学位論文要旨



No 116247
著者(漢字) 延,済梧
著者(英字)
著者(カナ) ヨン,ゼオ
標題(和) Saccharomyces cerevisaeにおける膜リン脂質の取り込みと代謝に関する研究
標題(洋)
報告番号 116247
報告番号 甲16247
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2277号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 中島,春紫
 東京大学 助教授 堀内,裕之
内容要旨 要旨を表示する

 眞核生物の生体膜の主要グリセロルリン脂質はホスラチジルコリン(PC)、ホスファチジルエタノールアミン(PE)、ホスファチジルセリン(PS)、ホスファチジルイノシトール(PI)、カルジオリピンなどで、それぞれ、膜構造を構築する物理化学的役割とともに、物質輸送、分泌、細胞内情報伝達などにおいても重要な働きをしている。これらの膜リン脂質の膜における量比は良く保たれているが、それがどのように調節されているのか未だに明らかでない。酵母において、ゴルジ体にあって蛋白質分泌に関わっているSec14pは、Kennedy経路のCDP-コリン合成酵素を阻害することによって、ゴルジ体のPI/PC存在比を調節していることが示されている。さらに、細胞内のPI-4-リン酸の濃度やPCの分解系がPCの量の調節に関与していることが示唆されているが、その詳細は不明である。

 このような眞核生物の主要リン脂質の代謝・調節の分子機構を解明する上で、ゲノム情報が確立し、分子生物学的実験技術の発達した、Saccharomyces cervisiaeは優れた研究材料である。しかしながら、研究する手段として、蛍光発色団または放射性同位元素で標識したリン脂質を細胞に取り込ませ、その動きや分子的な変形を追跡する、動物細胞を実験材料とする研究で活発に使用されている方法を、酵母特有の厚い細胞壁が障害となるために採用できないと言う問題がある。そこで、本研究では、S.cerevisiaeに実際に相当量の主要リン脂質を取り込ませることができるかどうかを詳細に検討した。また、得られた系を用いて、細胞外から加えたリン脂質が細胞のリン脂質代謝に対してどのような影響を与えるかを解析した。

 S.cerevisiaeのPCを生産する経路は下図に示すように2つあり、PSの脱炭酸によるPEの生成、そのアミノ基のメチル化によるPCの合成という主要なde novo経路と、コリンやエタノールアミンをCDP-コリンやCDP-エタノールアミンを経由してPEとPCに変換するKennedy経路が存在する。ホスファチジルセリンシンターゼを欠損するCho1/pss変異株は、エタノールアミンの細胞内供給量が小さいため、培地に供給されたコリンやエタノールアミンをKennedy経路により利用しなければ、PEやPCを合成できず、生育できない。そこで、cho1/pss変異株に外からリン脂質(PEあるいはPC)を与えたとき、それらが酵母細胞によって積極的に利用されるかどうかを、細胞の生育を測定することによって判断できるものと考えられた。

炭素鎖の短いアシル基をもつリン脂質による、cho1/pss変異株の生育の支持

 炭素鎖長6(C6)あるいは12(C12)のアシル基をもつリン脂質はcho1/PSS変異株の生育を支持しなかったが、C8のみ、およびC10のみのアシル基からなるジカプリロイルPc(diC8PC)およびジカプリルPC(diC10PC)によってcho1/pss変異株の液体培地における生育が支持された。また、ジカプリロイルPE(diC8PE)によっても生育が支持された。低濃度の界面活性剤Tween80は細胞の成育に影響を与えなかったが、diC8pcと同時に培地に添加するとdho1/pss変異株の生育はさらに促進された。しかしながら、これらの短鎖アシル基を有するリン脂質は、PCはコリンやエタノールアミンがない条件ではcho1/pss株の生育を支持したが、コリンやエタノールアミンがある条件下ではある程度cho1/pss変異株の生育に対して阻害的であった。

 リン脂質が細胞外でホスフォリパーゼD様の活性によって分解され、コリンだけが細胞に取り込まれた可能性を調べるため、コリン輸送系の阻害剤であるhemicholinium-3による影響を調べたところ、コリンを添加した培地ではhemicholinium-3による生育の阻害が見られるのに対し、diC8PCを添加した培地では阻害はみられなかった。さらに、コリン輸送タンパク質をコードするCTR1遺伝子を破壊した二重変異株は1mMのコリンを添加した培地ではほとんど生育できなかったが、0.1mMのdic8PCを添加した培地では生育した。また、コリンの利用にとって必須なKennedy経路のCDP-コリンシンターゼをコードするCCT1の二重破壊株はCHO1/PSSのみの破壊株と同一水準の生育を示した。また、ホスホリパーゼCの分解産物として予想されるホスホリルコリンはCho1/PSS変異株の生育を全く支持しなかった。さらにまた、酵母で分泌されるホスホリパーゼBの分解産物であるグリセロホスホリルコリンは0.1mMの濃度ではcho1/pss変異株の生育を支持しなかった。CH01/PSSと酵母の主要分泌ホスホリパーゼBをコードするPLB1、PLB2、PLB2、PLB3を破壊した4重変異株はO.1mMのコリンを添加した培地でCHO1/PSSのみの破壊株と同様な生育水準を示した。このことは細胞内へのdiC8PCの取り込みにこれら主要な細外外ホスホリパーゼが関わっていないことを示している。

