学位論文要旨



No 114628
著者(漢字) 大岡,静衣
著者(英字)
著者(カナ) オオオカ,セイイ
標題(和) ポリオウイルスの神経軸索を介した神経病原性発現機構の解析
標題(洋)
報告番号 114628
報告番号 甲14628
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第889号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 吉田,光昭
 東京大学 助教授 荒川,義弘
内容要旨

 ポリオウイルス(PV)は経口でヒトのみに感染し、咽頭・腸管上皮→ウイルス血症→脊髄前角の運動神経細胞→四肢の弛緩性麻痺、という伝播経路・病原性発現過程をとる。一方、PVの体内伝播経路のひとつとして、筋肉から神経を経由して脊髄に侵入する経路(Neural Pathway)もヒト・サルにおいて存在することが知られている。PVレセプター(PVR)を導入したPV感受性トランスジェニック(Tg)マウスにおいても、同様の経路の存在が示唆されている。そこでTgマウスを用いてin vivoにおける神経軸索へのPVの侵入・軸索輸送・複製の分子機構を解明するとともにPVRの生体内機能を明らかにすることを目的とした。

PV筋注感染実験系の確立

 TgマウスにPV1型強毒Mahoney株を106PFU/mouseで筋注したところ、48時間後に投与側下肢に麻痺が全例で観察された(Fig.1)。そこで、PV筋注後のウイルス分布時間変化を調べた。TgマウスにMahoney株を106PFU/mouseで筋注し、筋肉と脊髄内に存在するPV力価の時間変化を測定した(Table1)。筋肉内では筋注後48時間後まで105-106PFU程度のPVが検出され続けた。このことは、筋肉内でPVは僅かながら増殖していることを示している。また、脊髄においては、筋注後16時間後から104PFU程度のPVが検出され始め、麻痺を生じる48時間後には107PFU程度検出された。光感受性Mahoney株で同様の感染実験を行ったところ、筋注後16時間後の脊髄から検出されるPVは光感受性を失っていた。このことはこの時点で脊髄内に見出されたPVは投与したPVそのものではなく、複製により新たに産生されたPVであることが示唆された。

Fig.1 坐骨神経切断によるPV筋注後の麻痺発症への影響〇:PV筋注、△:坐骨神経切断後PV筋注、□:PV尾静注Table1. PV筋注後の時間分布変化
坐骨神経経由のPV Neural Pathway

 TgマウスにMahoney株を106PFU/mouseで筋注し48時間後に観察される麻痺は、筋注前に坐骨神経を切断することにより回避された(Fig.1)。また、筋注部位から血中に漏出したPVによる影響を観るために、等価のPVを尾静注したところ、48時間後の麻痺は全く観察されなかった。以上のことから、48時間後に観察される麻痺は血中に漏出したPVによるものではなく、坐骨神経を経由したPV伝播によるものであることが示唆された。また、坐骨神経の断面の凍結切片を作製し、抗PV抗体で免疫染色を行ったところ、ミエリンに取り囲まれた軸索内部に抗原が認められ、PVが軸索内部を逆行性輸送されていることが示唆された(Fig.2)。

Fig.2 坐骨神経断面のウイルス抗原分布A-C:TgマウスにPV筋注後3時間、D-F:Mock、A,D:Transmission、B,E:蛍光、C,F:Merge Bar=50m
Tgマウス軸索内におけるPVの形態およびPV軸索輸送系のPVR依存性

 坐骨神経を結紮したTgマウスに35S標識したMahoney株を筋注後、1.5時間後の坐骨神経内に存在するPVの形態を蔗糖密度勾配遠心法により分画して調べたところ、完全な感染性粒子(160S粒子)として輸送されることが判明した(Fig.3A)。また、抗PVR抗体と共に35S標識したMahoney株を筋注したところ、1.5時間後の坐骨神経内に存在する160S粒子は激減した(Fig.3B)。Tgマウスに、種々の量の抗PVR抗体と共にMahoney株106PFU/mouseを筋注したところ、接種後48時間の麻痺が抗体量に依存して阻止され、2.4g/mouseの抗体量では全例で麻痺が阻止された。これらのことから、PVのシナプスからの取り込みや輸送といった段階でPVRが寄与していることが示唆された。

