学位論文要旨



No 118723
著者(漢字) 王,京
著者(英字)
著者(カナ) オウ,ケイヒン
標題(和) 中国国有企業の金融構造分析
標題(洋)
報告番号 118723
報告番号 甲18723
学位授与日 2004.03.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第179号
研究科 経済学研究科
専攻 現代経済専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,正直
 東京大学 教授 田嶋,俊雄
 東京大学 助教授 澤田,康幸
 東京大学 助教授 丸川,知雄
 東京大学 教授 田中,信行
内容要旨 要旨を表示する

中国は、1970年代の末に改革開放を行い、実体経済が著しく市場化に向けて進展した。実体経済の市場化は中国における「属地的経済システム」という性格に規定され、まず「下」から内発的に、人々の行動様式の市場化として現れる。それが所得水準を引き上げた場合に、政府の市場経済発展容認的アプローチにより正当化される。こうして形成された制度は往々にして条例や政令などを中心とする低次元的経済制度となる。低次元的経済制度は経済主体の行動基準になしない。それは、良好な経済成果をもたらした市場化行動を普及するための一種のシナリオである。中国の経済発展を動的過程として捉える際に、経済主体の行動様式の市場化は、良好な経済成果の原因であると同時に、市場経済発展容認的アプローチに促進されて次の歴史段階における経済改革の結果にもなる。すなわち、経済行動の市場化→経済成果→経済制度→経済行動の市場化の拡大、という循環で中国経済改革が行われてきたのである。

経済行動の市場化は実体面における生産・投資活動の市場化である。生産・投資活動は金融面において金融構造、すなわち部門別・期間別の資金需給関係として反映される。金融構造の調整過程は、経済主体の行動様式を反映しているのみならず、同時に経済制度(金融制度)のあり方に依存している。一方、金融制度は金融構造の変化によって変革をうける。従って、金融構造の解明は、中国経済の改革の動的過程における経済主体の行動様式と制度形成を的確に捉えるために不可欠である。

本研究は、国有企業金融をめぐって近年公表された公式データや、筆者の独自に調査したデータなどを利用し、実証分析を行う。その目的は、国有企業の金融構造に反映される行動様式の市場化を検証することである。さらに実証結果を援用し、中国の経済改革に対する評価を試みる。

本研究は、序章、六つの章、補章および終章から構成される。

序章では、問題意識や先行研究および研究方法についての検討が行われる。市場の未発達のもとで出発した中国の経済改革における経済行動、経済成果、経済制度および金融構造との相互関係についての検討を通して本研究の理論付けを明確化する。また、中国国有企業の融資行動に対する「ソフトな予算制約」という説明は、90年代における市場経済化の進展と明らかに合致しないため、新たな研究枠組みが必要となる。そのなかで国有企業の金融構造、金融システム改革の諸側面における市場化に対する考察を通して上記の問題が解決可能である。考察するにあたって、限られたデータを最大限に生かし、実証水準を高めるために、歴史的帰納法や統計的手法が併用される。

第1章は、国有企業金融をめぐる諸制度の形成についての検討である。第1章では、まず国有企業の資金循環をめぐる諸制度については、改革後の1979年から現在に至るまでの変容が検討され、国有企業の資金循環における市場化の特徴が不可逆的に進行していることが指摘できよう。そこで、1979年から92年までの時期を市場化萌芽の歴史的段階として、1993年から98年までの時期を市場化進展の歴史的段階、1999年以降は制度化された市場経済に向けて出発した歴史的段階にわけて、国有企業における資金調達と運用制度の変容について検討を行った。上述した歴史的区分は、金融制度改革や国有企業改革に対する検討においてきわめて重要である。

第2章は、企業の資金調達と運用制度や行動様式をマクロ的に制約している中国の金融制度改革についての再検討である。そこにおいて金融組織の拡大を中心とする金融システムの確立やマクロ的金融調節方式の直接コントロールから間接コントロールへの変化などが検討されたあと、金融制度改革の一環として長期資本市場の育成を目的としたの国有企業株式化が考察された。こうした再検討を通して、金融制度改革における市場化が段階的に進展してきたことを明らかにした。

