学位論文要旨



No 115888
著者(漢字) 松野,丈夫
著者(英字)
著者(カナ) マツノ,ジョウブ
標題(和) 電荷密度の変調を示す遷移金属化合物の光電子分光
標題(洋) Photoemission study of transition-metal compounds with charge-density modulation
報告番号 115888
報告番号 甲15888
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3932号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小谷,章雄
 東京大学 教授 藤井,保彦
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 助教授 勝本,信吾
 東京大学 助教授 福山,寛
内容要旨 要旨を表示する

 遷移金属化合物は高温超伝導、負の巨大磁気抵抗(CMR)、金属-絶縁体転移などの幅広い物性を示す。これらは遷移金属のd電子間の強い相関、及びd電子と配位子p電子との混成が主要な役割を担っていることが近年の研究により明らかになってきた。加えて、電荷の自由度の変調・ゆらぎが遷移金属化合物の新たな物性を引き起こす要因として注目されており、銅酸化物高温超伝導体における電荷ストライプやCMRマンガン酸化物における電荷・軌道整列などが代表例として挙げられる。また、電子-格子相互作用に起因する電荷密度の変調として電荷密度波(CDW)が考えられる。このように電荷密度の変調には様々な物理が含まれており、遷移金属化合物の物性を理解する上で理想的な研究対象である。

 本論文では以下の4つの系、La1-xSrxFeO3とCaFeO3、CuV2S4、CuIr2S4、La1-xSrxMnO3に対して光電子分光法による研究を行なった。これらは電荷密度の変調に起因すると考えられる相転移を各々異なる形で示すことで知られている。また、光電子分光法は電荷の応答に敏感な実験手法であり、電荷密度の変調を研究する有効な手法である。以下に本論文における研究結果の概要を示す。La1-xSrxFeO3とCaFeO3 鉄ペロブスカイトCaFeO3では、温度の低下と共に漸進的な電荷不均化2Fe4+→Fe3++Fe5+が起こることがメスバウアー分光により知られている。La1-xSrxFeO3でもx〜2/3の付近で同様の不均化を伴う金属-絶縁体転移が観測されているが、電荷不均化は急激に起こる。この電荷不均化は、中性子散乱によると<111>方向に各々6、3倍周期のスピン密度波、電荷密度波の形成に対応している。我々はLa1-xSrxFeO3の複数の組成について光電子分光法による実験を行ない、x=0.67の組成で光電子スペクトルが最も顕著な温度変化を示すことを見い出した。これはFe3+:Fe5+=2:1の電荷整列が本質的でその影響がx=0.67以外にも及んでいることを示唆している。同様の温度変化がCaFeO3についても観測されたが、変化はより漸進的であった。これらの変化はフェルミ準位から約0.4eVの範囲に及んでおり、相転移の温度に対して非常に大きいエネルギースケールである。非制限ハートリー・フォック近似計算によりLaSr2Fe3O9について格子歪みなしで電荷が不均化した絶縁体の解が得られた。その一方CaFeO3に関してはbreathingとtiltingによる格子歪みが不均化に必要であることがわかった。これらより、酸素サイトのホールが電子間相互作用のみで整列しているLaSr2Fe3O9と電子一格子相互作用が重要な役割を果たすCaFeO3とで電荷不均化の機構が異なる可能性を指摘した。また、シンクロトロン放射光を用いた核共鳴X線非弾性散乱を行ない、CaFeO3においてla0.33Sr0.67FeO3より鉄の部分フォノン状態密度が顕著に変化することを見い出した。その変化は鉄-酸素結合の伸縮に起因するものと考えられる。

