学位論文要旨



No 115064
著者(漢字) 中鉢,淳
著者(英字)
著者(カナ) ナカバチ,アツシ
標題(和) アブラムシ細胞内共生系における宿主-共生体間相互作用の研究
標題(洋) Studies on the Host-Symbiont Interactions in the Endocellular Symbiotic System of Aphids
報告番号 115064
報告番号 甲15064
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3828号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,統
 東京大学 教授 塩川,光一郎
 東京大学 教授 守,隆夫
 東京大学 助教授 藤原,晴彦
 東京大学 助教授 広野,雅文
内容要旨

 世界的な農業害虫として知られるアブラムシは窒素分に乏しく栄養的にきわめて偏った食物資源である植物師管液を利用しながら、単為生殖に基づく旺盛な繁殖力を示す。これを可能としているのが、高度に発達した細胞内共生系である。一部の例外を除きアブラムシの多くの種は腹部体腔内に菌細胞と呼ばれる巨大細胞群を持ち、ここに母虫から子虫へと垂直感染を繰り返す原核性共生微生物ブフネラを多数収納している。宿主であるアブラムシ、ブフネラはともに単独では増殖することができず両者は強い相互依存関係にあることがうかがえるが、この両者の不可分性がこれまで宿主-共生体間の相互作用を調べる上で障害となってきた。しかしながらこの緊密な共生系も宿主の加齢に伴い崩壊に向かうことが知られている。私はこの現象に注目し、ディファレンシャルディスプレー法(以下DD法)を適用することで若い正常な共生系のみで高発現する遺伝子、すなわち共生系の維持に重要なはたらきを担っていると思われる宿主、ブフネラ両者の遺伝子の検出を試みた。その結果として、共生系特異的なアミノ酸代謝に関与すると思われる遺伝子などを含め、いくつかの遺伝子を検出することができた。今回はこれらのうちブフネラのビタミン合成酵素であるリボフラビンシンターゼ鎖(以下RISB)や宿主のポリアミン合成酵素であるS-アデノシルメチオニンデカルボキシラーゼ(以下SAMDC)をコードする遺伝子に注目し、共生系におけるそれぞれの役割について考察した。

第1部:ブフネラによる宿主アブラムシヘのリボフラビン(ビタミンB2)供与

 DD法は擬陽性遺伝子を検出する危険が伴うので、まず得られたRISB遺伝子の発現量の変化について定量的RT-PCR法により詳細に検討した。その結果RISBのmRNA量は終齢脱皮直後の10日齢から、さかんに単為生殖を行う20日齢にかけては高いレベルを保ち、その後急激に減少することが明かとなった。これによってこの遺伝子が若い正常な共生系のみで高発現することが確認された。RISBは、リボフラビン合成経路の最終反応を触媒するリボフラビンシンターゼコンプレックスを鎖とともに構成するサブユニットである。リボフラビンはビタミンB2として知られる物質で、昆虫を含むあらゆる動物はそのイソアロキサジン環骨格を合成できないため何らかの方法で外部から摂取する必要がある。正常な共生系のみでこうした遺伝子がさかんに発現しているという事実はブフネラがリボフラビンを合成し、これを宿主に対して供与している可能性を示唆する。この可能性について検討するため人工飼料を用いた飼育実験を行った。まず抗生物質であるリファンピシンを用いてブフネラを除いた虫を作成。これをブフネラを持つ正常な虫とともに人工飼料上で飼育し、飼料中のリボフラビンの有無がその生育にどのような影響を与えるかを調べた。生育の指標としては体重の増減、成虫に達する個体の比率、生存率の3点を用いた。この結果、ブフネラを持つ正常な虫は飼料中のリボフラビンの有無に関わらず良好に成長、成虫に達し産仔活動も行った。(むしろリボフラビンを含む飼料上での生育がやや遅れる傾向が見られた。)これに対しブフネラを持たない虫はリボフラビンを含まない飼料上ではほとんど成長することができず全個体が成虫に達することなく死滅したが、リボフラビンを含む飼料上では正常な虫には及ばないものの良好に成長し、多くの個体が成虫にまで達した。以上の結果からブフネラがリボフラビンを合成し、これを宿主に供与していることが確認された。