上述した第1章および第2章の検討を通して、中国の経済改革における制度形成の特徴が浮き彫りになる。要するに、中国共産党が制度形成において支配的な役割を果たす中で、「事実求是」に凝縮される経験主義(政治学的には「現場主義」)の思考法により、制度が経済主体の行動基準として機能していない局面がしばしば存在する。その結果、経済改革の過程において制度面における「創造的破壊」が経済主体により自発的かつ頻繁に行われ、市場化のテンポが増幅されたと思われる。その最初の過程は低次元的経済制度のもとで市場経済発展容認的アプローチにより正当化され、拡大されるプロセスである。1995年以降、市場的要素がかなり定着した状況では、制度面における破壊より、制度を遵守することによる取引費用の節約が重要視され、法制度を中心に高次元的経済制度の整備が急激に進展した。

第3章は、マクロ的な金融構造の特徴を析出するものである。ここでは、企業金融を規定する中国経済のマクロ的な資金循環の特徴が検討される。1990年代の投資貯蓄構造がほぼ均衡している中国経済では、企業部門が最大の資金不足主体、家計部門が最大の資金余剰主体であって、貯蓄主体と投資主体の分離が進展している。中国における経済発展の資金源は徐々に人々の経常貯蓄が主体となったが、金融制度に制約され、そうした個人の経常貯蓄は、主に銀行預金という形態で所有されている。また、国有銀行とその他の銀行の間の資金の偏在が深刻な状態にある。このもとで、貸出市場においては、オーバー・ローン、オーバー・ボロイングと間接金融優位などの金融構造的な特徴が顕著である。

第4章は、国有企業の金融構造と収益性についての分析である。ここでは、工業企業を中心に、その資本構成と収益性との関係が検討される。国有企業をその他の所有形態の企業(集団所有制企業(「集体企業」)、港澳台企業(台湾・香港・マカオの三地域の企業)、外資系企業、株式制企業)に比べると、外部資金調達において主として銀行借入金に依存するという特徴が明らかである。また、付加価値構造の計測を通して、国有企業は、間接税、固定資本減耗および支払利息の割合が高いため、収益性が圧迫されたことが明らかとなった。それは、国有企業の収益性指標たる売上高安全余裕度が最低位にあるという結果につながる。しかし、それも1998年度を底にV字型を描き、回復しつつある。従って、国有企業改革、金融改革はかなりの成功を収めたといえよう。全体的に、国有企業の低収益性は硬直化した金融構造に起因し、資本効率の悪化による要因が大きい。労働分配率の上昇による要因はむしろ限定的に考えるべきである。

第5章は、山東省地方国有企業の金融構造に焦点を当てた。中国経済の「属地的性格」を考慮すれば、地域における地方国有企業に焦点を当てることが不可欠であろう。ここでは、筆者の実地調査により収集した山東省済南市および臨沂市の29社の地方国有企業のデータに基づき、地方国有企業における二重構造の特徴について検討を行った。企業の総資本付加価値率は、総資産規模の大きい企業ほど低く、一人当たり実質賃金率は総資産規模の大きい企業ほど高い、という特徴がそれである。この資産規模による二重構造の存在は、地方国有企業の行動様式を規定し、市場化の順序が小型企業から中型企業を経て大型企業へという順に展開されていることにも示される。また、地方国有企業の企業金融における外部資金、特に銀行借入金依存型の決定メカニズムが検討され、その結果、制度的要因として考えられる「ソフトな予算制約」は、中型企業において検出されたものの小型企業においては検出されなかった。「倒逼機制」(追い貸し)は、大型企業にのみ存在する可能性が高い。小型企業グループにおいて、企業の成長性、借入リスクプレミアム、内部資金といった要因は、市場メカニズムが働く場合と同じ理論的符号条件が満たされ、借入金の決定的な制約条件になっていると言えよう。

