学位論文要旨



No 114623
著者(漢字) 阿部,譲
著者(英字)
著者(カナ) アベ,ユズル
標題(和) agmatineによる中枢神経細胞死の誘導と抑制
標題(洋)
報告番号 114623
報告番号 甲14623
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第884号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 岩坪,威
内容要旨

 近年、それまで哺乳類には存在しないとされていたarginine脱炭酸代謝物質agmatineが、ウシ脳に存在することが報告され、次いでラットやヒトにおいても存在することが明らかとなった。中枢神経系におけるagmatineの機能については、神経伝達物質あるいは神経調節物質として働く可能性を追求する研究が中心に進められてきている。しかし一方で、顕著な神経細胞死が生じる脳虚血後の海馬において、また生後の発達に伴い顆粒細胞の脱落が生じる小脳において、agmatine生合成活性が上昇すると報告されていることから、私は神経細胞の生死にagmatineが関わっているのではないかと考えた。そこで、本研究では生後ラット由来小脳顆粒細胞培養系を用いて神経細胞の生存に対するagmatineの作用を検討した。その結果、agmatineが環境条件によって細胞死を誘導または抑制するという両方向性の作用を発揮することを見出した。

1.小脳顆粒細胞の生存に対するagmatineの作用

 小脳顆粒細胞は、in vitroにおいてその生育に比較的高濃度のK+を必要とし、生理的濃度である5mM K+に曝露すると、apoptosis様の細胞死を生じる。そこで、高濃度K+(27mM)である定常培養条件下と、5mM K+曝露下でのagmatineの作用を検討した。

i)agmatineの細胞死誘導作用

 生後8日齢のWistar系ラットより単離した小脳顆粒細胞を27mM K+存在下で7-8日間培養した後、200-400M agmatineを適用すると、神経繊維と細胞体の著しい脱落、および核クロマチンの凝集が観察された。agmatineによる細胞死を、細胞膜障害の指標であるlactate dehydrogenase(LDH)の細胞外漏出を測定することにより、定量的に評価した。agmatine適用24時間後のLDHの細胞外漏出は200Mから観察され、濃度依存的であった(図1A)。また、agmatineによるLDHの細胞外漏出は適用6時間後から観察され、12時間後では、200、400M適用群で共に有意に上昇していた(図1B)。さらにagmatineの細胞死誘導作用はa)未成熟な細胞(培養2日)では観察されないこと、b)K+濃度に比例することが明らかとなった。これらの特徴は、グルタミン酸あるいはNMDAの作用と類似していた。

図1 agmatineの細胞死誘導作用A:濃度依存性mean±S.E.M.,**P<0.01 vs control.Tukey’s test (n=5).B:経時変化*P<0.05,**P<0.01 vs control(n=3).
ii)低K+曝露によるapoptosisに対するagmatineの抑制作用

 高濃度K+下で7-8日間培養した後に、5mM K+培地に曝露すると、apoptosisが生じた。100-200M agmatineを低K+曝露と同時に適用したところ、LDHの細胞外漏出つまり細胞死を有意に抑制した(図2)。また、200M agmatineは、低K+曝露により引き起こされる核クロマチンの凝集を顕著に抑制した。400M agmatineの適用では、apoptosisの抑制は認められず、むしろ細胞死が誘導された。以上の結果から、agmatineは細胞死を誘導する作用と細胞死を抑制する作用とを持つ、つまり神経細胞の生存を両方向性に調節しうることが明らかとなった。

図2 agmatineのapoptosis抑制作用A:濃度依存性と細胞死誘導(400 M agmatine)のMK-801による抑制mean±S.E.M.,**P<0.01 vs none,##P<0.01 vs agmatine 0 + MK-801,SSP<0.01,Tukey’s test(n=5-6).B:経時変化**P<0.01 vs 5mM K+(n=4-6).
2.agmatineの作用機序の解析2-1.agmatineの細胞死誘導作用の機序

 agmatineの細胞死誘導作用にグルタミン酸が関与する可能性を検討した。

i)グルタミン酸受容体の関与

 agmatineの細胞死誘導作用は、競合的NMDA受容体拮抗薬であるDL-APV(100M)、open channel拮抗薬であるMK-801(1M)、glycine site拮抗薬である7-chlorokynurenic acid(7-CK:100M)によって完全に抑制された(図3)が、non-NMDA受容体拮抗薬であるNBQX(10M)では全く抑制されなかった。これよりagmatineの細胞死誘導作用にはNMDA受容体の活性化が必要であることが明らかとなった。

図3 agmatineの細胞死誘導作用の各種NMDA受容体拮抗薬による抑制mean±S.E.M.,**P<0.01 vs agmatine only,Tukey’s test(n=5-6)
ii)内在性グルタミン酸の関与

