学位論文要旨



No 120155
著者(漢字) 大竹,史明
著者(英字)
著者(カナ) オオタケ,フミアキ
標題(和) ダイオキシン受容体の内分泌撹乱作用を担う新規複合体機能の解析
標題(洋)
報告番号 120155
報告番号 甲20155
学位授与日 2005.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2838号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 助教授 後藤,由季子
内容要旨 要旨を表示する

第一章 序論

 近年、様々な環境汚染物質が人体の健康に及ぼす悪影響が懸念されており、中でもヒト及び高等動物の内分泌系を撹乱する可能性のある化学物質が数多く報告されている。これらの化学物質が内分泌系を撹乱する具体的な生体分子機構、感受性を規定する遺伝子基盤の解明は重要な課題である。

 ダイオキシン類は発癌促進や免疫異常など様々な毒性作用を有する代表的な内分泌撹乱化学物質である。近年特に、主要な女性ホルモン・エストロゲンに対する撹乱作用が指摘されている。これまでに子宮内膜症増悪などのエストロゲン様作用、子宮重量の減少などのエストロゲン阻害作用の両者が報告されており、ダイオキシン類は異なる条件下でエストロゲン作用を正にも負にも調節し得る可能性があると考えられている。しかしながらその分子機構は大部分が不明であった。

 ダイオキシン類とエストロゲンの主たる作用は、各々に対する特異的な受容体であるダイオキシン受容体(Arylhydrocarbon receptor,AhR)及びエストロゲン受容体(Estrogen receptorα,β(ERα,β))を介して発揮されると考えられている。AhRはbHLH/PASファミリーに属し、ダイオキシン類の結合後Arntとヘテロ二量体を形成し標的遺伝子群の転写を調節する。一方、核内受容体スーパーファミリーに属するERα,βはエストロゲン依存的に標的遺伝子群の転写を調節する。これら受容体を介した転写活性化過程においては、p300複合体等によるヒストンアセチル化、DRIP/TRAP複合体による基本転写装置のリクルート、受容体自身のリガンド依存的ユビキチン化とそれに伴うプロテアソーム依存的分解、など多段階の制御が必須である。このような様々な転写制御機能を担う核内複合体群において、ERの機能制御に関与するものは同定されているものの、AhRの転写制御能を担う機能複合体群については現在まで報告されていない。

 そこで本研究では両者の受容体が転写制御因子であることに着目し、ダイオキシン類によるエストロゲン撹乱作用の分子機構を明らかにすることを目的とした。これまでに、リガンド結合AhRがERαに直接結合し、エストロゲン未結合(不活性型)ERαの転写促進能を正に、エストロゲン結合(活性型)ERαの転写促進能を負に制御することを見出した。さらにこの正の制御機構として、ERαに結合したAhRが転写共役因子p300をリクルートすることを明らかにした1)。一方、活性型ERαの転写促進能に対するAhRの抑制作用機構は不明であった。そこでAhRによるERα転写機能抑制機構を検討し、次にこの抑制制御を担う転写制御複合体の同定を試みた。

第二章 AhRを介したリガンド結合ERα機能抑制の分子機構の解析

 まずエストロゲン存在下におけるAhRによるERα抑制機構を検討した。マウス子宮を用いたin vivo系及び乳癌由来MCF-7細胞を用いたin vitro系において、AhRリガンド3-Methylcholanthrene(3MC)はエストロゲン17β-estradiol依存的なERα転写促進能を抑制した。そこで更にMCF-7細胞を用いてこの分子機構を検討したところ、ERα蛋白量が3MC依存的に減少することが明らかとなった。プロテアソーム阻害剤であるMG132でこの効果が抑制され、ERαのユビキチン化が3MC依存的に亢進したこと、また、AhRによるERα転写機能抑制はMG132存在下では見られなかったことから、AhRによるERα機能抑制はERαのユビキチン・プロテアソーム経路による分解制御を介していることが示された。

 さらにAhR自身のアゴニスト依存的分解の関与を検討した結果、AhRのアゴニスト依存的分解・アンタゴニスト依存的安定化に連動してERαの分解・安定化が規定されていることが明らかとなった。これらの結果から、アゴニスト結合AhRがERαに結合し、AhRにアゴニスト依存的にリクルートされたユビキチンリガーゼがERαをユビキチン化し能動的に分解することで、ERα機能を負に制御しているという分子モデルが推測された。

第三章 AhRのユビキチン化依存的分解を制御する複合体の精製と同定

 次に、AhRによるERα分解制御の詳細を解明するために、この分解制御を担うユビキチンリガーゼ複合体の同定を試みた。浮遊HeLa細胞にてFLAGタグ付きAhR安定発現株を取得し、核抽出液からの抗FLAGアフィニティー精製を行った。

 まず生細胞内でリガンド依存的に複合体を形成させる方法の構築を試みた。その結果、3MC処理した細胞でAhRは高分子量複合体を形成し、さらにp300、TRAP220など既知の転写共役因子複合体の構成因子が各々固有の複合体サイズにて検出された。

