近年、arginine脱炭酸代謝物質agmatineが脳に存在することが明らかとなった。中枢神経系におけるagmatineの機能については、神経伝達物質あるいは神経調節物質として働く可能性を追求する研究が中心に進められてきている。しかし、脳虚血後や生後発達に伴いagmatineの生合成が上昇するので神経細胞の生死に関わっていると推察される。本研究では小脳由来の培養神経細胞を用いて生存に対するagmatineの作用を検討した。 新生仔ラットより単離した小脳顆粒細胞にagmatineを適用すると、神経線維、細胞体の脱落、核クロマチンの凝集が観察された。適用24時間後のlactate dehydrogenase(LDH)の細胞外漏出増加はagmatineの濃度依存的であった。この細胞死誘導作用は(1)未成熟な培養細胞では観察されないこと、(2)K+濃度に比例して増大することから、グルタミン酸あるいはNMDAの神経細胞傷害作用との類似性が認められた。次に低K+曝露により誘導されるアポトーシスに対するagmatineの作用を検討した結果、agmatineにより抑制されることを明らかにした。以上の結果から、agmatineは細胞死を誘導する作用と細胞死を抑制する作用をもつこと、つまり神経細胞の生存を両方向性に調節しうることが明らかとなった。 さらにagmatineの作用機序を検討した。agmatineの細胞死誘導作用は競合的NMDA受容体拮抗薬、チャネル遮断薬、グリシン結合部位阻害薬で完全に抑制されたが、non-NMDA受容体拮抗薬では全く抑制されなかった。これよりagmatineの細胞死誘導作用にはNMDA受容体の活性化が必要であることが示唆された。NMDA受容体を活性化する機構として、内在性のグルタミン酸を介する可能性が考えられた。そこで細胞外のグルタミン酸を酵素的に除去したところ、agmatineの細胞死誘導作用は抑制された。また、神経終末からの伝達物質放出を抑制するbotulinum toxin Cによっても細胞死の誘導が抑制された。これらの結果から、agmatineは神経細胞から放出されるグルタミン酸を介して細胞死を誘導することが示唆された。 次いで、培地中のグルタミン酸濃度およびグルタミン酸の取り込み活性を測定した。agmatineを適用すると、約90分後から培地中のグルタミン酸濃度は有意に上昇した。この時LDHの漏出増加が認められなかったことから、グルタミン酸濃度上昇は細胞膜の障害によるものではないと考えた。グルタミン酸取り込み活性は時間経過と共に減少したが、agmatineによりグルタミン酸が遊離・蓄積したことによる二次的な減少と考えられた。これらのagmatineの作用は、主にグリア細胞を含む培養系では認められなかったので、agmatineにより遊離されるグルタミン酸は神経細胞由来であると考えられた。また、グルタミン酸濃度上昇がNMDA受容体阻害薬によって抑制されたことから、agmatineのグルタミン酸遊離作用にNMDA受容体が関与していることが示された。 低濃度のグルタミン酸、NMDAは低K+曝露によるapoptosisを抑制することが知られているので、agmatineの細胞死抑制作用についてもグルタミン酸受容体が関与する可能性を検討した。しかし、agmatineのアポトーシス抑制作用はNMDA受容体遮断薬によって抑制されず、細胞死誘導作用とは異なる機序によることが示唆された。また、代謝型グルタミン酸受容体拮抗薬はいずれも影響しなかった。以上の結果より、agmatineのアポトーシス抑制作用にグルタミン酸受容体は関与しないことが明らかとなった。 agmatineが低K+曝露以外のアポトーシス誘導方法による細胞死に対して抑制作用を持つか否かを検討したところ、コルヒチン及びスタウロスポリンによる細胞死も抑制した。従って、agmatineはこれらアポトーシスカスケードの共通した過程を抑制すると考えられた。カスパーゼ活性に対するagmatineの作用を検討したところagmatineは低K+曝露によるカスパーゼ活性の上昇を完全に抑制した。また、agmatineは活性化したカスパーゼの基質分解反応自体を抑制しなかったので、agmatineはカスパーゼが活性化されるまでの過程を抑制することが示唆された。 以上、本研究において中枢神経細胞の生存に及ぼすagmatineの作用を検討し、agmatineが細胞死を誘導する一方でアポトーシスを抑制することを見出し、細胞死誘導作用はNMDA受容体の活性化を介してグルタミン酸遊離を促進させることを示した。gmatineは単純な化学構造にもかかわらずユニークで多様な作用を発揮することから、脳内における生理的役割だけでなく、薬物開発にも重要な知見を提供することが期待される。従って、博士(薬学)の学位に値すると判断した。 |