第2部:アブラムシ細胞内共生系における特殊なポリアミン組成

 第一部と同様に、まず得られたSAMDC遺伝子の発現量を定量的RT-PCR法により測定した。その結果、SAMDC mRNAの相対量は10日齢から30日齢にかけて徐々に増加し、その後急激に減少することが明かとなった。これによりSAMDC遺伝子が若い正常な共生系のみで高発現することが確認された。SAMDCはポリアミンを合成する際の律速酵素として知られている。ポリアミンは生体内に多く含まれる脂肪族アミンで、正の電荷を複数持つために核酸など負の電荷を持つ物質と相互作用することによってDNAの安定化や構造変化、DNA、RNA、タンパクなどの合成、細胞分裂などの様々な過程に関与することが知られている。また高濃度のポリアミンは細菌の増殖を抑えるはたらきがあり、ポリアミン自身やその誘導体の中には抗生物質やクモ毒としてはたらくものも知られている。こうした物質はブフネラの増殖やタンパク合成などを制御するために宿主によって利用されている可能性が考えられる。この可能性について検討するため、まず菌細胞のポリアミン組成を分析した。ポリアミンにはいくつか種類があり、一般に原核細胞にはブトレスシンとスペルミジンが多く含まれており、真核細胞にはスペルミジンとスペルミンが多く含まれることが知られている。菌細胞は宿主である真核細胞とそこに含まれる原核細胞のブフネラからなる複合体であるためブトレスシン、スペルミジン、スペルミンのすべてが検出されると当初予想された。ところがHPLC分析の結果、菌細胞内には事実上スペルミジンのみが含まれており、その濃度も著しく高いことが明かとなった。またスペルミジン濃度の経時的変化を見ると30日齢をピークにその後は急激に減少するという特徴をもちSAMDCのmRNA相対量の変動と対応するものであった。しかしながら10日齢においても相当量のスペルミジンが含まれておりこれはブフネラの産生するスペルミジンの反映であると考えられた。そこで次に菌細胞からブフネラのみを単離し、ブフネラのポリアミン組成を測定した。するとやはりブフネラでもスペルミジンのみが検出され、その濃度は10日齢において最も高く、これはさきの予想と一致した。このようにスペルミジンのみが、しかも高濃度で含まれるのはきわめて特殊なポリアミン組成であるといえるが、これは真核細胞と原核細胞の複合体である菌細胞内共生系に特有の現象なのであろうか。この問いに答えるため、次にアブラムシの個体全体についてもそのポリアミン組成を調べた。すると驚くべきことに虫全体でもやはりスベルミジンのみが検出され、高い濃度(10mM前後)をそのエイジに関わらず維持し続けたのである。ポリアミン組成は組織や細胞周期に依存して変化することが知られているが、このように個体全体で継続的に高い値をとる真核生物はこれまでに全く報告がない。この特殊なポリアミン組成はアブラムシがその腹腔内に菌細胞内共生系を維持していることと関係があるのだろうか。この問いに対して何らかの示唆が得られることを期待して、次に抗生物質処理によりブフネラを除いた虫を作り、植物上での飼育ののちこのポリアミン組成を測定した。するとブフネラを持つ正常な虫にはおよばないもののやはり多くのスペルミジンを含むことが明かとなった。