第6章では、各国の金融システムの経済的機能を資本コストとコーポレート・ガバナンスの二項目に集約し、英米型の直接金融システムおよび日本・ドイツ型の間接金融システムと比較考察を行った。資本コストは、英米型および日本・ドイツ型の両方に対して近い水準を示した。コーポレート・ガバナンスは、英米型における買収機能も日本・ドイツ型におけるメインバンク機能もいずれも限定的であった。共通しているのは、経済に内在している市場メカニズムである。この結果の含意は、中国の金融改革は経済的機能の側面から市場化促進的なものでなければならないというものである。そこで、考察の結果、資本コストは、英・米・日本・ドイツの四カ国の水準に接近しつつあることが検出された。株式所有構造や負債構造が上場企業の収益性に対して持つ規律付けのメカニズムにおいては、経営効率性が低下した場合に銀行借入による資金調達が行われ、負債による経営の規律付けメカニズムが存在しないという点が着目される。株式所有構造の諸要因も経営効率性に対する効果は期待できない。これは、先進国において株式市場からの企業経営へのコーポレート・ガバナンス効果が限定的であるという最近の研究成果と同様である。結論として、中国の金融改革は、市場を重視する変革過程であり、その過程において金融の経済的機能は徐々に向上してきていることが示される。

終章では、本研究で得られた結論がまとめられ、残された課題に対する展望が行われる。

補章は、中国国有企業の株式化をめぐる中屋−王論争を再録したものである。ここでは、中屋信彦氏の持つ国有企業の株式会社化により社会主義がかえって維持・強化されたといった視角に対する批判および再批判が行われる。中国国有企業の株式化過程における資本金の圧縮計上や発行価格の資本準備金への計上といった諸問題は市場経済の合理性に合致するプロセスを辿って、市場化の進展として考えるべきである

審査要旨 要旨を表示する

王京濱氏の博士学位請求論文「中国国有企業の金融構造分析」は、1980年代から現在に至る最近20年間の中国経済の市場化過程を、中国国有企業の金融構造に着目して、理論的かつ歴史実証的に解明しようとした試みである。分析の基本視点は、経済政策主体における「市場経済発展容認的アプローチ」と経済主体における市場的経済行動の相互関係の解明に置かれている。

「社会主義市場経済」への移行過程における中国金融システムをめぐる諸問題に関しては、これまで、漢語、日本語、英語、そのいずれにおいても、かなりの数の研究蓄積がある。本論文は、これらの先行研究に対して丁寧な目配りを行った上で研究史批判を展開し、企業金融、それも国有企業における企業金融に焦点を絞りこんで実証分析を行い、それを市場経済化の論理と整合的に把握しようとしている。

中国経済研究において研究者がしばしば直面する問題は、使用可能データ・文献資料の圧倒的不足である。この問題は、金融システム分析、金融制度分析を行おうとするときにとくに著しい。中国政府当局および金融機関によって公開されてきたデータは、企業データ、地域データに比べ著しく少なく、また機密性も高い。本論文では、この限界を克服するために、利用可能なほとんどの公表データを収集するとともに、著者独自の国有企業の実態調査により、定量的データベースの作成と、定性的な資料の収集を行った。そして、この面で本論文は注目に値すべき分析結果をあげており、従来、不十分にしか明らかでなかった国有企業の資金調達や資金運用、金融機関との関係を、個別国有企業のレベルではじめて具体的に提示し、その実態を明らかにした。

本論文の構成は、次のとおりである。

序 論

第1章 国有企業の資金調達と運用制度における歴史的変容 第2章 金融制度改革と株式制の導入 第3章 マクロ的資金循環の特徴 第4章 工業企業の資本構成と収益性分析 第5章 山東省における地方国有企業の金融構造 第6章 金融システムの経済的機能と中国の金融改革 終 章 中国の経済改革と市場化

補 章 中国国有企業の株式会社化をどう見るべきか

以下、各章の内容を、若干のコメントも含め、要約・紹介する。

序論では、本論文の課題、研究方法、構成が概括的に示される。まず、研究史の整理とその批判的検討が、中国経済研究、移行経済研究、開発経済研究、経済史研究などかなり広い範囲でなされたうえで、従来の手法や視点を超えた「国有企業の企業金融」分析の必要性が強調されている。分析の手法としては、伝統的な定性分析、経済史的分析と、正統的な計量分析と最近の会計学的手法を組み合わせることが表明される。

こうした方法の設定に基づいて、まず第1章と第2章で、制度形成における「市場経済発展容認的アプローチ」の検出が目指される。第1章では、20年以上にわたって行われてきた国有企業改革を、1979〜92年の第1段階(市場経済萌芽段階=経営と所有の分離改革)、93〜98年の第2段階(市場経済進展段階=現代企業制度改革)、99年〜現在の第3段階(市場経済への発展段階=所有制改革)という3段階に区分して、それぞれの段階における制度形成の特徴把握を試みている。第1段階では、「1978年国営企業の利潤留保(→利益分配の国家から企業・従業員への傾斜→財政赤字の発現)→1980年固定資産投資資金の財政投資から銀行貸出への切替(撥改貸)→1983年「利改税」改革→1987年請負経営責任制」という形で進んだ改革が、所有と経営の分離=国有企業・公有企業の法人化に帰結していくプロセスが概観される。ただし、この段階では「所有者たる国家や集団の企業財産に対する使用、処分などの直接関係」(p.18)は失われておらず、過渡的なものと位置づけられている。続く第2段階では、93年の「企業財務通則」「企業会計準則」、94年の「分税制」「会社法」によって、近代的ないし現代資本主義企業的改革が進められ、「国有企業金融における計画主義的な専用基金方式は終止符が打たれた」(p.20)としている。99年以降の第3段階では、98年を境とした「不足経済」から「過剰経済」への転換の下で、「下から発生した合理的な市場化要請にトップ指導者は受動的に追認し、鼓舞する役割を果た」(p.21)し、法制度が整備されていくとしている。以上の時期区分は、既存の研究史の線にほぼ沿ったものといえようが、著者が強調する経済政策主体における「市場経済発展容認的アプローチ」が、どのようにこの段階区分に照応しているかは、必ずしも十分に説得的ではない。

第2章では、国有企業の資金調達と資金運用のあり方を規定しているマクロ的な金融制度改革と、株式制度の導入との関連の検討が課題とされる。第1節では、1979年以来の金融制度改革を、金融組織の改革、マクロ金融調整方式の変化の2点から概観している。金融組織改革では、各種金融組織が検討の対象とされながらも、分析の力点は中国人民銀行の中央銀行化過程に置かれ、98年以降の「大突破」の時期に、「『属地的性格』を帯びた」「分権的な『横系統』から集権的な『縦系統』への収束過程」(p.31)が進んだとしている。また、マクロ金融調整方式の変化については、同じく98年を境に、直接コントロール方式から間接コントロール方式への転換が生じたとしている。第2節では、従来国有企業改革との関係から論じられてきた株式制の導入過程を、資金調達機能としての株式制という金融的側面から再把握しようとしている。ただし、中央銀行機能についてのもう少し立ち入った理論的把握がないと、堀内説(分権的市場経済への移行)への批判としては不十分であろう。本論文自体の記述も、やや混乱している所が何箇所か見受けられる。また、財政金融システムの「属地的性格」(およびそこからの離脱)という評価も、財政機能と金融機能の連関や区分について具体的に論じられていないため、主張の説得力を弱めている。

