学位論文要旨



No 120647
著者(漢字) 大崎,さやの
著者(英字)
著者(カナ) オオサキ,サヤノ
標題(和) ゴルドーニの演劇改革 : 同時代人の批評を通して
標題(洋)
報告番号 120647
報告番号 甲20647
学位授与日 2005.09.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人第500号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 浦,一章
 東京大学 教授 長神,悟
 東京大学 教授 月村,辰雄
 東京大学 助教授 村松,眞理子
 静岡文化芸術大学 教授 高田,和文
内容要旨 要旨を表示する

本論文では18世紀イタリア最大の劇作家、カルロ・ゴルドーニ(Carlo Goldoni, 1707-1793)が行った演劇改革の意義を問うた。この演劇改革はイタリア演劇史上で最も重要な事件であるとともに、当時のヨーロッパ諸国、特にフランス演劇との関係の深さを考慮すると、ヨーロッパ演劇史を語るうえでも画期的な出来事であった。本論文では、ゴルドーニの行った演劇改革の道のりを、ゴルドーニの自伝や作品を時代順に分析してゆくと同時に、作品をめぐる当時の作家たちの批評および改革をめぐる当時の議論について考察した。

ゴルドーニの演劇改革以前のイタリアの状況を概観すると、十七世紀後半から、ブーウールらフランスの文人達がイタリア文化の衰退を指摘、攻撃し始め、イタリアの文人達もその状況の打破を模索していた。イタリアの演劇について言えば、ゴルドーニの改革以前には、主に貴族階級出身の文人劇作家たちが、アリストテレスやホラティウスなどの演劇理論に則って書いた悲劇を中心とする「台本全体が書かれた」演劇と、旅芸人たちが庶民に向けて上演していた、筋書き以外のテクストを持たない「台本のない」即興喜劇、すなわちコメディア・デッラルテがあった。前者はすべての観客に向けたものとしては高尚すぎ、後者は低俗すぎたため、商業演劇として公共劇場にかけるには問題があった。イタリアの演劇改革が叫ばれたのはこうした状況下であった。

第1章ではゴルドーニに先立ってイタリアの演劇改革を志した二人の人物、コメディア・デッラルテの俳優および演劇理論家でもあったルイージ・リッコボーニと、リッコボーニに協力して演劇改革に取り組んだ文人貴族シピオーネ・マッフェーイの行った演劇改革の試みを、リッコボーニの演劇理論書『イタリア演劇史』と、マッフェーイ著の『演劇の歴史とその弁護』との比較分析により考察した。マッフェーイは、三一致の法則を守り、韻文で悲劇を書くことで改革を達成しようとしたが、そうした文人演劇人の理論が、演劇の現場に実際に立ち会う職業演劇人のリッコボーニの考えと相容れるはずもなく、アリオストの喜劇の上演失敗を最後に二人の演劇改革の試みは挫折した。

第2章ではゴルドーニの演劇改革の理念を探った。第1章でとりあげたシピオーネ・マッフェーイとルイージ・リッコボーニによって行われた演劇改革の動きと、ゴルドーニの目指した演劇改革のつながりは、パスクワーリ版ゴルドーニ『喜劇集』序文や、『回想録』中の記述から読みとることが出来る。さらに彼が演劇改革を宣言したとされる、1750年出版のベッティネッリ版『喜劇集』の序文と、作品『喜劇』(1750)を分析し、そこから彼の改革の指針を読みとった。重要な指針としては、道徳の手本を示すような喜劇を書くということ、俳優達に合わせて作品を書くということ、作品の中では自然を描くことが追求されなくてはならないということが挙げられ、以降ゴルドーニの作品にはこれらが反映されてゆくこととなる。

第3章では改革宣言を行った1750年を含む、1748年から1752年にかけてのサンタンジェロ劇場におけるメーデバック一座の座付き作家時代のゴルドーニの作品に焦点をあて、作品をめぐる当時の状況や、作品に対する批評を考慮に入れながら、演劇改革の実態を、作品の分析を中心に探った。