 以上の結果から、培地に添加された短鎖アシル基を持つリン脂質は細胞外で分解されることなく細胞内に取り込まれ、膜に挿入されて利用されることが示唆された。

短鎖のリン脂質の代謝に関わる酸素活性

 cho1/PSS変異株をdiC8PCを添加して培養したとき、diC8PCは培養後40時間以内に最初添加した量の10%まで減少した。また培地からは培養後40時間以内に最初に添加したリン脂質中のカプリル酸のほぼ全量が検出された。この結果から、倍地中に添加されたdiC8PCは膜に取り込まれ、アシル鎖交換により変形され、その結果、遊離したC8の脂肪酸が細胞外へ放出される可能性が示唆された。

 短鎖のリン脂質の分解に関わる酵素活性を探すために、強いホスホリパーゼB活性を除くために、PLB1、PLB2、PLB3の3重破壊株を用い、NBD-PCを分解し、NBD-脂肪酸、またはNBD-リゾホスファチジルコリンを生産する酵素活性(PLA2またはPLA1の酵素活性)を検索した。その結果、NBD-リゾホスファチジルコリンを生ずる酵素活性が、破壊株では親株に比べて20%ほど存在した。この活性が取り込ませたリン脂質の変形に関わるものかどうかは不明である。なお、使用菌株のホスホリパーゼB活性はPLB2に依存しており、PLB1やPLB3の単独破壊による酵素活性の変化は見られなかった。

PEM1 PEMM2 2重遺伝子遺伝子破壊を用いた解析

diC8PCの代謝に関わる遺伝子を単離するために、choz1/pss変異株からコリンでは生育でき、diC8PCでは生育できない変異株を分離し、その中からdiC8PCのアシル鎖の交換が異常なものを選択しようとした。このような交換は酵母細胞の膜の恒常性の維持にとっても必須であり、生育に必要とされると言う可能性を配慮し、cho1/pss変異株を変異誘発剤処理して得た約2000個のts変異株からdiC8PC添加培地で生育の悪い株を探し、82個の候補株を得た。しかし、PSを合成できないcho1/pss変異株は元々生育が悪く、また、内因性のエタノールアミンによって、PCの要求性が不安定であることなどから、diC8PCを利用できない表現形を確立することが困難であった。そこで、PEメチル化酵素であるPEM1とPEM2の2重破壊株を作成したところ、破壊株は安定したコリン要求性を示し、コリン存在下で良好に生育した。また、diC8PCによる生育も確認され、これを含む寒天平板培地でも良好な生育を示した。そこで、PLB1とPLB2、PEM1とPEM2を破壊した4重破壊株について、コリン存在下では生育できるが、diC8PCに依存して生育できない変異株を検索中である。

diC8PCのリン脂質合成への影響

32P無機リン酸とdiC8PCを添加した培地で40時間培養したcho1/pss変異株のPCの放射能は、コリン添加培地で生育させた場合と比べた時、PIの放射能量が同じ水準であるのに対して、約50%の水準であった。PEの量は20%の水準に過ぎなかった。一方、リン脂質リンの測定では、diC8pc添加時のPEは32P標識の場合と同様低い水準であったが、PC量はコリン添加の場合と同様であった。この結果は、先ずdiC8PC添加時ではdiC8PCに由来するリン酸によってPCの比放射能が低下していること、すなわち、取り込まれたdiC8PCはコリンやリン酸などの成分に分解されることなく利用されていることを示しており、先のcho1/pss cct12重遺伝子破壊株がdiC8PCによって生育したことに対応している。次いで、PEの水準が低かったことは、diC8PC添加によってはPEのメチル化は抑制されず、内因性のエタノールアミンを利用して合成されたPEのかなりの部分がPCに変換されたことを示唆する。

