学位論文要旨



No 117158
著者(漢字) 飯倉,寛
著者(英字)
著者(カナ) イイクラ,ヒロシ
標題(和) Al処理により誘導されるタバコ培養細胞の応答解析
標題(洋)
報告番号 117158
報告番号 甲17158
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2354号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中西,友子
 東京大学   森,敏
 東京大学   大久保,明
 東京大学   山根,久和
 東京大学 助教授 西山,雅也
内容要旨 要旨を表示する

 世界の農業可能面積の約42%(約46億ha)を占める酸性土壌(1984年資料)、このうち30%以上が作物の生育不可能な強酸性土壌である。塩類溶脱や酸性雨により土壌の酸性化は現在でも地球規模で進行し、その面積も増加し続けている。土壌の酸性化に伴い、通常不溶性の化学形態をとっているアルミニウム(Al)の可溶性が高まり、交換性Al(植物有害Al)が生じる。このAlが酸性土壌における作物生育阻害の主要な原因の一つである。

 Alによる植物の生育阻害については多くの報告がなされているが、障害はまず根端の伸長阻害に現れる。植物種によりAlの伸長阻害濃度は異なるが、Alは極めて短時間で組織内に取り込まれ伸長阻害を引き起こす。しかしその阻害機構については未だ解明されておらず、特にAlの化学形態の複雑性、微量Alの検出及び定量が困難であることから、細胞内での局在様式、細胞の応答等については不明な点が多い。

 近年では根におけるAlの細胞伸長阻害に関しての報告が多く、組織レベルでの障害メカニズムが注目されている。しかしながら細胞レベルにおける、特に核を含む細胞内オルガネラヘのAlの影響についての研究はほとんど進んでいない。細胞単位でのAlに対する応答を解析することは根の組織全体に対するAlの影響を解析する上での基盤研究でもある。そこで筆者は研究を通してひとつの細胞、特に細胞内オルガネラヘのAlの影響も視野に入れ、Alの細胞に与える影響について調べた。

 実験にはタバコ培養細胞(BY-2)を用いた。通常BY-2はムラシゲ・スクーグ培地を用いて培養するが、Al処理培地は溶液中でAlとの結合が考えられるリン(P)とEDTAを除去した培養液を用いた。Pの非存在下でもBY-2は48時間までは通常培養と同程度の生育を示した。Al処理濃度は基本を100μMとし、実験により500μMまでのAl処理濃度を設定した。

(1) Alと他の元素との相関解析

 Al処理により、他元素(Fe, Ca, Mg等)の細胞内含量へ及ぼす影響を細胞内Al含量変化の点から考察した。定量にはICP-AESによる解析の他に放射化分析法も用いた。測定した元素の中でも特に細胞内Fe含量がAlに特異的な変動を示し、Al処理による細胞内Al含量が増加するに従いFe含量も増加した。しかしながら処理溶液中からFeを除去するとAl含量の増加が抑えられたため、細胞内へのAlの取込みにはFeの存在が重要であることが示された。細胞増殖度に関するAl障害もFe非存在下では低くなることが明らかとなった。またAl処理に伴う細胞中のホウ素(B)含量変化を調べるためPGA(prompt-gamma-analysis)による微量ホウ素の高感度測定法を開発した。Bは植物にのみ必須元素であり、かつAlと同族元素であることからBによるAl障害の緩和作用が期待されたからである。しかしながら、細胞内B含量はAl処理の影響はほとんど受けず、またAl処理溶液中のB濃度を100μMから1mMと変化させても特にAl障害による細胞増殖度に差はみられなかった。

(2) 核へのAl処理に対する影響

 細胞は定常期よりも対数増殖期の方がAl障害をうけやすいことが示された。これは細胞壁(膜)のみならず、細胞内(特に核)に取り込まれるAlの影響のためではないかと考えられた。そこで、FCM(Flow cytometry)を用いてAl処理による核の状態変化を解析した。核の検出にはPI染色法を用いたが、16時間のAl処理により通常の2nの核よりも小さい位置におけるPI蛍光発色が確認され、この発色の増加はAl処理濃度やAl処理時間に依存していた。この結果はDNAの断片化が生じているためと考えられ、細胞壁(膜)だけでなく核へのAlの特異的な影響が存在することが示された。そこで細胞周期における細胞のAl感受性に差異があるかどうかを調べるため、アフィディコリン処理による同調培養も行った。同調した細胞群を通常培養に移した後、各細胞周期における細胞群に対して16時間のAl処理を行ったところ、S期とM期にAl処理を開始した細胞群に対してDNAの断片化が多く現れることが示された。

