学位論文要旨



No 116277
著者(漢字) 石上,紀明
著者(英字)
著者(カナ) イシガミ,ノリアキ
標題(和) マウス胎仔におけるT-2 toxin誘発アポトーシスに関する研究
標題(洋) Studies on T-2 toxin-induced apoptosis in the developing mouse fetuses
報告番号 116277
報告番号 甲16277
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2307号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 熊谷,進
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨 要旨を表示する

 T-2 toxinはFusarium 属真菌により産生される有害代謝産物(トリコテセン系マイコトキシン)の一種であり、ヒト、家畜および家禽に、リンパ・造血機能の抑制、消化器症状、神経症状、繁殖障害、新生仔奇形などの中毒症状を引き起こすことが知られている。このマイコトキシンに汚染された食物や飼料の摂取によるヒトおよび家畜の中毒事例は、例えば、ヒトの食中毒性無白血球症および赤カビ中毒症、牛の出血性症候群、馬の豆殻中毒症等、世界各地で報告されており、公衆衛生ならびに家畜衛生上重要な問題となっている。これまでに、Fusarium属カビ毒の毒性解明を目的として、多数の動物種で様々な実験がなされているが、胎仔毒性の発現のメカニズムについては不明な点が多い。筆者は本研究でT-2 toxin投与妊娠マウスの胎仔組織を検索し、その毒性発現にアポトーシスが関与していることを初めて明らかにした。本論文は3章から成るが、以下に各章の要旨を記載する。

 第1章:発育胎仔におけるT-2 toxin誘発アポトーシス

 妊娠11日目にT-2 toxinを経ロ的に投与して24時間後に胎仔を採取し、観察された細胞死について形態学的検索を行った。T-2 toxin投与群では胎仔の死亡/吸収率が高く、また胎仔体重の減少が認められた。病理組織学的検索では、終脳、間脳、髄脳、脊索周囲の椎板後半の細胞、舌後部から咽喉頭領域、気管および顔面の間葉系細胞に、核濃縮や核崩壊像が観察された。終脳では核濃縮や核崩壊を示す神経上皮細胞はperi-ventricular zoneで観察された。断片化DNAを検出するin situ DNA end labeling 法(TUNEL法)では、これらの細胞の核に一致して陽性反応が示され、電顕的観察では核クロマチンの凝集、核の断片化などの特徴的変化が観察された。

 以上の形態学的所見から、T-2 toxinによって誘発された胎仔組織の細胞死はアポトーシスによるものであることが明らかになった。これらの臓器における増殖細胞核抗原(PCNA)に対する抗体を用いた免疫組織化学による細胞増殖活性の評価では、T-2 toxin投与群とコントロール群間でPCNA陽性細胞数に有意差は観察されなかったが、TUNEL陽性細胞はPCNA陽性領域に限局して観察された。従って、T-2 toxinは細胞増殖活性の高い細胞を標的にすることが考えられた。

 第2章:T-2 toxinの投与時期による胎仔組織のアポトーシスおよび骨格奇形の誘発の差

 妊娠8.5〜16.5日目にT-2 toxinを投与し、24時間後に胎仔組織でのアポトーシスの誘発の有無を、また、妊娠17.5日目における胎仔骨格奇形の有無を調べた。また、妊娠13.5もしくは16.5日目にT-2 toxinを投与し、生後1、7、14、28日目に新生仔の主要臓器を組織学的に検索した。さらに、妊娠13.5および14.5日目におけるT-2 toxin誘発骨格奇形に及ぼす蛋白合成阻害剤(cycloheximide:CHX)の影響も調べた。組織学的検査、TUNEL法、電顕的観察の結果、T-2 toxin投与群には神経上皮細胞やリンパ系細胞、造血系細胞、軟骨芽細胞、腎臓被膜直下の未分化細胞、未分化間葉系細胞、間質細胞等でアポトーシスを示す細胞が観察された。また、T-2 toxinの投与時期によってアポトーシスの発現数や組織および器官分布に変化が見られた。さらに、第1章で示したように、T-2 toxin投与群とコントロール群との間でPCNA陽性細胞数に有意差は認められず、TUNEL陽性細胞はFCNA陽性領域に限局して観察された。