 実際、PEM1とPEM2のプロモーターにlacZを繋いだプラスミドをcho1/pss変異株に形質転換し、コリンまたはdiC8PCを添加して培養したときのβ-ガラクトシダーゼ活性を測定したところ、diC8PCを添加した場合、コリン添加条件に比べ、PEM1のプロモーターによって約50倍のβ-ガラクトシダーゼ活性が、PEM2のプロモーターによっては約5倍の活性が観察された。この結果から、N-メチル化によるPEからPCへの合成は添加したコリンによって転写レベルで強く抑制されるのに対して、外から添加したdiC8PCによっては影響を受けないことが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 眞核生物の主要リン脂質の代謝・調節の分子機構を解明する上で、ゲノム情報が確立し、分子生物学的実験技術の発達した、Saccharomyces cerevisiaeは優れた研究材料である。それを研究する1つの手段として、リン脂質を細胞に取り込ませ、その動きや分子的な変形を追跡する方法があるが、酵母は特有の厚い細胞壁が障害となるために採用できないと言う問題がある。本研究では、S.cerevisiaeに実際に相当量の主要リン脂質を取り込ませることができるかどうかを詳細に検討した。また、得られた系を用いて、細胞外から加えたリン脂質が細胞のリン脂質代謝に対してどのような影響を与えるかを解析した。

 ホスファチジルセリンシンターゼを欠損するChl1/pss変異株は、エタノールアミンの細胞内供給量が小さいため、培地に供給されたコリンやエタノールアミンをKennedy経路により利用しなければ、ホスファチジルエタノールアミン(PE)やホスファチジルコリン(PC)を合成できず、生育できない。そこで、cho1/pss変異株に外からリン脂質(PEあるいはPC)を与えたとき、それらが酵母細胞によって積極的に利用されるかどうかを、細胞の生育を測定することによって判断できるものと考えられた。

 第1章では炭素鎖の短いアシル基をもつリン脂質による、cho1/pss変異株の生育の支持を観察した。その結果、ジカプリロイルPC(diC8PC)およびジカプリルPC(diC10PC)また、ジカプリロイルPE(diC8PE)によってcho1/pss変異株の液体培地における生育が支持された。この際、リン脂質が細胞外でホスフォリパーゼ様の活性によって分解され、その分解産物だけが細胞に取り込まれたのではなく、細胞内に取り込まれ、膜に挿入されて利用されることが示された。

 第2章ではdiC8PCを添加することによるリン脂質合成への影響を観察した。32P無機リン酸とdiC8PCを添加した培地で40時間培養したoho1/pss変異株のPCの比放射能は、コリン添加培地で生育させた場合のPCの約半分であった。また、PEの量は20%の水準に過ぎず、PEのメチル化が抑制されていないことが推定された。このことは、PEM1とPEM2のプロモーターにlacZを繋いだプラスミドをoho1/pss変異株に形質転換したときのβ-ガラクトシダーゼ活性が、diC8PCを添加した場合、コリン添加条件に比べ、PEM1のプロモーターによって約50倍、PEM2のプロモーターによっては約5倍であったことによって支持された。この結果から、N-メチル化によるPEからPCへの合成は添加したコリンによって転写レベルで強く抑制されるのに対して、外から添加したdiC8PCによっては影響を受けないことが示唆された。

 第3章では、短鎖のリン脂質の代謝に関わる酵素活性を検索したcho1/pss変異株をdiC8PCを添加して培養したとき、diC8PCは培養後40時間以内に最初添加した量の10%まで減少した。また培地からは培養後40時間以内に最初に添加したリン脂質中のカプリル酸のほぼ全量が検出された。結果から、倍地中に添加されたdiC8PCは膜に取り込まれ、アシル鎖交換により変形され、その結果、遊離したC8の脂肪酸が細胞外へ放出される可能性が示唆された。

 また、PLB1、PLB2、PLB3の3重破壊株を用い、NBD-PCを分解し、NBD-脂肪酸、またはNBD-リゾホスファチジルコリンを生産する酵素活性(PLA2またはPLA1の酵素活性)を検索した。その結果、強いPLA活性を検出する条件を見いだしている。

 第4章では、diC8PCの代謝に関わる遺伝子を単離するためにPEM1 PEM2 2重遺伝子破壊株を用いた解析を行っている。PSを合成できないoho1/ps変異株は、生育が悪く、内因性のエタノールアミンによって、PCの要求性が不安定である。そこで、PEメチル化酵素であるPEM7とPEM2の2重破壊株を作成したところ、破壊株は安定したコリン要求性を示し、diC8PCによっても良好に生育した。実際にPLB1とPLB2、PEM1とPEM2を破壊した4重破壊株を親株として、コリン存在下では生育できるが、diC8PCに依存して生育できない変異株33個が得られ、これによって今後PC利用に関わる遺伝子の検索のための基礎を確立した。

 以上、本論文は酵母による膜リン脂質の取り込みを見い出し、その代謝を解明する系を確立したもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた

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