学位論文要旨



No 120548
著者(漢字) 伊藤,いずみ
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,イズミ
標題(和) 複合現実感の都市組込みに関する研究
標題(洋) Mixed Reality Urban Subdivision
報告番号 120548
報告番号 甲20548
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学際情報学)
学位記番号 博学情第3号
研究科 学際情報学府
専攻 学際情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 原島,博
 東京大学 教授 大野,秀敏
 東京大学 教授 廣瀬,通孝
 東京大学 助教授 貞廣,幸雄
 東京大学 助教授 苗村,健
内容要旨 要旨を表示する

1. 背景

 現代都市は、空間モデルのイメージを、Alternative Metropolisという言葉注1)に示されるように、一つの図式に体系化可能な都市概念に替わる、異質領域の著しい混成とダイナミックな文脈展開に求められる。図式とは、都市における空間設計が歴史的に、現実世界の事物である都市要素を対象に、その秩序を一定の理念の下に再配置し、新たな空間役割を物理的に与える方法で為されてきたことを指す。一般には大規模な再開発や新たな建設など施策に基づく物理的解決を必要とし、近年意思決定に住民参加が増えつつあるものの、概ねは関係組織の上位による施策決定を施工という恒久的な解決で実現する手法である。このような歴史的に構築されてきた「現前する事物」のみによる都市の空間設計に対し、知覚として情報を再現する複合現実感技術(MR)は、情報技術の実空間への組込みによって「現前する事物と現前しないバーチャルリアリティ」の双方による新たな都市空間設計の展開が可能と考えられる。

 一方情報分野においては、簡易情報に留まらずあたかも現前すると同様に知覚を再構成する複合現実感(Mixed Reality, 以下MRと記す)は、技術進展に伴い、位置検索画像処理や事物間の遮蔽関係、陰影処理等の屋内限定空間で実験的に試みられてきた技術を実世界に装置として組み込むという、都市における実利的展開可能性やMRの都市的役割の考察が必要な段階にある。

 著しい変化と移動のため絶えずまとまりの明示可能な範疇や状況を遷移させている現代都市に、いかなる協働関係が実現し得るか、情報技術を用いた新しい空間モデルの考察が求められる。

2. 目的

 あたかも現前するかのように情報を生成して現実と融合させるという、複合現実感の優れた利点を活かし、現代都市への適用を、概念と実利の両面から考察する。

3. 方法

(1)都市の現前情報との比較における複合現実感の特徴の指摘

 複合現実感を都市に組込む意義が納得できるよう、現実空間に対する自然理解のsensitiveさを念頭に現実の都市空間における情報と比較して、複合現実感と現実の協働関係が的確に機能する複合現実感の都市的役割を記述する。マイナスの評価も入れて他の人も使えるような議論するベースとなるためのタイポロジーとする。

(2)複合現実感の特徴を前提とした都市組込みの方法論と実利的展開

 複合現実感や情報技術が都市においてどのような意味を持ち得るか、という都市的役割の指摘と展開可能性を記述するよう試みる。何のためにどのような展開があり得るのか、技術の進展の先にある空間での働きと意味を、より具体的に記述する。

4. 提案・分析

第2章 「都市の現前情報と複合現実感情報の機能的比較」では、

 今後期待されるMRの広域空間組込みにおける都市的役割を明らかにするために、次の段階を踏みながらMRの特徴をタイポロジーに考察し、都市の現前情報とMRの特徴の差異を指摘した。

(1)現実の都市空間に現前する情報を、多様な文化的背景の都市から抽出し、空間とどのような関係にあるか考察する。

(2)空間の固有性に関わり無く機能する情報を「標準型」、空間の固有性により深く関係性を持つ情報を「固有型」とする。前者については、近年移動携帯に属して広域空間適用が進行しつつある既出技術による簡易化情報の範疇で扱うものとみなし、後者については、今後の展開において都市・建築空間の固有な資質と深く関係し、MRの諸特徴をより活かすものとして、その機能的展開可能性を考察する。

