学位論文要旨



No 115032
著者(漢字) 阿部,亮敦
著者(英字)
著者(カナ) アベ,アキノブ
標題(和) アクチンのN末端アセチル化の機能に関する研究
標題(洋) Study on the Function of the Acetylation at the N-terminus of Actin
報告番号 115032
報告番号 甲15032
学位授与日 2000.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3796号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 榎森,康文
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 助教授 足立,博之
 東京大学 教授 若林,健之
内容要旨 序論

 これまでに研究されてきたすべてのアクチンはN末端がアセチル化されている。この反応の経路に関する研究からアクチン特異的な酵素の関与が明らかになるなど、N末端のアセチル化がアクチン特異的な因子で進行することが分かってきている。これらのことはアクチンのN末端アセチル化がアクチンの機能上、重要であることを示唆しているが、具体的にはほとんど不明のままである。

 一方、これまでの研究からアクチンの配列1-4に存在する酸性アミノ酸残基が形成する負電荷クラスターがアクトミオシンATPaseのVmaxを増加させ、Kappを有意には変化させないことが分かっている。N末端のアセチル化はアミノ基のもつ正電荷を取り除くことで、アクチンN末端における実質的な負電荷の数を増やすことから、アクトミオシンATPaseに対して、同様の効果を及ぼす可能性がある。

 この可能性を検証するために、私はN末端がアセチル化されていないアクチン(非アセチル化アクチン)を調製し、生化学的な特性を野生型と比較した。非アセチル化アクチンは正常なフィラメントを形成し、ATP非存在下でミオシンサブフラグメント1(S1)と強く結合し、ヘビーメロミオシン(HMM)のATPaseを活性化した。野生型アクチンとの比較の結果、Vmaxは有意に変化せず、Kappは3.6倍になった。このように、アクチンのN末端アセチル化はアクチンN末端の負電荷クラスターと異なり、アクチン・ミオシン間の弱い相互作用を強めるという独自の役割を果たしていることが分かった(1.2)。

方法(非アセチル化アクチン調製のための戦略)

 非アセチル化アクチンの調製は、N末端に遺伝子工学的にヒスチジンタグとfactor Xaの認識配列(-Ile-Glu-Gly-Arg-)とを付加したDictyosteliumアクチン(H10Xa-アクチン)をニッケルカラムで分離した後、factor Xaを作用させることにより行った。こうして調製したアクチンのN末端はブロックされていないアミノ基を持っており、非アセチル化アクチンと同等である。

結果

 非アセチル化アクチンの精製 H10Xa-アクチンはDictyosteliumで発現し(図1A,レーン2)、Ni-NTA樹脂を用いて野生型アクチンから完全に分離できた(図1A,レーン3)。H10Xa-アクチンはfactor Xaにより切断されて、非アセチル化アクチンが生じた。切断されなかったH10Xa-アクチンや、ヒスチジンタグとfactor Xa認識配列とを含む断片はNi-NTA樹脂で除去できた。最後に、重合-脱重合サイククによりfactor Xaを分離した(図1A,レーン4)。

 非アセチル化アクチンは予測どおり、二次元電気泳動により野生型アクチンよりも塩基性であることが示された(図1B)。

 非アセチル化アクチンは正常に重合・脱重合した。図2に非アセチル化アクチンが形成したフィラメントの電子顕微鏡写真を示した。このフィラメントのクロスオーバー周期は36nmであるので、非アセチル化アクチンは正常なフィラメントを形成することが分かった。

 S1はATP非存在下で非アセチル化アクチンのフィラメントと共沈した(図1C)。これは非アセチル化アクチンがミオシンと硬直複合体を形成することを示している。

図1 非アセチル化アクチンの調製(A)レーン1:野生型細胞、レーン2:H10Xa-アクチン発現細胞、レーン3:H10Xa-アクチン、レーン4:非アセチル化アクチン(B)二次元電気泳動パターン。単矢尻:野生型アクチン、二重矢尻:非アセチル化アクチン(C)ATP非存在下での非アセチル化アクチンとS1との共沈。レーン1,3:上清、レーン2,4:沈殿。HC:重鎖、ELC:必須軽鎖

 アクチン活性化HMM ATPase活性 さまざまな濃度の野生型、または、非アセチル化アクチンの存在下でアクチン活性化HMM ATPase活性を測定した。図3にEadie-Hofsteeプロットとして結果を示した。図3において縦軸上の切片がVmaxに相当する。野生型、および、非アセチル化アクチンのVmaxはそれぞれ13.5±1.0sec-1,17.4±2.0s-1であった。すなわち、VSmaxの値は両アクチン間で有意な相違を示さなかった。図3の傾きは-Kappに相当する。野生型、および、非アセチル化アクチンのKappはそれぞれ25.5±3.0M,91.9±12.8Mであった。すなわち、非アセチル化アクチンのKappの値は野生型アクチンのその値よりも3.6倍、大きかった。これはアクチンのN末端アセチル化がアクトミオシンATPaseサイクルにおいて、アクチン・ミオシン間の弱い相互作用を強めることを表している。

図表図2 非アセチル化アクチンが形成するフィラメントの電子顕微鏡写真 Nano Van,pH8.0でネガティブ染色を行った。矢尻はフィラメントのクロスオーバー点を示し、その間隔は36nmである。スケールバー:100nm / 図3 アクチン活性化HMM ATPase活性 丸:野生型アクチン、四角:非アセチル化アクチン
考察

 私は、アクチンN末端のアセチル化がアクト-HMM ATPaseのKappを小さくし、Vmaxにはほとんど影響を与えないことを発見した。この結果に基づいて、アクチンN末端のアセチル化による影響をアクチンのN末端負電荷クラスターによる影響と比較する。

 非アセチル化アクチンの調製 H10Xa-アクチンの発現と精製に成功した。アフィニティークロマトグラフィーを用いた本研究の方法は、陰イオン交換クロマトグラフィーを用いた従来法では野生型アクチンと分離できなかった変異アクチンの分離を可能にした。

 H10Xa-アクチンはfactor Xaにより切断されて、非アセチル化アクチンが生じた。本研究で用いた非アセチル化アクチンは、N末端がアセチル化されていない以外は野生型アクチンと全く同一の配列をもつので、アセチル化の機能的な重要性を疑いなく明らかにすることを可能にした。

 アクチン活性化HMM ATPase活性 アクト-HMM ATPaseのVmaxはアクチンのN末端がアセチル化されているか否かにかかわらず、ほとんど変化しなかった。このことはアセチル化がミオシンATPaseの活性化能に影響を与えないことを示している。一方、非アセチル化アクチンは野生型アクチンに比べ3.6倍のKappを示した。この結果は、アクチンのN末端アセチル化がアクチン・ミオシン間の弱い相互作用を強くするということを表している。

 これまでの研究から、アクチンの配列1-4に含まれる負電荷の個数がVmax,Kappそれぞれの大小と相関を持つことが明らかになっている。図4AはVmaxが、アクチンの配列1-4における負電荷の数が1から3の範囲で、劇的に増加することを示している。一方、図4Bに見られるように、1/Kappは大きな変化を示さない。非アセチル化アクチンは、配列1-4に持つ負電荷の数が2であるのに、野生型アクチン(配列1-4の負電荷の個数は3)とほぼ同じVmaxを持つ。このことは非アセチル化アクチンによるミオシンATPaseの活性化能が負電荷の数から予測されるよりも高いことを示している。一方、非アセチル化アクチンはずっと低い1/Kappを示した。すなわち、非アセチル化アクチンとミオシンとの弱い相互作用は予測よりもずっと弱い。この結果は、アクチンのN末端アセチル化のアクトミオシン相互作用に対する影響はアクチンのN末端負電荷クラスターによる影響とは異なることを示している。

図4 アクト-HMM ATPaseの動力学的パラメータの、非アセチル化アクチシ(四角)と野生型、または、N末端変異アクチン(丸)との間での比較Vmax(A)と1/Kapp(B)を野生型アクチンの値で規格化し、アクチンのN末端アミノ酸残基1-4における実質的な負電荷の個数に対してプロットした。用いた変異アクチンはD1HとD1H/D4Hである。

 アセチル化されていないN末端では-アミノ基が正電荷を持ち、疎水的なアセチル基が除去されているので、アセチル化されているN末端よりも疎水性が低くなっていると考えられる。この疎水性の低下が、弱い相互作用の予測外の低下と関係しているかもしれない。アクチンとミオシンとが弱い相互作用で結合したあとはN末端の-アミノ基が持つ正電荷が、おそらくミオシンの残基により遮蔽されて、アクチンN末端に残っている3個の負電荷がミオシンATPaseを正常に活性化できるようになるのかもしれない。これがVmaxが大きくは変化しない原因かもしれない。

 結論として、アクチンのN末端アセチル化はアクチンによるミオシンATPaseの活性化能に影響を与えることなく、アクチン・ミオシン間の弱い結合を強くする。この結果は非アセチル化アクチンに特異的であり、アクチンN末端における負電荷の変化では説明できない。