まず、改革宣言に先行する作品の中から、観客たちがゴルドーニ派とキアーリ派に分かれて論争する発端となった作品『狡賢い未亡人』(1748)を分析した。この作品はライバルのキアーリによってパロディー化されたが、キアーリは『書簡選集』でゴルドーニ作品を批判している。だがその批判は単なる中傷と言えるような根拠のないものである。さらにキアーリには演劇で観客を教育するという考え以外、ゴルドーニのような演劇改革の理念といったものは持っていなかった。

『骨董狂いの家族』(1749)をキアーリの評も交えて分析した。この作品は登場人物の嫁と姑が最後まで争い続ける物語で、完全なハッピーエンドでは終わっていないため、キアーリにも批判されたが、リアリズムの追求という点では成功している。

『喜劇』(1750)をゴッツィ、またバレッティの評を交えながら分析した。ゴッツィは『「巡礼旅籠」での「喜劇」』で、バレッティは文芸誌『文学の鞭』で、いずれもゴルドーニを批判したが、それらはゴルドーニの現実に合わせた作劇上の改革や言語上の実験を理解しない批判だった。

ゴルドーニ初のヴェネツィア方言喜劇、『高潔な娘』(1749)、その続編『良き妻』(1749)をゴッツィの批評を交えながら分析した。これらの作品でゴルドーニは、道徳の手本を示すことと同時に、ヴェネツィアの市井の人々の生活を、言葉も含めて活写するとに成功したが、ゴッツィは言語や内容を卑俗だとして非難を加えた。

仮面を付けない最初のゴルドーニ喜劇で、リチャードソンの小説を下敷きにした『パメラ』(1750)、その続編『結婚したパメラ』(1760)を、バレッティの評を交えながら分析した。『パメラ』には平等思想を唱える台詞がありながら、最終的に身分違いの結婚を否定するものとなっているということで、バレッティに批判された。だが『結婚したパメラ』評ではバレッティは身分違いの結婚を逆に非難しており、同時にゴルドーニの貴族描写を批判するという矛盾を犯している。バレッティの批判はゴルドーニを賞讃したヴォルテールにも及ぶ。

『コーヒー店』(1750)をバレッティの評を交えながら分析、さらにこの作品を下敷きにしたヴォルテールの喜劇『スコットランドの女』(1760)との比較を通して分析した。『コーヒー店』は登場人物の性格ではなく、人々の間の関係性やその状況を描いた喜劇で、全く新しいタイプの喜劇であった。『スコットランドの女』はコーヒー店を舞台としている点と主人公の真面目な性格がゴルドーニ作品と共通している。ヴォルテールはこの作品の序文で、演劇では人間の状況が描かれなくてはいけないという、ディドロの演劇理論を援用している。

ディドロの演劇とゴルドーニ作品との関連を、ディドロが『私生児』(1757)で模倣したと言われるゴルドーニ作『真実の友』(1750)との比較を通じて論じた。『私生児』のあらすじは『真実の友』とよく類似しており、ゴルドーニの影響が感じられる。またディドロが『『私生児』に関する対話』(1757)や『劇詩論』(1758)で唱えた市民劇理論には、ゴルドーニの演劇の影響が見られる。

第4章では1753年から1762年にかけての、サン・ルーカ劇場での座付き作家時代のゴルドーニを巡る演劇状況をとりあげた。

サン・ルーカ劇場は、それまでのサンタンジェロ劇場と比べて規模が大きく町の中心に位置していたため、どちらかというと伝統的な作品がレパートリーとして求められていた。この時代には『ペルシャの花嫁』(1753)といった大ヒット作品も生まれるが、同時にキアーリとの競争が激化していた。ゴルドーニの作品に対する批判も激しさを増していったのである。