(3)現前情報と固有空間との関係性において、特徴を比較・展開する事によって得られる都市空間に対する機能的分類を試みる。

第2章提案・分析

1. F.Saussure「一般言語学講義」と E.Cassirer「象徴形式の哲学」の現象学的見方に基づく「都市空間における情報は本質*から派生する諸相の一つとしての形相*である、複合現実感は空間の感性的な意味充実*を示し得る資質を持つ」という筆者の考えを視点に、二項対立的に異なる現実の二都市(Fez el Bali/NY)の構造と境界、それから形相*として顕現*する情報の関係性に着目し、情報の空間固有性への従属を主要な分類項目として抽出した。情報が都市の空間固有性に従属するかしないかという基本的な連関を混成空間で考察し、さらに複合現実感の情報再現性の特質から、複合現実感は機能的側面である「標準」「固有」の双方の都市的役割においてそれぞれ異なる展開可能性を持つ点を指摘した。また情報表示の空間における位置関係や形態、情報受け手の速度によるスケール、入出力の位置関係を考察した。

2. 現実情報とMRの時間空間における特徴の差異を以下の項目で指摘し、MRの現前性における優越を述べた。1)瞬間の繰り返しとしての現前性、2)コンテクストからの乖離あるいは付加  また、それから都市組込みに関する提案展開に結びつけるために、次の特徴を指摘した。1) 固有空間との位置関係は、現前情報と同等な類型が可能である、2) MRは市街地の「交信機能を持った境界」としての表層注1)を構成することができる、3) MRは市街地表層の「襞」注1)を加えることができる、4) MRは応答型に動作に対応した表示が可能である、5) MRは、応答型に動作に対応するため、アクティビティに時間的継続性が関係する、6) MRは、五感を対象としたインタフェースとして都市空間組込みが可能である

注1)大野秀俊著:「Hong Kong:Alternative Metropolis」、SD1992年3月号

第3章 「市街地表層のコミュニケーション・インタフェース化」では、

1. 特に市街地表層を一つのコミュニケーション・インタフェースとみなし、現実の情報設置を考察する方法でより親しみやすく日常の風景に溶け込むようなMRの都市空間組込みを検討した。

 NY市Times Square Areaの地区におけるフィールド調査として

(1)街路に面して連続する市街地表層に対する資料採取と採取地点の記録、

(2)地図と照合した各種施設の分布、

(3)資料より抽出される各種情報の類型化、

(4)対象地の情報に関する環境整備、

(5)情報貼付の市街地表層における位置(ビル第一層壁面・庇、二-三層壁面、中層部壁面、ビル頂部等)、

(6)情報主体(広告主等)との位置関係(密着/近傍/遠隔)、

(7)各情報の表現(大規模な通行に対する情報の理解しやすさの特徴)について調べた。

 次にそれらの市街地表層における現前情報データについて、

1)情報の表層面における分布についての考察、

2)現前情報の親しみやすさへの手法への分析、を行った。

2. 第2章で指摘した、現前情報に対するMRの異なる特徴を前提にして、複合現実感による空間のシステムを提案した。具体的には、固有性の現れとしての強い形態の存在と、それに対する応答が、空間を新たに生成するという運動のあり方を視点として、

情報の形づくる街イメージに基づいた<MRマーク>を、固有空間の意味の体現とみなして、情報空間に布置させる手法である。これは絶対的同一性を深層構造とする空間のコンテクストに、空間意味を体言する情報の特定な形<MRマーク>を意図的に与えることである。その意味の記号化といえる<MRマーク>の布置は、個々人の意味を喚起する契機として働き、空間意味の構成的根拠となる。<MRマーク>を基点とした場所のシステムにより、相互増幅的に類似が次第に喚起され、増減を繰り返すことにより、他と分別可能な程度に独自な範疇が領域として都市空間に現れ、新たな領域が獲得される。固有空間に設けたMR特化領域と、その空間意味を体現する<MRマーク>、および<MRマーク>に喚起されるMR情報の関係性を図1に示す。

3. 地図(二次元情報)と都市俯瞰(三次元情報)の機能性の差異に着目して合理的な簡易化による機能的情報伝達と複合現実感の働きの違いを指摘し、広域都市における三次元情報の働きを論考した。

第4章「都市における情報空間構造の検討」では、

1. MRが都市の部分空間の固有性にどのように関わるかを考察するため、都市空間を多層モデルに整理し、そのひとつである「固有空間の意味」「人のアクティビティ」との関わりを論考した。構成モデルは以下の各層の重なりに示した(図2)。

 目に見える都市は、物理的事物で構成される世界(1,2)、意味本質(3)、そこから派生する都市の様々な諸相(4,5,6)、人のアクティビティ(7)、の重なりの上に成立していると考えられる。都市でのアクティビティは、必然的に身体が位置する固有空間の、物理的実空間・意味本質やそこで生じる様々な諸相に支持される。MRはアクティビティに追随して身体周りあるいは遠隔の都市空間に生成され、次のアクティビティの展開に影響や相互増幅を及ぼす。6.に含まれるMRは、1.-4.を基本として5.の特異点で相互増幅され、7.のアクティビティを支持する。

2. 高精度な三次元位置情報に時間軸を合わせ、予めの情報貼付が可能な時空間体系を、情報と都市空間をリンクする基本的な構造とする前提から、複合現実感を用いた個人のツールと、都市に設けた特化領域との相互関係により、個別の都市活動を通した複合現実感活用を通して、都市に新たな空間生成可能なシステムを提案した。

第5章 「都市の特化領域形成 ―Transcendental Planningの提案」では、

1. 情報の資質は、恒久使用を志向して構築される建築や土木等の都市要素と、時間・空間性において異なり、また看板・貼紙のような現実の情報とMR情報にも差異がある。このような差異を指摘し、MRを用いてどのような性質の空間設計が可能と考えられるか、という課題に対するアプローチの、基本となる視点を整理した。

 具体的には、J.Derridaの"De la Grammatologie"におけるparoleの役割を参照して、paroleから想起される、繰り返し生成によるMRの知覚表示が、新しい空間設計手法における構成因子になると考えた。parole(声音、言葉、発言)がecriture(文書、表記)に優越する理由は、次の二点が挙げられる。

(1) ecritureが恒常的に変化生成する現実空間での経験、現前を前提とした思念への言語表現でないことに対して、paroleは、活き活きした空間の経験の中に正に経験と同一的に、自己回帰的に表現される資質を持つため、事物に関連した外的文脈において、また意味に関連した内的文脈において、現前に属する。

(2) paroleは言語表現が終わると同時に消える、という資質であるため、正にその短さが現前への回帰を実現する。

 都市空間での従来の表現方法に基づく情報と比較して、MRの短期生成消滅による空間での働きはparoleの概念から汲み取ることができる。活き活きした体験に基づき、身体動作とインタラクティブに生成されるMRは、現実とリアルタイムな即応性で応答する理由で、paroleと同等の現前回帰性を持つといえよう。

(1)´MRは現に生きる体験の中で動作に追随して生成されるため、現実空間を把握する人の知覚において、事物自体に対する物理的把握、事物の意味に対する内在への把握、が現前と脈絡なく同一的に生成される。

(2)´MRは予め指定された動作の生起とともに生成され、消滅するため、常に活き活きとした体験に基づく現実の一瞬一瞬に所属する。(現前との時間軸における相違が少ない)

 MRは、「活きた空間との応答の最中に生成されて応答の終わりに消滅する」という瞬時の生成消滅による繰り返しの顕われ方を呈示する。この動作に対する空間の「応答」は、動作が意識的であろうと否であろうと本質的に持つ志向性に対して、予め空間に埋め込まれた膨大なリソースの中から、その具体的な発現が3Dのオブジェクトとして、瞬時に引き出され消滅するものである。この短期な応答の一瞬一瞬の応答の繰り返しが、空間の中に個別の文脈を生成する。インタラクティブに応答するMRのオブジェクトは、情報発信する側の意味の表現が情報受容者に「現前として伝達される」、というparoleの持つ現前との同一性が強く現われるといえる。

 MRの現実都市に強い同一性を持つ資質を前提に、「実体化せずに空間を構成する」という"Transcendental"(超越的な)空間設計の手法を、MRによる都市空間形成の基本として表1に示すように、提案した。本章では、"Transcendental"を、現存する事物の世界に対して、「実体化せずに空間を構成する」、言い換えれば、実体化できないVRの都市的集積で逐次的に恒常的な変化生成のうちに空間を構成する、という志向と方法論を指し示すとする。

2. S. Arnsteinの"A Ladder of Citizen Participation"9)は、都市計画の施策決定に関する市民参加のレベルを段階的に示す。住民参加を積極的に採用した1992年都市計画法改定以降、都市・街区規模の空間設計は管轄当局が上位から空間用途を規定するものでなく、そこに住む市民の意見が取り入れられる方向にある。近年の都市計画の事例を参照し、現行空間設計手法との比較において個別の情報活動を活かす、情報技術を用いた新しい空間設計手法を提案する。現行設計手法は、建築・都市分野でのマスタープランや街づくり協定・ワークショップ等に関する事例を参照し、また筆者自身が設計の一端を担った大規模大型公共施設や、公募に参加した米国街区計画(面積約4万m2)を、市民参加と管轄当局の関係を考察する事例として比較した。MR分野における既往研究から展開可能な方法を整理して、事例提示への展開を試みた。

3. MRの都市組込みにおける展開例提示

 ロボット技術の発達を参照すると、コンピューターを機械として、いかにより効率よい計算処理のシステムを設計するかという高精度、小型化、軽量化を問う技術開発の段階と相互的に、次第にロボットを通して人の知覚をいかに捉え、プログラムに置換して表現するかという、人体との協働性が問われてきた。情報技術における機械としての機能的発達は、そのシンポの過程において、人の知覚に即し一体化したインタラクションとその表現への方法論へと誘導される。その観点から、コンピュータの都市組込みの実利的展開について段階的に述べることが可能であろう。

 簡易的な機能特化から空間表現へというひとつの筋道は、データの軽い範疇からシステムの高性能化によるデータの重い範疇へという流れでもある。後者が次第に開け多様な応用が広がることによって、空間表現という利便に距離をおいた諸段階への注視も可能になる。また社会的には、利便の追求から次第に空間がいかに豊かになり得るか、という論点の移行が可能になる。

 実利的展開に言及するまでの思考の過程において、筆者にとっては、空間の意味に立ち返り、情報が空間とどのような関係性で都市に現れるか、空間の固有性という視点からどのような働きを持ち得るのかを考え、情報技術が都市空間と協働するための構成モデルを考察することが前提にあった。構成モデルを思考することによって、マークの布置による、空間の記号のシステムというような方法論を問うことが重要であった。

 実利的展開においては場所の求める状況がそれぞれの空間における課題を決定するため、その空間の記号のシステムが必ずしも生かされない例示も含む。すなわち都市空間の遠隔との相互協調で空間が生成される場合に限らず、現場でその場に滞留している人々の間だけでの情報交流が行われたり、現場でインタラクションのアートとして設置されたり、と多様な展開例が想定される。それはこの複合現実感という優れた情報技術の、まさに未決なゆえの多弁性に理由がある。複合現実化の都市組込みというテーマはまだ事の入り口にあって、しかも複合現実感の幅広さ、多様さは、一つの明晰な解を導くとか、決定的で正しい解に至るという関数的な解決法で明示が不可能なばかりか、多様さゆえに広大な展開可能性を孕むという、論点の多義的な広がりを本来資質として持つ技術である。都市空間という広域な範疇を対象に、多義的な複合現実感組込みを考察するには、視点を定めることが必要である。ひとつの方法論として、<MRマーク>を都市の特定ゾーンに布置させることによって、相互増幅的に類似を喚起しひとつの特徴的な領域を生成する、という空間のシステムを提案した。建築の分野から一定の立脚点を持ち、そこから多様な展開を枝伸ばしする、という思索のための一つの経路である。

 以下の実利的展開における分類は、<MRマーク>の布置に必ずしもよらない提案を含み、かつ機械的な機能論から知覚の表現へというコンピュータがなしてきた経過を踏まえて考察するが、その両者は明確に分別されない。

複合現実感の実利的展開の分類

1. 大きく分けて、空間の固有性との関係から「標準/固有」という分別が考えられる。

A.標準

□ 位置情報に即して、ナビゲーションなど経路の指示や現場の店舗情報など、選択に必要な都市組込み情報技術の、複合現実感応用型

□ 高齢者や身体障害者に対する知覚補助を目的とし、環境の情報を集め行動支援を行う情報技術の、複合現実感応用型

B.固有

□ 情報表示の目的は必ずしも意図的な空間表現ではないが、個別の情報表示が無数に集合するとひとつの空間固有性が成り立つ、複合現実感組込みシステム。社会的コンセンサスと、特定ゾーンへの参加や管理のルールにより、ひとつのまとまりある市街地の表現を作り得る。例、市街地表層における広告情報の集積

□ 街区全体や街区の部分に、歴史的文化的に共通了承を得た独自の意味が成立していて、それに対する空間表現を複合現実感で為す、組込みシステム。例、World Trade Center跡地再開発計画メモリアル街区

□ 一つの空間理念で統一されないが、特定領域に集中的にMRシステムを組込み、複合的に領域として独自のまとまりを形成する、組込みシステム。例、メディア・ストリート

□ 人の活動が集積する場所、経路が集中する場所に、場所の物語性をつくる、組込みシステム。例、スターの手形が表示される広場、ゲームのある地下広場

□ 無機質な空間を、活き活きした体感の豊かな空間に再生する目的で、自然の擬似環境を生成する組込みシステム。例、外界天候反映の地下空間、地下のグリーンパーク

□ 特殊な表現を行う、組込みシステム。例、映像型コンサートホール、慰霊の水環境

□ 都市のアートオブジェクト。設置することによりランドマークになり、公共空間を豊かに表現する。 例、ガラス広告塔、世界地図のインタラクトする球体、等

以上を別紙に具体例として例示した。

5. 概括

(1)都市の現前情報との比較における複合現実感の特徴の指摘に対して

A.多様な20都市の現実空間から現前情報を抽出し、文化的な背景による理念や都市構造の差異を基に、「標準/固有」という概念を導いた。また情報表示の空間における位置関係や形態、情報受け手の速度によるスケール、入出力の位置関係を考察した。また現実情報とMRの時間空間における特徴の差異を指摘し、MRの現前性における優越を述べた。

B.市街地表層における情報を抽出し、特定街区の広告情報表示について、形態類型や情報発信者、表示による市街地表層の構成とその特徴、識別距離・分布による分類を行った。さらにそれらの情報に対する街イメージの特徴を調べ、情報の形づくる街イメージに基づき、<MRマーク>を情報空間に布置させる、複合現実感による空間のシステムを提案した。

(2)情報と空間に対する視点の提案

 実利的展開に言及するまでの思考の過程において、空間の意味に立ち返り、情報が空間とどのような関係性で都市に現れるか、空間の固有性という視点からどのような働きを持ち得るのかを考え、情報技術が都市空間と協働するための構成モデルを考察した。

 構成モデルを思考することによって、マークの布置による、相互増幅的な空間の記号のシステムというような方法論を考えた。また都市にある現実の情報とMRで、従来の都市計画にみられるような図式による空間構築でない、個別の集積による新たな都市空間生成が可能であることを指摘しながらも、現前性でよりMRが前者の優位にある点をひとつの特徴とし、瞬間の繰り返しによる空間生成を提案した。

 これらの空間システムは、未完結であるゆえに多義的である複合現実感の一つの決定的な最善の解ではないが、捉えどころのないまでに展開可能性の広がりを見せる複合現実感の都市組込みに、ひとつの立脚点を与える。その視点を中心にして、具体的な展開事例を考察した。

(3)複合現実感の特徴を前提とした都市組込みの方法論と実利的展開

 複合現実化の都市組込みというテーマはまだ事の入り口にあって、しかも複合現実感の幅広さ、多様さは、一つの明晰な解を導くとか、決定的で正しい解に至るという関数的な解決法で明示が不可能なばかりか、多様さゆえに広大な展開可能性を孕むという、論点の多義的な広がりを本来資質として持つ技術である。都市空間という広域な範疇を対象に、多義的な複合現実感組込みを考察するには、視点を定めることが必要である。ひとつの方法論として、<MRマーク>を都市の特定ゾーンに布置させることによって、相互増幅的に類似を喚起しひとつの特徴的な領域を生成する、という空間のシステムを提案した。建築の分野から一定の立脚点を持ち、そこから多様な展開を枝伸ばしする、という思索のための一つの経路である。

 実利的展開における提案的な分類は、<MRマーク>の布置に必ずしもよらない提案を含み、かつ機械的な機能論から知覚の表現へというコンピュータがなしてきた経過を踏まえて考察するが、その両者は明確に分別されない。

A.人の経路や活動が集積する空間、特定の課題を持つ空間、など都市空間で複合現実感の組込みが有効である場所を列挙した。

B.「標準/固有」という項目で大別し、それぞれに具体的な提案内容と適用した場合の栄案例をドローイングを用いて示した。

図1. 空間―固有意味のマーク―MR

図2. 構成モデル

1.物理的実空間 事物で構成される現実世界、

2.公共空間 (1.に含まれ物理的なコミュニケーションや都市活動が公共の場として行われ得る部分)、

3.固有空間の言説(人間的経験全体、従って実空間の広がりに外延され事物の領域に重なる意味世界(多様な意味の重合))、

4.都市に関わる諸現象 (実空間に内在する意味本質からその具象、受肉として都市に現れる事物や状況の諸現象)、

5.特異点 (物理的実空間では「ランドマーク」が目に見える顕著な特異点であるが、MR世界では固有空間の意味上の特化を目的として人為的に設ける特異点)、

6.固有空間の意味表出(MRを含む、空間の固有な意味から生じた情報で、本稿では看板のような現前する情報を含む)

7.人のアクティビティ

表1. 従来の現実空間における都市設計とMRによる空間設計

表 MR都市組込みの分類と提案例

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「複合現実感の都市組込みに関する研究 -Mixed Reality Urban Subdivision-」と題し、複合現実感(Mixed Reality、以下MRと略す)システムを現実の都市空間に組込むことを目的として、MRの空間構築における諸性質を、現実の都市に実在する情報(現前情報)と比較してその特質を明らかにするとともに、MRを都市空間に展開するための視点と方法論を体系的に論じたものであって、全体で6章からなる。

 第1章は「序論」であり、Alternative Metropolisという呼称に示されるように複雑に変化生成し異質領域が混成する現代都市設計において、現実に存在する現前情報とMRに代表される情報技術に基づくバーチャルな情報がいかに協働可能かという課題を設定して、本論文の背景と目的を明らかにしている。