CuV2S4 スピネル型CuV2S4はTt=90Kにおいて電荷密度波(CDW)を生じることがX線回折により1981年に報告されている。しかしスピネル構造は3次元的であり、低次元系の特徴であるフェルミ面のネスティングによるCDWの形成は一見期待できないため、CDWの起源に興味が持たれている。我々は光電子分光スペクトルの詳細な温度変化を測定し、電荷密度波を生じる90Kの直上からの広い温度範囲にわたり90meV程度の大きさを持つ擬ギャップ的なスペクトル強度の減少を観測した。この擬ギャップの形成はフェルミ面の部分的なネスティングを示唆するものと考えられる。擬ギャップの大きさが温度にほとんど依存しないのに対し、高結合エネルギー側からのスペクトル強度の移動により昇温に伴い擬ギャップが満たされていくことが観測された。擬ギャップが転移温度に対して大きなエネルギースケールを持つことから、転移に関与する電子-格子相互作用が強結合の領域にあることが示唆された。ギャップが転移温度に対して大きなエネルギースケールを持つ点は鉄ペロブスカイトとも共通している。特にCaFeO3ではCuV2S4と同様に漸進的なスペクトル強度の温度変化が観測されている。CaFeO3では電荷不均化の始まる290Kより下で、CuV2S4ではCDW転移温度90Kより上で各々スペクトル強度が変化するという相違点があるが、共通点に着目すると両者がともに同程度の強さの電子-格子相互作用によって電荷密度の変調を起こす可能性がある。また、CuV2S4について第一原理計算によるバンド計算を行ない一般化感受率X(q)を求めた。その結果X線回折で観測されている超格子波数ベクトルに近い位置にX(q)がピークを持つことを見い出した。このことからフェルミ面の部分的なネスティングがCDWの可能性の一つであることが示唆された。

CuIr2S4 1994年に初めて合成されたスピネル化合物CuIr2S4はTt〜226Kで立方晶から正方晶への構造相転移を伴う金属一絶縁体転移を示す。メスバウアー分光は低温でIrが価数の異なる二つのサイトに分離している、すなわち、低温絶縁体相においてIrの電荷整列が実現している可能性を指摘している。伝導に寄与するIr5d電子では3d電子に比べて電子相関は強くないと考えられており、バンド理論による電子構造がよい記述を与えると期待されるが、バンド計算では基底状態は金属となる。この系について光電子分光の実験を行なった結果、250Kに比べて30Kでのフェルミ準位でのスペクトル密度が消失し、明瞭な金属から絶縁体への転移が見い出された。光電子分光スペクトルとバンド計算の比較からは、バンド計算で1eV付近に見られるIr5dのピークが光電子分光側には見られず、CuIr2S4が一般には遍歴的な5d電子系でありながら電子相関が無視できないことがわかった。本研究の結果からは、CuIr2S4の基底状態は電荷整列したIrのダイマー化、あるいはバンド絶縁体のどちらかで記述されうると結論した。鉄ペロブスカイトやCuV2S4と比べると、CuIr2S4の光電子スペクトルはフェルミ準位からおよそ3eVの広い範囲にわたって変化しており、かつその変化は本論文で扱った系の中でも最も顕著である。このことはCuIr2S4の金属-絶縁体転移が強い一次転移であることを反映している。

La1-xSrxMnO3 マンガンペロブスカイトLa1-xSrxMnO3は1950年代から二重交換相互作用の例として知られている系であり、近年はその電荷整列のゆらぎにともなう巨大磁気抵抗効果が盛んに研究されている。さらに最近、ホール濃度の異なる二つの相への相分離の可能性が理論的に提唱されており、電子顕微鏡により相分離と考えられる現象が観測されている。我々はこの相分離の可能性に着目し、X線内殻光電子分光法により化学ポテンシャルのシフトのホール濃度依存性aμ―anを求めた。その際、電子エネルギー分析器に印加する電圧を精度よく測定してゆらぎを補正することにより、極めて高い精度で内殻スペクトルのシフトを決定することに成功した。得られた化学ポテンシャルのシフトはホール濃度に対して単調であり、相分離を起こすホール濃度近傍でシフトが抑制されるとする理論的予測に反している。したがって本研究の結果は明らかな相分離の存在には否定的である。また化学ポテンシャルのシフトは金属相において比熱とよく対応し、La1-xSrxMnO3におけるホールドープがリジッドバンド描像で記述されることがわかった。これらの結果から、電荷感受率の逆数で与えられる化学ポテンシャルのシフトが電荷の応答に敏感であり、X線内殻光電子分光法が電荷密度の変調に対する有効な実験手法であることが立証された。

 以上のように我々は、電荷密度の変調に関して異なった特徴を持つと考えられていた系に光電子分光法を適用し、その電子構造を研究した。その結果、相違点のみならずいくつかの共通点を見出し、電荷密度の変調と光電子スペクトルの関係について、いくつかの新しい知見を得ることができた。

