学位論文要旨



No 115043
著者(漢字) 羽毛田,聡子
著者(英字)
著者(カナ) ハケダ,サトコ
標題(和) ショウジョウバエの筋肉蛋白質Kettinをコードする遺伝子の単離および解析
標題(洋)
報告番号 115043
報告番号 甲15043
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3807号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 多羽田,哲也
 東京大学 助教授 飯野,雄一
 東京大学 教授 馬渕,一誠
 東京大学 教授 西郷,薫
内容要旨

 筋肉を形成する細胞(筋細胞)は細胞内に収縮装置を備えており、複雑な高次構造を持つ細胞のひとつである。脊椎動物の筋肉は、骨格筋、心筋、平滑筋に大別される。骨格筋は骨を動かす筋肉で、動物の運動をつかさどる主要な機関である。骨格筋および心筋は、肉眼で横紋の観察できる横紋筋に属し、サルコメアという構造が横紋の単位となっている。筋肉は顕微鏡観察によると暗く見えるA帯と明るくみえるI帯が交互に並んでおり、I帯の中心にはZ盤とよばれる構造が存在する。サルコメアはZ盤-I帯-A帯-I帯-Z盤から成っており、主にミオシンから成る太い繊維がA帯に、アクチンから成る細い繊維がI帯に存在する。アクチンおよびミオシンはともに収縮性の蛋白質であり、筋蛋白質の半分以上を両者で占めている。細胞内におけるアクチンおよびミオシン両繊維の相対的な滑り運動によって筋収縮がおこると考えられている。

 本研究では最初に現在脊椎動物で広く用いられているジーントラップと等価の系をショウジョウバエで開発し、遺伝子のスクリーニングを行った。この方法は、スプライシングにおいてアクセプター配列が保存されていることを利用したものである。lacZ遺伝子の前にアクセプター配列をつないだものをP因子を用いてゲノムに挿入させる。P因子がある遺伝子のイントロンに挿入されると、その遺伝子のエキソンとlacZの間でスプライシングが起こり融合タンパク質ができる(図1)。マーカーである融合蛋白質はトラップした遺伝子と同様の発現パターンを示すと考えられる。この方法によって得られた#132株では胚の筋肉においてマーカー遺伝子の発現が見られた。このことから、トラップした遺伝子のコードする蛋白質は筋肉の細胞骨格の構築あるいは筋肉の機能に関係していることが予想された。

図1 イントロントラップ法の原理

 ショウジョウバエの筋肉の構造は、脊椎動物の骨格筋とは多少異なっている。幼虫の骨格筋は超収縮性筋肉と呼ばれており、脊椎動物の骨格筋に特徴的な筋原繊維という収縮構造をとっていない。しかしながら横紋が観察され、サルコメア構造を持つことが知られている。また、Z盤に穴があいており、ミオシン繊維がその間を通り抜けることにより収縮率が脊椎動物の骨格筋より高くなっている。成体のショウジョウバエには、翅を動かすのに間接的に関わっている間接飛翔筋が存在する。間接飛翔筋は収縮構造として筋原繊維をもっており、脊椎動物の骨格筋の構造に類似している。また、この他に成体の肢の筋肉が存在する。これらの筋肉は脊椎動物の骨格筋と違いがあるものの、アクチンおよびミオシンから成るサルコメア構造は共通しており、ショウジョウバエの筋肉構造の解明は、脊椎動物の筋肉構造の解明につながると考えられる。そこで、#132のトラップする遺伝子の単離を試みた。

 プラスミドレスキュー法によって単離したP因子挿入点近傍のゲノムをもとにゲノムライブラリーのスクリーニングを行い約30Kbに渡るゲノム断片を得た。このゲノム断片のほぼ全長の配列を決定した結果、既に一部の配列が報告されていたKettin蛋白質のコード配列が存在した。ショウジョウバエのKettinはLethocerus(水生昆虫)の筋肉のZ盤特異的な抗体MAC155に反応する蛋白質として同定されていたが、蛋白質の分子量が500kDと考えられているのに対し、決められている配列は約500アミノ酸(50kD相当)であった。そこで、この遺伝子kettinの残りの配列をゲノム配列をもとに、cDNAライブラリーのスクリーニング、RT-PCRおよび公表されている配列データによって決定した。その結果、kettinは、12エキソンからなる約15kbの遺伝子であることが予想された。遺伝子配列から推定される蛋白質は4796アミノ酸からなり、分子量約54万であった。このサイズは、Lakeyら(Lakey et.al.,EMBOJ.12 2863(1993))によって示された、分子量50万のショウジョウバエKettinに当たると考えられる。この他に、ショウジョウバエにはより発現量の少ない分子量70万のKettinが存在すると考えられている。

