学位論文要旨



No 115748
著者(漢字) 佐藤,清隆
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,キヨタカ
標題(和) 東アジアにおける円の国際化
標題(洋) The Internationalization of the Japanese Yen in East Asia
報告番号 115748
報告番号 甲15748
学位授与日 2001.02.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第144号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石見,徹
 東京大学 教授 伊藤,正直
 東京大学 教授 柴田,徳太郎
 東京大学 教授 國友,直人
 東京大学 助教授 福田,慎一
内容要旨 要旨を表示する

 1980年代以降、目本-東アジア間の貿易、直接投資、金融・資本取引は著しく拡大し、経済的相互依存関係は大きく深化してきた。しかし以下で示すように、東アジアにおける円の使用は意外にも進んでいない。なぜ東アジアにおいて円の国際化が進まないのか、円建て取引の進展を妨げる要因は何かを解明することが本論文の課題である。この課題に以下のIからIVで答えていく。

 I. まず、貿易取引におけるインボイス通貨選択の理論を整理し、日本の円建て貿易の現状を地域別・品目別に詳細に検討する。主要先進国の自国通貨建て貿易比率の国際比較を行うと、日本の円建て貿易比率は大きく立ち遅れている。その原因として、(1)日本の特異な貿易構造(対米輸出依存度と原燃料輸入依存度の高さ)と、(2)短期金融・資本市場、特にTB・FB市場と円建てBA市場が十分に発展・整備されていない点が一般に指摘される。本論文は、これらについて詳しく検討し、(2)は必ずしも重要な要因ではないことを強調している。

 次に日本の対東アジア貿易に焦点を当てると、1980年代以降、輸出・輸入共に円建て取引は大きく進展した。円建て輸入比率は20%台に止まっているが、円建て輸出比率は特に機械製品において非常に高くなっている。この対東アジア輸出の円建て比率の高さを説明する上で近年有力になっているのが、市場別価格設定行動(PTM)の理論に基づいて、日本の輸出企業のインボイス通貨選択行動を説明する見解である。先行研究によると、日本の輸出企業は、対米輸出では米ドル建て輸出価格を安定させる行動をとるのに対して、対東アジア輸出では為替リスクを輸入者側に転嫁し、円建てでの輸出を選好する傾向が見られる。そして、この価格設定行動を理由に、対東アジア円建て輸出比率の上昇が説明されている。しかし、90年代に入ると対東アジア円建て貿易はむしろ減少傾向にある。その理由を明らかにするために、以下で実証分析を行う。

 II. PTMとインボイス通貨の選択との関係についての理論モデルに基づき、日本の対米輸出および対東アジア輸出におけるパススルー率を品目別に計測する。具体的には、輸出価格(円ベースの輸出価格を国内卸売物価指数で正規化した指数)の円ドル・レートへの回帰をとることによって、輸出価格の為替レートに対する弾力性(PTM弾力性)を計測する。輸出品目は自動車、エンジン(車両用内燃機関)、集積回路(IC)、施盤、磁気ディスク装置の5品目であり、サンプル期間は1985年1月から99年4月までである。単位根検定の結果、ほとんどの変数が非定常な系列(次数1の和分)であるため、まず変数(対数値)の定常性を確保する理由から、一階の階差をとって回帰分析を行った。さらに輸出価格と為替レートが共和分関係にあるか否かについて検定し、誤差修正モデルによる推定を行った。全ての品目で共和分関係が認められたわけではないが、推定結果をまとめると次の通りである。

 (1)日本の対米輸出では、全ての品目でPTM弾力性が統計的に有意に正の値であるのに対して、(2)対東アジア輸出の中でも自動車、エンジン、施盤の場合は統計的に有意にゼロと異ならなかった。日本の輸出企業は、対米輸出において輸出価格を一定に保とうとする傾向があり、その結果米ドル建て取引が選好されているのに対して、対東アジア輸出では為替レートの変化が輸入者側に転嫁されており、東アジア向けの一般機械・輸送用機械輸出の円建て比率の高さと整合的である。(3)他方、ICおよび磁気ディスク装置の場合、PTM弾力性は統計的に有意に正であった。IC・半導体に代表されるエレクトロニクス産業の場合は、対東アジア輸出でも輸出価格を安定させるために米ドル建て取引を選好する傾向があることを示唆している。(4)さらにパラメーターの安定性テストを行った結果、対東アジア輸出における日本企業の価格設定行動が、特にアジア通貨危機以降変化しているという証拠は得られなかった。

