はじめに コンプライアンスとは、圧の変化によって生じる容積の変化の割合であるが、人体血管系の生体物理的特性についての研究において、コンプライアンスの定義は一致したものではない。肺動脈コンプライアンスは、肺血行動態を決定する重要な指標の一つと考えられているが、僅かな検討が動物あるいは成人においてなされているのみで、小児あるいは先天性心疾患を有する小児を対象とする検討はほとんどなされていない。 本研究の目的は、先天性心疾患(心房・心室中隔欠損)を有する多数例の小児を対象として、心臓カテーテルデータから肺動脈コンプライアンスを求め、肺血管床評価の指標としての意義を検討することである。 本研究においては、肺血管床の数学的モデルとして、コンプライアンス(C)と抵抗(R)をパラメータとするWindkesselモデルを応用し、肺動脈拡張期圧波形から求めた時定数(Tp)と肺血管抵抗(Rp)とから肺動脈コンプライアンス(Cp)を計算した(図)。 方法 本研究においては、まず、肺動脈コンプライアンス評価に用いた方法の妥当性と信頼性を確認するために、7例(6か月〜13歳)の先天性心疾患児において、通常の心臓カテーテル検査データと、カテ先マノメータを用いて得た主肺動脈圧のそれぞれから求めた肺動脈コンプライアンスを比較検討した。 次いで、心房中隔欠損(ASD)40例(男14例、女26例、1歳9か月〜12歳9か月)、心室中隔欠損(VSD)54例(男28例、女26例、6か月〜12歳)および肺高血圧を伴う心室中隔欠損(VSDPH)30例(男17例、女13例、45日〜7歳4か月)、合計124例の心臓カテーテル検査における主肺動脈圧曲線を用いて肺動脈コンプライアンスを求めた。 さらに、心室中隔欠損に肺高血圧とその他の小心奇形を合併する3例において、VSD閉鎖手術前後の心臓カテーテル検査について肺動脈コンプライアンスを求め、比較した。 肺動脈コンプライアンスの計算は、通常の心臓カテーテル検査で得られた主肺動脈圧曲線(Fr4またはFr5 Berman Balloon Angiographic Catheter使用)、および7例においてはそれとともにカテ先マノメータ(Dolphin Doppler Diagnostic Catheter)で得られた主肺動脈圧曲線を用いて行った。通常の心カテデータにおいては拡張期のダイクロティックノッチの後で指数減衰部分の開始点と終了点の圧を用い、カテ先マノメータ圧曲線では上述の2点による方法とともにダイクロティックノッチの開始点と拡張終期の2点の圧を用いて計算した(図)。計算はEngelberg and Duboisの式に従い、拡張期の2点における(主肺動脈圧一左房平均圧)を片対数グラフにプロットにして肺動脈の時定数(Tp=RC)を求め、Fick の原理を用いて流量と圧から計算した肺血管抵抗(Rp)で除して肺動脈コンプライアンス(Cp)を得た。左房圧には実際に測定した左房圧あるいは肺動脈楔入圧を用いた。 図 肺動脈圧曲線と肺動脈コンプライアンスの計算法ECG:心電図、MPAPcurve:主肺動脈圧曲線 A:肺動脈コンプライアンスの計算のための理論式 B:肺動脈コンプライアンスの計算のためのDuboisの式 C:Windkesselモデルの電気的シミュレーション 心臓カテーテル検査を行った124例を検査後の診断に基いて、ASD、VSD、VSDPHの3群に分け、さらに、それぞれを3歳以下の症例と4歳から12歳の症例の2群に分けて検討した。また、VSD患児のうち、肺動脈収縮期圧が33mmHg 未満であり、かつ、肺対体血流量化(Qp/Qs)がほぼ1に等しい小欠損VSD患児16例を選び、これらの症例から得られた肺動脈コンプライアンスを正常例の基準値とみなした。 統計学的分析については、各群間の比較はANOVAを用い、前後関係の比較はScheffeの方法によった。推計学的有意差検定はP<0.05を有意とした。 結果 先天性心疾患児7例について通常の心臓カテーテル検査に続いてカテ先マノメータを用いて肺動脈圧の測定を行った。両者による主肺動脈圧曲線から計測した肺動脈コンプライアンスは良好な相関を示した(r=0.954)。