第3章と第4章では、企業をめぐるマクロ的資金循環のあり方が、金融構造のあり方と企業金融の側の両面から分析される。第3章の金融構造分析では、「(1)経済主体の貯蓄・投資パターン、(2)究極的貸し手の資産選択」(p.45)の2つの側面を重視した検討が行われている。最近20年間における、部門別資金過不足、金融資産蓄積、資金偏在などが検討の対象とされ、結論的には、この20年を通じ現時点まで、日本の高度成長期と類似した金融構造の存在、すなわち、間接金融、オーバーローン、オーバーボロウイング、資金偏在の存在が検出される。他方で、著者は「一般的資産保有者による資金供給のメカニズムが不可逆的に進行するにつれ、貯蓄主体の市場的行動様式は、金融資産の選択を通して資金需要主体の金融手段を変容させ」(p.61)つつあることを強調している。だが、このロジックは、表3-4(p.52)をみる限り(1988年→2001年、間接金融比率88.5%→84.3%)、必ずしも説得的ではない。また、オーバーローン、オーバーボロウイングの定義と、叙述が整合的でない箇所がある。とくに、「国有企業」がオーバーボロウイングとなっているとみなす根拠が明示されていない点も気にかかる。

第4章では、従来の中国企業金融に関する研究が、資金調達面に偏っていたという批判の上で、資金調達、資金運用の両面を検討する必要性を強調し、資本構成論の視角からの分析を加えている。まず、1990年代の中国企業部門の資金調達、資金運用が、内部資金・外部資金、実物投資・金融資産運用から検討され、「企業は、一方で不足資金を外部資金、とりわけ銀行借入で調達し、もう一方でその借入金の5割ほどを収益のもたらさない銀行預金に運用している。その結果、資金の利用効率性が大きく阻害されている」(p.65)という結論を導いている。この結論の上で、企業の資本構成と収益性の分析、付加価値構造の分析、企業収益性の分析が、国有企業、公有企業、株式制企業、外資企業、三資企業の比較により行われる。結論的には、(1)外部負債比率が高い国有企業・公有企業では収益性が低く、そうでない株式制企業・外資企業・三資企業ではそれが高いという新たなファクツ・ファインディングがなされ、(2)既存の研究が、「国有企業の収益性低下を労働への過剰分配に求めている」のに対し、その有効性が検出できるのは「90年代初頭の数年間にとどまり」、むしろ「非効率な資本を過剰に投下したことと投下資本を銀行借入に依存したことによる支払利息の上昇という資本側面に原因を求める」(pp.76-77)べきであるとしている。

付加価値構造、資本装備率、労働生産性、資本生産性、損益分岐点余裕度などを組み合わせた本章の分析は概ね説得的であるが、補論に示されている推計手法をみると、「総資産額」「支払利息」「減価償却費」のそれぞれの推計は別個の手続きによってなされ、それが集計されているため、データの整合性を図るにはさらに改善が必要と思われる。また、(1)の発見と、第1節で解説されているペッキングオーダー仮説・エイジェンシーコストとの関係が詰められていないという問題も残る。一般に、負債による資金調達が企業のガバナンスにどのような影響をもたらすかは、その企業が過剰投資問題に直面しているか、過少投資問題に直面しているかに依存していると考えられる。p.96 のケーススタディの解釈との関連を含め、実証結果についての何らかの理論的解釈が必要であろう。さらに、企業区分の名称(概念規定)については、中国における分類、日本における分類と整合性がなく、修正が必要である。

以上の分析を受けて、第5章では、山東省における地方国有企業の金融構造分析が行われる。本章は本論文の中心部分をなしており、従来不十分にしか明らかにされていなかった中国国有企業の資金調達と資金運用の構造や機能およびその実態が、具体的かつ実証的に明らかにされている。まず、著者自身の国有企業の実態調査に基づき、山東省国有企業29社の資産規模、収益性、資本効率性が検討され、具体的分析は「規模別に大、中、小の3つの群に分類して考察する」という方針を提示する。

この分類に沿って、国有企業の投資決定要因、投資額決定要因、意思決定主体、資金調達方法、銀行借入の決定要因、銀行の債権保全策などが、企業アンケート結果の分析により検討される。ここでの結論は、(1)「人質仮説」は小型企業には無く大型企業にあてはまる、(2)ソフト予算制約は、中型企業にのみ見られる、というものである。このファクツ・ファインディングについて、本論文は「市場化の進展順序」(国有大企業ほど市場化が遅れる)という解釈を与えているが、国有大型企業の場合、日本の文脈で議論されたように“Too Big to fail”であるという可能性もあり、この点について更に検討を詰める必要があろう。また、山東省における29社(実際の分析に用いられている24社)のサンプルとしての代表性(バイアスが存在するか否か)について述べる必要もある。さらに、計測結果のR2が非常に低いことも問題として残る。