 貿易取引面での円の国際化を論じる場合、日本の電気機械輸出、特にICを含む半導体輸出のインボイス通貨選択行動を考えることが重要である。近年の対東アジア輸出の増加は、半導体産業の活発な貿易と投資によって促進されているからである。また、半導体産業で米ドル建て取引が選好される理由は、製品差別化が比較的難しいという半導体製品の特質に由来している。今後も日本の東アジア向け貿易・直接投資において同産業が重要なウエイトを占め続ける限り、円建て取引が大きく進展するのは難しいと結論できよう。

 III. 一般に企業内貿易では円建て取引が選好されると言われている。アジアに所在する日系多国籍企業(特に電気機械産業)は日本からの中間財輸入と日本への輸出のウエイトが非常に高く、その輸出先に占める北米のウエイトが極めて小さいという特徴を有する。ここで企業内貿易が円建てで行われることを前提すると、日系多国籍企業のアジアでの活発な展開とそれに伴う日本-東アジア間の貿易の拡大はむしろ円建て取引を促進する要因だということになり、IIの分析結果と矛盾することになる。しかし、この見解の問題点は、東アジア諸国の貿易、特にエレクトロニクス産業の貿易において、北米向け輸出のウエイトが日本向け輸出のそれを大きく上回っていることを考慮していない点である。アジア域内の生産ネットワークは日系企業同士の取引で完結するのではなく、アジア現地企業も媒介して行われる。したがって、東アジア諸国の最終輸出先として米国のウエイトが大きい点がここでも重要なのである。

 次いで、東アジア諸国の貿易における円の役割について韓国のケースを中心に分析した。近年韓国は輸出の約89%、輸入の80%前後を米ドル建てで取引しており、円建て取引は輸出の5%前後、輸入の10%前後を占めるに過ぎない。また韓国の統計から推計すると、韓国の対日輸出入の円建て比率は5割近くに達しており、対日貿易に関する限り円建て取引は一定の進展が見られる。しかし、IIの分析モデルを援用して、韓国の輸出企業の価格設定行動に関する実証分析を産業別に行うと、全ての機械機器産業が米ドル建ての輸出価格を安定させる行動をとっているという結果が得られた。これは産業別で見ても、韓国の機械機器輸出では米ドル建て取引のウエイトが高いことを示している。この韓国のケースが示唆するように、東アジア諸国の貿易では米ドル建て取引のウエイトが非常に高く、円建て取引は対日貿易のみで行われているに過ぎない。

 IV. 日本-東アジア間の金融・資本取引は1980年代、特に1986年の本邦オフショア市場(JOM)発足以降、急激に拡大した。この金融・資本フローの拡大が東アジアにおける金融面での円の国際化を促進しているか否かについて、特に日本の金融仲介機能とその通貨別構成に焦点を当てながら検討する。

 JOM発足以降、日本と香港、シンガポールとの間で資金フローが急激に拡大したのに伴い、同諸国のBIS報告銀行からの円建て債務が著しく増加した。しかし、これは日本が同諸国に円建ての金融仲介機能を行い、その結果、東アジアにおいて円建ての金融取引が進展していること意味するものではない。実際には邦銀が国内の金融取引に対する規制(日銀の「窓口指導」)を回避するために、いったん香港、シンガポールに所在する支店に資金を移し、それを居住者向けユーロ円貸付(主に中長期)として還流させるという「迂回的取引」を行っていたに過ぎず、同諸国が他の東アジア諸国への円建て貸付を増大させているわけではない。この事実は、1990〜92年にかけて日本が東南アジアに対して大幅な長期資本収支の黒字に転じていることからも確認でき、歴代の基軸通貨国である英国や米国の国際収支パターンとは大きく異なっている。留意すべきは、日本の東南アジア向け長期資本供給において、直接投資以外にも、円借款という形で円資金がコンスタントに供給されている点である。ただし、日本からの中長期銀行貸付は外貨建て(米ドル建て)が中心であり、国際債発行による資金調達でも米ドル建てのウエイトがはるかに大きい。以上は東アジアにおける円建ての金融取引が依然として進んでいないことを示唆している。

 なぜ円建ての金融取引が東アジアで進まないのか。この理由を円資金に対する東アジア諸国の需要が少ないことに求める見解があるが、これは必ずしも正しくない。日本の対東アジア貿易収支の通貨別内訳を計算すると、日本の同貿易黒字のほとんどは円建てであり、その返済のための円資金に対する需要は大きいのである。それにもかかわらず円建ての金融取引が進展しないのは、外為市場における米ドル建て取引の優位性、およびデリバティブ取引における円ドル・スワップ市場等の発達によって、企業は米ドル建て取引を中心に行いながらも、容易に円を調達することが可能となっているからである。