 Kettin蛋白質は一部の配列の解析から、95アミノ酸の免疫グロブリンC2様ドメイン(Igドメイン)とそれをつなぐ35アミノ酸の計130アミノ酸からなる繰り返し構造を持つと考えられていた。全配列を決定した結果、Kettin蛋白質は図2に示すように、計35個のIgドメインを持つことが判明した。それらをつなぐ連結配列のうち、中心部分の25個には、2個の保存配列が存在していた。また、連結配列の長さおよび保存配列の有無によって4つの領域に分けることができた。線虫(Carnorhabditis elegans)のゲノム配列を検索した結果、線虫にも同様のKettin蛋白質が存在していることが予想された。線虫のKettinには計30個のIgドメインが存在し、ショウジョウバエのKettinと同様に連結部の違いから4つの領域に分けることができた。このことは、Kettinが進化的に保存されており、4つの領域がそれぞれ異なる役割を担っていることを示唆している。

図2 Kettin蛋白質の構造

 次に、Kettinの筋肉における機能を解析するために、胚、幼虫、成体におけるRNAおよび蛋白質の発現を調べた。Kettinは胚期では、筋肉細胞の融合前のステージ11から発現が始まっていた。以降は心筋を除く全ての筋肉細胞で発現していた。ステージ16では筋肉細胞と表皮の接着する内突起と呼ばれる部分に蛋白質だけでなく、RNAの発現も局在していた。この局在は,細胞接着に関わっているといわれているインテグリンの変異株ではおこらなかったことから、細胞が接着することあるいはインテグリンシグナルが局在に必要であると考えられる。

 幼虫における骨格筋、内臓筋、および成体の間接飛翔筋、肢の筋肉は形態的に異なっている(前記参照)。そこで、これらの筋肉におけるKettinの発現を抗体染色により確認した。その結果、全ての筋肉においてKettinはZ盤付近で発現していることがわかった。このことはKettinが普遍的に筋肉のZ盤で機能していることを示している。

 遺伝子トラップ法によって得られた#132は、蛋白質の発現を抗体染色により確認することができた。そこで、P因子の再転移を行い、新たな変異株の作製を試みた。その結果、kettinのエキソシ3から5の途中までのゲノムを欠くket14およびP因子の内部を欠くket5が得られた。表1に示すように、ket14のホモ接合体は胚期致死であり、Kettinが抗体で検出されなかったことから、ket14は、機能完全欠失株であると考えられる。これに対し、ket5のホモ接合体は、蛹期致死であり、#132より表現型の弱い変異体であると考えられる。また、#132の死亡時期は胚期から蛹期に渡っているが、多くは幼虫期に死亡した。

表1 kettin変異株の表現型

 そこで、これらの変異株における幼虫の骨格筋の微細構造を、電子顕微鏡によって観察した。ket14のホモ接合体は野性株の卵が孵化し、幼虫になる時期(産卵後24-36時間)でも、殻からか出てくることはできないが、殻の中で伸縮運動をしているのが観察された。この時期のket14のホモ接合体の筋肉は、完全にサルコメア構造を失っており、Z盤の残骸と、繊維の断片が散らばっているのが観察できた。そこで、この筋構造の異常が、筋肉の構築過程における異常によるものなのか、それとも一度正常に構築された筋肉構造が伸縮することによって破壊されたものなのかどうかを調べるために、更に早い時期(産卵後20-24時間)で筋構造を調べた。この時期の野生型の筋肉のサルコメア構造は、一部は不完全なもののかなりはっきりと観察することができる。これに対し、ket14のホモ接合体の筋肉では繊維の束は観察できるもののZ盤の構造は繊維上に密度の濃い部分を認めるにとどまり、野生型のようなサルコメア構造は観察されなかった。これらの結果は幼虫筋肉においてKettinがZ盤の構築および維持に必要であることを示している。

 ショウジョウバエの飛翔筋構成蛋白質をコードしている遺伝子の中には、優性で飛翔不能になる表現型を示す。そこで、kettinの完全機能欠失変異であるket14のヘテロ接合体の飛翔能力を調べた。その結果、kettinは優性飛翔不能の表現型を示すことがわかった。そこで、飛翔不能なハエの間接飛翔筋の微細構造を幼虫筋肉と同様に電子顕微鏡によって観察した。その結果、筋原線維の周辺部において筋繊維が乱れていた。そこで、幼虫の時と同様にその異常が筋肉の伸縮運動によってもたらされたものであるかを調べるために、羽化直前の蛹における間接飛翔筋を観察した結果、野生型のものと変わらなかった。そこで、蛹期後期まで到達するが羽化することのできないket5のホモ接合体の同時期における間接飛翔筋を観察した結果、Z盤の形成が不十分であることがわかった。これらの結果は、Kettinが成体の間接飛翔筋においてもZ盤の形成および維持に必要であることを示している。以上の結果からサルコメアにおける予想されるKettinの構造および機能を図3に示す。