(3) 細胞レベルでのAl高感度検出法の確立

 Al障害メカニズムの解析が困難である最大の要因の一つにAlの検出感度が低い事が挙げられる。また実験に有効なAlの放射性同位元素の入手が困難であることからも細胞内へのAl局在解析については明確な知見が得られてこなかった。これまで常用されてきたモリンやヘマトキシリン染色では細胞内の細部のAl分布の解析を行うことは非常に困難である。そこで、高感度のAl検出が可能な蛍光色素ルモガリオン染色法の確立は本研究を進めるに当たり不可欠な基盤技術である。本研究で確立したルモガリオン染色法により、共焦点レーザー顕微鏡下で細胞内の一定断面における微量Alを検出することが初めて可能となった。ルモガリオンはAlと特異的に結合し、かつその安定度定数が5.6×107と非常に高く、長時間のレーザー照射による退色もほとんど認められなかったため、共焦点レーザー顕微鏡下での細胞内細部のAl局在性解析を行うにあたり、特に優れた蛍光試薬であることが示された。本手法によりAl処理細胞のAl局在様式の空間的分布が画像として得られ、細胞膜や核、他のオルガネラヘの微量Alの局在様式を検討することが容易となった。

 ルモガリオン染色法確立に際しての最大のネックはホルムアルデヒドによる細胞固定処理の際にAlが細胞内で移動するかどうかという点であった。様々な検討の結果、ポリリジンを用いスライドグラスへ細胞を吸着させると、全く同一の細胞をモリン染色後にルモガリオン染色し観察することが可能となり、固定時のAlの移動はほとんど無視できることがわかった。また各処理段階における処理溶液へのAl溶出量をICP-AESを用いて定量したところ、固定時のAl溶出は微量であり、上記手法の有効性が裏付けられた。

(4) Lumogallion染色法による細胞内Al動態解析

 ルモガリオン染色法を用いてAl処理細胞について経時的なAl蓄積動態の解析を行った。通常のAl処理区では時間とともに細胞内へのAl蓄積は一定の増加傾向を示した。局在部位については細胞壁(膜)へのAl吸着のみならず、核への高いAl局在性が示された。それに比して、−Fe区また酸化防止剤添加区(AFD区)においてはAl蓄積による蛍光強度の増加は低く抑えられていた。しかしながら、短時間(〜3時間)のAl処理で細胞内顆粒への非常に強いAl局在が認められた。この現象はFeの有無や過酸化に関わらず生じ、Al処理時間が3時間をすぎると徐々に顆粒が消失していくことが確認された。当初この顆粒はプラスチド(アミロプラスト)、つまりAl処理によるデンプンの過剰蓄積が生じているのではないかと考えられたが、フェノール−硫酸法によるデンプン定量を行ったところ、Al処理によるデンプンの過剰蓄積は認められなかった。

 次にミトコンドリアや小胞体を染色するDiOC 6を用いて同時染色を行ったところ、ルモガリオンによるAl局在性と極めて高い相関が示された。

(5) Al処理によるApoptosis誘導メカニズムの解析

 FCM解析でDNAの断片化が示されたことから、Al処理によるアポトーシス様現象が生じていることが示唆された。植物細胞でのアポトーシス関連の研究は動物細胞などに比べると非常に遅れており、そのメカニズムについては不明な点が多い。Al処理によるDNA断片化の原因として第一に考えられるのはFe共存下による過酸化ストレスと考えられる。そこで活性酸素検出試薬H2DCFDAを用いて各処理区における細胞内活性酸素の検出を行ったところ、Fe共存下では徐々に活性酸素量が増加したがFe非存在下、及びAFD区では活性酸素はほとんど検出されなかった。

 Al処理による経時的なDNAの断片化過程を詳細に検討するために断片化DNAをビオチン標識後、フルオレセイン標識ストレプトアビジンで蛍光染色した。Al処理後8時間後からDNA断片化が現れ始めたが、興味深いことにAFD区においてもAl処理24時間後にはDNAの断片化が確認された。この結果は酸化ストレス以外にも断片化を誘導するメカニズムが存在することを示すものである。AFD区に共通するAl特異的応答として小胞体へのAl局在性が存在することから、酸化ストレスだけではなく小胞体ストレスによるDNA断片化の誘導が生じていると考えられた。

1. Iikura, H. et al. In Bell, RW. and Rerkasem, B. ed, Boron in Soils and Plants. 1997:63-67

2. Iikura, H. et al. Journal of Radioanalytical and Nuclear Chemistry (JRNC). 2001:249(2)499-502

3. Nakanishi, T. Iikura, H. et. al. In Bell, RW. and Rerkasem, B. ed, Boron in Soils and Plants. 1997:69-72

4. Kataoka, T. Iikura, H. et. al. Soil Sci. Plant Nutr. 1997, 43:1003-1007

5. Tanoi, K. Iikura, H. et. al. Journal of Radioanalytical and Nuclear Chemistry (JRNC) 2001:249(2)

審査要旨 要旨を表示する

 Alは酸性土壌における作物生育阻害の主要な原因の一つであるが、細胞レベルでの解析はAlの検出感度が低いことからほとんど行われてこなかった。そこで、新たなAlの高感度検出法の確立を試みると共に、細胞内Alの動態解析を通して細胞レベルでのAl応答について新たな知見を得ることを目的として研究を行った。

