学位論文要旨



No 120163
著者(漢字) 吉田,直樹
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,ナオキ
標題(和) 好熱性好酸性アーキアAcidianus manzaensisの嫌気鉄呼吸に関する研究
標題(洋)
報告番号 120163
報告番号 甲20163
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2846号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 若木,高善
 東京大学 助教授 作田,庄平
 東京大学 助教授 石井,正治
内容要旨 要旨を表示する

1、序

 嫌気鉄呼吸はFe3+を電子受容体として用いる微生物の嫌気呼吸の1形態である。嫌気鉄呼吸能を有する微生物は進化系統的に広範囲に存在すること、また系統樹深くに位置する好熱性微生物Thermotoga maritimaおよびPyrobaculum islandicumが本呼吸能を有することから、硫黄呼吸と並んで進化初期に獲得された呼吸代謝であることが提唱されている。また微生物による鉄還元は、菱鉄鉱や磁鉄鉱などの形成や不溶性金属の流出など環境中の土壌形成に大きく寄与していることが示唆されている。このように微生物の嫌気鉄呼吸は生物学的および地質学的に重要な代謝として注目されている。

 これまで鉄還元細菌Geobacter sulfurreducens、Desulfulomonas acetoxidansおよびHydrogenobacter thermophilusにおいて鉄還元活性を有するc型チトクロムが精製されていることから、鉄還元酵素としての一般性が示唆されていた。しかしながらPelobacter carbinolicusなどにおいてc型チトクロムの鉄呼吸への関与が認められなかったことから、鉄呼吸における鉄還元酵素は微生物によって異なることが考えられている。さらに鉄還元アーキアにおいてはP. islandicumおよびFerroglobus fulgidusにおいて生育が確認されるものの鉄還元酵素は未だ単離されていない。また、硫酸還元アーキアArchaeoglobus fulgidusにおいてヘム鉄を有さない鉄還元酵素の存在が報告されているが、嫌気鉄呼吸による生育は確認されていない。

 本研究では嫌気鉄呼吸に対する新たな知見を得ることを目的として、今まで報告例がない高温・酸性条件下から鉄還元微生物を単離し、その嫌気鉄呼吸における鉄還元酵素の解析をおこなった。

2,高温・酸性条件下における鉄還元微生物の単離

 群馬県万座温泉付近のH2S噴出口における土壌をサンプルとして、高温・酸性条件下においてH2を電子供与体、Fe3+を電子受容体として独立栄養的に嫌気生育する微生物をスクリーニングした。得られた微生物は16SrDNA配列解析(図1)などの分類学的解析から新種であることが示唆され、Acidianus manzaensis NA-1株(NBRC 100595T)と命名した。

 本菌はpH1.2、80℃においてH2を電子供与体、Fe3+を電子受容体として独立栄養的に嫌気生育し、鉄還元微生物として好熱性・好酸性を示す初めての例である。Fe3+の他にO2を電子受容体として好気生育もおこなう通性嫌気性を示す。また、グルコースやYeast Extractを電子供与体とした従属栄養性を有している。

3,鉄還元酵素の精製

 嫌気鉄呼吸鎖における鍵酵素として呼吸鎖末端に位置する鉄還元酵素に着目した。pH1.5、70℃におけるFe3+還元活性を指標に鉄還元酵素を精製した結果、分子量64,200Daを示すモノマーとして精製された。本鉄還元酵素(Ferric-Iron Reductase; Fir)は還元型において436、534、574nmに吸収帯を有するスペクトルを示し、また酸化型において418nmに吸収帯を有するスペクトルを示した。またヘム染色、EPR解析から高スピン-Fe3+ヘム鉄を有するチトクロムであることが示唆された。さらにFirの活性中心であるヘムのピリジンフェロヘモクロム体における吸収帯が既存のヘムに一致しなかったことから、Firに含まれるヘムは新規構造を有していることが示唆された。サイクリックボルタンメトリー法により決定された酸化還元電位はE=+0.61V(vs NHE)であり、Fe3+(E=+0.77V,vs NHE)を還元しうる酸化還元電位を有していた。さらにFirは50kDaのタンパクに14kDa相当の糖が付加した糖タンパクであり、イオンクロマトグラフィーおよびガスクロマトグラフィー解析からその成分としてRhm:Gls:Gal:Man:Glc:GlcNAc:GalNAc=1.5:1:3:1:8:6.5:3.5が検出された。

 以上からFirは鉄呼吸鎖末端酵素として機能していることが示唆された。さらに新規ヘムを有することから、鉄呼吸に適応した電子伝達系を有している可能性が示された。

4,ヘム構造解析

精製Firから氷冷酸アセトン法によりヘムを抽出した。順相、C18およびC8逆相カラムクロマトグラフィーによりヘムを精製した。LC-MS/MSにより分子量および側鎖構造を推定した結果、分子量1008.5m/zを示すC59H4N4O7Feであることが示された。本分子量に合致するヘムは報告されておらず、新規ヘムであることが裏付けられた。MS/MS解析によりポルフィリン各側鎖がフラグメントとして検出され、図2に示す構造式が推定された。ポルフィリン2位炭素側鎖中のhydroxyethylgeranylgeranyl基はアーキアにおける好気呼吸鎖末端酵素に含まれるヘムAsおよびOP2に同様に見られるものの、4位8位炭素側鎖構造に大きく差異が認められた。現在1H-NMRを用いてさらなる構造解析をおこなっている。

5、鉄還元酵素遺伝子の解析

 鉄還元酵素遺伝子(Ferric Iron Reductase gene;fir)をクローニングするため、FirのN末端アミノ酸配列を解析した。脱ヘムおよび還元的カルボキシメチル化処理をしたFIRのN末端アミノ酸配列が解析できなかったことから、N末端がブロッキングされている可能性が示唆された。そのため、FirをV8プロテアーゼおよびリシルエンドペプチダーゼにより断片化することにより得られた3つのペプチド(16kDa、18kDa、24kDa)のN末端アミノ酸配列を決定した。16kDaの分子量を示すペプチドのアミノ酸配列からプライマーを設計し、制限酵素BamHI処理をおこなったゲノムDNAを鋳型としてPCRをおこなった結果、0.8kbのPCR断片が取得された。この遺伝子配列中には18kDaのペプチドのN末端アミノ酸配列に一致する遺伝子配列が含まれていたため、本PCR断片の遺伝子配列からプライマーを設計し、同方法によりfirを含む4.0kbの遺伝子配列を決定した。得られた1472bの遺伝子から推定されるアミノ酸配列は約50kDaと計算された。Firが50kDaのタンパク質部分と14kDaの糖から構成されていることが糖解析から示唆されており、この結果と一致した。アミノ酸配列中にはヘムのリガンドとして機能しうるヒスチジンが3残基存在していた。また、NおよびC末端が高度の疎水的領域となっていた。firはSulfolobus acidocaldariusにおいて低濃度酸素条件下で発現するチトクロムb558/566Aサブユニット遺伝子(CbsA)と66%の相同性を有していた。また、firの下流には少なくとも3つのORF(orf-1,2,3)が存在し、それぞれS. acidocaldarius由来チトクロムb558/566Bサブユニット(CbsB)、b型チトクロムおよびRieske鉄-硫黄中心を有するタンパクと相同性を有していた。後者2つはS. acidocaldariusにおいて酸素呼吸鎖構成酵素として報告例があり、本遺伝子も同様の酵素を発現していることが考えられる。firおよびorf-1の各上流にはリボソームバインディングサイトおよびBoxA様プロモーター配列が存在していた。しかしながら、CbsAおよびCbsBは共転写されること、orf-1とCbsBの相同性は39%と低いこと、粗精製したチトクロムb558/566には鉄還元活性が見られないこと、およびS. acidocaldariusは嫌気鉄呼吸生育をしないことから、Firは嫌気鉄呼吸に特徴的な酵素であることが示唆された。