 I〜IVの分析を踏まえて、以下総括を行う。一般に金融・資本市場の整備・発展が円の国際化の決定的な要因だと指摘される。近年、円の国際化を促進する目的で国内金融・資本市場の一層の整備・自由化が進められている。それが重要な前提条件であることは疑いないが、IVで指摘したように、米ドル建ての金融取引の便宜性は容易に後退しそうにない。他方、貿易取引面では取引される財の性格や貿易当事者の市場支配力なども重要な要件であり、ここに円の国際化が進展する余地がある。この点で、独マルクの国際化は示唆的である。ドイツはEU域内諸国との貿易依存度が高く、またマルク建て貿易のウエイトが非常に高かった。それを基礎にマルクは域内の国際通貨としての役割を高めていった。今後、円の国際化が東アジアにおいてさらに進展するためには、貿易・直接投資を通じた日本-東アジア間のリンケージが一層深化し、東アジアの輸出市場としての日本のウエイトが増大することが決定的に重要である。ただし、現状では、両地域間の貿易・直接投資を主導しているのはエレクトロニクス産業であり、同産業では米ドル建て取引が選好されている。このような貿易構造が変化しない限り、円建ての貿易取引、さらには円の国際化が進展するのは容易ではないだろう。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、アジア通貨危機やヨーロッパにおける通貨統合をきっかけにして、日本の内外で関心が高まっている「東アジアにおける円の国際化」を研究の対象に取り上げ、なぜ東アジアにおいて円の国際的使用が期待通りに進まないのか、その原因を詳しく分析したものである。

 日本の政策当局、市場関係者も、また多くの研究者もほとんど異口同音に、金融市場の整備を円の国際化の必要条件に挙げているのにたいし、著者は実物的要因、具体的には貿易相手国の構成に原因があることを強調している。この立場は、必ずしも著者独自のものではないとはいえ、自ら広くデータを収集し、これを最新の計量分析の手法を使っ実証し、結論を導いている。

 このように地味な作業に真面目に取り組んだ姿勢は、高く評価できる。佐藤,清隆君が、今後、研究者として自立していく資質を十分に示していることは疑いなく、博士(経済学)の資格要件を満たしていると、審査員は全員一致して判断した。

論文の構成とその概要

 本論文は、英文で172頁(目次を含む)に達し、6章から構成されている。各章の概要は以下のようにまとめられる。

1. Introduction

 まず本論文の対象と目的を明示し、続いて次のような事実を問題として設定している。

 1980年代後半に日本から東アジアへの直接投資が進み、東京オフショア市場(JOM)が開設されるなど金融市場の国際化が進められたことから、円の国際化が進展すると期待が高まっていた。ところが、実際には、1990年代に入って日本と東アジアの貿易で円建取引が後退したり、この地域の準備通貨として、円がドイツマルクを下回っているとされる。何が円の国際化を妨げてきたのか、というのが究明さるべき問題である。

2. The Role of the Yen in Trade Transactions

 貿易取引通貨に関する従来の理論的展開を整理し、日本の現状を地域別、品目別に詳しく検討した。先進諸国では、とりわけ工業製品の輸出に自国通貨による取引の多いのが一般的である、しかし、日本では対米取引のみならず、東南アジアからの輸入にも米ドルの割合が大きいという特徴がある。

 このように円建貿易があまり進まない理由として、(1)輸出の中で対米の割合が大きいこと、輸入面では原燃料の比重が大きいことなど、日本の貿易構造にみられる特異性、(2)資金運用の場としてTB・FB市場、貿易金融の便宜にはBA市場など、短期金融市場の未発達が、これまで指摘されてきた。

 しかし実物的な側面からみると、1980年代から90年代にかけて、日本の輸出の中で対米の割合が低下し、輸入でも原燃料がさらに大きく低下するなどの変化があった。これらはいずれもドル建ての比重を後退させ、逆に円建の比重を増大させるはずであるが、事実はそうなっていない。東アジアとの貿易が増大してきたことも、円建の増大につながるはずであるが、1990年代にはこの地域でも円建の取引が低下していることに注目している。

 この章で指摘されている事実は、従来から各方面で注目されてきたことで、特に目新しい発見があるわけではない。ただし1980年代には進展すると思われた東アジアの円建貿易が90年代に入って後退したことを強調して、第3章の実証分析につなぐ重要な伏線としている。

3. Currency Invoicing Pattrns and Pricing-To-Market

 本章は、本論文全体のいわば山をなす部分であり、円建の取引が進まないことを、市場シェアの安定を目指した価格設定、いわゆるPTM(Pricing-to-Market)戦略からどこまで説明できるかを、計量分析の手法を用いて丹念に検証している。

 先行研究では、PTMの理論は対米輸出において妥当し、それがこの取引で米ドルが主に使われる理由とされてきた。他方で日本の対東アジア輸出において円建が大きいことの理由は、為替リスクを輸入者に転化するのに、円建の方が便利だからであるとされてきた。

 まず検証すべきモデルを特定し、輸出価格(円表示)の為替相場にたいする弾力性(PTM弾力性)を計測している。具体的には、一般機械、電気機械、輸送用機械から13品目を選び、1988年1月から99年12月までの月次データを用いて、対東アジア・対米の輸出価格をそれぞれ円ドル為替相場に回帰させる。

 この結果で注目すべきは、対米輸出品目の全体のみならず、東アジア向け輸出の中では電気機械(IC、トランジスター、ファクシミリ、VTR)に関して、PTM弾力性が正の値をとり統計的に有意なことである。すなわち、為替相場が変動した時にドル建ての輸出価格を安定させる行動がとられていることを示唆している。それは、これらの取引では米ドル建が多いことと整合的である。

 こうした結果とは対照的に、東アジア向け輸出の中でも一般機械や輸送用機械では、PTM弾力性がゼロの可能性が高く、これはこうした品目で円建取引が多いことと整合してしいる。

 対米輸出においてPTMが妥当することは、半ば通説化しているところであるが、対東アジアの輸出の中でも、電気機械に同じような傾向が見られることを検証したのは、著者の貢献である。ICや半導体では製品差別化が難しいので、ドル建取引になじみやすいことは分かるが、ファクシミリやVTRにまで輸出価格の安定化が図られていることは興味深い。ドル建取引とPTM戦略との関係は緊密であり、対東アジアの貿易で近年の成長品目である電気機械がドル建で取引されるのも、同じ理由によると考えられる。また最近の東アジアの貿易で、このようにドル建で取引される品目の伸びが、全体として円建のシェアを抑える一因になっている。

4. Trade Relations,MNC's Activity and the Yen internationalization

 日本と東アジアの経済取引は、1980年代後半の日系企業(とりわけ電気機械産業)の直接投資=現地生産によって大きな影響を受けてきた。現地法人と在日本社との間の企業内取引が貿易の大きな比重を占めるようになり、ここでは円建取引が主流になるとみられていた。ところが実際には、電気機械の取引でドル建てが依然として大きいことをどのように解釈するかが、大きな疑問として残されている。

 著者は、東アジアに進出した日系企業の輸出先は日本が大きな比重を占めるのに対し、同地域の輸出全体から相手国をみると、アメリカが圧倒的に大きいことを指摘している。この二つの事実から推測されるのは、日系企業による現地および近隣諸国への販売は、最終的には地場企業によって加工された上で、対米輸出されていることである。電気機械の取引が多くドル建てで行われているのは、結局、最終的な輸出先がアメリカ市場であることに規定されていると、結論している。

 次いで、東アジアで唯一、貿易取引通貨に関するデータが利用可能な韓国の貿易を取り上げ、円の役割が検討されている。ここではドル建てが圧倒的に大きく、円は輸出の5%前後、輸入の10%前後に過ぎない。こうした取引通貨の構成は、日本の場合と同じ手法で韓国機械輸出のPTM弾力性を計測した結果とも整合している。

5. Japan's Financial Intermediary and the Role of the Yen

これまでは貿易取引における通貨の選択を考察してきたのに対して、この章では一転してJOM(オフショア市場)の機能を中心にして、日本と東アジアとの間の金融取引を対象にしている。JOMが設立されて以降、日本とシンガポールおよび香港との間で円建取引が急増してきた。しかしこれは東アジアにおいて円建の国際金融取引が発展する可能性を示している訳ではない。急増した取引の大半は、邦銀が国内で課せられる規制(日銀の「窓口指導」)を免れるために利用しているのにすぎないからである。

 東アジアの諸国は対日本で大きな貿易赤字を抱え、これは円建で決済するしかないので、潜在的には円資金への需要が大きいはずである、しかるにこうした側面からの円建資金需要が伸びないのは、外国為替市場や通貨スワップ市場がドルを基軸に編成され、これらを利用すると低いコストで円決済が可能になることによる。

