電界効果トランジスタ(Field Effect Transistor:FET)は、増幅・演算・記憶用の素子として、エレクトロニクスで不可欠の役割を果たしている。このFETの記憶機能を高める試みとして、電子伝導層(チャネル)の近傍に、電子を捕獲する機能を持つ量子箱(ドット)構造や結晶欠陥を意図的に導入した素子構造に関する研究が、近年活発化している。本論文では、(n-AlGaAs/GaAs)ヘテロ構造を用いたFET構造を対象として、チャネルの近傍にGaイオンの注入やInAsナノ結晶(量子箱)の成長などにより電子を捕獲する機能を持つトラップ領域を導入した素子構造について、電子の伝導特性と蓄積効果を調べた研究が記されている。本論文は"Transport characteristics and single-electron storageeffects in n-AlGaAs/GaAs heterojunction FETs with embedded quantum trap sites"(量子トラップサイトを有するn-AlGaAs/GaAsヘテロ接合FETにおける伝導特性と単一電子蓄積効果に関する研究)と題して英文で記されており、6章よりなっている。 第1章は「序論」であって、本研究の背景と目的を記している。 第2章では、n-AlGaAs/GaAsヘテロ接合を用いたFETの伝導チャネルに、集束したGaイオンを高濃度かつ線状に注入し、一対のくさび状の高抵抗層を設けることで、長さ5m程の電流経路の実効幅W*を縮めたFET試料を形成し、その電子伝導特性を、試料の寸法、温度、電極に加える電圧などの関数として調べた研究について記している。特に、注入したGaイオンとそれの作る欠陥が空間的に拡がる上に、電子の空乏効果も作用するため、くさび対の名目上の距離Wがlmになると、低温での電流路の実効幅W*は零となり、ソースとドレイン間の電圧Vdを一定以上に設定しない限り伝導の生じないクーロンブロック的な傾向を示すことを見出している。さらに、この非線型伝導特性は、ゲートに加える電圧Vgに強く依存し、特定の電圧領域では振動的に増減することを見出し、それらの伝導特性は、チャネル内に電子を局在させる量子箱的な領域が、集束Gaイオン注入によって形成されるために生じている可能性の高いことを指摘している。 第3章では、n-AlGaAs/GaAsヘテロ接合FETのチャネルにGaイオンを局所的に注入し、伝導路の(名目上の)幅Wと長さLを共に1mに絞り込んだFET素子を対象として、ゲート電圧Vgで制御可能なメモリー効果を見出すとともに、そのメカニズムを明らかにするための研究について記している。まず、このメモリー効果は、散乱Gaイオンの作用でゲートとチャネルの間に導入される局在準位によって、チャネル内の電子が捕縛されるため、FETのしきい値Vthを正方向にシフトさせることで生じることを示している。さらに、チャネル伝導率のヒステレシス幅Vthは、試料温度の増加と共に減るものの室温でも維持されること、シフト量Vthは印加したゲート電圧Vgの最大値を増すにつれて階段的に増大する特性を持ち、局在準位への電子の流入に単電子効果が影響している可能性のあることなどを示している。さらに、この素子のゲート電極とソース電極(およびチャネル)間の容量CgsとコンダクタンスGgsを、電圧Vgや周波数fの関数として調べ、素子内の電子の局所的な流れや損失機構を推定する上で有効な知見を提供している。 第4章では、n-AlGaAs上にGaAsを堆積して形成した逆ヘテロ構造FETにおいて、界面にできる伝導チャネルと表面に設けたゲート電極の間に、InAsからなる自己形成量子箱を挿入した場合に得られる様々なメモリー特性に関する研究が記されている。特に、ゲート電圧の走査方法を工夫すると、空の量子箱に伝導路の電子を一個ずつ注入でき、FETのしきい値Vthを正方向にシフトさせることが可能となるだけでなく、電子で充満した量子箱から電子をゲート方向に流出させることで、逆方向のシフトも起こし得ることを見出している。さらに量子箱への電子の流入・流出プロセスに検討を加えて、量子箱を空のままに保つ条件や、充満したままに保つ条件の存在することを示し、バイアス電圧の加え方に加えて、量子箱の形状や密度の適切な設定により、メモリー動作が様々な形で制御できることを指摘している。 第5章では、3章と4章で論じた2種のメモリー素子について、量子箱などの局在準位とチャネルやゲート電極との間の電子の授受を解明するために行った研究について記している。特に、ゲートとソース間のコンダクタンスGgsや容量Cgsを、様々なバイアス電圧において周波数の関数として計測・解析することにより、チャネルから量子箱などの局在準位への流入過程、チャネル内の電流による損失過程、チャネルとゲートとの間の電子電流などの成分を分離して検出できるため、メモリー素子のトラップおよび保持機構に新知見の得られることを示している。 第6章は結論であり、本研究で得られた量子的なトラップサイトを活用しヘテロFETのメモリー機能に関する主要な知見について纏めている。 以上これを要するに、本論文は、量子箱や点欠陥で捕縛した電子の有無を利用した次世代メモリーの可能性を探るために、n-AlGaAs/GaAsヘテロ接合FETを対象に、チャネルとチャネル近傍の局在準位間の電子の授受の機構とその制御可能性を明かにしたものであって、先端学際工学に寄与するところが少なくない。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |