学位論文要旨



No 119228
著者(漢字) 川嶋,舟
著者(英字)
著者(カナ) カワシマ,シュウ
標題(和) 日本在来8馬種の近縁関係に関する研究
標題(洋)
報告番号 119228
報告番号 甲19228
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2779号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,良博
 総合地球環境学研究所 教授 秋道,智彌
 総合研究大学院大学 副学長 高畑,尚之
 JRA競走馬総合研究所 研究役 長谷川,晃久
 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
内容要旨 要旨を表示する

ウマEquus caballusは,紀元前3500年から3000年頃に東南ヨーロッパのステップ地帯で家畜化されたと考えられている。過去約6000年の間ウマは移動手段としての乗用や駄載等を行なう役用家畜として用いられてきた。紀元前2000年頃に戦車が発明され,ウマは戦車を牽くための家畜としてさらに重要な存在になった。その後,騎兵が広まり戦争に直接使われる軍馬として大切な存在となったウマは,富国強兵のために世界各地で育種改良をされてきた。ローマ時代には,ウマは主たる交通手段としても使われるなど,軍馬としてだけでなく人間の生活に非常に密接した家畜となった。このように,ウマは常に人間が必要とする目的のために数千年にわたり様々な改良が加えられ,現在の我々が目にすることができる様々な品種が作出された。

日本でも古くから各地にウマが飼養され,多様な目的に応じてウマの生産と改良が行なわれてきた。大化の改新以降,主に軍馬として各地で産馬が奨励されただけでなく,農耕や運搬のための使役馬としても重用され,第二次世界大戦後までウマが身近な使役用の家畜として利用されてきた。また,馬車や駄戴,農耕といった使役目的だけに使われるだけでなく,神馬として神社に奉納されるなど,日本人の生活とも密接に関わってきていた。

現存する日本在来馬は,北海道和種馬(北海道),木曽馬(長野県・木曽地方),野間馬(愛媛県・今治地方),対州馬(長崎県・対馬),御崎馬(宮崎県・都井岬),トカラ馬(鹿児島県・トカラ列島),宮古馬(沖縄県・宮古島),与那国馬(沖縄県・与那国島)の8馬種である。

これまでに日本在来馬の由来や近縁関係に関して以下の諸説が提唱されてきた。

林田重幸は,体高によって北海道和種馬・木曽馬・御崎馬を中型馬,トカラ馬・宮古馬・与那国馬を小型馬,対州馬を両者の中間型と分類した。林田によると,小型馬は縄文時代後期から弥生時代にかけて,華南一帯にいた果下馬が華南沿岸から九州に続く日本の黒潮海域に移入され,中型馬は弥生時代から古墳時代にかけて朝鮮半島を経由して移入されたと考えられる。すなわち,複数起源説を唱えた。

一方,野澤謙は,体格や体型は淘汰や人為的な操作によって比較的容易に変化する形質であると考え,環境に対してより中立的な形質である血液中の酵素および非酵素タンパクの多型を用いて日本在来馬の遺伝的な比較を行なった。その結果,日本が2波にわたって別系統のウマを受け入れたという遺伝的な裏づけを得られず,日本在来馬は,朝鮮半島付近から導入され,日本各地で改良され現在の馬種になったと考えることもできるとしている。しかし,日本在来馬の由来が一つであるのかそれとも複数であるのか,さらに各馬種がそれぞれどのような遺伝的な相同性と近縁関係にあるのかは,まだ確定されるに至っていない。

本研究では,日本在来馬の近縁関係を明らかとするために,形態学的な解析,聞き取り調査,分子生物学的な解析,および歴史学的な文献調査を行なった。形態学的な解析においては,日本在来馬の各馬種を直接観察し,さらに飼養形態等を飼養者から聞き取り調査を行なうことで,現存する日本在来馬の形態学的特徴や特性を明らかにした。分子生物学的な解析では,ミトコンドリアDNAコントロール領域における遺伝的変異を分析することによって,各日本在来馬の遺伝的な多様性から近縁関係を明らかにした。歴史学的な文献調査では,日本での在来馬の生産・改良の状況とウマの売買と移動の様子を中心に明らかにした。

