本論文は2章からなり、第1章はアブラムシ菌細胞内共生細菌ブフネラによる宿主アブラムシへのビタミンB2の供与、第2章は同菌細胞内共生系における特殊なポリアミン組成について述べられている。一部の例外を除きアブラムシの多くの種は腹部体腔内に菌細胞群を持ち、ここに母虫から子虫へと垂直感染を繰り返す原核性共生微生物ブフネラを多数収納している。宿主であるアブラムシ、ブフネラはともに単独では増殖できず両者は強い相互依存関係にあることがうかがえるが、この両者の不可分性がこれまで宿主-共生体間の相互作用を調べるうえで障害となってきた。しかしながらこの緊密な共生系も宿主の加齢に伴い崩壊に向かうことが知られている。論文提出者はこの現象に注目し、ディファレンシャルディスプレー法を適用することで若い正常な共生系のみで高発現する遺伝子、すなわち共生系の維持に重要なはたらきを担うと思われる宿主、ブフネラ両者の遺伝子の探索を行った。その結果、いくつかの興味深い遺伝子の検出に成功したが、本論文ではこれらのうちブフネラのビタミン合成酵素であるリボフラビンシンターゼ鎖や宿主のポリアミン合成酵素であるS-アデノシルメチオニンデカルボキシラーゼをコードする遺伝子に注目し、共生系におけるそれぞれの役割について考察している。 リボフラビンシンターゼ鎖は、ビタミンB2であるリボフラビンの合成酵素であり、正常な共生系のみでこうした酵素をコードする遺伝子がさかんに発現しているという事実はブフネラがリポフラビンを合成し、これを宿主に対して供与している可能性を示唆する。この可能性について検討するため抗生物質を用いてブフネラを除いた虫を作成、これをブフネラを持つ正常な虫とともに人工飼料上で飼育し、飼料中のリボフラビンの有無がその生育にどのような影響を与えるかを調べた。この結果、ブフネラを持つ正常な虫は飼料中のリボフラビンの有無に関わらず良好に成長、成虫に達し産仔活動も行ったのに対し、ブフネラを持たない虫はリボフラビンを含まない飼料上ではほとんど成長することができず全個体が成虫に達することなく死滅したが、リボフラビンを与えたものは正常な虫には及ばないものの良好に成長し、多くの個体が成虫にまで達した。以上の事実からブフネラがリボフラビンを合成し、これを宿主に供与していることを確認した。 S-アデノシルメチオニンデカルボキシラーゼはポリアミン(プトレスシン、スペルミジン、スペルミンなど)のうち、スペルミジンおよびスペルミンを合成する際の律速酵素である。ポリアミンは生体内に多く含まれる脂肪族アミンで、正の電荷を複数持つために核酸など負の電荷を持つ物質と相互作用することによってDNAの安定化や構造変化、DNA、RNA、タンパクなどの合成、細胞分裂などの様々な過程に関与することが知られている。また一方で高濃度のポリアミンは細菌の増殖を抑えるはたらきもあるとされ、こうした物質はブフネラの増殖を制御するために宿主によって利用されている可能性が考えられる。この可能性について検討するため菌細胞、ブフネラ、およびアブラムシ全体のポリアミン組成を測定した。この結果これらいずれにおいてもスペルミジンのみが高濃度で検出され、その他のポリアミンは痕跡量程度しか含まれないことが分かった。これはきわめて特殊な組成である。今回検出されなかったスペルミンは一般に真核細胞に多く含まれており、スペルミジンよりもポリアミンとしての活性が高いが細菌に対して強い毒性を示すことが知られている。この毒性を排除し、ブフネラとの共生関係を良好に保つためにアブラムシは進化的にスペルミンの合成能を失っている可能性がある。スペルミンの欠如を補償するためにアブラムシはスペルミジン(スペルミンよりも活性が低い)を多量に体内に保持していると考えられる。また大腸菌などほかの多くの原核細胞ではプトレスシンが多く含まれるが、そのDNA構造安定化など、ポリアミンとしての活性はスペルミジンに著しく劣る。ブフネラにはゲノムの高倍数化というユニークな特性があるが、高濃度のスペルミジンはこの特殊なゲノム構造の安定化に寄与していると思われる。このように宿主、ブフネラ両者がそれぞれの理由でスペルミジンを多量に要求し、これがその前駆物質であるプトレスシン(宿主のみに合成能あり)の枯渇につながるものと考えられる。このように特殊なポリアミン組成は宿主による単純なブフネラの増殖抑制ではなく、より精緻な宿主-共生体間相互作用の結果であると本論文は結論づけている。 なお、本論文は石川 統との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 |