また、カテ先マノメータによる圧曲線において、拡張期指数減衰部分から計測した値と拡張期開始・終了点で計測した値とを比較すると後者はやや高い値を示したが、両者間の相関は良好であった(r=0.879)。 対象124例中、正常肺血管床を有するとみなした16例の肺動脈コンプライアンス(M±SEM)は1.53±0.17ml・mmHg-1・m-2であった。男女別の平均値に差を認め(男児1.39:n=10,女児1.77:n=6)、男児で低い傾向を認めた。ASD(n=40)、VSD(n=54)、VSDPH(n=30)における肺動脈コンプライアンス(M±SEM)は、それぞれ1.91±0.10、1.70±0.11、0.95±0.06ml・mmHg-11・m-2であり、これらと正常群の比較では、VSDPH群は正常群と有意差を示したが、ASD群とVSD群は有意差を示さなかった。また、VSDPH群はASD、VSD群に比し有意に低値であり、平均値で比較した場合、ASD群が最も高値、VSDPH群が最も低値であった。VSD群において男児の肺動脈コンプライアンス(M±SEM)1.49±0.11ml・mmHg-1・m-2:n=28は、女児(1.94±0.18ml・mmHg-1・m-2:n=26)に比べ低値であった。しかし、VSD群で0〜3歳群と4〜12歳群を比較した場合、有意差はなかった。なお、時定数についてはVSDPH群において平均値は高値を示したが有意ではなく、ASD、VSD群では全例正常範囲の値であった。 VSD閉鎖手術前後で心臓カテーテル検査を行ったVSDPHの3例では、手術後肺血管抵抗に変化を認めなかったのに対し、肺動脈コンプライアンスは上昇し基準値に近付いた。 考察 本研究の目的は、心房・心室中隔欠損の多数例について、通常の心臓カテーテル検査データを用いて、肺動脈コンプライアンスを計測する方法を確立し、その臨床的意義を検討することであるが、まず少数例について、通常の心カテとともにカテ先マノメータで主肺動脈圧曲線を記録し、両者の方法で得た値を比較することによって妥当性と信頼性を検討した。その結果、二つの方法による肺動脈コンプライアンスの値は強い相関を示し、通常の心カテ肺動脈圧曲線からの肺動脈コンプライアンスが十分な信頼性を有していることを認めた。 通常の心カテデータから肺動脈コンプライアンスを計測した124例のうち、肺高血圧がなく、短絡をほとんど認めない小欠損VSD16例の肺血管床を正常とみなして、それらの平均値士標準誤差を基準値とした。ASD群、VSD群の肺動脈コンプライアンスは基準値と有意差を示さず,VSDPH群は有意に低値であった。VSDPH群における肺動脈コンプライアンスの低下は、肺血管床の Windkessel 効果の低下を反映していると考えられた。肺動脈コンプライアンスの低い例では、肺血管抵抗は高いが、時定数は疾患群間で有意差を示さなかった。 肺動脈コンプライアンスと時定数の変化は肺血管床における血流のクリアランスに決定的役割を果たしている。心房・心室中隔欠損を含む多くの先天性心疾患において、肺血管閉塞性病変は罹病と死亡に関係する主要な要素であり、手術的治療の時期と成功を左右する。肺血管床の評価に従来行われている方法は必ずしも適切なものではなく、肺動脈コンプライアンスは指標の一つになりうると考えられ、中隔欠損患児の手術適応決定に一定の役割を果たしうると思われる。少数例ではあるがVSDPH症例においてVSD閉鎖手術後肺血管抵抗の変化を認めない段階で肺動脈コンプライアンスが正常化したことは、本指標の臨床的有用性を示している可能性がある。 結論 1.通常の心臓カテーテル検査における主肺動脈圧曲線から求めた肺動脈コンプライアンスは妥当性と信頼性を有すると考えられる。 2.肺血管床正常とみなされる小児(小欠損VSD患児)における肺動脈コンプライアンス(M±SEM)は1.53±0.17ml・mmHg-1・m-2であった。 3.肺動脈コンプライアンスは女児よりも男児において低い傾向があった。 4.VSDPH群で肺動脈コンプライアンスは低値を示した。 5.少数例の検討ではあるが、VSDPH症例においてVSD閉饋手術後肺動脈コンプライアンスは上昇した。 6.心房・心室中隔欠損患児の肺血管床評価に肺動脈コンプライアンスは有用な指標になりうると思われた。 |