 次に、活性化型の転写制御因子は様々な転写制御複合体群と相互作用することが知られているため、これら複合体群を単一複合体に分画することを試みた。グリセロール密度勾配遠心とイオン交換カラムを組み合わせた結果、AhR複合体は5つの主要な複合体(A〜E)に分画された。このうち2つは(A):DRIP/TRAP複合体及び(C):p300複合体と考えられた。

 これら複合体中、ERαを含んでおり、かつ、自身のユビキチン化レベルが亢進している複合体(B)の構成成分を更にTOF-MSにて同定した。その結果この画分からSCF型ユビキチンリガーゼであるcullinファミリーに属するCullin4B(CUL4B)、機能未知のTransducin-beta-like 3(TBL3)、未知因子であるKIAA0982/WDR37、Cullin 4A相互作用因子として知られるDamaged DNA binding protein 1(DDB1)、及び26Sプロテアソームを構成する19S regulatory particle(PA700)中の成分であるregulatory subunit 2,3,4,5,6A,6B,10,13を同定した。

 そこで確証を得るためGST-CUL4B(N-terminal)をベイトとしてHeLa細胞核抽出液から結合因子を精製したところ、DDB1やユビキチン鎖伸長因子E4Bと共にTBL3が同定された。実際、胎児腎臓由来HEK293F細胞においてもCUL4B,DDB1,TBL3,WDR37はAhRと免疫沈降で複合体を形成した。siRNAにより内因性遺伝子発現量を減少させるRNAi法を用いてTBL3またはWDR37をノックダウンするとAhRとCUL4Bとの相互作用が消失したことから、これら2つの因子はCUL4BをAhRにリクルートする役割を有すると考えられた。さらに、TBL3,WDR37はAhRのC末端転写活性化領域とGST-pulldown assayにて直接相互作用した。

第四章 AhR機能及びAhRを介したエストロゲン経路制御におけるCUL4B複合体の役割の解析

 次に、3MCにより誘導されるAhRのユビキチン化依存的分解へのCUL4B複合体の関与を検討した。HEK293F細胞においてCUL4B,TBL3,WDR37を強発現させると、AhRの3MC依存的分解及び細胞内でのユビキチン化が亢進した。また、In vitro系においてTBL3免疫沈降産物は自己ユビキチン化活性を有していたことから、これら因子がAhRのユビキチン化依存的分解を担っていると考えられた。

 そこで、AhRとの相互作用により促進されるERα分解亢進に対するCUL4B複合体の関与を検討した。HEK293F細胞でのERα及びAhR強発現下において、CUL4B、TBL3、WDR37を発現させると、協調的にERαの分解を促進した。一方、MCF-7細胞においてこれら内因性因子をRNAi法によりノックダウンしたところ、ERαの3MC依存的分解が減弱されることが明らかとなった。この結果から、3MCで活性化したAhRを介してERαをユビキチン化する経路はこの複合体が主に担っていることが示唆された。

 最後に、AhRを介したERα転写機能抑制に対するCUL4B複合体の関与をレポーターアッセイにより検討した。その結果、3MC依存的なERα転写機能抑制はこれら因子の強発現により亢進し、ノックダウンにより減弱することが明らかとなった。これらの結果から、今回取得したCUL4B複合体はAhRとERαの抑制的なクロストークを担う複合体であると考えられた。

第五章 総合討論

1.AhRによるER機能抑制機構としてのユビキチン化経路の同定

 本研究では、AhRによるERα転写機能抑制はERαのユビキチン化依存的分解促進を介していることを明らかにした。従って、AhRはERαに対して転写共役因子のリクルートとユビキチンリガーゼのリクルートという二種類の作用を発揮し、両者のバランスにより正負両方向の機能制御が生じていると考えられた。

2.AhRによるER機能抑制を担う転写制御複合体の同定

 次に本研究において、リガンド依存的に生細胞内で形成された種々のAhR相互作用核内複合体を分画・精製する方法を確立し、AhRとERαとのクロストークを担うユビキチンリガーゼ複合体を同定した。複合体構成因子群の発現量依存的にAhRを介したERα機能制御が亢進・減弱することから、この複合体がAhRによるエストロゲンシグナル制御を規定することが示唆された。AhRを介したダイオキシン類の毒性の一部は、他クラスの転写制御因子を介したシグナル経路とのクロストークによって発揮されると考えられている。CUL4B複合体はこのようなクロストークを仲介する複合体として初めての例である。

3.本研究の成果と今後の課題

 これまでダイオキシン類の内分泌撹乱作用として、エストロゲン様に働くという報告・エストロゲン作用を阻害するという報告の両方があり謎に包まれていた。本研究を踏まえるとダイオキシン類のエストロゲン撹乱作用は、体内エストロゲン濃度や、CUL4B複合体構成因子群の発現量・活性強度の組織ごと・個体ごとの差異によって規定される可能性がある。今後、ノックアウトマウスの作製により、子宮や乳腺などのエストロゲン標的組織において実際にこれら因子がダイオキシン類のエストロゲンシグナル制御に関わっているか否かを検討する必要がある。

 また、今回AhRに相互作用する複数の複合体の分取に成功した。これら複合体はエストロゲン撹乱作用以外にもAhRの多様な毒性作用を仲介する可能性があり、今後の解析は興味深い。

 以上、本研究では転写制御機構の観点からダイオキシン類によるエストロゲン撹乱作用の分子機構を解析し、ダイオキシン類の多様な毒性機構の一部を転写制御複合体レベルで明らかにした。本研究は、環境汚染物質がヒトの健康に及ぼす影響の分子機構と関与する遺伝子的基盤の解明の一端を担うものである。

1) Ohtake, F. et al. Modulation of oestrogen receptor signalling by association with the activated dioxin receptor, Nature, 423, 545-550(2003)
審査要旨 要旨を表示する

 本研究はダイオキシン類の内分泌撹乱作用の分子機構を解析したもので、5章より構成される。近年、様々な環境汚染物質が人体の健康に及ぼす悪影響が懸念されており、これらの化学物質が内分泌系を撹乱する具体的な生体分子機構解明は重要な課題である。

 ダイオキシン類は発癌促進や免疫異常など様々な毒性作用を有する代表的な内分泌撹乱化学物質である。近年特に、主要な女性ホルモン・エストロゲンに対する撹乱作用が指摘されている。しかしながらその分子機構は大部分が不明であった。

 ダイオキシン類とエストロゲンの作用は、各々に対する特異的な受容体型転写制御因子であるダイオキシン受容体(Arylhydrocarbon receptor,AhR)及びエストロゲン受容体(Estrogen receptorα,β(ERα,β))を介して発揮されると考えられている。これら受容体を介した転写活性化過程においては、転写共役因子複合体群による多段階の制御が必須である。このような核内複合体群において、ERの機能制御に関与するものは同定されているものの、AhRの転写制御能を担う機能複合体群については現在まで報告されていない。

 そこで本研究では両者の受容体が転写制御因子であることに着目し、ダイオキシン類によるエストロゲン撹乱作用の分子機構を明らかにすることを目的とした。AhRによるERα転写機能抑制機構を検討し、次にこの抑制制御を担う転写制御複合体の同定を試みた。

 第二章ではエストロゲン存在下におけるAhRによるERα抑制機構を検討した。その結果まずERα蛋白量が3MC依存的に減少することが明らかとなった。プロテアソーム阻害剤であるMG132でこの効果が抑制され、ERαのユビキチン化が3MC依存的に亢進したこと、また、AhRによるERα転写機能抑制はMG132存在下では見られなかったことから、AhRによるERα機能抑制はERαのユビキチン・プロテアソーム経路による分解制御を介していることが示された。

 次に第三章では、AhRによるERα分解制御の詳細を解明するために、この分解制御を担うユビキチンリガーゼ複合体の同定を試みた。

 まず生細胞内でリガンド依存的に複合体を形成させる方法の構築を試みた。その結果、3MC処理した細胞でAhRは高分子量複合体を形成し、さらにp300、TRAP220など既知の転写共役因子複合体の構成因子が検出された。さらにグリセロール密度勾配遠心とイオン交換カラムを組み合わせた結果、AhR複合体は5つの主要な複合体に分画された。

 これら複合体中、自身のユビキチン化レベルが亢進している複合体の構成成分をTOF-MSにて同定した。その結果この画分からSCF型ユビキチンリガーゼであるcullinファミリーに属するCullin4B(CUL4B)、機能未知のTransducin-beta-like 3(TBL3)、未知因子であるKIAA0982/WDR37、Cullin 4A相互作用因子として知られるDamaged DNA binding protein 1 (DDB1)、及び26Sプロテアソームを構成する19S regulatory particle(PA700)中の成分であるregulatory subunit 2,3,4,5,6A,6B,7,13を同定した。実際、胎児腎臓由来HEK293F細胞においてもCUL4B,DDB1,TBL3,WDR37はAhRと免疫沈降で複合体を形成した。さらに、TBL3,WDR37はAhRのC末端転写活性化領域とGST-pulldown assayにて直接相互作用した。

 最後に第四章では、AhRによるERα分解亢進に対するCUL4B複合体の関与を検討した。強発現系及びRNAi法を用いた検討から、AhRを介してERαをユビキチン化する経路はこの複合体が主に担っていることが示唆された。

 最後に、AhRを介したERα転写機能抑制に対するCUL4B複合体の関与をレポーターアッセイにより検討した。その結果、3MC依存的なERα転写機能抑制はこれら因子の強発現により亢進し、ノックダウンにより減弱することが明らかとなった。これらの結果から、今回取得したCUL4B複合体はAhRとERαの抑制的なクロストークを担う複合体であると考えられた。

 以上、本研究では転写制御機構の観点から、生化学的手法を駆使してダイオキシン類によるエストロゲン撹乱作用の分子機構を解析し、ダイオキシン類の多様な毒性機構の一部を転写制御複合体レベルで明らかにした。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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