学位論文要旨



No 117709
著者(漢字) 金杉,武司
著者(英字)
著者(カナ) カナスギ,タケシ
標題(和) 心の哲学における解釈主義 : 命題的態度とは何か?
標題(洋)
報告番号 117709
報告番号 甲17709
学位授与日 2003.02.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第403号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村田,純一
 東京大学 教授 今井,知正
 東京大学 助教授 野矢,茂樹
 東京大学 助教授 信原,幸弘
 東京大学 教授 門脇,俊介
内容要旨 要旨を表示する

 本稿が考察の対象とする問題は、「命題的態度とは何か」あるいは「命題的態度を持っているとはどのようなことか」という問題である。そして本稿では、この問題について考えるにあたって、「解釈主義(interpretationism)」という立場に依拠する。現代の心の哲学は、命題的態度を含む心的状態と脳状態はいかなる同一性関係にあるのか、という広い意味での「心脳同一説(mind-brain identity theory)」内部の問題を軸に展開してきたと言うことができる。しかし、命題的態度に関しては、このような広義の心脳同一説と一線を画する立場が一つの選択肢として認められる。それが解釈主義である。本稿が解釈主義を主題とするのは、以下でも述べるように、解釈主義が命題的態度に関する最も有力な心の哲学であると考えられるからである。本稿の目標は、解釈主義とは何かを明らかにし、解釈主義の妥当性を検討することをとおして、命題的態度とは何か、命題的態度を持っているとはどのようなことなのかを明らかにすることにある。

 第1部では、解釈主義の基本的枠組みを提示する。

 <第1章>解釈主義は、「解釈」という概念に基づいて命題的態度を理解しようとする立場であるが、解釈という実践には、行為の理由となる命題的態度(欲求や信念)を主体に帰属させることで行為を説明したり、予測したりする「行為の解釈」と、言語的行為において使用される文の意味を特定する「文の解釈」の二つがある。いずれにおいても、解釈者は、解釈対象が合理的であると想定しなければならない(この解釈原理は「チャリティーの原則」と呼ばれる)。そうでなければ、そもそも主体として理解することができないのである。したがって、解釈において主体に帰属させられる命題的態度や行為は互いに合理化関係を形成するものとして理解されなければならない。そして、この合理化関係は、さまざまな命題的態度が全体としてその他の命題的態度や行為を合理化するという全体論的な関係として理解される。

 <第2章>解釈主義とは、ごく簡単に表現すれば、このような「解釈」が可能であるということを命題的態度の所有の構成条件として理解する立場である。第1章で見るように、解釈においては「合理性」が本質的な役割を果たしている。したがって、広義の心脳同一説の中でも有力視される「機能主義(functionalism)」や「非法則的一元論(anomalousmonism)」が、互いの間に法則的関係や因果関係が成立することを命題的態度や行為の本質として理解するのに対して、解釈主義は、互いの間に合理化関係が成立することを命題的態度や行為の本質と考える立場であると言える。つまり、解釈主義によれば、ある命題的態度を持っているということの本質は、ある特定の脳状態にあるということにではなく、そのような命題的態度を持つ主体として解釈可能な行為をその主体が為しているということに存するのである。この点で解釈主義は、現代の心の哲学の中心を担ってきた広義の心脳同一説と一線を画する、ある種の「行動主義(behaviorism)」であると言える。

 第2部では、現代の心の哲学における解釈主義の位置づけを明らかにする。

 <第3章>以上のように、機能主義や非法則的一元論がそれぞれ「法則性」と「因果性」に命題的態度の本質を見出すのに対して、解釈主義は「合理性」にその本質を見出す。しかるに、命題的態度と行為の間には法則的関係は成立しないと考える十分な根拠がある(「心的なものの非法則性」の議論)。それゆえ、機能主義は妥当な立場とは言えない。同様に非法則的一元論の妥当性も、コネクショニズムが有力視される認知科学の現状に基づいて経験的に否定される。特に後者の論点は、個々の命題的態度を個々の脳状態と同一視することそのものの不可能性を示しており、広義の心脳同一説一般の妥当性をも否定する。それに対して、解釈主義は認知科学の現状と折り合いがよい。それゆえ、解釈主義は、命題的態度に関する最も有力な心の哲学であると言うことができるのである。