 T-2 toxin投与群とコントロール群の新生仔の相対的臓器重量に著変は認められず、また、組織学的変化も認められなかった。このように、新生仔の臓器に組織学的変化が観察されなかったのは、胎仔組織の細胞分裂活性が極めて高く、アポトーシスによる細胞数の減少を補ったためと考えられる。また、T-2 toxinの投与時期によってアポトーシスの発現頻度や組織および器官分布に変化が見られたことから、T-2 toxinによる胎仔組織アポトーシスの誘導には、標的細胞の高い分裂活性の他に、胎仔の発育に関連する未知の因子も関与している可能性が示唆された。

 さらに、骨格観察の結果、妊娠8.5、9.5および11.5日投与群に骨化遅延が、妊娠13.5および14.5日投与群には肋骨湾曲や肩甲骨短縮が、それぞれ観察された。しかし、肋骨の組織学的観察では、将来肋骨湾曲が生じる部位で特にTUNEL陽性細胞数が増加するような所見は認められなかった。また、CHXの前処置により骨格奇形の発生率が減少したことから、T-2 toxin投与母体から得た新生仔の骨格奇形は、胎仔におけるT-2 toxinによる軟骨芽細胞のアポトーシスが直接の原因ではなく、ある種の蛋白の発現が関与している可能性が示唆された。

 第3章:アポトーシス関達遺伝子の発現と蛋自合成阻害剤の影響

 T-2 toxin投与群の胎仔終脳におけるアポトーシスの発現の経時的変化および発現のメカニズムを解明する目的で、細胞膜上の特異レセプターおよびアポトーシス関連遺伝子の動態と蛋白合成阻害剤(CHX)前処置の影響を調べた。組織学的には、T-2 toxin投与の12時間後にアポトーシスが観察され、アポトーシス細胞数は24時間後にピークに達し、その後減少した。RT-PCR法を用いてFas、bcl-2、caspase-3、c-fos、c-jun、c-mycおよびp53のmRNAの発現量の推移を調べたところ、アポトーシスの発現に先立って、T-2 toxin投与後4時間目からFasの発現量の増加が認められ、12時間目まで持続した。他のアポトーシス関連遺伝子の発現量にはほとんど変化は認められなかった。しかし、Fas欠損ミュータント/pr/lpr 妊娠マウスにT-2 toxinを投与したところ、胎仔終脳におけるアポトーシスの発現は抑制されなかった。

 近年、当研究室で、成熟マウスの胸腺や成熟ラットの皮膚基底細胞におけるT-2 toxin誘発アポトーシスには、c-fosとc-junの発現が関連することが明らかにされた。しかし、胎仔終脳におけるT-2 toxin誘発アポトーシスには、上述の如く、c-fosとc-junのいずれも関係がなく、T-2 toxinによるアポトーシスの誘導には組織特異性があることが示唆された。一方、蛋白合成阻害剤の影響を調べたところ、CHXの前処置によってT-2 toxinによる胎仔終脳のアポトーシスが抑制されたことから、上記のアポトーシス関連遺伝子以外の遺伝子に規定されているある種の蛋白の発現がアポトーシスの発現に関与している可能性が示唆された。

 以上、本研究の結果から、T-2 toxinは胎仔組織にアポトーシスを誘発することが初めて明らかにされた。こうしたT-2 toxinによる胎仔組織のアポトーシスの誘導にはFas、bcl-2、caspase-3、c-fos-3、c-jun、c-mycおよびp53といった既知のアポトーシス関連遺伝子は関係が無いものと考えられた。また、最近、T-2 toxinを含むトリコテセン系マイコトキシンがribotoxic stress responseを起こし、細胞内シグナル伝達経路を経由してc-junを活性化し、その結果アポトーシスを誘導することが報告されているが、上述したようにT-2 toxin誘発胎仔組織アポトーシスにはc-junは関与していない。しかし、蛋白合成阻害剤の前投与によってT-2 toxinによる胎仔終脳のアポトーシスが抑制されたことから、T-2 toxinによって誘発される胎仔組織のアポトーシスには、上記のアポトーシス関連遺伝子以外の遺伝子に規定されている何らかの蛋白の発現が関与していることが強く示唆された。

 本研究の成果は、妊婦や妊娠動物におけるT-2 toxin中毒のメカニズムの解明のみならず、広く化学物質による発生毒性の発現機構を解明するための基礎資料として極めて重要であると考えられる。今後は、T-2 toxin誘発胎仔組織アポトーシスに関与していると想定される蛋白およびそれを規定している遺伝子の同定を行いたい。

審査要旨 要旨を表示する

 T2トキシン(T2)はFusarium属真菌により産生されるマイコトキシンで、ヒト、家畜、家禽に、リンパ・造血機能の抑制、消化器症状、神経症状、繁殖障害、新生仔奇形などの中毒症状を引き起こし、公衆衛生・家畜衛生上重要な問題となっている。Fusarium属カビ毒の毒性機構についてはこれまで多数の動物種で様々な実験がなされているが、胎仔毒性の発現のメカニズムについては不明な点が多い。申請者はT2による胎仔毒性の特徴とその発現メカニズムを明らかにした。

1) 発育胎仔におけるT2誘発アポトーシス

 妊娠11日目のマウスにT2を経口投与し、24時間後に胎仔を採取、形態的検索を行った。T2投与群では終脳、間脳、髄脳、脊索周囲の椎板後半の細胞、舌後部から咽喉頭領域、気管および顔面の間葉系細胞に、核濃縮や核崩壊像が観察された。終脳では核濃縮や核崩壊を示す神経上皮細胞はperiventricular zoneに観察された。TUNEL法ではこれらの細胞核に一致して陽性反応が示され、電顕的観察では核クロマチンの凝集、核の断片化などのアポトーシスに特徴的な変化が観察された。以上のことから、T2誘発胎仔組織細胞死はアポトーシスであることが明らかになった。また細胞増殖活性の評価では、T2投与群とコントロール群間でPCNA陽性細胞数に有意差はみられなかった。TUNEL陽性領域とPCNA陽性領域は同一であった。従って、T2の標的は細胞増殖活性の高い細胞と考えられた。

2) T2の投与時期による胎仔組織のアポトーシスおよび骨格奇形の誘発

 妊娠8.5〜16.5日目にT2を投与し、24時間後の胎仔組織アポトーシスの有無と、妊娠17.5日目における胎仔骨格奇形の有無を調べた。さらに蛋白合成阻害剤cycloheximide(CHX)をT2投与直前に投与し、17.5日目に剖検して胎仔の骨格奇形について検索した。T2投与群では神経上皮細胞、リンパ系細胞、造血系細胞、軟骨芽細胞、腎臓被膜直下の未分化細胞、未分化間葉系細胞、間質細胞等でアポトーシスの発現が認められたが、その発現頻度や組織分布はT2の投与時期によって異なっていた。従って、T2による胎仔組織アポトーシスの発現には胎仔の成長に伴う何らかの因子が関与している可能性が示唆された。骨格観察の結果、骨化遅延、肋骨湾曲、肩甲骨短縮が、観察された。しかし、肋骨湾曲が生じる部位でのTUNEL陽性細胞数増加は認められなかった。またCHX前処置により骨格奇形の発生率が顕著に低下した。従って、T2投与新生仔の骨格奇形は細胞のアポトーシスが原因ではなく、ある種の蛋白の発現が関与している可能性が示唆された。

3) アポトーシス関連遺伝子の発現と蛋白合成阻害剤の影響

T2投与胎仔の終脳において、CHX前処置のアポトーシス発現に対する影響とアポトーシス関連遺伝子の発現を調べた。T2投与の12時間後にアポトーシスが観察され、アポトーシス細胞数は24時間後にピークに達し、その後減少した。このアポトーシスはCHX前処置によって顕著に抑制された。RT-PCR法を用いて胎仔終脳におけるFas、bcl-2、caspase-3、c-fos、c-jun、c-mycおよびp53のmRNAの発現量の推移を調べたところ、T2投与後4から9時間目にFasの発現量の増加が認められた。一方、Fas欠損ミュータントlpr/lpr妊娠マウスにT2を投与したところ胎仔終脳でのアポトーシスは抑制されなかった。以上から、検索した以外の遺伝子産物の発現がアポトーシスの発現に関与している可能性が示唆された。

 本研究によりT2が胎仔組織にアポトーシスを誘発することが初めて明らかにされた。このアポトーシスの誘導には検索したアポトーシス関連遺伝子以外の何らかの蛋白の発現が関与していることが強く示唆された。本研究の成果は、妊婦や妊娠動物におけるT2中毒のメカニズムの解明のみならず、広く化学物質による発生毒性の発現機構を解明するための基礎資料として極めて重要であると考えられる。したがって、審査委員一同は申請者が博士(獣医学)の学位を授与されるにふさわしいと判断した。

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