本論は、企業行動を考える上での一つの視点として企業の「寿命」というものを取り上げ、ここから合併行動の意味を分析し、あわせて企業の寿命についても考察を加えようとするものである。 合併についての先行研究を見る限り、収益性や成長率といった視点から見て合併が経営上ブラスの効果を持つとは言えないと思われる。すなわち、利益や成長といった側面からは企業がなぜ合併を行うのかということを説明できないのである。 この利益や成長といった側面に代えて、本論で取り上げるのが企業の「寿命」という視点である。企業の寿命とは、一般に企業の「生き残り」という言葉で示されるような、何らかの長期的なパフォーマンスを示していると考えられ、この意味で企業行動を分析する際の一つの視点になるものと思われる。特に合併という行動について言えば、例えば第4章で取り上げる石川島播磨重工業の成立のケースでは企業の寿命の延長いうことが意識されていたと考えられるのである。このようなことから、本論ではこの「企業の寿命」という視点から合併行動を分析していく。 さらに本論では、このような分析を通じて企業の寿命とは何かということについて考察していく。というのは、この企業の寿命にはこれまで関心を持たれてきたにもかかわらず、これを取り上げた研究は一部を除きほとんどなかった。このため、企業の寿命とは何か、あるいはその長さや特徴はどのようになっているのかということが十分に明らかにされていないのである。本論では戦後日本企業の寿命の分析や合併行動の分析を通じて、「企業の寿命とは何か」ということについて検討していく。 本論ではこれらのテーマについて、まずイベント・ヒストリー分析という手法を用いて戦後日本における企業の寿命や合併が企業の寿命に与える影響を実証的に分析し、さらに合併と企業の寿命との関係について若干の理論的な検討を行う。そしてこのような分析を通じて、「企業の寿命とは何か」という点について仮説的な枠組みを提示していくことにする。 第1章では先行研究をサーヴェイし、これまで指摘されているような合併の動機は基本的に収益性や成長率の向上に結びつくにも関わらず、実証研究を見る限りそのような効果が得られていないことを指摘した上で、このギャップを分析するための新たな視点として企業の寿命というものを提示する。また、企業の寿命を単純に生物のアナロジーによって理解することの問題点として、企業の存続と生物の生存の意味が異なること、企業の寿命の開始と終了の時点の決定が難しいことの二点を指摘し、企業の寿命をこれとは異なる観点から定義することの必要性を述べる。 第2章ではその後の実証分析の準備として、イベント・ヒストリー分析という統計手法について解説する。この手法は「何らかの事象が起こるまでの時間」を扱う統計手法の総称であり、生物や機械等の寿命を分析する際に用いられるものである。イベント・ヒストリー分析の目的は、この「何らかの事象が起こるまでの時間」(持続時間)について、そのパターンを推定し、比較し、これに対して説明変数が与える影響を分析することにある。このための具体的な統計手法として、ノンパラメトリック法、セミパラメトリック法、パラメトリック法の三つが用いられている。 第3章では、企業の寿命の尺度として東京証券取引所第一部への上場期間というものを提案した上で、戦後日本企業の寿命についてこの上場期間によりその長さや特徴を分析し、さらに企業の寿命というものが持つ意味について考察する。上場期間の分析から示されることは、日本企業の中でもいわゆる大企業が安定的な存在であること、そしてこの安定性は戦後徐々に形成されてきたが、60年代前半に一つの転換点があることである。そしてこのような分析を踏まえて、企業の安定性は企業が労働者やサプライヤー等のさまざまなステイクホルダーからのコミットメントを確保する上で重要であり、ゆえに企業にとって大きな意味を持つことを指摘し、ここから一つの考え方として、企業の寿命をこのような意味での安定性を持っている期間として捉えられるのではないかということを述べる。また第3章の補論として、企業の寿命に対する先行研究である『会社の寿命』について再分析を行い、「会社の寿命30年」説についてその妥当性を検討する。 