謝辞

 指導教官の若林健之教授をはじめ、須藤和夫教授、安永卓生助手、佐伯喜美子技官に深く感謝する。

文献1.Abe,A.,Saeki,K.,Yasunaga,T.,Sutoh,K.,and Wakabayashi,T.(1999)Affinity-chromatographic purification of mutant actins from Dictyostelium.Biophys.J.76,A39.2.Abe,A.,Saeki,K.,Yasunaga,T.,and Wakabayashi,T.Acetylation at the N-terminus of actin strengthens weak interaction between actin and myosin.submitted to Biochem.Biophys.Res.Commun.
審査要旨

 本論文はアクチンN末端のアセチル化の機能について述べられている。

 これまでに研究されてきたすべてのアクチンはN末端がアセチル化されている。この反応の経路についてはよく研究されてきた。これらの研究からアクチン特異的な酵素の関与が明らかになるなど、N末端のアセチル化がアクチン特異的な因子で実現することが分かってきている。これらのことはアクチンのN末端アセチル化がアクチンの機能上、重要であることを示唆している。しかし、その機能上の重要性はほとんど不明のままである。

 一方、これまでの研究からアクチンN末端アミノ酸残基1-4に存在する負電荷アミノ酸残基がアクトミオシンの機能に重要であることが分かっている。N末端のアセチル化はN末端アミノ基のもつ正電荷を取り除くことで、アクチシN末端における実質的な負電荷の数を増やすことから、アクトミオシンの機能に関与している可能性がある。

 この可能性を検証するために、論文提出者は本研究において、N末端がアセチル化されていないアクチン(非アセチル化アクチン)を発現・精製し、生化学的な特性を野生型と比較した。非アセチル化アクチンの調製は、N末端に遺伝子工学的にヒスチジンタグとfactor Xaの認識配列(-Ile-Glu-Gly-Arg-)とを付加したDictyostelium actinをニッケルカラムで分離した後、factor Xaを作用させることにより行った。こうして調製したアクチンのN末端はブロックされていないアミノ基を持っており、非アセチル化アクチンと同等である。

 こうして得られた非アセチル化アクチンは重合条件下(100mM K+,5mM Mg2+)では重合し、脱重合条件下(0.2mM Ca2+)では脱重合した。ネガティブ染色を利用した電子顕微鏡観察により、非アセチル化アクチンは重合条件下で正常なフィラメントを形成することが明らかになった。アクチンの内在蛍光(励起:300nm、発光:335nm)が重合に伴い減少をすることを利用して、重合の時間経過を追った結果、野生型アクチンと比較して、非アセチル化アクチンの核形成速度に変化はなかったが、伸長速度は1.5倍になった。このことはアクチンのN末端アセチル化がアクチンフィラメントの伸長に小さな影響を与えることを示している。

 超遠心を利用した共沈法により、ヘビーメロミオシン(HMM)はATP非存在下、非アセチル化アクチンフィラメントと共沈した。このことは、非アセチル化アクチンがATP非存在下、ミオシンと強く結合することを示している。

 非アセチル化アクチンはHMMのATPaseを活性化した。野生型アクチンと比較したところ、Vmaxに変化はみられなかったが、Kappは3.6倍になった。この結果は、アクチンのN末端アセチル化がアクチン・ミオシン間の弱い相互作用を強めるという独自で重要な役割を果たしていることを表している。

 In vitro motility assayにおいて、野生型・非アセチル化両アクチンはATPの非存在下、HMMに強く結合した。このことは、非アセチル化アクチンがATP非存在下、ミオシンと強く結合することを示している。一方、ATPの存在下では、メチルセルロースを加えなかった場合、野生型アクチンは滑った。しかし、非アセチル化アクチンはHMMから離れ、拡散し、滑らなかった。ATP存在下、メチルセルロースを加えた場合、野生型アクチンは滑ったが、非アセチル化アクチンは拡散しやすかった。それでも、少数、滑るフィラメントが観察された。非アセチル化アクチンでは野生型アクチンに比べ、滑り速度が0.72倍に低下していた。これらのことは、非アセチル化アクチシではATP存在下でのアクチン・ミオシン間の弱い相互作用が弱まっているが、ミオシンとの間で滑り運動をする能力は残っていることを示している。

 なお、本論文は、若林健之、安永卓生、佐伯喜美子との共同研究であるが、論文提出者が主体となって、アイデアを案出し、分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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