 <第4章>このように広義の心脳同一説と一線を画するがゆえに、解釈主義は認知科学の現状とも折り合いがよく、命題的態度に関する最も有力な心の哲学であると言える。しかし、まさにそれゆえに、脳状態との個別的な同一性を足場として命題的態度の実在性を主張することができない。このことは、命題的態度の実在性を脅かすことにならないのだろうか。「消去主義(eliminativism)」によれば、解釈主義の下では、命題的態度は実在性を否定され、消去される運命にある。しかし、解釈主義は本当に命題的態度の実在性を唱えることができないのだろうか。結論としては、この消去主義の批判に反して、解釈主義の下であっても命題的態度の実在性を擁護することができる。解釈主義は、「実践」という観点から実在性を理解する存在論に依拠することによって、命題的態度の実在性を擁護することができるのである。

 第3部では、解釈主義が抱える内在的問題を検討し、解釈主義の姿をより具体化する。

 <第5章>解釈主義は、命題的態度を所有している主体を「解釈可能な主体」として理解するが、そもそも「解釈可能な主体」とはどのような主体なのだろうか。解釈可能な主体の外延はこのように必ずしも明確ではない。この問いに対して、解釈可能な主体であることと言語使用者であることの間には本質的関係があるのかというより具体的な問いを立てることができる。そして、この問いに対しては、解釈可能な主体であるために言語使用者である必要はないとする「非言語主義的解釈主義(non-linguistic interpretationism)」と、言語使用者である必要性を唱える「言語主義的解釈主義(linguistic interpretationism)」の二つの立場が考えられる。結論としては、言語主義的解釈主義の妥当性が示される。それは、命題的態度の特徴である「意味論的内包性」と「誤りの可能性」のいずれもが「可能性の世界の想定」に基づくと理解され、この「可能性の世界の想定」にとって言語使用が本質的であると考えられるからである。

 <第6章>W・V・O・クワインによれば、ある言語から別の言語への正しい翻訳は一つに確定しない。この「翻訳の不確定性(indeterminacy of translation)テーゼ」から、ある主体に関する正しい解釈は一つに確定しないという「解釈の不確定性テーゼ」が導出される。解釈の不確定性テーゼに対しては、いくつかの議論や反論があるが、対象言語とメタ言語の各文の発話傾向が完全には一致していないときに解釈の不確定性は生じると言える。そして、それは、そのような場合に解釈対象の主体を最適に合理化する方法が一意的に確定しないことに由来する。つまり、解釈の不確定性は命題的態度の本質が合理性にあるということから帰結するのである。また、この「解釈の不確定性」により命題的態度の実在性が損なわれるのではないかという疑念が生じるかもしれないが、この疑念は、実在性は解釈独立的なものでなければならないと前提することにより生じる。命題的態度の実在性はむしろ解釈相対的な実在性として理解されるべきである。

 <第7章>解釈主義において「不合理な行為」や「不合理な命題的態度」を説明することはできるのだろうか。第1章で明らかになるように、解釈においては被解釈者を合理的な主体として前提する必要がある。それゆえ、一見する限りでは、解釈において主体を不合理な主体として理解することは不可能なように思われる。特に、意志の弱さを示す「自制を欠いた行為」や「自己欺瞞的な信念」は、内的整合性を損なう不合理性であり、その限りで、解釈において許容する余地は一切ないように思われる。しかし、この疑念は、解釈において主体に要請される合理性が、内的整合性を第一に優先する「辞書的構造」を持つことを前提している。そして、この前提は合理性の構造を誤解している。合理性は、内的整合性や真理性などのさまざまな合理性の要素が大部分において満たされることによって、局所的な不合理性を許容する「支えあい構造」を持つと理解されるべきである。

 <第8章>解釈主義は、解釈という三人称的観点から命題的態度や行為を理解する立場であるがゆえに、「他我問題(problem of other minds)」を回避することができる。しかし、このような三人称的アプローチをとるがゆえに、解釈主義において命題的態度の知識に関する「一人称権威(first person authority)」は成立するのだろうかという疑念が生じる。しかし、この疑念は「解釈の知識」が、言語を適切に使用するというある種の「技能知(knowledge how)」であることを理解すれば解消される。自分の解釈の知識とは、いったん身につけてしまえば、改めて実際の解釈において確かめる必要のないものなのである。それゆえ、解釈主義においても一人称権威は成立すると言うことができる。他方、他者に関する解釈の知識とは、他者の言語の使用能力に他ならない。それゆえ、自他の解釈の知識を持つ主体は、合理性を備えた他者と適切にコミュニケーションすることができる。つまり、解釈という実践は、合理性をそなえた他者とのコミュニケーションに参加するべく、自らその合理性の秩序の中に入っていくことに他ならないのである。

