学位論文要旨



No 117755
著者(漢字) 近能,善範
著者(英字)
著者(カナ) コンノウ,ヨシノリ
標題(和) 自動車部品取引のネットワーク構造とサプライヤーの資源・能力構築
標題(洋)
報告番号 117755
報告番号 甲17755
学位授与日 2003.03.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第166号
研究科 経済学研究科
専攻 企業・市場専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤本,隆宏
 東京大学 教授 和田,一夫
 東京大学 教授 高橋,伸夫
 東京大学 助教授 新宅,純二郎
 東京大学 助教授 粕谷,誠
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では、最近の日本の自動車部品取引において、有カサプライヤーの「取引する顧客範囲を拡大する動き」と「特定の自動車メーカーとの取引関係を緊密化する動き」が同時並行的に進んでいるのはどうしてだろうかという問題意識を出発点に、メーカー・サプライヤー間の部品取引のネットワーク構造とサプライヤーの資源・能力構築プロセスやパフォーマンスとの関係について、「構造的埋め込み理論」の観点を現実のコンテキストに落とし込んで仮説を構築し、限定的ながらも実証分析を行った。より具体的には、「主要顧客である自動車メーカーとの間で緊密な取引関係を構築した上で、なおかつ幅広い顧客との取引関係を維持するような取引ネットワークを構築したサプライヤーは、情報の獲得や自身の資源・能力構築プロセスを有利に進め、パフォーマンスも優れる傾向が見られる。」というのが筆者のメインの主張であり、本研究では、これを文献サーベイや事例分析及び統計分析を通じて明らかにした。

 日本の自動車産業におけるメーカー・サプライヤー間の部品取引関係については、最近になって、藤本・武石(1994)、Nobeoka(1997)、山田(1998)などの実証研究によって、自動車メーカーはほとんどの部品を複数のサプライヤーから調達し、逆に一次サプライヤーの多くは複数の自動車メーカーに部品を供給しているといった具合に、ある種の「多対多のネットワーク型の取引構造」が形成されているということが明らかにされている。また、さまざまな論者によって、そうした「ネットワーク型の部品取引構造」が最近になって着実に「オープン化」しつつあることも指摘されている。あるいは、上で述べたように、有カサプライヤーにおける「取引する顧客範囲を拡大する動き」と「特定の自動車メーカーとの取引関係を緊密化する動き」が同時並行的に進行しているといった具合に、現実の日本の自動車部品取引の構造はますます複雑化しつつある。しかし、にもかかわらず、「サプライヤーの資源・能力構築プロセスやパフォーマンスは、当該サプライヤーが築いてきた部品取引のネットワーク構造の差異によってどのような影響を受けるのか」という点に関しては、十分な議論と実証が行われてきたとは言い難い。

 そこで本論文では、こうした既存研究の「穴」を埋めるべく、「構造的埋め込み理論」を分析視点として、日本「の自動車産業におけるメーカー・サプライヤー間の部品取引のネットワーク構造とサプライヤーの資源・能力構築プロセスやパフォーマンスとの関係について議論を行い、仮説構築と実証分析を進めていったのである。

 その結果、本論文では以下の貢献を果たすことができたと考えられる。

 まず、理論的な貢献としては、「企業にとって、どのようなネットワーク構造を築き上げることが望ましいのか」という、従来から論争の的になっていた問題点に対して、理論的文献をサーベイする中から「強い結合を有した冗長でないネットワーク」という概念を新たに導出し、こうしたハイブリッド型のネットワーク構造こそが望ましいとの解答を提出したことが挙げられる。

 本論文では、「構造的埋め込み理論」の主張について、その理論的背景となっている「社会的ネットワークの理論」にまで遡って検討した結果、情報には、少なくとも(1)リッチさ(richness)と(2)多様性(diversity)という2つのディメンジョンがあり、そのそれぞれに対して望ましいネットワーク特性が異なるということを明らかにした。すなわち、暗黙知的な情報や機密性が高く内容の濃い情報を得ていくという「情報のリッチさ」が重要な状況の下では、メンバー間で直接的かつ頻繁なコミュニケーションが行われる「結合の強いネットワーク」(=強い紐帯and/or密なネットワーク」)の方が望ましく、付加的な新しい情報を得ていくという「情報の多様性」が重要な状況の下では、稀にしか接触しなかったり間接的にのみ関係し合っているような、異なる社会圏に属する多様なメンバーが結びつけられる傾向のある「冗長性のないネットワーク」(=「弱い紐帯and/or疎なネットワーク」)の方が望ましい、ということを明らかにした。そして、一般的に言って、企業がイノベーションを生起していくためには、「リッチで機密性の高い情報」と「多様な情報」の両方が重要となるので、結合の強いネットワークの特性と冗長性のないネットワークの特性のどちらもが必要とされ、したがってミクロレベルにおける結合の強いネットワークがマクロレベルで冗長性のないネットワークを構成するような「ハイブリッド型のネットワーク」を築くことができれば、状況に関わりなく常に望ましいということを論じた。

 第二に、実証面において、日本「の自動車部品取引の構造が最近になって着実に「オープン化」しつつあることを、公刊データを基にした定量的分析によって検証したという点を挙げることができる。このところ、日本における自動車メーカー・サプライヤー間の部品取引構造がかってない規模で変容していると論じる論文が数多い(e.g.,藤樹,2001)。しかし、そうした研究のほとんどは、マスコミ報道を引用したり逸話的なケースを幾つか提示するに留まっており、日本「における自動車部品取引の構造や変容を定量的に分析した研究はほとんど存在していない。そのため、本稿の学術的な意義は大きいものと考えられる。

 第三の、そして本研究の最大の貢献は、実証面において、「サプライヤーの資源・能力構築プロセスやパフォーマンスは、当該サプライヤーが築いてきた部品取引のネットワーク構造の差異によってどのような影響を受けるのか」という点について、「構造的埋め込み理論」の議論を日本における自動車部品取引の現実のコンテキストに落とし込む中から仮説を構築し、限定的ながらも統計的な実証を行ったという点である。サプライヤーは、自らの主要顧客(自動車メーカー)から見て重要度の高い存在となることによって、技術やニーズに関わるより機密度の高い情報を豊富に入手したり、あるいは新規車輌技術の共同開発プロジェクトに参画する機会を得る上で非常に有利となる。しかしそれだけでは、サプライヤーの学習プロセスとして必ずしも十分ではない。そのサプライヤーが特定のごく少数の顧客企業だけとしか取引していない場合には、多様な情報を入手していくことができなかったり、学習上のバイアスに囚われてしまう恐れがある。また、複数の顧客との取引をうまくマネジメントしていくためには、同一の技術や製品プラットフォームを異なる顧客からの要望に適合させていく能力が必要不可欠となるのであるが、こうした能力は、実際に複数の顧客と取引して試行錯誤を繰り返していくことなしには構築・向上しえないものと考えられる。すなわち、主要顧客から見て重要度の高い存在となって緊密な取引関係を築き、なおかつ幅広い顧客と取引するようなサプライヤーは、あたかもハイブリッド型のネットワークを築いたのと同等の効果を得ることができ、したがって情報の獲得や自身の資源・能力構築プロセスを有利に進め、パフォーマンスも優れる傾向が見られると考えられるのである。そして、本論文では、ロジスティック回帰分析の手法を用いて、1993年から99年にかけての自動車部品取引の変化を対象に、非常に限定的ながらもこうした仮説が統計的に支持されることを示した。

 また、以上の分析結果は、「日本の自動車部品サプライヤー・システムは、これから先どうなっていくのか。これまでとは全く姿を変えることになるのだろうか。」という実務的な問題についても、一定の解答を示すものである。

 日本の自動車部品取引の構造は、全般的に言って「オープン化」しつつある。ところがその一方で、本論文の事例分析及びロジスティック回帰分析の結果は、サプライヤーにとって、主要顧客との間でしっかりと一本軸足を据えた取引関係を築いた上で、なおかつ幅広い顧客との間に取引関係を構築していくという、バランスのとれたマネジメントが必要とされることを示唆している。さらに、既存研究の成果によって、自動車メーカーとしては、優れた技術を持った親密なサプライヤーの確保は重要であり、そうした能力の高い中核的なサプライヤーとの緊密な取引関係を可能な限り維持・発展させていくことには大きな意義があるということも明らかにされている。以上を考え合わせると、「部品取引のオープン化」とその一方での「自動車メーカー・中核的サプライヤー間の関係の一層の緊密化」という二つの動きは全く矛盾するものではなく、恐らくは、全般的に部品取引がネットワーク化する中で、各自動車メーカーと既存の取引先サプライヤーの中で非常に優秀な一部の企業との間の関係は、これから先さらに強化されていくことになるものと予想されるである。

 その意味では、昨今のマスコミ報道で盛んに喧伝されている「系列の崩壊」という見方はやや皮相的であり、「系列」は崩壊するのではなく、「系列」の本質とも言える「競争と協調の共存」という特徴が、今後より一層純化され強まっていくと表現した方が正しいというのが、「日本の自動車部品サプライヤー・システムの将来像」についての本論文の最終的な結論である。

以上

審査要旨 要旨を表示する

 1:この論文は、企業間取引のネットワーク構造が企業の組織能力や競争力にどのような影響を与えるかを解明することを目的としている。実証研究の対象は、日本の自動車メーカーと部品サプライヤーの間の取引ネットワークである。援用される理論的枠組は、社会学において近年注目されるようになった「構造的埋め込み理論」であり、とくに、企業が埋め込まれているネットワークの構造がその企業の行為・能力構築プロセス・パフォーマンスにどのような影響を与えるかを分析している。

 2:次に、本論文の内容を章ごとに簡単に要約しよう。序章では、本論文の位置付けと意義を示している。まず戦略論的には、従来の「競争環境重視の戦略論」(他企業を敵対者とみる)も「資源・能力重視の戦略論」(企業単独の能力構築を前提とする)も、企業間のネットワーク構造が能力構築や競争力に与える影響を考慮していないとして、この点を重視する本論の貢献を主張する。実証的には、日本の自動車サプライヤーシステムが実は閉鎖的なヒエラルキーではなく「多対多のネットワーク構造」である、という近年の実証研究成果を踏まえつつも、それらがネットワークの形態のみの記述に留まり、資源・能力構築プロセスや競争パフォーマンスヘのインパクトを明示的に仮説検証的に分析したものはなかったとして、本論の独自性を主張する。

 また、本論の結論を先取りして、「強い結合を含んだ冗長でないネットワーク」という概念を提出し、その実証分析を行なったことをもって、本論の学術的貢献と主張している。すなわち、複数企業によるイノベーションは、「リッチな情報」の交換と整合的な「強い紐帯」(結合の強いネットワーク)と、「多様な情報」の交換と整合的な「弱い紐帯」(冗長性のないネットワーク)の両方を必要とするため、ハイブリッド的なネットワーク、すなわち「強い結合を含んだ冗長でないネットワーク」が高い競争力をもたらす、という命題を導出している。また、実務的な観点からも、近年において同時並行的に進んでいる「部品取引構造のオープン化」と「関係のいっそうの緊密化」とは両立可能であり、むしろ両方が強化されるべきである、との論点を提示している。

 第一章はサプライヤー.システム論、とりわけサプライヤーの資源・能力構築に関する研究の文献レビューである。まず、従来のサプライヤー・システム論において、「部品ネットワーク構造が能力構築プロセスや競争パフォーマンスに与える影響」を分析する研究が概して欠落していたと論じる。すなわち、既存研究は、日本の自動車企業と部品企業の「一対一関係」における、長期継続的・協調的取引関係、自動車メーカーの技術指導、サプライヤー間の情報共有、規律づけ、多面的能力評価、設計と生産をまとめて任せること、などを明らかにしたが、主要顧客以外の自動車メーカーも含む「多対多の関係」が多くの場合視野に入っていなかったと主張する。一方、多対多のネットワーク関係に着目した既存研究は存在するが、能力構築やパフォーマンスとの関係や、主要顧客との関係をも視野に入れたものは少なかったとする。

 第二章は、理論面を意識した、「構造的埋め込み理論」に関連する戦略論・企業間関係論の文献レビューである。まず、戦略論研究の流れを、初期の手続き論的戦略論、環境重視の競争圧カアプローチ、企業内部要因重視の資源・能力・動態能力アプローチの順に説明し、いずれも、企業間ネットワークが能力構築や競争パフォーマンスに与える影響を軽視してきたと批判する。

 次に、企業間関係論の研究の流れをサーベイし、初期の企業間関係研究は組織と市場の二分法ゆえに協調関係は考慮されていなかったこと、協調関係を重視する組織間関係論も当初はそれが競争優位に結びつくか否かという戦略論的な観点を欠いていたこと、初期の競争戦略論も組織間関係に関しては性悪説(機会主義)に立脚し相互学習の観点を欠いていたこと、そして、近年の組織間関係論は相互学習が競争優位に与える影響を重視するようになったものの、依然として二企業間(ダイアド)関係に限定され、ネットワークという視点が希薄であること、などを指摘している。

 以上を踏まえて、第三章で、本論文の分析枠組が提示される。社会学を中心に近年発達した「構造的埋め込み理論」、さらにその背景にある「社会的ネットワークの理論」に理論的には依拠しつつ、「企業が埋め込まれている取引ネットワークの構造が、企業間で交換される情報の質と量を規定し、当該企業の行動・能力構築プロセス・競争力などに影響する」という基本的な枠組を示している。

 まず、ネットワークにおけるメンバー対メンバーの結びつきの強さを分析する「関係的埋め込み理論」の観点から、「強い紐帯」と「弱い紐帯」の2タイプを示す。次に、ネットワークの全体構造を分析する「構造的埋め込み理論」の観点から、すべてのメンバーが直接結合した「密なネットワーク」と、「構造的な穴」を有する「疎なネットワーク」の2タイプを提示する。そして、Granovetter,Burtらの既存研究にも言及しつつ、「強い紐帯と密なネットワーク」はリッチな情報の伝達に適し、「弱い紐帯と疎なネットワーク」は多様な情報の処理に適するという、ネットワーク構造のコンティンジェンシー理論を提示する。さらに、イノベーションはリッチな情報も多様な情報も必要とする、という観察から、密な構造と疎な構造をあわせ持つ「ハイブリッド型のネットワーク構造」が適合する、という見通しをたてる。これが、第6章の仮説の導出に繋がる。

 第四章以下は、以上の枠組みに従った実証分析である。まず第四章では、基本的な実態の把握として日本における自動車部品取引のネットワーク構造の実態を統計的に検討している。具体的には、1987年〜99年の部品取引構造データをもとに、部品カテゴリーごとの自動車メーカーの取引部品企業数と部品メーカーの取引自動車企業数によって取引構造の「オープン度」を測定する。その結果、日本の部品取引ネットワーク構造は、87年段階でもすでにかなりオープンであり、しかも、近年さらに「オープン化」してきた事実を確認する。また、自動車企業別のネットワーク構造の比較を行い、従来は相対的にクローズであった日産と本田が近年急速にオープン化しつつある事実を示す。

 第五章では、以上のようにオープン化したネットワーク構造を持つ部品取引ネットワークに埋め込まれたサプライヤーが直面する戦略的・マネジメント的課題を、インタビュー調査などに基づいて検討している。まず、「特定自動車メーカーへの依存度が高いサプライヤー」が陥りやすい問題として、顧客からの学習の機会が限定されること、顧客依存的な経営マインド、新製品の提案能力や独自戦略の構想能力の欠如、などが指摘される。他方、「複数の自動車メーカーと取引するサプライヤー」の直面する課題は、顧客ごとに異なる製品仕様・納入方式・取引情報システム・コミュニケーション様式などに伴い増加するコストである。これへの対処方法の一つは、中核的なサブシステムを共通化しつつ周辺部を個別顧客対応させる「マスカスタマイゼーション戦略」であるとする。サプライヤー数社のケースが示される。

 以上の考察に基づいて、第六章では、自動車部品取引のネットワーク構造がサプライヤーのパフォーマンスにどのような影響を与えるかが一次データをもとに分析される。いわば、本論文の実証分析の核の部分である。「主要顧客(自動車メーカー)との緊密な取引関係を構築した上で、複数の自動車メーカーと幅広い取引関係を持つ」という、「強い紐帯・密なネットワーク」と「弱い紐帯・疎なネットワーク」の両側面をあわせ持つサプライヤーが、高いパフォーマンスを示す傾向があることが、統計分析によって示される。

 具体的には、ネットワークの構造を、「主要顧客から見た当該サプライヤーの重要度」と「当該サプライヤーが取引する顧客の数(範囲の広さ)」の二つの尺度で測定し、この二つの変数が別々に、あるいは同時に(相互補完的に)高い値を示す場合にパフォーマンスが優れている傾向があるかを調べる。被説明変数は部品取り引き継続の有無(離散変数)であり、様々な制御変数で補正した多変量ロジスティック回帰分析が試みられる。結果を見ると、「主要顧客から見た重要度」も「取引顧客の範囲」もパフォーマンス(取り引きの継続)に正の影響を与えるが、両変数の交差項も正の影響を持ち、とくにパフォーマンスヘの影響が大きいことがわかった。すなわち、「主要顧客(自動車メーカー)との緊密な取引関係を構築した上で、複数の自動車メーカーと幅広い取引関係を持つ」サプライヤーがパフォーマンスが良い傾向があることが、統計的に示唆されている。

 第七章は、結論とインプリケーションであるが、すでに序章で先取りしたので割愛する。

 3:次に、本論文において貢献を評価できる点を指摘しておく。第一に、経営戦略論、企業間関係論、社会学におけるネットワーク理論など理論的研究の側面と、サプライヤー・システムに関する実証研究の側面を、バランスよく統合している点が評価される。すなわち、「埋め込み理論」の中核概念である「疎なネットワーク」「密なネットワーク」「強い紐帯」「弱い紐帯」といったコンセプトを、競争戦略論やサプライヤーマネジメント論に巧みに結合しており、従来の戦略論などが欠いていたネットワーク視点を提示し、一方、従来のネットワーク理論の二項対立思考が持つ限界も指摘し、強い紐帯(密なネットワーク)と弱い紐帯(疎なネットワーク)の両立という新たな視点を一貫して示している。

 これに関連して、第二に、関連分野の文献サーベイが幅広く、研究の流れの中での本研究の位置付けが明確であることが評価される。コア領域である経営学(戦略論、組織論、技術・生産管理論)のみならず、社会学や経済学など周辺領域への目配りも良い。本論の問題意識に対して、既存研究がどこまで答え、どこに限界が有り、本論はそれをどう乗り越えようとし、残された今後の課題は何であるかが、分かりやすく整理されている。その結果、経営戦略論(取り分け企業間関係に関わる戦略論)やサプライヤー・システム研究の分野における本論の貢献が、説得力ある形で展開されている。全体に、「疎なネットワーク(弱い紐帯)と密なネットワーク(強い紐帯)という二項対立の超克」という一貫したトーンでまとめられている。

 第三に、部品取引構造に関する既存データを統合し、膨大な情報量を持つ部品カテゴリー別・サプライヤー別・自動車企業別の時系列データベースを自ら構築し、これに基づく綿密な統計的検証を行なっていることが評価される。例えば、日本の部品取引ネットワーク構造が80年代においてすでにかなりオープンであり、近年さらにオープン化している、という指摘は、それ自体は目新しくないが、従来の研究は断片的なデータやケース観察などに基づく傍証的なものが多く、本論のように総合的なデータベースに基づく統計的検討は今までなかった。このデータベースは本論のテーマ以外の実証研究にも利用できる汎用的なものであり、将来の研究の発展性も期待できる。これも含め、データの収集と整理、統計的分析とその結果の解釈、フィールド調査とその解釈など、実証研究の手法面は概して周到である。

 第四に、従来のサプライヤー研究では買手である自動車企業の視点からの分析が多かったのに対し、本論は、データベースの網羅性もあって、サプライヤーの側に対する実践的な示唆にも富んでいる。すなわち、「主要顧客との濃密な関係を維持しつつ取引先を拡大せよ」あるいは「幅広い取引先を確保しつつも、決め手となる強い主要顧客に認められる組織能力をつけよ」という、具体的な処方箋に結びついている。これは、先端的なサプライヤーに対しては現状の効果確認以上の意味を持たないが、主要顧客に依存する系列型サプライヤーや、主要顧客の信頼を欠くサプライヤーに対しては、今後めざすべき取引ネットワーク上の戦略的ポジションを明示していると考えられる。

 4:むろん、本論文にも改善を望まれる点や問題点はある。細かな表現上の問題を別にするならば、第一に、理論面で強調される「構造的埋め込み理論」への依拠と、第六章で展開される主要な実証分析の含意のトーンが微妙にずれている、という懸念がある。すなわち、本論の理論的検討の中では、部品取引の「ネットワーク構造」的な面がやや一方的に強調され、1対1(ダイアド)の個々の取引関係の濃密さを強調する従来の研究の限界を繰り返し指摘している。ところが、本論の主要な実証的貢献である、「主要顧客との緊密な取引関係を構築した上で複数の顧客と幅広い取引関係を持つサプライヤーの優位性」という論点は、実は、ダイアド的な関係の濃密さとネットワーク構造における取引範囲の広がりの両方が大事だと主張していることを意味する。つまり、本論の実証的な貢献は、いわば「取引関係論」(ダイアド分析)と「取引構造論(ネットワーク分析)を総合する複眼的な視点にあるわけであり、理論分析で主張されている「構造的埋め込み理論」の強調は、ややトーンがずれている。今後、この点の擦り合わせがさらに必要である。

 第二に、本論の基本的な問題設定の中に「能力構築」という動態的な概念が入っているにもかかわらず、本論の中核的な実証分析である第六章の統計分析は基本的に静態的である(この点は本論も限界を正しく指摘しているが)。既に第四章の基礎的なネットワーク構造の分析は時系列で展開されており、この点は評価できるので、さらに第六章の分析視角も動態化することを、今後の課題として指摘したい。

 第三に、ケース分析を中心とする第五章は、実証分析の他の章とくらべて、実証分析としての厳密さが、相対的にやや不足している感がある。この章の性格上、ケース分析の積み重ねという方法論は間違っていないが、この点で今後の改善が待たれる。

 また、これは内容の問題ではないが、本論は、論理展開を丁寧に説明しようとするあまり、結果として極めて繰り返しの多い、冗長な書き方になっており、かえって全体の論理展開が見えにくい傾向も見られる。文章スタイルの改善点として指摘しておきたい。

 5:本論文は以上のような課題を残すとはいえ、それらはいずれも今後の研鑽によって改善されるであろうし、本論文の貢献に対する基本的な評価を覆すようなものではない。以上から、審査委員は全員一致して本論文を博士(経済学)の学位を授与するにふさわしい業績と認定し、ここに審査報告を提出する次第である。

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