学位論文要旨



No 117014
著者(漢字) 関口,暁宣
著者(英字)
著者(カナ) セキグチ,アキノリ
標題(和) 非線形力学構造を用いたロボットの行動制御に関する研究
標題(洋)
報告番号 117014
報告番号 甲17014
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5155号
研究科 工学系研究科
専攻 機械情報工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,仁彦
 東京大学 教授 井上,博允
 東京大学 教授 佐藤,知正
 東京大学 助教授 國吉,康夫
 東京大学 助教授 湯浅,秀男
 東京大学 講師 岡田,昌史
内容要旨 要旨を表示する

 近年ロボットのハードウェアは飛躍的に進歩し,HONDAのP3やASIMOに代表されるような完成度の高いヒューマノイドロボットも登場するようになった.それに伴い,機械の知能を全身で実現する技術の開発が望まれている.ヒューマノイドロボットは人間と似た形態を持ち,人間が普段生活する環境内で人間と共存し協調作業を行なうようなロボットとして活躍が期待されている.しかし,ロボットの脳にあたる部分は依然として発展途上であり,人間が活動する複雑な環境を認識し,状況に応じて適切な行動選択,運動の変形を行ないながら作業を行なうことは難しい.ロボットにおいてこのような能力を実現するためには,認知科学,神経科学,発達心理学,複雑系などさまざまな分野における学際的アプローチから得られた知見にヒントを得ながら,学習と記憶,意識と思考などの脳の高次機能を,ロボットを用いシンセティックに研究していく必要があると考えられる.

 本研究では,このようなロボットの知能の問題について,力学に着目したアプローチをとる.生体の脳・神経系においてはカオスなどの非線形力学現象が数多く見られ,周期軌道からカオス軌道への遷移,周期軌道への引き込みやカオス同期といった力学現象が,学習や記憶,連想,意識などの機能と結び付いているのではないかと考えられる.本研究ではそのような脳の情報処理に関する非線形力学系モデルに着目し,非線形力学系のカオスや,カオスから非カオスへの遷移,さらには周期軌道への引き込みといった非線形力学現象を用いてロボットにおける脳型情報処理を実現することを目指す.そのための基礎として,力学現象による計算・情報処理の可能性を探ることを目的とし,力学現象の結果として現れる周期軌道やカオス軌道を基にしたロボットの情報処理力学系を設計することを試みる.具体的には,

 1.ロボットのカオス運動

 2.非線形力学系において生じる周期軌道への引き込みや同期を利用したロボットの情報処理

の2つの問題について研究を行なった.

 これらの研究により,カオスや同期,引き込みのような非線形力学現象を利用したロボットのいくつかの情報処理力学系を設計することができた.自分自身の体や外部環境のダイナミクスと,記憶,論理,情動,意識などの情報とその処理のダイナミクスが融合して機能するシステムによって,多様で変化に適応できるロバスト性を持ちながらも,目的を持った論理的な行動が発現する構造を持っていることが,人間の知能の基礎を作っていると考えている.本研究では,このような仮説に基づいて,ロボットの知能を構成するという立場から,身体の力学系と情報処理の力学系を融合することが可能な枠組みの一つを構築した.

1.カオティック移動ロボット

 カオスは非線形力学系に特有の性質の一つであり,決定論に支配されておりながら,初期値の微小な誤差がその後の系の挙動に大きな影響を与え,あたかも非決定論的な振舞いを示すような現象である.本研究ではカオスを積極的に応用することを目的とし,移動ロボットに非線形力学構造を導入しカオス的な運動を行わせる.カオティック移動ロボットは,カオスの特徴の一つである位相推移性によって,あらかじめ環境情報や運動計画を持たなくても環境全体を動き回ることができ,パトロールロボットや掃除ロボットに応用することができる.本研究では2輪モデルの移動ロボットを用い,ロボットにカオス的な運動を行わせるために次式で表されるArnold方程式を用いる.