6. Concluding Remarks

 最後に、以上の分析結果を、バブル崩壊後の経済情勢と関連させて要約し、今後の研究を通じてはたすべき課題を指摘して稿を結んでいる。

 なぜ東アジアにおいて円の国際的使用が期待通りに進まないのか、その原因を実物的な側面から解明することに本論文の特徴がある。なかでも貿易取引通貨に関する分析が大半を占める。貿易取引に議論が集中したのは、金融資本市場の重要性を強調する通説を一方では肯定しながらも、金融取引における米ドルの便宜性が残る限り、円建国際金融の利用は制約されているとみているからであろう。

 したがって、東アジアにおいて円の国際化を進めるためには、日本とこの地域との実物取引よりいっそう緊密になること、なかでも日本が東アジア諸国の輸出市場としてますます重要になることが決定的であるとしている。

全体的な評価

 この論文の中で評価すべき個所は次のようにまとめることができる。

(1)使用されているデータの多くはすでに公表されているものではあるが、それらを広範に渉猟、適切にまとめあげた努力は多としなければならない。なかでも韓国の貿易取引通貨に関する統計に着眼し、実証分析に用いたところなどには、資料探索への強い執着が読みとれる。

(2)計量分析のモデルは、著者が独自に開発したものではなく、Fukuda and Ji(1994)などに依拠しているが、対象品目の範囲と扱う時期を広げることで、異なった結果を導いている。先行研究では、日本の東アジア向けの機械輸出ではPTM弾力性が小さく、円建貿易が多いことを指摘したのに対し、著者は視角を広げることによって、電気機械ではドル建取引とPTM弾力性との密接な関連を取り出すことができた。この「発見」は丹念な実証精神がもたらした成果であり、本論文の大きな長所である。

(3)計量分析の部分では、非定常性(単位根)の検定、共和分の分析、誤差修正モデルの推定など近年開発されてきた時系列解析の手法を概して有効に利用している。こうした方面の知識は、著者が大学院在学の末期から新たに修得したもであり、このように自発的な研究意欲は高く評価できる。

(4)本論文の基本的な部分は、いわゆるレフェリー付きの海外学術誌に掲載されたもの一件、国内の研究誌に掲載されたもの二件、海外の学会で発表されたもの一件から成り、しかも博士論文にまとめるにあたって、これらの論稿にあらためて改訂の努力を払っている。ここにも、研究者としての真摯な姿勢がよくあらわれている。

残された課題

(1)通貨の国際化を論じる際に、著者の関心は貿易取引にほとんど集中しているが、従来の研究史からすると、やや一面的である。本論文の議論の運びに即してみても、金融自由化、国際化の中で貿易取引通貨の選択がなぜそれほどに重要な意味をもつか、という疑問に答える必要がある。為替のカヴァーやヘッジをした時に、どれくらいのコストがかかるかについて、まだ十分な説明がなされてはいない。

 著者は、貿易取引に限らず、東アジアにおける通貨統合の将来性といった論点にも、関心を持っているようではあるが、今後は研究の視野を広げることが望まれる。

(2)金融取引において円の使用が制約されている理由については、概して通説に従っているようであるが、この点はまだ究明不足という印象が免れない。たとえば、東京オフショア市場がなぜ文字通りの「オフショア」取引に発展しないかについて、日本銀行の「窓口指導」との関連を述べている。ところが「窓口指導」が廃止された後に、邦銀の国内店と海外支店間での取引がどうなっているか、他にこの市場を利用している金融機関はないのかなど、まだ解明すべき点が残されている。

(3)計量経済分析については、よく努力の跡がうかがわれることはすでにふれた。とはいえ、近年開発された手法はまだ評価が定着したとは言い難いところがあり、推定される方程式にどこまで信頼がおけるか、それが正しいとしても、その意味をどのように解釈すべきかなどを、今後さらに研究することが望まれる。

 しかし、このように課題として列挙した点は、学界においてもまだ解明が遅れていたり、定説が現れていないものが少なくない。本論文の課題として追記したのは、著者の真剣な研究意欲を今後に生かしてもらいたいという期待があるからである。全体として著者は博士(経済学)の学位にふさわしい研究能力と自覚を備えていることは疑いなく、この点は口述試験においても確認された。くり返しにはなるが、審査員全員が一致して佐藤清隆氏への学位授与に賛同した。

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