 さらにそれに加えて、ブフネラを失った虫からは正常な虫では見られなかった顕著なピークが検出された。このピークはポリアミンではなく、ヒスタミンに対応することが明かとなった。ヒスタミン濃度の経時的変化を追うと、ヒスタミンはブフネラを持たない虫の加齢に伴って体内に蓄積していくことが分かった。ヒスタミンは昆虫の神経系において神経伝達物質として使用されることが知られているが、当然のことながらこれは微量ではたらく。ではこのヒスタミンの蓄積は何を意味するのであろうか。次のような可能性が考えられる。1.元来虫がヒスタミンを合成しており、これをブフネラが代謝している。虫がブフネラを失ったことにより消費されるべきヒスタミンが蓄積した。2.アブラムシ菌細胞内共生系特異的なアミノ酸代謝との関連。3.ポリアジン、とくにスペルミジンの代謝との関連。4.ブフネラ以外の微生物の繁殖。このうち最も可能性が高いのが4である。ヒスタミンの検出は、食品微生物学分野においては、細菌や真菌類の繁殖の指標として重要である。またヒトにおいて菌交代症や日和見感染といった現象が知られており、これらは菌叢の撹乱や宿主の感染防御能の低下などにより病原性の低い微生物が異常増殖するために起こるが、ブフネラを失うことでアブラムシの体内でもこうした現象が起こる可能性がある。ブフネラはプロテオバクテリア3亜族に属す、大腸菌に近縁な細菌でありその進化的起源は腸内細菌であると考えられているが、現在でもアブラムシは菌細胞内のブフネラのほかに消化管内にも細菌をすまわせており、これらのうちいくつかは虫が飼料としている植物上でも容易に検出される。これはアブラムシが植物師管液を飼料とする限り感染の機会が豊富であることを意味する。一旦虫がブフネラを失うとこうした細菌が異常に繁殖し、これがヒスタミンの蓄積という形であらわれるのではないだろうか。ブフネラを失った虫は人工飼料上で飼育するよりも植物上で飼育した方がその生育が良好であることが知られているが、これはひとつには、抗生物質処理ののち新たに植物を介して腸内細菌を獲得し、これが本来ブフネラの供与するべき物質の少なくとも一部を補うためであると説明することができる。

 今回、菌細胞、ブフネラ、アブラムシ全体いずれからも高濃度のスペルミジンが単独で検出されることが明かとなったが、この特殊なポリアミン組成は菌細胞内共生系においてどのような意味を持つのであろうか。スペルミジンは3価のアミンであり、DNAに対する親和性なども含め、そのポリアミンとしての活性は2価のアミンであるプトレスシンなどよりも著しく高い。ブフネラにはゲノムの多倍数化や、大腸菌GroELのホモログであるシンビオニンの選択的大量合成などのユニークな特性があるが、ポリアミンの特殊な組成は、こうした現象の一因となっている可能性がある。また今回検出されなかった4価のアミンであるスペルミンは一般に真核細胞に多く含まれており、スペルミジンよりもさらに活性が高いがその酸化産物が細菌に対して強い毒性を示すことが知られている。この毒性を排除し、ブフネラとの共生関係を良好に保つためにアブラムシは進化的にスペルミンの合成能を失っているのかも知れない。事実ブフネラを除いた虫でもスペルミン合成の回復が見られなかったことは前述の通りである。スペルミジンは元来、原核細胞、真核細胞に共通して含まれるポリアミンであるが、この物質のみがアブラムシで検出されるのは、原核細胞と真核細胞が協働する上で重要な意味を持つことが示唆され、興味深い。

審査要旨

 本論文は2章からなり、第1章はアブラムシ菌細胞内共生細菌ブフネラによる宿主アブラムシへのビタミンB2の供与、第2章は同菌細胞内共生系における特殊なポリアミン組成について述べられている。一部の例外を除きアブラムシの多くの種は腹部体腔内に菌細胞群を持ち、ここに母虫から子虫へと垂直感染を繰り返す原核性共生微生物ブフネラを多数収納している。宿主であるアブラムシ、ブフネラはともに単独では増殖できず両者は強い相互依存関係にあることがうかがえるが、この両者の不可分性がこれまで宿主-共生体間の相互作用を調べるうえで障害となってきた。しかしながらこの緊密な共生系も宿主の加齢に伴い崩壊に向かうことが知られている。論文提出者はこの現象に注目し、ディファレンシャルディスプレー法を適用することで若い正常な共生系のみで高発現する遺伝子、すなわち共生系の維持に重要なはたらきを担うと思われる宿主、ブフネラ両者の遺伝子の探索を行った。その結果、いくつかの興味深い遺伝子の検出に成功したが、本論文ではこれらのうちブフネラのビタミン合成酵素であるリボフラビンシンターゼ鎖や宿主のポリアミン合成酵素であるS-アデノシルメチオニンデカルボキシラーゼをコードする遺伝子に注目し、共生系におけるそれぞれの役割について考察している。