図3 Kettinのサルコメアにおける予想される構造
審査要旨

 本論文では、ショウジョウバエの筋肉蛋白質Kettinをコードしている遺伝子を単離し、その筋肉における役割を論じている。

 最初に現在脊椎動物で広く用いられているジーントラップと等価の系をショウジョウバエで独自に開発し、この方法によって得られた筋肉でマーカー遺伝子の発現が見られた#132株の解析を行った。この株においてトラップされている遺伝子を単離したところ、部分構造が既に公表されていたKettin蛋白質をコードしていることが判明した。遺伝子の全塩基配列を決定した結果、Kettin蛋白質は4796アミノ酸からなる分子量約54万の巨大蛋白質であると推定された。Kettinは計35個のIgドメインを持っていた。また、線虫(C.elegans)のゲノム配列を検索した結果、線虫にも30個のIgドメインを持つKettin蛋白質が存在していることが見出された。いずれの蛋白質においても、中心部分のIgドメインをつなぐ連結配列には、2個の保存配列が存在していた。また、連結配列の長さおよび保存配列の有無によって4つの領域に分けられた。これらのことから、Kettin配列は進化的に非常によく保存されており、4つの領域がそれぞれ異なる役割を担っていることが示唆された。

 次に、KettinのRNAおよび蛋白質の発現を調べた。Kettinは胚期では、筋肉細胞の融合前のステージ11から発現が始まり、以降は心筋を除く全ての筋肉細胞で発現していた。ステージ16では筋肉細胞と表皮の接着する部分に蛋白質およびRNAの発現が局在していた。この局在は細細胞接着に関わっているインテグリン変異株ではおこらなかったことから、細胞の接着またはインテグリンシグナルが局在に必要であると考えられる。また、形態的に異なっている幼虫の骨格筋、内臓筋、および成体の間接飛翔筋、肢の筋肉におけるKettinの発現を調べた結果、全ての筋肉においてZ盤付近で発現していることがわかった。このことはKettinが普遍的に筋肉のZ盤で機能していることを示している。

 さらに本論文では、kettin遺伝子変異株を作製し、その表現型について述べている。#132に加え、P因子の不完全切断反応を利用し、表現型の強さの異なる新たな2つの変異株ket14およびket5を作製した。ket14のホモ接合体は胚期致死であり、機能完全欠失株であると思われた。また、ket5のホモ接合体は蛹期致死であり、#132のホモ接合体の多くは幼虫期に死亡した。これらの変異株における骨格筋の微細構造を、電子顕微鏡によって観察した。その結果、野生株の卵が幼虫になる時期におけるket14の筋肉は、完全にサルコメア構造を失っていた。この筋構造の異常は正常に構築された筋肉構造が収縮することによってもたらされた可能性があるため、更に早い時期での筋構造を調べた。すると、この時期の野生型の筋肉ではほぼ正常なZ盤が観察されるのに対し、ket14のホモ接合体では繊維の束は観察できるもののZ盤の構造は繊維上に密度の濃い部分を認めるにとどまっていた。また、#132のホモ接合体では一度正常に形成された筋構造が、収縮によって破壊されていると表現型から予想できた。これらの結果は、幼虫筋肉においてKettinがZ盤の構築および維持の両方に必要であることを示している。

 また、ket14のヘテロ接合体の飛翔能力を調べた結果、kettinは優性飛翔不能であった。そこで、飛翔不能なハエの間接飛翔筋の微細構造電子顕微鏡によって観察した結果、筋原線維の周辺部において筋繊維が乱れていた。その異常が筋肉の収縮運動によってもたらされたものであるかを調べるために、羽化直前の蛹における間接飛翔筋を観察した結果、野生型のものと変わらなかった。そこで、蛹期後期まで到達するket5ホモ接合体の同時期における間接飛翔筋を観察した結果、Z盤の形成が不十分であることがわかった。これらの結果は、Kettinが成体の間接飛翔筋においても形成および維持に必要であることを示している。

 以上のように、本研究ではKettin蛋白質の全配列を決定し、その配列を線虫のものと比較することによって、構造上の特徴をより明確に示した。また、発現および変異株の表現型を調べることにより、Kettinの機能を明らかにした。特に、筋肉収縮の開始前後、および表現型の強さの異なる株における筋肉構造の比較から、筋肉構造の構築および維持の両方におけるKettinの必要性を見出した。これらの結果は、ショウジョウバエの筋肉構造/機能に必須な新たな因子を発見したという点で高く評価されるべき成果である。なお、本論文は遠藤幸子氏及び西郷薫氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って博士(理学)の学位を授与できると認める。

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