審査要旨 要旨を表示する

1.全体の概要

 現代の心の哲学においては、脳科学や認知科学の発展に対応して、心を脳状態と関係付けて考える考え方が主流を占めてきた。60年代に議論された「心脳同一説」を始め、70年代から盛んになった「機能主義」、さらには、心に固有の概念の妥当性を否定する「消去主義」などがその代表である。それに対して、脳との関係とは独立に心の固有のあり方を認めることができると考える見方も残り続けている。そのなかのひとつが、最近、話題になることが多くなり出した「解釈主義」(interpretationism)と呼ばれる心についての見方である。

 金杉氏の論文「心の哲学における解釈主義--命題的態度とは何か?」の主題は、この「解釈主義」と呼ばれる心についての哲学的見解を可能な限り首尾一貫した形で展開し、それが現代の心の哲学のなかで最も有望な見解であることを示すことにある。現在の哲学者のなかで、「解釈主義」の代表者と見なされているのは、D・ディヴィドソンとD・デネットという英米圏の二人の代表的哲学者である。金杉氏はこの二人の見解のなかで特にディヴィドソンの見解を手掛かりにしながら、「解釈主義」による心の哲学の意義と射程を明らかにしようとしている。ただし、同時に、この論文は、ディヴィドソンの見方には多くの不十分な点が含まれていることを指摘することによって、存在論のうえでも内容のうえでも、ディヴィドソンの見方とは異なった独自の見解を呈示し、それを通して、金杉氏独自の「解釈主義」の体系を描くことを試みている。

 現代の心の哲学のもうひとつの特徴は、認知科学の興隆に見られるように、心を「認知」を中心とする要因によって解明しようとする見方にみられる。解釈主義も、広い視野で見るなら、この流れに属するものであり、心を信念や欲求などの認知的要因を中心として捉えようとしている。信念や欲求などの心の状態は、「雨が降っていると信じている」とか、「濡れたくない」といった仕方で表現されるように、それぞれ「命題」を対象とする志向的状態と見なすことができるので、英米圏の哲学では「命題的態度」と呼ばれてきた。したがって、解釈主義の重要な課題は、この「命題的態度」とはどのような存在論的身分をもつものなのか、そしてまた、ある主体が信念や欲求という「命題的態度」をもっているということはどういうことなのか、を解明することにある。本論文の課題もまた、その副題にもあるように、「命題的態度」とは何か、という問いにおかれている。

 本論文による答えは、大ざっぱにいうと、命題的態度とは、行為を合理的に解釈する際に、その理由として行為主体に帰属させられる心の状態である、というものである。それゆえまた、信念や欲求のような心の状態をある主体がもっているということは、その主体が合理的な仕方で解釈しうるような一連の行為を行っているということにほかならない、ということになる。これが「解釈主義」の基本テーゼであり、このテーゼがどこまで維持できるのか、このテーゼの意義と射程はどのようなものかを明らかにすることが本論の課題である。とりわけ中心となるのは、現代の心の哲学で支配的となっている見方、つまり、命題的態度を脳の因果的機能と結び付ける見方を批判して、むしろ、行為の解釈という場面に位置付けることの可能性と必然性を示すことである。以下、内容に添って議論を紹介する。

2.議論の展開

 本論は大きく3部に分かれている。

 第1部では、第1章で、「解釈主義」の中心概念である「解釈」という働きの特徴が述べられ、第2章で、心の哲学としての「解釈主義」の特徴が述べられている。

 第1章では、解釈には行為の解釈と文の解釈があること、行為の解釈は、行為の理由をあげて行為を合理化することであり、行為の理由とは、実践三段論法の前提になる信念と欲求を取り出すことにほかならないこと、それに対して、文の解釈は文の意味を特定する作業であること、が示される。ただし、どちらの場合にも、解釈の対象は合理的な主体であると想定されねばならないこと、解釈される行為の理由にせよ、文の意味にせよ、単独で取り出されるのではなく、多くの要素と結び付いた全体論的性格をもつことなどが示される。

 第2章では、「解釈可能であることが命題的態度の所有の必要十分条件である」という解釈主義の中心テーゼである「構成条件テーゼ」が導入される。このテーゼに基づいて、解釈主義が3人称的アプローチをとる心の哲学のひとつであること、しかし、「合理性」を中心とする点で、他の3人称的アプローチをとる多くの見方と区別されることが示される。そして、解釈主義とは「全体論的行動主義」と性格づけられることのできる見方であることが示される。

 第2部では、現代の心の哲学の代表的見解に対して、解釈主義が有利な立場にあることが示される。

 第3章では、機能主義と非法則的一元論の二つを取り上げて、前者に対しては、合理性が法則性に還元できないこと、後者に対しては、包括的合理性という概念によって因果説を必要とせずに「行為を引き起こす理由」という概念を保持できることが示され、さらには、現代の脳科学のパラダイムであるコネクショニズムの見方が因果説を取る見方よりも解釈主義の方に有利に働くことなどが示される。とりわけこの章での以上の議論によって、本論文は、ディヴィドソンの見方に多くを負いながらも、ディヴィドソンとは決定的に異なる存在論を取る必要があり、また取ることができることを明確に描き出すことに成功している。

 第4章では、命題的態度は脳の機能に還元できなくとも、その実在性が保持できることが示される。議論のなかでは、チャーチランドの消去主義に対して、解釈という実践の有効性によって命題的態度の「実践的実在性」が保持されること、実践的消去主義に対して実践の「眼目」の区別によって、解釈実践が自然科学的実践に取って代わられることはないことが主張される。

 第3部では、解釈主義をとった場合に生じるであろうと思われる4つの困難が取り上げられ、それらに逐一応答することが試みられる。この試みは同時に、それによって、金杉氏の構想する解釈主義の具体的特徴を示す試みでもある。

 第5章では、デネットによる非言語的解釈主義とディヴィドソンによる言語的解釈主義が対比され、ディヴィドソン流の言語的解釈主義を採用する必要性が示される。もし言語的解釈主義をとると、動物や子供のような非言語的行動を理解することは不可能になるのではないかという問題が生じる。それに対して、金杉氏は、厳密に考えるなら言語使用者でない主体の行動は解釈不可能である、と見なされねばならないという議論を展開する。

 第6章では、クワインによる翻訳の不確定性に関する議論に基づいて、解釈の不確定性が生じるのではないかという疑念が扱われる。合理性の要請が複数あるという点では、解釈の不確定性が生じることを認めねばならないが、しかしこれは解釈の妥当性を否定するものではないことが示される。

 第7章では、「不合理な行為」という概念が解釈主義のなかで保持可能かどうかが検討される。ディヴィドソンは心の分割理論を提起することによって不合理な行為という概念を救い出そうとしたが、金杉氏によると、ディヴィドソンの見方では、心の分割によって一人の主体というまとまりが崩れてしまう点で成功していないことが示され、それに代わって、「合理性の支え合い構造」という独自の概念によって、不合理な行為という概念が維持できることが示される。

 最後の第8章では、解釈主義が3人称的アプローチをとりながらも、自己の心に対しては他者よりも特権的仕方で理解しうるという「一人称権威」を救い出しうることが示される。その議論のなかで、知識の「知覚モデル」にかわって「知識の能力モデル」が提起され、それに基づいて、解釈という実践が「事実知」とは違って「技能知」という性格をもつものであることが主張される。このように考えると、言語の意味理解が自己の場合と他者の場合とで、その容易さという点では区別されながら、しかし、他者問題に陥らずに済むことが示される。

3.全体の評価

 以上のように、金杉氏の議論は解釈主義に関連する問題点を包括的に取り上げて、緻密な議論を少しずつ積み上げて行くというスタイルを取っており、これまでにこれだけ幅広く、しかも明快な形で解釈主義を擁護する議論を展開したものはないのではないかと思われる。他方で、金杉氏の議論の決定的な箇所で用いられたいくつかの概念に関しては必ずしも十分説得的とはいいがたい面も残されている。例えば、消去主義に対して解釈主義を擁護するために用いられた解釈の「眼目」という概念、言語主義を擁護するために用いられた「ふるまい」という概念、さらには、「不合理的行為」概念を救うために持ち出された合理性の「支え合い構造」という概念、これらは、金杉氏の議論の独創性を示すだけに、更なる明確化が求められることになるだろう。こうした点が指摘しうるにもかかわらず、その議論の明確さや包括性という点では他に類を見ない論文に仕上がっていることは否定できない。その意味で、本論文は、金杉氏独自のテーゼを提出することによって、現代の心の哲学全体のなかで、また、「解釈主義」と呼ばれる見方のなかでも、十分独創的な位置を占めていると考えられる。

 こうした観点から、審査員一同は、この論文が博士(学術)の学位にふさわしいものと判断した。

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