 リボフラビンシンターゼ鎖は、ビタミンB2であるリボフラビンの合成酵素であり、正常な共生系のみでこうした酵素をコードする遺伝子がさかんに発現しているという事実はブフネラがリポフラビンを合成し、これを宿主に対して供与している可能性を示唆する。この可能性について検討するため抗生物質を用いてブフネラを除いた虫を作成、これをブフネラを持つ正常な虫とともに人工飼料上で飼育し、飼料中のリボフラビンの有無がその生育にどのような影響を与えるかを調べた。この結果、ブフネラを持つ正常な虫は飼料中のリボフラビンの有無に関わらず良好に成長、成虫に達し産仔活動も行ったのに対し、ブフネラを持たない虫はリボフラビンを含まない飼料上ではほとんど成長することができず全個体が成虫に達することなく死滅したが、リボフラビンを与えたものは正常な虫には及ばないものの良好に成長し、多くの個体が成虫にまで達した。以上の事実からブフネラがリボフラビンを合成し、これを宿主に供与していることを確認した。

 S-アデノシルメチオニンデカルボキシラーゼはポリアミン(プトレスシン、スペルミジン、スペルミンなど)のうち、スペルミジンおよびスペルミンを合成する際の律速酵素である。ポリアミンは生体内に多く含まれる脂肪族アミンで、正の電荷を複数持つために核酸など負の電荷を持つ物質と相互作用することによってDNAの安定化や構造変化、DNA、RNA、タンパクなどの合成、細胞分裂などの様々な過程に関与することが知られている。また一方で高濃度のポリアミンは細菌の増殖を抑えるはたらきもあるとされ、こうした物質はブフネラの増殖を制御するために宿主によって利用されている可能性が考えられる。この可能性について検討するため菌細胞、ブフネラ、およびアブラムシ全体のポリアミン組成を測定した。この結果これらいずれにおいてもスペルミジンのみが高濃度で検出され、その他のポリアミンは痕跡量程度しか含まれないことが分かった。これはきわめて特殊な組成である。今回検出されなかったスペルミンは一般に真核細胞に多く含まれており、スペルミジンよりもポリアミンとしての活性が高いが細菌に対して強い毒性を示すことが知られている。この毒性を排除し、ブフネラとの共生関係を良好に保つためにアブラムシは進化的にスペルミンの合成能を失っている可能性がある。スペルミンの欠如を補償するためにアブラムシはスペルミジン(スペルミンよりも活性が低い)を多量に体内に保持していると考えられる。また大腸菌などほかの多くの原核細胞ではプトレスシンが多く含まれるが、そのDNA構造安定化など、ポリアミンとしての活性はスペルミジンに著しく劣る。ブフネラにはゲノムの高倍数化というユニークな特性があるが、高濃度のスペルミジンはこの特殊なゲノム構造の安定化に寄与していると思われる。このように宿主、ブフネラ両者がそれぞれの理由でスペルミジンを多量に要求し、これがその前駆物質であるプトレスシン(宿主のみに合成能あり)の枯渇につながるものと考えられる。このように特殊なポリアミン組成は宿主による単純なブフネラの増殖抑制ではなく、より精緻な宿主-共生体間相互作用の結果であると本論文は結論づけている。

 なお、本論文は石川 統との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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