貴族詩人ジョルジョ・バッフォに韻文詩で批判され、ゴルドーニ=キアーリ論争激化のきっかけとなった『イギリスの哲学者』(1754)を様々な批評を交えながら分析する。バッフォの批評に対抗して多くの人物が『イギリスの哲学者』擁護の韻文詩を書いたが、ゴルドーニ作品の賞賛者であったガスパロ・ゴッツィも擁護者の一人であった。『イギリスの哲学者』は、マルテッリ体で書かれた喜劇で、バランスの良い人生を送るための処世訓が哲学として盛り込まれているが、大きな展開も結婚によるハッピーエンドもない、極めて異例な作品で、その新しさゆえ論争を引き起こしたものと思われる。

ガスパロ・ゴッツィは『ガッゼッタ・ヴェネタ』紙上でゴルドーニ演劇の批評を展開したが、中でも重要な批評が書かれたヴェネツィア方言喜劇『ルステギ』(1760)および『新しい家』(1760)について批評を交えながら分析した。この二つの作品はゴルドーニがヴェネツィアを去る前の最後の時代に書かれた作品で、ガスパロはこれらの持つリアリズムを激賞、同様にゴルドーニ作品のリアリズムを賞讃したヴォルテールの韻文詩を『ガッゼッタ・ヴェネタ』に掲載した。

ゴルドーニは改革を通して、高尚でも低俗でもない《中庸の演劇》を作りだし、また道徳の手本を示すという自らの改革の目標を達成した。またヴェネツィア方言を用いることなど、自然を描き出すリアリズムの手法を生み出し、市井の人々のささやかな日常を舞台に現出させることに成功した。彼の作品はイタリアのみならず多くの賞讃や批判を受け、様々な論争を引き起こした。同時にフランスの啓蒙主義者たちの模倣の手本ともなり、彼らの演劇理論ひいてはヨーロッパ演劇の流れにも影響を及ぼしたと言えよう。

審査要旨 要旨を表示する

論文「ゴルドーニの演劇改革-─同時代人の批評を通して」は、18世紀イタリアの喜劇作家カルロ・ゴルドーニ(1707年生-1793年歿)が自己の創作活動の重大な課題とした演劇改革を主題とし、ゴルドーニに先立つ演劇改革の試みから説き起こし(第1章)、ゴルドーニ自身の改革理念を史料に基づきながら確定し(第2章)、この改革が舞台の上で実際に行なわれる興行活動としてはどのように推し進められていったかを、1748年から52年までのサンタンジェロ劇場時代(第3章)、1753年から62年までのサン・ルーカ劇場時代(第4章)と年代的に跡づけている。読まれることのみを目的とするのではなく、上演されることを目指した作品の場合、理念の実現は、役者集団の意識、聴衆の文化度・教養、文化の新たな流行・潮流、実際の興行成績およびそれに影響を及ぼす批評家らの動き等にさまざまな度合で左右され、それらと多かれ少なかれ妥協を強いられることになるが、これらの要素を積極的に視野に取り入れ、広範な史料を駆使しながら、演劇改革の理念とその実現形態を時系列的に明確に把握した点が大崎論文の最大の長所である。

ただし、イタリアの演劇改革をめぐる先行研究を総括し、自己の立場を明確にするために有機的に組み込む点では、いまだ不徹底さを残している。また、史料の読みの正確さの点では、まだ改善すべき箇所が散見される。時系列的なアプローチの結果、個々の作品に割り充てられるべきスペースが減り、十分に面白みが引きだされなかった憾みがある。しかし、この最後の点は別のアプローチの論文において補完されるものであろうし、複雑な現実のしがらみの中で進行していったゴルドーニの演劇改革を明晰に描きだした点は大きく評価できる。その記述は堅実な礎石であり、論文「ゴルドーニの演劇改革-─同時代人の批評を通して」を起点として、大崎氏の研究の今後の展開が大いに期待される。

よって、審査委員会は大崎論文が博士(文学)の学位に十分値するものとして、評価できるとの結論に達した。

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