審査要旨 要旨を表示する

 遷移金属化合物は、3d電子間の相関と3d・配位子間の混成に起因して、多くの興味深い物性を示す。電荷密度の変調はその一例で、これまでに電荷不均化、電荷密度波、電荷ストライプなどの変調の出現が指摘されている。本論文は光電子分光を中心とする実験とハートリー・フォック近似などを用いた計算により、これらの電荷密度の変調に伴う電子状態の変化を研究したものである。

 本論文は7章から構成されている。第1章は序論で本研究の目的と背景が述べられ、第2章では光電子分光法についての説明がなされている。第3章は本論文の中心部分で、La1-xSrxFeO3およびCaFeO3に対して電荷不均化による電子状態変化がしらべられている。第4、5、6章では、それぞれ、CuV2S4、CuIr2S4、La1-xSrMnO3における電荷密度変調による電子状態が研究され、第7章はまとめである。

 鉄ペロブスカイトLa1-xSrxFeO3およびCaFeO3は、温度の低下とともにFeの価数がFe3+とFe5+に不均化することに起因して金属・絶縁体転移を示すことが知られているが、本研究では光電子分光の実験により、絶縁体側でフェルミ準位近傍の電子状態密度の減少が観測された。La1-xSrxFeO3では、特にx=0.67の場合に、エネルギーギャップ形成による急激な状態密度の減少が観測されたが、CaFeO3では状態密度の温度依存性はゆるやかであった。そこで、両者における電荷不均化の機構の違いを明らかにするため、ハートリー・フォック近似による基底状態の計算が実行された。その結果、LaSr2Fe309では格子の歪みがなくても、Fe3+:Fe5+=2:1の電荷不均化による3倍周期の電荷密度波が6倍周期のスピン密度波を伴って安定に存在するのに対して、CaFeO3ではbreathingとtiltingの格子歪みがFe3+:Fe5+=1:1の電荷不均化状態を安定化するのに不可欠であることが判明した。以上の結果は、これまでにメスバウアー分光や中性子散乱の実験で得られている結果と整合するが、さらに、CaFeO3の電荷不均化における電子・格子相互作用の重要性を確かめるために核共鳴非弾性散乱実験が行われ、Feサイトを中心とするフォノン状態密度の温度依存性が、CaFeO3ではLaSr2Fe309に比べてはるかに著しいことが見出された。

 スピネル型化合物CuV2S4は90K以下の温度で電荷密度波を生じることが知られているが、光電子スペクトルには室温以下でフェルミ準位に擬ギャップの存在が観測された。擬ギャップの幅は温度によらず約90meVと一定で、温度の低下とともに電子状態密度の減少が徐々に進行する。LAPW法を用いたバンド計算により一般化感受率の計算が行われ、フェルミ面のネスティングによる電荷密度波の形成の可能性が示された。一方、スピネル型化合物CuIr2S4では、226Kで立方晶から正方晶への構造相転移を伴う金属・絶縁体転移が生じることが知られており、Irの電荷整列の可能性が示唆されている。250Kと30Kで測定された光電子スペクトルからは、250Kで存在したフェルミ準位の状態密度が30Kでは消失することが認められた。金属・絶縁体転移の機構はまだ明らかではないが、光電子スペクトルとバンド計算による状態密度の比較から、Ir5d電子の相関効果の重要性が指摘された。

 最後に、マンガンペロブスカイトLa1-xSrxMnO3に対しては、内殻光電子スペクトルの測定から化学ポテンシャルのx依存性が求められた。この物質では、最近、ホール濃度の異なる2つの相への相分離や電荷ストライプの形成の可能性が示唆されている。しかし、本研究で求められた化学ポテンシャルはホール濃度と共に単調に変化し、相分離や電荷ストライプの生成において期待される化学ポテンシャルシフトの抑制は見られなかった。

 以上の研究は、電荷密度の変調に関連をもつ種々の遷移金属化合物系に対して、光電子分光実験と電子状態計算を主要な手段として新しい知見を与えたもので、試料表面の影響を明らかにすることなどの課題は残されているが、この分野の研究発展に対する寄与を十分に評価することができる。よってこの論文は博士(理学)の学位論文として合格であると審査員全員が認めた。

 なお、本研究は、藤森淳教授(指導教官)らとの共同研究となる部分を含むが、研究計画からその遂行、結果の考察まで、論文提出者が主体となって行ったものであることが認められた。

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