6、鉄還元のメカニズム

 A. manzaensisにおける鉄還元のメカニズムを解明するために、Firの局在性と配向性を解析した。嫌気鉄呼吸により生育した菌体をトリプシン及びV8プロテアーゼにより処理した結果、Firの内部アミノ酸配列に合致する2つの消化断片を得た。各ペプチダーゼ処理後の上清画分には精製FIRと同様な吸収スペクトルが確認された。また、消化後の菌体の鉄還元活性は処理前と比較して約1/3であった。さらに精製したFIRはpH1.5において30-80℃で安定に存在するが、pH7.0において70℃では容易に失活する。以上から、本菌においてFirが菌体膜表面に鉄還元活性中心(ヘム)を位置する形で鉄還元をおこなっていることが示唆された。

7、総括

 本研究により、高温・酸性条件下において嫌気鉄呼吸をおこなう新規アーキアA. manzaensis NA-1株を単離した。また本菌の膜画分から鉄還元を有する64.2kDaのチトクロムを精製した。Firは高温・酸性下において安定に存在すること、高い酸化還元電位を有すること、およびヘム配位部位が膜上に存在することから、鉄呼吸鎖末端酵素として機能し、細胞外でFe3+を還元していることが考えられた。

 またFirが不飽和炭素鎖を側鎖に持つ新規ヘムを有することが示唆された。同様の不飽和炭素鎖を有するヘムとして好気性アーキアにおける好気呼吸鎖末端酵素がヘムASを有することが報告されている。しかしながらFirに含まれる新規ヘムはヘムASと比較してポルフィリン側鎖が異なり、嫌気鉄呼吸鎖末端酵素の補因子として機能していることから、Firが嫌気鉄呼吸に適応したチトクロムであることが示唆された。さらにプロトヘムを有するS. acidocaldarius由来CbsAとFirがアミノ酸配列の相同性を示すものの鉄還元活性はFirにしか見られないことから、Firのヘム構造が鉄還元に重要な役割を担っていることが考えられた。

 高温・酸性下において新規ヘムを有するFirが鉄還元酵素として機能していることをはじめとして、環境条件が異なる鉄還元微生物から異なった鉄還元酵素が報告されていることから、鉄還元微生物はその環境に応じて異なった鉄還元メカニズムを有していることが示唆された。Fe3+はpH-pI曲線から示されるように、環境中において様々な形態をしている。他の呼吸基質には見られないこの物理化学的特徴が鉄呼吸の多様性を高めていることが考えられる。

図1、16SrDNA解析に基づく系統樹。図中の数字は1000回抽出によるブートストラップ値を示す。

図2、MS/MS解析から推測されるFIRに含まれるヘムの構造式

審査要旨 要旨を表示する

 嫌気鉄呼吸はFe3+を電子受容体として用いる微生物の嫌気呼吸の1つである。嫌気鉄呼吸は、硫黄呼吸と並んで進化初期に獲得された呼吸代謝であることが提唱されている。また嫌気鉄呼吸による鉄還元は、菱鉄鉱や磁鉄鉱などの形成や不溶性金属の流出など環境中の土壌形成に大きく寄与している事が示唆されている。このように微生物の嫌気鉄呼吸は生物学的および地質学的に重要な代謝として注目されている。

 本論文は好熱性好酸性アーキアAcidianus manzaensisにおいて嫌気鉄呼吸の鉄還元機構に関しての研究結果を述べたものであり、5章で構成されている。

 第1章では、高温・酸性条件下においてH2を電子供与体、Fe3+を電子受容体として独立栄養的に嫌気生育する微生物の取得および同定について述べられている。得られた微生物は16S rDNA配列解析などの分類学的解析から新種であることが示唆され、Acidianus manzaensis NA-1株(NBRC 100595T)と命名した。本菌はpH1.2、80℃においてH2を電子供与体、Fe3+を電子受容体として独立栄養的に嫌気生育し、好熱性・好酸性の鉄還元微生物として初めての報告である。Fe3+の他にO2を電子受容体として好気生育もおこなう通性嫌気性を示していた。また、グルコースやYeast Extractを電子供与体とした従属栄養性を有していた。

 第2章では、嫌気鉄呼吸鎖における鍵酵素として呼吸鎖末端に位置する鉄還元酵素の精製および生化学的解析をおこなっている。pH1.5、70℃におけるFe3+還元活性を指標に鉄還元酵素を精製した結果、分子量64,200Daを示すモノマーとして精製された。本鉄還元酵素(Ferric-Iron Reductase;Fir)は高スピン-Fe3+ヘム鉄を有するチトクロムであることが示唆された。さらにFirの活性中心であるヘムのピリジンフェロヘモクロム体における吸収帯が既存のヘムに一致しなかったことから、Firに含まれるヘムは新規構造を有していることが示唆された。サイクリックボルタンメトリー法により決定された酸化還元電位はE=+0.61V(vs NHE)であり、Fe3+(E=+0.77V,vs NHE)を還元しうる酸化還元電位を有していた。さらにFirは50kDaのタンパクに14kDa相当の糖が付加した糖タンパクであり、イオンクロマトグラフィー解析からその成分としてRha:Gls:Gal:Man:Glc:GlcNAc:GalNAc=1.5:1:3:1:8:6.5:3.5が検出された。以上から、Firは鉄呼吸鎖末端酵素として機能していることが示唆された。

 第3章では鉄還元酵素遺伝子(Ferric Iron Reductase gene;fir)解析を述べている。firはSulfolobus acidocaldariusにおいて低濃度酸素条件下で発現するチトクロムb558/566Aサブユニット遺伝子(CbsA)と66%の相同性を有していた。また、firの下流には少なくとも3つのORF(orf-1,2,3)が存在し、それぞれS. acidocaldarius由来チトクロムb558/566Bサブユニット(CbsB)、B型チトクロムおよびRieske鉄-硫黄中心を有するタンパクと相同性を有していた。後者2つはS. acidocaldariusにおいて酸素呼吸鎖構成酵素として報告例があり、本遺伝子も同様の酵素を発現している事が考えられる。firおよびorf-1の各上流にはリボソームバインディングサイトおよびBoxA様プロモーター配列が存在していた。しかしながら、CbsAおよびCbsBは共転写されること、ORF-1とCbsBの相同性は39%と低いこと、粗精製したチトクロムb558/566には鉄還元活性が見られないこと、およびS. acidocaldariusは嫌気鉄呼吸生育をしないことから、Firは嫌気鉄呼吸に特徴的な酵素であることが示唆された。

 第4章では、A. manzaensisにおける鉄還元のメカニズムを解明するために、Firの局在性と配向性を解析している。Firが菌体膜表面に鉄還元活性中心(ヘム)を位置する形で鉄還元をおこなっていることを示した。

 第5章では、Firのcofactorであるヘム分子の構造解析をおこなっている。精製Firから氷冷酸アセトン法により抽出・精製したヘムをLC-MS/MSにより分子量および側鎖構造を推定した結果、分子量1008.5m/zを示すC59H4N4O7Feであることが予測された。本分子量に合致するヘムは報告されておらず、新規ヘムであることが裏付けられた。MS/MS解析によりポルフィリン各側鎖がフラグメントとして検出され、構造式が推定された。ゲラニルゲラニオールに類似すると考えられる不飽和炭素鎖C21H35を有することが本ヘムの特筆すべき特徴であり、高温・酸性下での鉄還元における鍵構造であることが考えられた。

 以上、本論分はこれまで例のなかった高温・酸性環境における鉄還元微生物と、その嫌気鉄呼吸鎖における鉄還元酵素について、多くの新規な基礎的知見を得たものであり、また本研究が唯一のものである。特にFirが呼吸酵素として既存のものとは全く異なる起源・進化を有することを示した点は学術上高く評価された。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク