学位論文要旨



No 120384
著者(漢字) 呂,杰
著者(英字) Lu,Jie
著者(カナ) ロ,ケツ
標題(和) ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体γ(PPARγ)の胃発癌における化学予防的な効果についての検討
標題(洋) Chemopreventive effect of Peroxisome Proliferator Activated Receptor gamma on gastric carcinogenesis in mice
報告番号 120384
報告番号 甲20384
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2533号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 油谷,浩幸
 東京大学 講師 下山,省二
 東京大学 助教授 川口,浩
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

 ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体γ(PPARγ)は核内ホルモン受容体スーパファミリーの一つのメンバーであり、常にRetinoid X受容体と二量体を形成し、リガンドの結合によってPPRE(PPAR Response Element)のに結合して、下流の遺伝子転写を活性化する。PPARγはヒトの器官に発現する一方、いくつかのヒトがん細胞にも発現される事が知られている。PPARγの内因性リガンドとしては15-Deoxy-12,14-prostaglandin J2、外因性のリガンドとしてはthiazolidinediones(pioglitazone,rosiglitazoneとtroglitazone)等が存在する。これらのリガンドは様々ながん細胞に対して分化誘導、細胞増殖抑制、アポトーシス誘導効果を持つため、抗がん剤として使用する可能性が報告されている。更に、これらのリガンドは大腸がん、乳がん、舌がん発癌に化学的予防効果も最近報告された。しかしながら、結腸癌に対するPPARγのリガンドの効果は論争になっている。すなわち、いくつかの最近の研究では、PPARγのリガンドの生物学的な作用がPPARγに依存しないと報告された。一方、PPARγリガンドは胃がん培養細胞株に対する殺細胞効果が報告されていたが、PPARγは胃がん形成における役割、および、PPARγリガンドの胃がん発癌における効果については全くわかっていない。この疑問を解明するために、PPARγノックアウトと野生形マウスに10週間のMNUを経口投与して、胃がんを誘発し、続いて1年間のPPARγリガンドを投与して、胃発がんにPPARγの役割及びそのリガンドの効果を検討した。今回の結果としては、PPARγが胃発癌に掬制的役割を果たし、PPARγのリガンドtroglitazoneが胃発癌に対する防衛的な作用があり、この作用がPPARγの発現に依存することを明白に実証した。

実験方法:実験にはPPARγ野生型マウスとヘテロ欠損型マウスを用いた。同世代(4−7週齢)の107匹のマウス(65匹ヘテロ欠損型、42匹野生型)を8組に分けた。1,2,3,4組はヘテロ欠損型、5,6,7,8組は野生型マウスとした。2,3,6,7組のマウスに240p.p.mのMNUと蒸留水を一週間ずつ、交互に10週間自動摂水させた;1、4、5、8組のマウスには蒸留水のみを摂水させた。11週目から全てのマウスの飲用水を蒸留水に交換した。続いて3,4,7,8組に0.15%(w/w)のTroglitazoneを混ぜた枌末餌を、1,2,5,6組に枌末餌のみを42週間それぞれ自動摂食させた。52週目で全マウスを屠殺し、病理組織的検査を行った。

結果

胃粘膜でPPARγは明らかに発現する:PPARγがマウスの胃に発現することを確認するために、抗PPARγ(H-100)抗体を使ってウエスタンブロッティングと組織免疫染色法で検討した。胃粘膜におけるPPARγ蛋白質の発現は、強発現する大腸に比べて低いけれども、明らかな発現が野生型マウスに検出された、PPARγ遺伝子のヘテロ欠損型マウス胃粘膜ではPPARγは弱い発現を示した。

PPARγの欠損は胃発癌を促進する:屠殺後、採取した胃は、4μm厚に薄切し、H.E.染色後病理的検査を行った。その結果MNU非摂取群(1、4、5、8組)すべてには癌は発見されなかったが、PPARヘテロ欠損型マウス/MNU摂取(2組)では19匹中17匹に胃癌が誘導された(89.5%);そのうち15匹は高分化腺がん、1匹は中分化腺癌、1匹は上皮内癌、および1匹のリンパ腫であった。しかしながら、6組(野生型/MNU摂取)では9匹のうち、胃がんは5匹にしか発生せず(55.5%)、それらはすべ七高分化腺がんであった(p<0.05、2組に比較し、有意差を認めた)。これらのデータによりPPARγ欠損がMNUによるマウスの胃発癌を著しく促進する事が示唆された。