Fig.3 Tgマウス坐骨神経内のPVの形態と抗PVR抗体の影響
non-Tgマウス軸索内におけるPVの形態およびPV軸索輸送系のPVR非依存性

 シナプスにおいては、非特異的な取り込みが行われることが知られている。そこで、PVもnon-Tgマウスで非特異的に取り込まれるかどうかを検討した。Tgマウスで行ったのと同様に、35S標識したMahoney株を筋注後、1.5時間後の坐骨神経内に存在するPVの形態を蔗糖密度勾配遠心法により分画して調べた(Fig.4A)。PVは、non-Tgマウスの坐骨神経内でも完全な感染性粒子である160Sとして存在していた。また、抗PVR抗体存在下でも、抗体の影響を全く受けなかった(Fig.4B)。以上の結果より、PVはnon-TgマウスでもPVR非依存的に、取り込まれ輸送されていることが示唆された。

Fig.4 non-Tgマウス坐骨神経内のPVの形態と抗PVR抗体の影響
PVの逆行性軸索輸送速度

 ウイルス投与部位から約2cm離れた坐骨神経部位をPVが通過する時間を明らかにするために、接種後経時的に免疫組織染色法により、ウイルス抗原の検出を行った(Table2)。各条件で、Tgマウスとnon-Tgマウスをそれぞれ3匹ずつ使用した。+は抗原が見られたことを、±は抗原がほとんど見られなかったことを、-は抗原が確認できなかったことを表す。Tgマウスにおいて、抗PVR抗体非存在下では、接種後3時間には全例に抗原が確認された。したがって、この逆行性移行速度は16cm/day以上と考えられる。この速度は、Table1の結果にも対応している。PVを抗PVR抗体と共に接種した場合には、接種後3時間で抗原が全く観察されなくなり、このPV輸送系がPVR依存的であることがここでも示された。一方、non-Tgマウスにおいては、抗原は6〜12時間後に観察地点を通過していることから、この逆行性移行速度は4〜8cm/dayであることが明らかになった。Tgマウス、non-Tgマウスで見られた輸送速度は、いずれも小胞などを運ぶことが知られている速い逆行性軸索輸送にあたる速度であり、PVも小胞に内包されて輸送される可能性が考えられる。また、マウスがPVRを持つか否かでPVの逆行性移行速度に差が生じることがわかり、マウスの坐骨神経には少なくとも2種類のPV逆行性輸送系が存在することが示唆された。

Table2. PVの軸索輸送速度
小麦胚芽凝集素(WGA)の逆行性軸索輸送速度

 そこで、軸索輸送のコントロールとして、レクチンの一種であるWGAの逆行性軸索輸送速度を、同様の免疫組織染色法で検討した(Table3)。WGAの場合、Tgマウス、non-Tgマウスに関わらず、筋注後3時間から12時間まで継続的に抗原が全例に認められ、4〜16cm/dayの幅広い輸送速度でWGAが運ばれていると考えられる。このWGAの輸送系には、抗PVR抗体の影響は全く見られなかった。以上の結果で示されるように、マウスの坐骨神経にはいくつかの性質の異なる輸送系が存在していることが示唆された。以降は、PVのTgマウスで見られるPVR依存性軸索輸送系に焦点を絞り、その分子メカニズムを検討した。