第6章では、企業の資本コストとコーポレートガバナンスに着目した「金融システムの経済的機能」の分析が行われる。実質負債コストと実質株主資本コストを、それぞれ、〓…実質負債コスト 〓…実質株主資本コスト   ただし、Rd名目金利、τ法人税率、π期待インフレ率 E一株当り収益、P株価、g一定の名目成長率 と定義したうえで推計を行い、中国においても、(1)他の先進国と同様に、実質株主資本コスト>実質総資本コスト>実質長期負債コストという関係が存在した、(2)実質負債コストは、93年から98年まで上昇し続けた後、低下に転じた、(3)実質資本コストは先進国と比較すると不安定で高位に推移した、というファクツを新たに発見している。そして、この発見から、中国では「金融システムの経済的機能」は低いが、徐々に「市場原理に基づく『真』のものに変身しつつある」(p.122)という解釈を与えている。この結論は、本章のポイントであるだけに、この推計に用いたデータおよび具体的な計測手続きをより詳しく説明する必要があったと考えられる。

また、コーポレートガバナンスに関しては、上海株式取引所上場製造業企業の財務データを基礎に、ROAを被説明変数とし、負債比率、銀行借入比率、国家株比率、市場流通株比率を説明変数とする回帰式により、企業経営の規律付けメカニズムがどのように働いたかを検討している。特に低成長企業においては、負債比率・銀行借入比率は効率性に対して負の係数となり、理論的推定とは逆の結果となっているという推計結果が強調され、この結果に対して、著者は、一種の「銀行借入による損失の補填という逆因果関係」が見られる(pp.125、127)と解釈している。このことは、低成長企業におけるソフト予算制約仮説を支持しているともいえるが、他方、この推計結果は、計量分析上は「内生性バイアス(Endogeneity bias)」の存在も示唆している。従って、(1)DEBTないしはLOANを被説明変数として表6-3・表6-4を再推計し(ただし、右辺は当年度ROAもしくはROA平均値のどちらか一方のみを入れる)、逆の因果関係を検証しておくか、(2)DEBT, LOANを内生変数として表6-4・表6-5に相当する推計を操作変数法(二段階最小二乗法)で推計する、というチェックを行っておく必要があると考えられる。

終章では、以上の6章の分析結果が、中国経済改革の特徴という観点から、以下の4点にまとめられている。(1)改革への起動力は、中国経済の「属地的性格」に規定された「下」からの内発的市場化にあった、(2)始まった市場化は、政府の「市場経済発展容認的アプローチ」によって進展した、(3)これに対応して、金融制度、金融構造、企業金融も徐々に「市場経済の原理」(p.131)に適合的な方向に変わっていった、(4)これらの改革は「漸進主義」的に進行した。そして、今後の課題として、(1)中国経済の「属地的性格」の変貌と不変の対抗関係の検討、とくに財政システムの検討、(2)産業組織構造、とくに産業の集積化と寡占化の金融と連関させた分析、(3)銀行業の産業組織論的分析、(4)金融自由化と金融不安定性との関連の分析、の4点をあげている。最後の補章では、著者が中屋信彦と行った論争を改めて総括し、「国有企業の株式会社化は、社会主義の強化」ではなく、市場化への一階梯として把握すべきであるという著者の主張を再確認している。

以上に要約したように、本論文は、最近20年間の中国経済の市場化過程を、中国国有企業をめぐる金融構造を柱に検討し、これまで不十分にしか検討されてこなかった中国国有企業の資金調達と資金運用の構造や機能およびその実態を、具体的かつ実証的に解明したものである。以下、評価と問題点についてまとめて述べる。