第4章では合併行動が企業の寿命に対してもたらす影響について分析する。まず石川島播磨重工業(IHI)のケーススタディから、この合併には企業の安定性あるい寿命を延長させる目的があり、また実際にそのような効果が見られたことを示し、ここから「合併は企業の寿命を延長させる」という仮説を提示する。この上で第3章と同様に東証第一部への上場期間という指標を用いて合併が企業の寿命を延長させるかどうかを分析し、さらにそこで得られた結果の妥当性を検証する。この結果として、「東証一部上場企業に関しては、その間の合併により寿命が延長される」ということが示される。この結果が示唆していることは、合併行動は企業の短期的な収益の向上やシェアの向上には結びつかなくても、企業の安完性を向上させ、ステイクホルダーのコミットメントを維持することで、企業にとってプラスの効果をもたらすということである。 ここで問題となるのは、なぜ合併行動が企業の寿命を延長させるのかという点である。第5章ではこの点についてAxelrodの「協調行動の進化」モデルを元に理論的な分析を行い、一つの考え方を提示する。モデルからは、合併は初期の段階でコストを発生させるが、一方で関係の長期化と協調の安定化という二つの効果により、企業に対し長期的に一定水準の利得をもたらすということが示される。ただし、初期コストが大きいと協調は不安定になり、このような効果の発揮が妨げられると考えられる。 ここで企業が安定的であるとはどういうことか考えてみると、企業がステイクホルダーのコミットメントを確保できる意味で安定的であるためには、単に存続するだけではなく、一定のパフォーマンスを挙げつづける必要があると思われる。このように考えれば、第4章の結果は、合併は長期的な利得をもたらすことで、企業の安定性あるいは寿命に対しプラスに働いていると理解できることになる。また補論では、特に有限回の繰り返し囚人のジレンマゲームにおける協調行動の進化の問題を取り上げてシミュレーションによって検討し、このような場合でも協調行動は擬似的に安定していることを示す。 以上の分析を踏まえて、結論として合併行動の効果について次のような考え方が提示される。先行研究から明らかなように、合併行動は短期的には収益性や成長率を必ずしも改善せず、むしろ合併に伴うさまざまなコストにより収益性等はしばしば一時的に低下する。しかし、合併は合併主体間の関係を固定することにより関係を長期化させ、また協調を安定化させることによって企業に長期的に一定のメリットをもたらす。この結果、合併により企業の寿命は延長されると考えられるのである。ただし初期コストが大きい場合には、協調関係が不安定化するためにこのような効果が阻害されると思われる。 このような見方からすれば、企業が合併を行う理由も理解できる。つまり、合併は短期的にはコストがかかるものの、長期的には企業の寿命を延ばすことによって、企業に対してプラスの価値をもたらしているわけである。ただし、ここで言う長期とは日本では10年、20年の単位であると考えられ、この意味で合併の効果は相当な長期について見ていく必要がある。 一方で企業の寿命と安定性については、仮説的な枠組みとして企業の安定性とは「一定以上のパフォーマンスを維持し、ステイクホルダーのコミットメントを確保しつづけられること」であり、企業の寿命とはこのような安定性を維持できる期間であるという考え方を示す。つまり企業の寿命とは、一定のパフォーマンスを挙げつづけることでステイクホルダーとの関係を維持し、それによりステイクホルダーのコミットメントを確保しつづけられる期間と考えるわけである。このような考え方は組織論における組織均衡の概念からも解釈することができ、また組織生態学において示されている考え方とも整合的であると思われる。 最後に今後の課題として、まず合併については合併のメカニズムのより詳細な検討や、あるいは合併のタイブや特徴による影響の分析といった点を指摘する。また企業の寿命については、他の企業行動の企業の寿命という視点からの分析や企業の寿命とは何かという点についてさらなる検討、あるいは中小企業における企業の寿命の測定といった点を指摘する。 |