TroglitazoneによるPPARγ活性化は胃の発癌を防ぐ:野生型マウスは、MNUで処理された9匹(6組)のうち5匹に胃がんを認めたが、troglitazoneの連続投与は著しく胃発癌の発生率を減らした(7組、11匹のうち1匹しか胃がんを認めなかった、9%)。しかしながら、troglitazoneはPPARγヘテロ欠損型マウスに発癌抑制作用を示さなかった(2組、MNU89.5%;3組、MNU+Tro 80%)。したがって、troglitazoneの抗がん作用はPPARγの発現量に依存すると考えられた。

PPARγ野生型とヘテロ欠損型マウスにおいて、胃がんの組織学上の相違は認められなかった:誘発された胃がんは、主として、幽門の粘膜、および胃底幽門境界部に認められた。胃がんの肉眼的所見と組織学上の相違は、野生型とヘテロ欠損型マウスの間で観察されなかった。マウスは発癌物質に誘導された胃癌で37週目に死に始めた。37週目から52週目の実験終了までに、8組は19匹中10匹、3組は15匹中8匹、6組は9匹中1匹、7組は11匹中1匹がそれぞれ死亡した。野生型マウスと比較して、胃癌の発生頻度の増加がPPARγヘテロ欠損型マウスの生存時間を短縮する事が示唆された(p<0.01)。

PPARγの発現は胃がん細胞では抑えられた:上記の結果より、PPARγがリガンドに応じてtumor suppressorとして働く可能性を示唆したので、癌と正常な胃粘膜でPPARγの発現を検討した。結果としてはPPARγの発現は正常な粘膜中よりがん部位で弱いことが判明した。また、troglitazone投与マウスの正常な粘膜中でより強いPPARγ発現が観察されたが、同粘膜内の癌細胞にもその発現が低かった。

胃粘膜におけるPPARγとRUNX3の発現の関連:β-cateninは大腸発癌における重要な分子である事が知られており、大腸発癌の初期段階でPPARγの活性化によるβ-cateninの安定化が重要な役割を果たすことが報告された。また、cyclin D1は、発癌におけるPPARγと複雑な関係をもつことが分かってきた。そこで、免疫組織化学的方法で胃癌および正常な粘膜中のβ-cateninおよびcyclin D1の発現を検討した。しかしながら、癌と正常な粘膜でβ-cateninあるいはcyclin D1のいずれも顕著な変化は認められなかった。

 一方、RUNX3は胃の発癌に関与している事が報告され、胃癌のtumor suppressor遺伝子として考えられている。今度の実験で、PPARγの胃発癌の予防効果のメカニズムを解明するために、胃粘膜中のRUNX3の発現に対するPPARγ欠損の影響を検討した。RT-PCRとウエスタンブロッティングで検討した結果、RUNX3のmRNAとタンパク質の発現が野生型マウスと比較して、PPARγヘテロ欠乏マウスで低下していることが判明した。

結論

 最近、癌の予防および治療の標的としてのPPARγが、広く研究されている。しかしながら、大腸癌におけるPPARγの役割は矛盾な結果が報告されており、またPPARγリガンドの抗がん作用はPPARγと無関係であるという報告によって複雑になった。私の今回の研究結果は、胃発癌におけるPPARγの重要性を示す初めての明らかな証拠である。PPARγの欠損は発癌物質に誘導された胃発癌の感受性を著しく増大させ、野生型マウスと比較して生存率も減少させた。本研究の結果は、PPARγの皮膚、卵巣および乳癌のtumor suppressorとしての役割を示唆した他のいくつかの報告に一致する。MNUで誘導された胃がんにPPARγの発現が抑えられたことにより、PPARγが発癌を抑えることを立証した。更に、本研究の結果は、胃発癌過程におけるtroglitazoneの予防作用を明白に実証した。troglitazoneは胃がんの病理学的組織像に影響せず、胃発癌に対する感受性を抑えることは明らかにした。troglitazoneの予防的な効果は、PPARγヘテロ欠損型マウスでは観察されず、野生型マウスのみで観察された。また、がん細胞のPPARγ発現を抑えたことは、troglitazoneの働きがPPARγに依存することを明白に示した。PPARγリガンドであるtroglitazone、pioglitazoneおよびrosiglitazoneは結腸癌に対する予防効果を報告されたが、今回私の研究で観察されたように、troglitazoneの胃癌に対する予防的な効果がPPARγに依存すると考えられるので、pioglitazone、rosiglitazoneおよび15-PG-J2など他のリガンドの予防効果も、今後研究されなければならない。一方、RUNX3が胃癌のtumor suppressorであることが知られているが、本研究では、RUNX3の発現が、PPARγヘテロ欠損型マウス胃粘膜において減少したことは、PPARγとRUNX3の関連が示唆された。PPARγヘテロ欠損型マウス胃粘膜に抑えたRUNX3の発現は、胃発癌の感受性が高くなる原因のひとつであると考えられる。