Table3. WGAの軸索輸送速度
微小管重合阻害剤の軸索輸送に対する影響

 PVの逆行性輸送に微小管が関わっているかどうかを調べる目的で、微小管重合阻害剤であるvinblastineの影響を観た。Tgマウスの左側の坐骨神経をPBSあるいはvinblastineで処理し、翌日左右いずれかの下腿にMahoney株106PFU/mouseを筋注した。筋注16時間後の脊髄内に存在するウイルス量を調べた(Fig.5B)ところ、vinblastine処理側にPVを筋注した場合には、PBS処理側に筋注した場合に比べPV量が減少した(Fig.5A)。この時点で脊髄内に見られるPVは前述のように複製したPVであるが、vinblastineで処理後、反対側に筋注した場合にはウイルス量がほとんど減少しないことから、vinblastine処理によるPV複製阻害はないと考えられる。以上の結果から、PVの逆行性軸索輸送には微小管が関与していることが示唆された。

Fig.5 VinblastineのPV軸索輸送に対する効果

 yeast two hybrid systemを用いてヒトPVRの細胞質内ドメインに相互作用するものをヒトcDNAライブラリーから検索した(当研究部土田らの結果)。その結果、TCTEL1が相互作用することが明らかとなった。TCTEFL1は、マウス逆行性モーター蛋白質ダイニンのサブユニットの一つであるTctex-1のヒトホモログであり、アミノ酸レベルで98%のホモロジーがあった。したがって、TCTEL1はヒトのダイニンサブフニットとして機能している可能性が高い。

まとめと考察

 以上の結果から考えられる仮説をFig.6に示した。神経末端のシナプスに発現しているPVRにPVが結合し、エンドサイトーシスされる。この小胞の外側にはPVRの細胞質内ドメインが突き出している。ここへTCTEL1を構成要素とする逆行性モーター蛋白質ダイニンが結合し、ダイニンによって小胞が微小管に沿って軸索内を細胞体へと輸送されると考えられる。PVRは自然環境下においても何らかの分子を逆行性輸送するために機能していることが予想される。

Fig.6 PV逆行性軸索輸送の仮説図

 マウス坐骨神経で見られたいくつかの輸送系のメカニズムに関して、考えられる仮説を示した(Fig.7)。non-Tgマウスにおけるウイルスの輸送には、非特異的なレセプター分子が関与していると考えられる。このレセプター分子とウイルス、あるいはダイニンとのアフィニティーが低く、輸送速度が遅い可能性が考えられる。WGAについては、シナプス膜上に多くの種類のレセプターが存在していると考えられ、WGAの輸送速度はシナプスで取り込まれた膜成分を持つエンドソームの動きを反映していると考えられる。4〜16cm/dayのWGAの輸送速度の幅広いレンジは、このように説明できる。

Fig.7 Tg,non-Tgマウスで見られた逆行性輸送系において考えられる仮説図
文献Ohka S,Yang WX,Terada E,Iwasaki K,Nomoto A.1998.Virology.250(1):67-75
審査要旨

 ポリオウイルス(PV)は経口でヒトのみに感染し、咽頭・腸管上皮→ウイルス血症→脊髄前角の運動神経細胞→四肢の弛緩性マヒ(小児マヒ)、という体内伝播経路、病原性発現過程をとる。以上の主な経路の他に、骨格筋から神経を経由して脊髄に侵入する経路(neural pathway)が存在することもヒトやサルにおいて知られている。ヒトPV受容体(PVR)遺伝子を持ち、PV感受性を獲得したトランスジェニック(Tg)マウスにも同様の経路の存在が示唆されていた。本論文では、Tgマウスを用い、サルでは実験が困難な、PVのneural pathwayによる病原性発現の分子機構の研究を行っている。

PVR依存的逆行性軸索内輸送機構の存在の証明

 Tgマウスの下腿背側骨格筋に106PFU(plaque-forming units)のPV1型の強毒Mahoney株を接種すると、16時間後に脊髄にPVの存在が明確に認められ、48時間後に接種した下肢のマヒが全例に観察されることを見出した。このマヒが、PVのneural pathwayによる体内伝播の結果であることを、他の接種ルートによる病原性の程度との比較、および坐骨神経の切断実験などから明らかにした。筋肉内に接種したPVが神経軸索内に存在することも、坐骨神経断面の凍結切片を用いた免疫染色法により証明した。さらに抗PVR単クローン抗体(p286)をPVと共に接種することにより、軸索内へのPVの取り込みおよび接種48時間後のマヒ発症は、抗体量に依存して阻止されることを明らかにし、PVの逆行性軸索輸送機構にはPVRが関与していることを示した。

