいといえるものではない。なぜなら、プロクロスは、元来、哲学者であって、数学者ではないからであり、また『原論注釈』においては、数学に関する哲学的な議論や考察が新プラトン主義の哲学に基づいて、冒頭から展開されているからである。これらの事実はこの書物をたんに『原論』に関する数学的な注釈書として、あるいは古代数学に関する数学的な資料集として、つまり、一言でいえば、数学史の研究対象となる数学書として捉える従来の見方に疑問符をつけることになる。本論文提出者はこうした事実を正面から受け止め、『原論注釈』を本来的には数学書としてではなく、哲学書として捉えることによって、従来の見方を克服し、この書物をめぐる新たな見方と研究の地平を拓こうとする。すなわち、本来的にいえば、『原論注釈』は『原論』に関する哲学的な注釈書であり、また古代数学に関する哲学的な資料集である、と。『原論注釈』に関するこのような見方の転換こそ、本論文の特筆すべき主張であり、論述全体を貫く基本的な前提となる立場である。そしてこの主張の正しさを立証することが本論文の課題であり、それは論述全体を通して果たされることになる。

以上が本論文の動機となる基本的な主張とその課題である。

次に、本論文の全体の構成とその内容は以下の通りである。

本論文は、始めに「序論」と終わりに「結論」が置かれているが、それらを除いた全体は2部から構成されており、またそれぞれの部はともに4章から構成されている。まず、第1部は「プロクロス『原論注釈』を読むための予備的考察」と題され、本論文の基本的な主張を立証するための「予備的考察」が一つ一つ着実に展開される。はじめに、第1章「プロクロス哲学の中の数学」では、『原論注釈』の執筆の目的が「宇宙図形」という神学的宇宙論の対象を把握することと幾何学を学習する者の魂を「ディアノイア」(思考)のレベルで働かせることの二点にあることが述べられ、数学的諸学とその学習が哲学あるいは神学を頂点とする学問体系全体の中で捉えられていることが指摘される。次に、第2章「プラトンにとっての数学的諸学とは何か」では、新プラトン主義の母体であるプラトン哲学の存在論と知識論が『国家』第6巻および第7巻の叙述に基づいて、取り上げられる。そして数学的対象とそれに関わるディアノイアの身分がともに「中間的」であることが「線分の比喩」を通じて明らかにされ、数学的諸学が「善のイデア」をその対象とし、「ディアレクティケー」(問答弁証)をその方法とする「哲学」(愛知)のための「予備学」であることが示される。さらに、第3章「アリストテレスの数学的対象についての考察」では、主として『形而上学』M巻の論述によりながら、数学的対象の本質をめぐるアリストテレスの議論が彼の実体論の論脈の中で吟味される。そしてプラトンの実在論的な見解を批判し、数学的対象の実体性を否定する「抽象主義」と呼ばれる彼の概念論的な見解が取り出される。最後に、第4章「新プラトン派の哲学と数学」では、新プラトン主義の祖であるプロティノスの『エンネアデス』の諸論文によりながら、独特な仕方で「一者」を原理として立てる新プラトン主義の階層的一元論が捉えられるとともに、プロティノス以降のイアンブリコスやシュリアノスにみられる「抽象主義」の批判とそれに応じた「射影主義」の成立が説かれる。

続いて、第2部は「プロクロス『原論注釈』とはいかなる書か」と題され、『原論注釈』そのものの内容が「序論」と「本論」のそれぞれについて詳述され、その特徴が明らかにされる。最初に、第5章「プロクロス『原論注釈』序論第1部」では、数学的対象とディアノイアの「中間性」が改めて一般的に論じられると同時に、ディアノイアのもつ「媒介性」が新プラトン主義の「上昇」「下降」のダイナミズムと「射影主義」に基づいて、主張される。さらにプロクロスの説く「共通定理」の概念が抽象的な量一般に関する比例論という、純粋に数学的な概念を意味するのではなく、神による宇宙の創造と運動の原理という、プラトンの『ティマイオス』に由来するきわめて神学的かつ哲学的な上位概念を意味することが明らかにされる。次の第6章「『原論注釈』序論第2部――「幾何学」とは何か」では、タレスからユークリッドに至るギリシアの「幾何学史」が論証数学の公理体系の形成史・発展史として描かれるさまが述べられる。さらに幾何学的対象の認識が、知性の対象であるイデアないしエイドスが知性からディアノイアへ、さらには「ファンタシア」(表象)へと次々と「投影」されることによって成立するという、プロクロスの「射影主義」の内容が詳述される。さらに、第7章「『原論』第1巻の定義・公準・公理についての注釈」では、『原論注釈』の本論の最初に述べられる定義・公準・公理についての注釈がアリストテレスの『分析論後書』A巻の論述と比較されながら、考察される。そしてプロクロスにおいては、『原論』が純粋な幾何学書としてではなく、神学的宇宙論との繋がりにおいてはじめて理解される書として考えられていることが、「点」の定義についての注釈を例にして、説明される。最後に、第8章「『原論』第1巻の諸命題についての注釈」では、命題に関するさまざまなトピックス、たとえば、「定理」命題の「作図題」命題に対する優位性、命題の6区分とその哲学的意義、「分割」と「定義づけ」および「解析」と「総合」の相互関係、平行線公準の「証明」の問題、そして『原論』第1巻の諸命題の間の関係が取り上げられる。そして第1巻のそれぞれの命題を学習する場合であれ、また第1巻全体の諸命題を学習する場合であれ、それらの命題を学習する者の魂が知性からディアノイアへ、そしてファンタシアへと「下降」していき、そこからまた逆にディアノイアへ、さらには知性へと「上昇」していくと解されていること、そしてこの魂の「上昇」と「下降」の「運動」が「一者」からの「発出」と「一者」への「還帰」という、新プラトン主義の往還構造に基づいて、哲学的に解釈されていることが明らかにされる。そこで、こうした議論を承けて、『原論注釈』の性格について第8章の末尾で次のように主張される。すなわち、「プロクロスが記した『原論』の注釈は、単に数学的な解説ではなく、常に哲学的観点からなされたものであった」(233頁)、「我々は『原論注釈』を決して単なる『原論』についての一注釈書という意味に限定して捉えてはならない。同書はあくまでもプロクロスが彼自身の哲学構築のために取り組んだ、神学的宇宙論やそれに関わる幾何学等についての研究成果の一つなのである」(235頁)、と。

以上が本論文の構成とその内容の概略である。

さて、先述したように、本論文の基本的な主張は、本来的にいえば、プロクロスの『原論注釈』はユークリッドの『原論』に関する哲学的な注釈書であり、また古代数学に関する哲学的な資料集であるというものであった。本論文の内容についての叙述から知られるように、この主張は本論文の幾つかの箇所においてなされているが、とりわけ最終の第8章において十全かつ説得的な仕方でなされているとみることができる。これは、論述全体を通してこの主張の正しさを立証するという本論文の課題が以上で十分に果たされていることを意味する。加えて、本論文のこの営為はプロクロスを含む新プラトン主義の研究の中で高く評価されるものといえる。したがって、本審査委員会は本論文の主張とその営為を認め、本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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