評価すべき第1の点は、研究史上の空白に挑戦し、重要なファクツ・ファインディングスを行ったことである。近年の中国金融構造分析、金融市場分析において重視されてきたのは、金融機関側の不良債権問題やそれに対する政策的対応、あるいは開発金融論的視点からの銀行部門の制度的特徴や信用割当、外資導入と資本移動規制などであった。これに対し、本論文は、これまでブラック・ボックスにあった国有企業の資金調達、資金運用のあり方を、企業内部資料の収集、インタビュー調査などを組み合わせてはじめて具体的に検討し、それを金融構造分析と結びつけたものとなっている。この点に関しては、本論文はパイオニア・ワーク的な位置を占めるといえる。

第2は、このような企業金融の分析を、中国金融システム、中国経済システム全体のなかに位置付けようと試みていることである。その際、第1に、最近20年間の市場経済化の推移のなかで金融システム・企業金融の変遷を見るという歴史的視点と、第2に、先進国金融システムと比較して中国企業金融を特徴付けるという比較の視点を一貫させた分析を行っている。この結果、90年代における中国企業金融の実態は、歴史的かつ比較論的に立体的に明らかにされている。

第3に、制度的・叙述的分析と計量的分析の統合を図っていることである。この試みはこれまで見てきたように必ずしも成功しているとは言い難いが、こうした試みに挑戦した意欲は高く評価される。一般に、開発経済ないし移行経済においては、市場分析のみでは割りきれない部分がきわめて大きいことは、これまで一般に指摘されているが、本論文の試みにより、先行研究の見解のいくつかが修正され、中国経済の「市場経済化」について、政策主体の市場経済発展容認的アプローチと経済主体の合理的市場行動の相互関係による市場化の進展、という新しい見方が提示された。

とはいえ、本論文に問題点がないわけではない。すでに各章の要約、紹介のなかでかなり触れてきたが、第1は、金融システムや企業金融を分析していく上での、本論文の叙述方法に関する問題である。本論文では、基本的には、帰納的に歴史や現状に接近して論点を抽出し、それを実証モデルなどによって演繹的に検証するという方法が取られている。しかし、その際の理論的ベースは必ずしも明瞭ではなく、研究史整理で個別に問題点が指摘されるに止まっている。例えば、IMFや世銀、OECDなどのアジア金融市場分析においては、市場の効率性や構成主体の行動の合理性などが前提となって、どこに非効率・非合理な部分が存在するのかの検出が焦点となってきた。逆に、こうした見方を批判する側も、制度・社会・歴史などの制約要因を明示的に提示したうえで、構造や機能の分析を行うという手順がとられている。しかし、本論文では、この手続きが必ずしも充分になされておらず、そのため「市場化」という言葉が一人歩きしているところが多々みられる。この結果として、「通説」的見方に対する批判も、充分な論証なくやや結論先行的に提示されている場合がある。

第2は、インタビューやデータ処理に関する問題である。とくに、著者が作成した実証モデルにおいて、被説明変数と説明変数の選び方やその意味付けがややルーズになされているため、せっかくのインタビュー、収集資料の価値が低められている。また、公表データの正確性についての検証も不十分にしかなされておらず、もう少し丁寧なデータ採用手続きが行われていれば、本論文の意義は一層高まったと考えられる。しかし、そのためには、公表データの集計手続きについての情報収集、データ・資料との突き合わせが必要であり、現在の中国政府当局によるデータ公開の状況から考えると、これは今後の課題ともいえる。

以上のような問題点を残すとはいえ、これらは氏が今後取り組んで行くべき課題と考えられる。本論文により、中国の金融構造分析、企業金融分析に関する実証水準は大きく引き上げられた。本論文は、今後の中国金融構造分析における重要な参考文献となるだけでなく、中国国有企業分析にとっても一つの参照基準となるであろう。以上により、審査員は全員一致で本論文を経済学博士の学位を授与するにふさわしい水準にあると認定した。

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