Arnold方程式とは非圧縮性完全流体の運動を表す3次元Euler方程式の3次元トーラス上の定常解であり,その係数の値によりカオス的になることが知られている.Fig.1にArnold方程式の軌道の例を示す.Arnold方程式を移動ロボットの状態方程式に組み込み,ロボットの運動がカオス的となるようなコントローラを設計した.Arnold方程式を組み込んだ移動ロボットの軌道を数値計算により求め,リアプノフ指数の計算等によりロボットの運動がカオス性を持つことを確認した.また2輪独立駆動の移動ロボットを試作し,閉空間内を運動させる実験を行った.Fig.2に示すようにロボットは提案したコントローラにより環境全体をくまなく移動することができた.また,全空間を動き回る問題に関して,乱数を用いたランダムウォークに対するカオティック移動ロボットの優位性について実験により考察を行なった.実験ではカオスを用いた方が有効であるという結果となった.

2.Arnold方程式結合系の軌道引き込みを利用したロボットの情報処理

 本研究では,生物の脳・神経系で見られるような,カオスから周期軌道への引き込みのような力学現象を利用したロボットの情報処理力学系の設計を試みる.2つの力学系が相互に結合された系では,2つの力学系の運動が同期したり,運動が周期軌道に引き込まれたりする現象が生じることがある.2つの力学系をロボットのセンサ系,モータ系にあてはめて考えると,2つの力学系の相互結合は,センサ信号がセンサ系に入力され,情報処理が行われてモータ系からモータに出力され,環境との相互作用を行なうという,Fig.3のような環境をも含めた力学系の相互結合として考えることができる.このような環境を含めた全体のループの中で,センサ系やモータ系にあたる力学系が同期や引き込みを生じることによって行動制御や行動の駆動を行なう.具体的に用いる力学系として,カオティック移動ロボットで用いた,構造の単純さと挙動の多様性をあわせ持つ式(1)のArnold方程式を採用した.Arnold方程式は保存系であり,そのままでは境界条件によって挙動が全て決定されてしまい,挙動を変化させたり,引き込みを生じさせたりすることができない.そのためArnold方程式に入出力構造を持たせて結合系を設計し,Fig.3のような情報処理に関して考察を行なった.

 まず,センサ信号の入力によるセンサ系の軌道の引き込み,センサ系からモータ系への結合によるモータ系の軌道の引き込みを発現させることができることを示し,その引き込みを用いた認識や行動生成に関し考察した.力学系があるパターンの外部入力によりカオス状態から周期状態に引き込まれる現象は,ウサギの嗅覚系などにおいてもみられセンサパターンの認識としてとらえることができる.また,同様の力学系の引き込みが,センサ情報の認識においてだけでなく,センサ系からモータ系への結合によって生じる引き込みのように内部の結合においても生じることで,行動の選択や駆動などに利用することが可能である.

 次に,上述したセンサ系からモータ系への結合のような一方向の結合ではなく,Fig.3のように環境を含めた全体の相互結合の中で生じる同期,引き込みを用いたロボットの行動制御について考察した.同期,引き込みを生じるようなArnold方程式の相互結合系を設計し,その結合系の一方をセンサ系,もう一方をモータ系と考え,その相互結合系の一方の結合を切断して環境に開放することにより,力学系の同期,引き込みを利用してロボットの周期運動の制御を行なう手法を提案した.力学系の同期,引き込みを用いてロボットの周期運動を制御するための情報処理力学系の設計論として,同期,引き込みを生じる力学系の引き込み軌道パターンとロボットの運動パターンを別々に与えることができるような枠組みを提案した.

 また,そのような相互結合系の同期,引き込みを用いた行動制御の手法を高自由度のロボットに応用するために,複数のセンサ系,モータ系の相互作用について考察した.2組の相互結合系間に相互作用やパラメータの動的な変更を導入することにより,2組の系の運動を同期させることができることを示した.上半身人間型ロボットRobovieを用いた運動生成実験を行ない,相互結合系の同期によりロボットの周期運動を制御し,複数のセンサ系−モータ系相互結合系間の相互作用によりロボットの複数の関節の運動を協調させることができることを示した.実験結果の例をFig.4に示す.ここではセンサ系−モータ系の相互結合系が2組あるとし,系1,系2とする.系1がRobovieの右腕4自由度の運動,系2が左腕と首の7自由度の運動にそれぞれ対応しており,相互作用がない場合にはそれぞれセンサ系−モータ系の引き込みにより学習した周期運動が生成される.Fig.4(a)は系1,系2のArnold flowの軌道,(b)のグラフはロボットの運動の時系列であり,(b)の下段の図は引き込まれたあとのロボットの運動の様子である.相互作用とパラメータの動的な変更によって2つの系の運動を協調させることができた.