 マウスのPPARγ欠損が発癌物質に誘導された胃発癌の感受性を高くするという本研究の結果は、胃癌が高発生する個体群を識別する方法を提供するかもしれない。したがって、troglitazoneの癌予防的な効果は臨床において非常に重要な意味合いを持つ。

 結論として、本研究でPPARγが胃発癌にtumor suppressorとして機能することを示し、MNUに誘導された胃発癌に対して、1)PPARγヘテロ欠損型マウスが胃癌感受性を増加する、2)PPARγリガンドであるtroglitazoneは胃発癌に予防的な効果があり、3)胃発癌におけるtroglitazoneの予防的効果は、PPARγの発現に依存することが判明した。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究ではPPARγヘテロ欠損型および野生型マウスにMNU(N-Methyl-N-nitrosourea)を投与して胃がんを誘発し、続いてPPARγリガンドであるtroglitazoneを1年間投与して、胃癌におけるPPARγの役割及びそのリガンドの予防的な効果の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 10週間のMNU経口投入により、PPARヘテロ欠損型マウスでは19匹中17匹に胃癌が誘導された(89.5%);そのうち15匹は高分化腺がん、1匹は中分化腺癌、1匹は上皮内癌であった。しかしながら、野生型マウスでは9匹のうち、5匹にしか胃癌が発生せず(55.5%)、それらはすべて高分化腺がんであった(p<0.05)。したがって、PPARγヘテロ欠損型マウスは野生型マウスに比べ、胃発癌の感受性が高かったので、MNUによる胃発癌の感受性はPPARγの発現量に依存することが判明した。

2. 。本研究では、MNUを処理した野生型マウス9匹のうち5匹に胃癌が発生したが、troglitazoneの連続投与によりその発生率は著しく減少した(11匹のうち1匹、9%)。しかしながら、troglitazoneはPPARγヘテロ欠損型マウスには発癌抑制効果を示さなかった。したがって、PPARγのリガンドであるTroglitazoneによるPPARγ活性化は胃の発癌を予防できることが示唆された。troglitazoneの発癌抑制効果はPPARγの発現量に依存することが判明した。

3. MNUで誘発された胃癌において、組織学的相違は野生型とヘテロ欠損型マウス間で観察されなかった。これらの胃癌と正常な胃粘膜でPPARγの発現を検討すると、PPARγの発現は正常な粘膜よりがん部位で低下していることが示された。また、troglitazone投与マウスの正常な粘膜はでより強いPPARγ発現が観察されたが、同粘膜内の癌細胞ではその発現量は低かった。これらの結果によりPPARγは胃癌の抑制因子であり、PPARγがリガンドに応じてtumor suppressorとして働くことが明らかにした。

4. 次にPPARγの発癌抑制のメカニズムを解析するために、種々の関連因子を検討した。β-cateninあるいはcyclin D1のいずれも顕著な変化は認められなかったが、胃癌のtumor suppressor遺伝子として考えられているRUNX3の発現は野生型マウスと比較して、PPARγヘテロ欠損マウスで低下していることが判明した。この結果はPPARγとRUNX3の関連が示唆された。PPARγヘテロ欠損型マウス胃粘膜におけるRUNX3発現の低下は、胃発癌の感受性が高くなる原因のひとつであると考えられる。

 以上、本論文はPPARγヘテロ欠損型マウスにおいてMNU誘発された胃発癌に対して、胃癌の感受性がすることを明らかにした。さらに、PPARγリガンドであるtroglitazoneは胃発癌に予防的な効果があり、この予防的効果は、PPARγの発現に依存することを明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった胃発癌におけるPPARγの役割の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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