 PVはPVRに結合すると、粒子構造が変化し、160S粒子(感染性粒子)から135Sおよび80S粒子となることが知られている(脱殻過程)。そこで、神経軸索内からPV関連粒子を回収し、ショ糖密度勾配遠心法により分析したところ、ほとんどの粒子は160S粒子であった。PVR依存的な経路において、なぜPVに構造変化が生じていないかは、現在不明である。

 PVRに依存しない神経軸索へのPVの取り込み機構が存在することを、non-Tgマウスを使って明らかにし、少なくとも2種類のPV逆行性軸索内輸送機構が存在することを明らかにした。PV接種部位から約2cm離れた坐骨神経部位に関し、抗PV抗体を用いた免疫染色を経時的に行い、PVがその部位を通過する時間を測定した。Tgマウスでは約16cm/日、non-Tgマウスでは4-8cm/日と計算され、両者の輸送速度は明らかに異なっていた。コントロール物質として接種した小麦胚芽凝集素(WGA)の逆行性輸送速度は、Tgマウスでもnon-Tgマウスでも4-16cm/日と計算され、差は観察されなかった。以上の結果は、TgマウスにおけるPVの逆行性軸索内輸送は、PVR特異的であることを示すと同時に、速い逆行性輸送系に属することを明らかにした。

PVのPVR依存的逆行性軸索内輸送のメカニズム

 PVの逆行性軸索内輸送に微小管が関与しているか否かを検討するために、微小管重合阻止剤であるvinblastineのPV輸送への影響を調べた。その結果、PVの輸送は、vinblastine処理により、減少することを明らかにした。PVの逆行性軸索内輸送に微小管が関与していることを示唆する結果である。

 速い速度で軸索内を逆行性に輸送されている物質は、通常エンドソームに包まれて運ばれていることを考慮すると、PVもシナプスでPVR依存的なエンドサイトーシスにより神経軸索内に取り込まれていると予想される。このようにして形成された、PVを含むエンドソームが、PVR依存的に輸送されるとすれば、エンドソームの外側に存在する、PVRの細胞質領域がこの輸送に非常に重要に関与していると考えられる。これまでにヒトPVRの細胞質内領域に結合する生体分子としてTCTEL1が明らかにされた(土田ら、未発表)。さらに、この分子のマウスホモログと考えられるTctex-1は、マウス逆行性モーター蛋白質ダイニンのサブユニットの一つであることが最近明らかにされた。したがって、PVR細胞質領域は、逆行性モーター蛋白質ダイニン本体にTCTEL1を介して結合している可能性がある。

 以上の結果から、次のようなメカニズムが考えられる。PVは、神経末端のシナプスに発現しているPVRに結合し、エンドサイトーシスにより構造変化を伴うことなく神経軸索内に取り込まれる。このエンドソームの外側には、PVRの細胞内領域が存在しており、ここへTCTEL1を構成要素とする逆行性モーター蛋白質ダイニンが結合し、ダイニンによってPVを含むエンドソームは微小管に沿って神経軸索内を細胞体へと輸送される。細胞体に到着後、PVは脱殻に始まる複製過程に入り、神経細胞の機能を破壊する。

 本研究は、Tgマウスを用いたPVのneural pathwayの詳細な解析を踏まえ、PVの逆行性軸索内輸送の分子メカニズムの提唱に到るものである。この研究は、PVのみでなく、広く神経向性ウイルスの神経内伝播メカニズムの研究に貢献し、さらに神経特異的なウイルスベクター開発の基盤を与えるものである。また、生体内において、PVRがその本来のリガンドを逆行性に神経軸索内を輸送する分子であることを強く示唆する結果でもある。ウイルスと生体の分子レベルの相互作用に関する質の高い優れた研究であり、博士(薬学)の学位を授与するに十分値する論文である。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54723