形態学的調査の結果,本研究に用いた現存する日本在来馬は,これまでに明らかにされた日本在来馬の形態的特徴を有していた。すなわち,小型の野間馬で体高約110cm,より大型の北海道和種馬と木曽馬で体高約130cmであった。各馬種とも,欧米の改良馬種と比較して頭部が大きく,後肢はX字状であるものが多く,蹄は堅く通常の使役では装蹄を必要としない個体が多い。北海道和種馬や木曽馬,野間馬のように,鹿毛・栗毛・河原毛・月毛など様々な毛色を持つ馬種もあるが,御崎馬やトカラ馬,宮古馬のように鹿毛もしくは栗毛が中心で毛色の種類が少ない馬種と様々である。日本在来馬の中には,側対歩と呼ばれる特徴的な歩様を行なう個体が報告されているが,北海道和種馬では現在でも「じみち」とよばれる側対歩の歩行を行なう個体がいることを確認した。北海道和種馬の飼養者の多くは「じみち」が北海道和種馬の特徴の一つであると考えている。また,木曽馬や御崎馬もかつては側対歩を行なう個体が存在したとの報告があるが,本研究において確認することはできなかった。聞き取り調査の結果,各馬種とも農耕や使役などの使用目的に合わせて選択と改良が行なわれていたことが明らかとなった。

分子生物学的な解析において,日本在来馬8馬種計345個体について,比較的変異の多い部位とされるミトコンドリアDNAコントロール領域に含まれる412塩基の配列を決定し,遺伝的な多様度および近縁関係について検討を行なった。

この結果,日本在来馬には,14種類のハプロタイプが存在することが明らかとなった。各馬種の塩基多様度(π)を計算した結果,木曽馬は日本在来馬全体よりも,遺伝的な多様度が高い集団であることが明らかとなった。御崎馬,対州馬は,木曽馬に次いで多様度の高い集団であった。一方,野間馬やトカラ馬のように全く多様度のない集団も存在した。野間馬については,家系図によると非常に強いボトルネックを経験していることから,聞き取りによる調査と分子生物学的な解析の結果が一致した。

ハプロタイプを用いた系統樹では,図1に示すように,各馬種に様々な由来のハプロタイプが存在していることが明らかである。日本在来馬に存在する14種類のハプロタイプの中には,サラブレッドやアラブ馬などと同一もしくは非常に近いハプロタイプが存在している。

日本在来馬の遺伝的な多様度は,以下の2つの理由によるものと考えられる。

系統樹を用いて各ハプロタイプの分子時間を推定すると,いずれのハプロタイプもウマが家畜化された約6000年よりも長いことが明らかとなった。その結果,ウマは家畜化された段階で,既に遺伝的に高い多様度を持っており,現在までその多様度が維持されている家畜であると考えられる。一方,北海道(北海道和種馬)と沖縄県与那国島(与那国馬)や長野県開田高原(木曽馬)と長崎県対馬(対州馬)のようにそれぞれ離れた地域で飼養されている在来馬に共通のハプロタイプが存在する事実は,離れた地域間で売買が行なわれるなどの人為的な要因による移出入があった可能性を示唆する。

本研究において実施した文献調査の結果は,従来から言われているように,日本の歴史において,ウマは権力者にとって軍事上重要な生物として位置づけられ,日本各地の馬産地では良いウマを作るために,奥州をはじめとする良馬の産地からウマを導入し改良することが行なわれていたことを示している。

本研究では,日本在来馬の起源を明らかにすることはできなかったが,日本在来馬が,遺伝的な多様度の高い集団であること,共通のハプロタイプを持つ馬種が存在することを明らかにすることができた。また,同じハプロタイプが地域の離れた馬種間に存在していることは,人為的なウマの移動が比較的広範囲で行なわれていた可能性を遺伝的にも歴史的にも肯定するものである。現存する日本在来馬に見られる体型や毛色の多様性は,各地において改良と選択が行なわれた結果,さらに高まったと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は,現存する日本在来馬,北海道和種馬(北海道),木曽馬(長野県・木曽地方),野間馬(愛媛県・今治地方),対州馬(長崎県・対馬),御崎馬(宮崎県・都井岬),トカラ馬(鹿児島県・トカラ列島),宮古馬(沖縄県・宮古島),与那国馬(沖縄県・与那国島)計8馬種の近縁関係について検討したものである。

これまでに日本在来馬の由来や近縁関係に関して,諸説が提唱されてきたが,日本在来馬の由来が単一起源であるのかそれとも複数起源であるのか,さらに各馬種がそれぞれどのような遺伝学的な相同性と近縁関係にあるのかは,まだ確定されるに至っていない。