 第一章では、Al処理が細胞内のFe含量へ及ぼす影響を細胞内Al含量変化の点から考察した。定量にはICP-AESによる解析の他に放射化分析法も用いた。Al処理による細胞内Al含量が増加するに従いFe含量も増加したが、増加傾向には約6時間のタイムラグが生じていた。FDA-PI二重染色法を用いたviabilityの検出から、Alの細胞内への急激な流入は細胞膜機能の損傷によるものと考えられた。また、細胞にはAl吸着量に限界値が存在することも示された。次にAl処理に伴う細胞中のB含量変化を調べるためPGAによる微量ホウ素の高感度測定法を開発した。BはAlと同族元素であることからBによるAl障害の緩和作用が期待されたが、細胞内B含量はAl処理の影響をほとんど受けず、またAl処理溶液中のB濃度を変化させても特に細胞増殖度に差はみられなかった。

 第二章ではAl処理が細胞周期に与える影響についての解析を行った。細胞は定常期よりも対数増殖期の方がAl障害をうけやすいことが示され、核に吸着したAlの影響のためではないかと考えられた。そこで、FCMを用いてAl処理による核の状態変化を解析した。16時間のAl処理により通常の2nの核よりも弱い蛍光強度を持つ異常核(断片化DNA)が確認され、異常核数の増加はAl処理濃度やAl処理時間に依存していた。さらに、細胞周期における細胞のAl感受性に差異があるのかを調べるため、アフィディコリン処理による同調培養も行った。同調した各細胞群に対してAl処理を行ったところ、S期とM期にAl処理を開始した細胞群に対してDNAの断片化が多く現れることが示された。

 第三章では細胞レベルにおけるAl高感度検出法の確立を行った。従来法では細胞内の細部のAl分布の解析を行うことは非常に困難であったため、高感度のAl検出が可能な染色法の確立が求められた。高分解能を持つ共焦点レーザー顕微鏡を併用したルモガリオン染色法は、モリン染色法と比べて非常に高感度のAl検出が可能であるだけでなく、固定や染色の際にAlの移動や流出が殆ど認められず、観察中の褪色もほとんど認められない点からも、細胞レベルにおける微量Al動態解析に非常に優れた手法であることが明らかとなった。

 第四章では、確立したルモガリオン染色法を用いて細胞内Al動態解析を行った。通常のAl処理区では時間とともに蛍光強度は一定の増加傾向を示し、細胞内Al含量変化と非常に相関が高いことが示された。局在部位については細胞壁(膜)へのAl吸着のみならず、核への高いAl局在性が示された。それに比して、−Fe区(A区)また酸化防止剤添加区(AFD区)においてはAl蓄積による蛍光強度の増加は低く抑えられていた。しかしながら、約2時間のAl処理で細胞内顆粒への非常に強いAl局在が認められた。この現象はFeの有無や過酸化に関わらず生じ、Al処理時間が2時間をすぎると徐々に顆粒が消失していくことが確認された。スライドグラス接着法を用い、同一細胞について膜電位感受性色素DiOC6とルモガリオン染色画像との比較検討を行ったところ、蛍光発色の局在様式は非常に類似した傾向が認められたことから、Alが吸着していた顆粒は膜構造をもつ膜小胞であると考えられた。

 第五章ではAl処理によるApoptosis誘導メカニズムについての解析を試みた。FCM解析で確認されたDNA断片化の原因として第一に考えられるのは、Fe共存下による過酸化ストレスと考えられる。そこで活性酸素検出試薬H2DCFDAを用いて各処理区における細胞内活性酸素の検出を行ったところ、Fe共存下では徐々に活性酸素量が増加したが、A区及びAFD区では活性酸素はほとんど検出されなかった。Al処理による経時的なDNAの断片化過程を詳細に検討するために、断片化DNAをビオチン標識後、フルオレセイン標識ストレプトアビジンで蛍光染色した。Al処理18時間後から断片化DNAが現れ始めたが、興味深いことにAFD区においても24時間後にはDNAの断片化が確認された。この結果は酸化ストレス以外にも断片化を誘導するメカニズムが存在することを示すものである。

 以上、本論分はタバコ培養細胞を用いてAl応答の一端を明らかにした成果をまとめたものであり、本研究において得られた知見が今後のAl応答解析に役立つことが非常に期待される。よって審査委員一同は、本論分が博士(農学)の学位論文として価値あるものであると認めた。

UTokyo Repositoryリンク