Fig.1:Arnold flow

Fig.2:Resultant trajectory of the experiment(chaotic robot)

Fig.3:Behavior control using dynamical synchronization

Fig.4:Resultant trajectories (Robovie)

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「非線形力学構造を用いたロボットの行動制御に関する研究」と題し、6章からなっている。

 生体の脳・神経系においてはカオスなどの非線形力学現象が見られ、周期軌道からカオス軌道への遷移、周期軌道への引き込みやカオス同期といった力学現象が学習や記憶,連想,意識などの機能と結び付いているのではないかと考えられている。一方で、ロボットの行動知能といわれる分野では知能に果たす身体の役割が重視されるようになってきている。本論文は、非線形力学現象を情報処理計算として利用することで、身体の力学系と情報処理系が密接に結びついた知能ロボットを構成するという立場から行った研究の成果をまとめたものである。

 第1章は「序論」であり、本研究の背景となるロボットの行動知能、生体系の非線形力学現象、カオスとその応用、引き込み現象、およびそれらの応用などの各分野の研究をサーベイし、本研究で目指す方向を述べている。

 第2章は「カオティック移動ロボット」について述べている。ここではカオスをロボットの行動制御に積極的に応用することを提案し、移動ロボットに非線形力学構造を導入しカオス的な運動を行わせる方法を開発し、実験によって有効性を検証している。カオティック移動ロボットは、カオスの位相推移性によってあらかじめ環境情報や運動計画を持たなくても環境全体を動き回ることができ、パトロールロボットや掃除ロボットに応用することができるとしている。ここでは非線形力学系のモデルとして非圧縮性完全流体の3次元トーラス空間での定常階を表すArnold方程式をロボットの運動方程式と組み合わせることによって多様な挙動を発現させている。Arnold方程式は、移動ロボットの運動方程式と類似した数理構造をもち、比較的単純な三角関数で表され係数と初期値の設定によって周期解からカオス的挙動まで多様な挙動を持つことが特徴である。

 第3章は「Arnold方程式の軌道引き込みを利用したロボットの情報処理」と題して、移動ロボットだけではない一般のロボットの行動制御の問題に力学系の引き込み現象を利用する方法について述べている。2つのArnold方程式系をセンサ系とモータ系とすることによってセンサリモータ系を構成し、ロボットの行動認識や行動生成を実現した。

 第4章は「Arnold方程式相互結合系の同期を用いたロボットの行動制御」と題し、第3章で構成したセンサリモータ系を用いて、さらに同期制御によるロボットの情報処理を論じている。従来から神経振動子モデルを用いて四足あるいは二足の歩行制御を行い、引き込みを議論した研究があったが、本章では同期現象をArnold方程式の関数構造を利用することによって、同期系を利用した情報処理の設計法を確立したことが成果である。

 第5章では「複数のArnold方程式相互結合系の相互作用を用いたロボットの行動制御」として、第3章、第4章で提案した、力学的引き込み、同期を用いて上半身人間型で車輪移動式のロボットの全身行動生成の問題として実装し、実験を行った結果を述べている。複数のセンサ系、モータ系相互結合系全体の相互作用によって全身の関節やモータを協調させた多様な運動が生成可能との結論を得ている。

 第6章は「結論」であり、以上の結果を要約したものである。

 以上を要するに、本論文は、Arnold方程式を中心にした非線形力学系を情報処理の機構として採用することにより、周期軌道からカオス軌道への遷移、周期軌道への引き込みや同期といった力学現象を知能の計算機構として利用することを提案したもので、知能発現の問題とロボットの力学運動を統一的に扱う枠組みを与えたものである。これによってロボットの行動発現という知能の問題を力学的に設計する方法論の基礎を確立したもので、機械工学ならびにロボティクスに寄与するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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