本研究では,日本在来馬の近縁関係を明らかとするために,形態学的な解析,聞き取り調査,分子生物学的な解析,および歴史学的な文献調査を行なった。形態学的な解析においては,日本在来馬の各馬種を直接観察し,さらに飼養形態等を飼養者から聞き取り調査を行なうことで,現存する日本在来馬の形態学的特徴や特性を明らかにした。分子生物学的な解析では,ミトコンドリアDNAコントロール領域における遺伝的変異を分析することによって,各日本在来馬の遺伝的な多様性から近縁関係を明らかにした。歴史学的な文献調査では,日本国内のウマの生産・改良の状況とウマの売買と移動の様子を中心に明らかにした。

形態学的な調査の結果,本研究に用いた現存する日本在来馬は,これまでに明らかにされた日本在来馬の形態的特徴を有していた。すなわち,小型の野間馬で体高約110cm,より大型の北海道和種馬と木曽馬で体高約130cmであった。各馬種とも,欧米の改良馬種と比較して頭部が大きく,後肢はX字状であるものが多く,蹄は堅く通常の使役では装蹄を必要としない個体が多い。北海道和種馬や木曽馬,野間馬のように,鹿毛・栗毛・河原毛・月毛など様々な毛色を持つ馬種もあるが,御崎馬やトカラ馬,宮古馬のように鹿毛もしくは栗毛が中心で毛色の種類が少ない馬種と様々である。日本在来馬の中には,側対歩と呼ばれる特徴的な歩様を行なう個体が報告されているが,北海道和種馬では現在でも「じみち」と呼ばれる側対歩の歩様を行なう個体がいることを確認した。北海道和種馬の飼養者の多くは「じみち」が北海道和種馬の特徴の一つであると考えている。聞き取り調査の結果,各馬種とも農耕や使役などの使用目的に合わせて選択と改良が行なわれていたことが明らかとなった。

分子生物学的な解析において,日本在来馬8馬種計345個体について,比較的変異の多い部位とされるミトコンドリアDNAコントロール領域に含まれる412塩基の配列を決定し,遺伝学的な多様度および近縁関係について検討を行なった。

この結果,日本在来馬には,14種類のハプロタイプが存在することが明らかとなった。各馬種の塩基多様度(π)を計算した結果,木曽馬は日本在来馬全体よりも,遺伝学的な多様度が高い集団であることが明らかとなった。一方,野間馬やトカラ馬のように全く多様度のない集団も存在した。野間馬については,家系図によると非常に強いボトルネックを経験していることから,聞き取りによる調査と遺伝学的な調査の結果が一致した。

日本在来馬に存在する14種類のハプロタイプの中には,サラブレットやアラブ馬などと同一もしくは非常に近いハプロタイプが存在している。

日本在来馬の遺伝学的な多様度は,以下の2つの理由によるものと考えられる。

ウマは家畜化された段階で,既に遺伝学的に高い多様度を持っており,現在までその多様度が維持されている家畜であると考えられる。一方,北海道と沖縄県与那国島や長野県開田高原と長崎県対馬のようにそれぞれ離れた地域で飼養されている在来馬に共通のハプロタイプが存在する事実は,離れた地域間で売買が行なわれるなどの人為的な要因による移出入があった可能性を示唆する。

本研究において実施した文献調査の結果は,従来から言われているように,日本の歴史において,ウマは権力者にとって軍事上重要な生物として位置づけられ,良いウマを作るために,奥州をはじめとする良馬の産地からウマを導入し改良することが行なわれていたことを示している。

本研究では,日本在来馬の起源を明らかにすることはできなかったが,日本在来馬が,遺伝学的な多様度の高い集団であること,共通のハプロタイプを持つ馬種が存在することを明らかにすることができた。また,同じハプロタイプが地域の離れた馬種間に存在していることは,人為的なウマの移動が比較的広範囲で行なわれていた可能性を遺伝学的にも歴史的にも肯定するものである。さらに,現存する日本在来馬に見られる体型や毛色の多様性は,各地において改良と選択が行なわれた結果,さらに高まったと考えられる。

本論文は,形態学的調査,聞き取り調査,分子生物学的調査,歴史学的な文献資(史)料調査を同時に行ない,日本在来馬の近縁関係について明らかにしたものであり,学際的研究として評価できる。よって,審査委員一同は,本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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