 第2章は「都市の現前情報と複合現実感情報の機能的比較」と題し、本論文の主題であるMRの都市組込みに関して、F.Saussure「一般言語学講義」とE.Cassirer「象徴形式の哲学」の現象学的見方に基づいてMRと空間との関係性を論じる視点を明らかにしている。さらに実際に徒歩で資料採取を行った世界各地域の20都市から現前情報を抽出し、異なる文化的背景による情報表示の多様性を指摘するとともに、情報の空間固有性の有無を情報表示の主要な分類項目として抽出している。すなわち、空間の固有性に関わりなく機能する情報を「標準」型、空間の固有性により深く関係している情報を「固有」型と名付け、MRは「標準」「固有」の双方の都市的役割において、それぞれ異なる展開可能性を持つことを指摘している。また現前情報の都市空間における位置関係や形態、情報受け手の速度によるスケール、入出力の位置関係についても考察を加えて、そこに組込むべきMRの特徴および優位性を明らかにしている。

 第3章は「市街地表層のコミュニケーション・インタフェース化」と題し、第2章で指摘した現前情報に対するMRの特徴と差異を前提にして、NY市Times Square Areaのフィールド調査に基づいて、コミュニケーション空間としての市街地表層にMRをいかに組込むべきかを記号論的に論じている。具体的には、空間固有性の現れとしての強い形態の存在と、それに対する応答がまた新たな空間を生成するという視点から、MRによってもたらされる空間の固有性を<MRマーク>として記号化して情報空間に布置させ、その布置が個人にとっての空間的意味を喚起し、相互増幅的に増減を繰り返すことによってまた新たな空間意味を生み出すという図式を描いている。

 第4章は「都市における情報空間構造の検討」と題し、MRが都市の部分空間の固有性や人のアクティビティにどのように関わるかを考察するため、都市空間を多層のモデルに整理して論じている。また、高精度な三次元位置情報に時間軸を合わせた時空間体系を情報と都市空間をリンクする基本的な構造とみなして、その標準時空間体系の上に成立する個人意志によるMRの個別活動と都市空間の相互関係を、新たな空間生成のシステムとして提案している。

 第5章は「都市の特化領域形成-Transcendental Planningの提案」と題し、情報の本来有している資質が、恒久使用を志向して構築される建築土木等の都市要素とは時間・空間性において本質的に異なり、さらに都市の現前情報とMR情報にも差異があることを指摘して、MRを用いた都市空間設計へ向けた基本的視点を整理している。具体的には、J.Derridaの " De la Grammatologie "におけるparole(声音、発言)の役割を参照して、paroleから想起される、繰り返し生成によるMRの知覚表示が、新しい空間設計手法における構成因子になり得るとしている。そして「実体化せずに空間を構成する」という" Transcendental Planning "(略称トランスプラン)の空間設計手法を、MRによる都市空間形成の一つの方法として提案している。トランスプランは、従来の都市設計に対して、実体化できないMRの都市的集積を用いて逐次的に恒常的な変化生成のうちに空間を生成するという方法論である。この方法論はMR技術そのものが発展途上であることから、将来において未知なる可能性を含むものであるが、ここではMR研究の現状から展開可能な方法論を整理することによって具体的な事例提示を試みている。

 第6章は「結論」であり、本論文の主たる成果をまとめるとともに今後の課題と展望について述べている。

 以上を要するに、本論文は、複合現実感(MR)技術を都市空間設計に組込むことを目的として、多様な現実都市に現前する情報を広く調査することによってMR情報の特徴と差異を明らかにして、特に空間の固有性の観点から都市におけるMR情報の位置づけをおこない、さらにはコミュニケーション・インタフェースとしてのMRの都市組込みと記号論的考察、都市の情報空間構造の検討、トランスプランによる都市空間設計手法の検討などを通じて、MRを都市空間で活用するための視点と方法論を体系的に論じたものであって、学際情報学の進展に寄与するところが少なくない。

 よって本審査委員会は、本論文が博士(学際情報学)の学位に相当するものと判断する。

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