虚血に伴って発現する神経細胞死は脳梗塞や出血などで認められ、フリーラジカルの産生とそれによる膜の酸化的傷害、Caチャネルを介した細胞内Caの増加、Phospholipase A2の活性化に伴う膜の傷害などに関連すると考えられているものの、その詳細については未だ明らかにされていない。一方、虚血に陥った場合でも膜の傷害あるいは細胞死の発現する細胞は異なることも知られており、これら細胞傷害あるいは細胞死の発現機序を明らかにするためにはin vitroの虚血(/低酸素)モデルを用いた実験系が必要と考えられている。化学的虚血はこれまで様々な方法が用いられてきているが、その有用性、再現性、病態との関連性などの点で神経細胞の種類ならびにその方法により異なると推測されている。 そこで、本論文では化学的虚血による神経細胞死の発現機序をフリーラジカルと細胞内Caの面から明らかにしようと考え、ラット海馬由来株化神経細胞(HV16-4)、ラット褐色細胞腫由来株化神経細胞(PC12)ならびにラットグリオーマ細胞(C6)の3種の神経細胞を用いて、第一章ではin vitroの化学的虚血モデルについて、第二章ではフリーラジカルの産生と神経細胞死について、第三章では細胞内Caの変動と神経細胞死について検討した。 第一章:in vitro化学的虚血モデルの検討 化学的虚血(/低酸素)は、解糖系を阻害するヨード酢酸(IAA)あるいはミトコンドリアの電子伝達系を阻害するシアン化ナトリウム(CN)、ならびにその両者を同時に添加する方法について検討した。3種の細胞について、各処置時のフリーラジカルの産生を蛍光指示薬である6-carboxy 2’,7’-dichlorodihydrofluorescein diasetate(CDCF)の変動、膜の酸化的傷害をフリーラジカルの最終産物であるチオバルビツール酸反応性物質(TBARS)の変動で、細胞死を細胞上清中に放出されたlactate dehydrogenase(LDH)を指標として検討した。 CN処置では、用いた3種いずれの細胞においても、CDCF蛍光,TBARS濃度、LDH活性に変動は認められなかった。一方、IAA処置ではPC12ならびにC6ではCDCF蛍光の増加、TBARS濃度の上昇、LDH活性の増加が観察されたが、HV16-4ではTBARS濃度、LDH活性の増加は認められるものの、CDCF蛍光の増加は観察されなかった。すなわち、IAA処置ではPC12ならびにC6ではフリーラジカルの産生、膜の酸化的傷害、細胞死が認められるのに対し、HV16-4では膜の酸化的傷害、細胞死は認められるもののフリーラジカルの産生は確認できなかった。またCN/IAA処置ではいずれの細胞においてもCDCF蛍光、TBARS濃度、LDH活性の変動はIAA処置の結果と同様であった。 以上のことから、CN処置を除く、IAAあるいはCN/IAA処置によるin vitro化学的虚血モデルはPC12およびC6ではフリーラジカルを産生させ、膜の酸化的傷害を引き起こし、細胞死に至る系を再現できると考えられた。 第二章:フリーラジカル産生と細胞死 化学的虚血ではHV16-4におけるフリーラジカルの産生が微量である可能性、あるいは産生されるラジカル種の細胞による違いが推測されるため、電子スピン共鳴(ESR)法を用いてフリーラジカルの産生を検索するとともに、その分子種についてスーパーオキシド消去系のmanganese superoxide dismutase(Mn-SOD)および鉄のキレート剤であるデフェロキサミン(DFO)を用いて検討した。また、細胞死に及ぼすフリーラジカル産生阻害の影響を検討した。 第一章のCDCFの結果と同様、ESRによる検出でもPC12およびC6ではIAAならびにCN/IAA処置でフリーラジカルの産生が確認されたが、HV16-4では認められなかった。そこで、PC12およびC6について産生されるラジカル種を検討したところ、PC12ではIAAおよびCN/IAAいずれの処置でも、フリーラジカルの産生はMn-SOD添加で増加し、DFO添加で抑制されるのに対し、C6ではIAAおよびCN/IAA処置とも、Mn-SODおよびDFO添加で抑制された。したがって、PC12ではFenton反応を介したヒドロキシラジカルが、C6ではスーパーオキシドが主なラジカル種と考えられ,PC12とC6では産生されるラジカル種が異なることが明らかとなった。 細胞死に及ぼすフリーラジカル産生阻害剤添加の影響を、Mn-SOD、DFOに加えてヒドロキシラジカルのトラップ剤であるジメチルスルホキシド(DMSO)について検討した。ラジカルの産生が認められないHV16-4を含めた全ての細胞で、IAA処置で認められる細胞死はDFO添加の場合のみ抑制が観察された。一方CN/IAA処置で認められるC6の細胞死はDFO添加で軽減したが、PC12およびHV16-4ではいずれを添加しても細胞死の抑制は認められなかった。 以上のことから、化学的虚血により産生されるフリーラジカルは、細胞の種類によりそのラジカル種が異なることが明らかとなった。またIAAならびにCN/IAA処置によって引き起こされる細胞死の発現機序は処置あるいは細胞により異なる可能性が示唆された。すなわち、IAA処置で認められる細胞死には主にFenton反応によって産生されたヒドロキシラジカルが関連すると考えられ、CN/IAA処置のそれはC6ではFenton反応によるヒドロキシラジカルが、PC12ならびにHV16-4ではフリーラジカル以外の何らかの因子が関与していると推測された。 第三章:細胞内カルシウムの変動と細胞死 細胞内Caの変動と細胞死との関連について、Ca流入を阻害するCaチャネルブロッカーであるコバルト(Co)を、細胞内Ca貯蔵器官から放出されるCaについて培養液中のCaを除いた条件(Ca(-))で、ならびに細胞内CaをキレートするO,O’-Bis(2-aminophenyl)ethyleneglycol-N,N,N’,N’-tetraacetic acid,tetraacetoxy methyl ester(BAPTA)を用いて検討した。すなわち、IAAならびにCN/IAA処置に加えて、それぞれの条件下で3種の細胞についてCa蛍光指示薬であるfluo-3を用いた細胞内Caの変動、フリーラジカルの産生、膜の酸化的傷害、ならびに細胞死について検討した。 IAA処置では、Co添加によっていずれの細胞においてもフリーラジカルの産生が認められ、PC12およびC6では細胞内Caの増加は抑制されたが、HV16-4では逆に増加した。また全ての細胞で膜の酸化的傷害も細胞死も抑制された。Ca(-)ではPC12はフリーラジカルの産生、細胞内Caの増加とも示さなかったが、C6およびHV16-4では細胞死に伴った細胞内Caの増加が観察された。またいずれの細胞においても膜の酸化的傷害ならびに細胞死が認められた。BAPTA添加ではPC12ならびにC6では膜の酸化的傷害および細胞死が抑制されたが、HV16-4では膜の酸化的傷害は抑制されるものの細胞死は抑制されなかった。 CN/IAA処置では、Co添加によっていずれの細胞でもフリーラジカル産生が観察され、それに伴った細胞内Caの増加、膜の酸化的傷害の増加が認められた。細胞死の抑制はPC12でのみ観察された。Ca(-)では、いずれの細胞においてもフリーラジカルの産生抑制と細胞内Caの増加が抑制された。また、いずれの細胞においても膜の酸化的傷害は抑制されなかったが、PC12では細胞死の抑制が認められた。BAPTA添加では、PC12では膜の酸化的傷害ならびに細胞死を抑制したが、C6ならびにHV16-4ではいずれについても抑制は認められなかった。 以上のことからIAA処置の場合には、細胞内Caの増加はPC12ならびにC6では膜の酸化的傷害と細胞死に関与すると考えられるが、HV16-4では細胞内Caの増加と細胞死の関連性は低いものと推測された。一方、CN/IAA処置の場合には、PC12では細胞内Caの増加が膜の酸化的傷害および細胞死に密接に関連すると考えられるが、C6ならびにHV16-4では関連は少ないものと推測された。 以上の結果、in vitro化学的虚血(/低酸素)モデルは虚血時の神経細胞死の発現機序解明に有用な方法で、IAAあるいはCN/IAA処置が優れていると考えられる。また化学的虚血モデルでは用いる細胞の種類によって細胞死の発現機序が異なり、更に同一の細胞であっても虚血の処置によってその発現機序の異なることが明らかとなった。すなわちPC12は、IAA処置ではFenton反応を介したヒドロキシラジカルの産生、膜の酸化的傷害、主に細胞内Ca貯蔵からの放出による細胞内Caの増加が、またCN/IAA処置ではヒドロキシラジカルの産生よりはむしろCaチャネルを介したCa流入によって細胞死が引き起こされると考えられた。一方、C6は、IAA処置ではスーパーオキシドを主としたフリーラジカルの産生とヒドロキシラジカルの産生、それに続く細胞内貯蔵Caの放出による細胞内Caの増加が、またCN/IAA処置ではフリーラジカルによる膜の酸化的傷害が主に細胞死を引き起こしていると考えられた。またHV16-4は、IAA処置ではFenton反応によるヒドロキシラジカルの産生と早期に認められる細胞内Caの増加が、CN/IAA処置ではフリーラジカルの産生・細胞内Caの変動のいずれにも関連しない他の原因が細胞死に関与しているものと推測された。 |