 図1Bに見られるようにagmatine適用からLDH漏出まで数時間の遅れが認められることから、agmatineによる細胞死の誘導は、内在性のグルタミン酸を介する可能性が考えられた。そこでまず、20U/mlグルタミン酸ピルビン酸トランスアミラーゼと10mMピルビン酸を共添加し細胞外のグルタミン酸を酵素的に除去したところ、agmatineの細胞死誘導作用は抑制された。また、神経終末からの伝達物質放出(exocytosis)を抑制するbotulinum toxin C(5-15pM)により、agmatineによる細胞死の誘導が抑制された。これらの結果より、agmatineはexocytosisにより放出されるグルタミン酸を介して細胞死を誘導することが示唆された。

iii)agmatineのグルタミン酸遊離に対する作用

 これまでの解析から、agmatineが内在性グルタミン酸を遊離・蓄積する可能性が考えられたので、培地中のグルタミン酸濃度を、酵素的測定法を用いて定量した。また、グルタミン酸再取り込み阻害により培地中グルタミン酸濃度が上昇する可能性も考えられたので、3H-グルタミン酸の取り込み活性を同時に測定した。400M agmatineを適用すると、約90分後から培地中のグルタミン酸濃度は有意に上昇した(図4A)。この時LDHの漏出が認められなかった(図4C)ことから、このグルタミン酸濃度上昇は細胞膜の障害によるものではないと考えた。グルタミン酸取り込み活性は時間経過と共に減少したが、agmatine適用30分での取り込み活性にcontrol群と差が認められなかった(図4B)ことから、この減少は蓄積したグルタミン酸が3H-グルタミン酸と拮抗することによる二次的な減少と考えられた。これらのagmatineの作用は、主にグリア細胞を含む培養系では認められなかったので、agmatineにより遊離されるグルタミン酸はダリア細胞でなく神経細胞由来であると考えられた。また、agmatineによるグルタミン酸濃度上昇は、15pM botulinum toxin Cにより抑制されたことから、グルタミン酸はexocytosisにより遊離されていることが示された。更に、グルタミン酸濃度上昇と取り込み活性の減少が、1M MK-801によっても抑制されたことから、agmatineのグルタミン酸遊離作用にNMDA受容体が関与していることが示された。

図4 agmatineのグルタミン酸遊離作用A:培地中のグルタミン酸濃度。B:グルタミン酸取り込み活性。C:培地中のLDH濃度。mean±S.E.M.,**P<0.01 vs control.Student’s 1-test(n=3).
2-2.agmatineの細胞死抑制作用の機序i)グルタミン酸受容体拮抗薬の影響

 低濃度のグルタミン酸、NMDAは低K+曝露によるapoptosisを抑制することが知られているので、agmatineの細胞死抑制作用についてもグルタミン酸が関与する可能性を検討した。図2Aに示すように100-200M agmatineのapoptosis抑制作用は1M MK-801によって抑制されなかった。400M agmatineによるapoptosis抑制作用は、1M MK-801を併用して細胞死誘導作用を遮断した条件でも観察された。このことよりagmatineの細胞死誘導作用とapoptosis抑制作用が異なることが示唆された。また、他のグルタミン酸受容体の関与を代謝型グルタミン酸受容体group I,IIの拮抗薬であるMCPG(1mM)、groupII,IIIの拮抗薬であるMPPG(0.5mM)、AMPA/kainate型受容体拮抗薬であるCNQX(30M)を用いて検討したが、agmatineのapoptosis抑制作用はいずれによっても阻害されなかった。以上より、agmatineのapoptosis抑制作用にグルタミン酸受容体は関与しないことが明らかとなった。

ii)agmatineによるcaspase活性化の抑制

 agmatineが、低K+曝露と異なるapoptosis誘導方法による細胞死に対して抑制作用を持つか検討したところ、0.1-0.3M colchicine、0.1-0.3M staurosporine等のapoptosis誘導剤による細胞死を抑制した。agmatineが、複数の誘導刺激よるapoptosisを抑制したことから、agmatineはこれらapoptosisカスケードの共通した過程を抑制するとこにより、抗apoptosis作用を発揮すると考えた。低K+曝露、staurosporine適用によるapoptosisにcaspaseの活性化が重要であることが知られているので、agmatineの作用点を解析する手がかりとして、caspase活性化に対するagmatineの影響を検討した。caspaseの活性はcaspsase-3、1、7に特異的な蛍光基質ペプチドの分断活性を測定した。図5に示すように、低K+曝露によりcaspaseの顕著な活性上昇が観察されたが、400M agmatineの共添加により、この上昇はほぼ完全に抑制された。また、agmatineによるcaspase活性化の阻害は、活性化したcaspaseの基質分解反応自体には影響がなかったことから、agmatineはcaspaseが活性化されるまでの過程を抑制することが示唆された。staurosporine、colchicineによるcaspaseの活性化もagmatineにより抑制された。

図5 低K+曝露によるcaspase活性化に対するagmatineの抑制mean±S.E.M.,**P<0.01 vs 5 mM K+,Tukey’s test(n=4).
まとめ

 本研究において私は、培養小脳顆粒細胞を用いて神経細胞死に対するagmatineの作用について検討し、以下のことを明らかにした。

 1.agmatineは、高濃度K+存在下では細胞死を誘導する一方、5mM K+曝露およびapoptosis誘発剤により生じる細胞死を抑制した。

 2.agmatineはNMDA受容体の活性化を介して、exocytosisによるグルタミン酸遊離を促進させ、細胞死を誘導すると考えられた。

 3.agmatineはグルタミン酸受容体を介さず、caspaseの活性化を抑制することにより、抗apoptosis作用を発揮すると考えられた。

 これまでに中枢神経細胞死を誘導または抑制する物質は多数報告されているが、agmatineのように神経細胞死を独立した機序で両方向性に調節する物質は知られていなかった。agmatineが単純な化学構造にもかかわらず極めてユニークで多様な作用を発揮する点は、大変興味深い。また、今回見いだした作用は、in vivoでのagmatineの生理的役割を研究する上で重要な視点となるものであろう。今後は生体内におけるagmatineの役割について検討していきたい。

審査要旨

 近年、arginine脱炭酸代謝物質agmatineが脳に存在することが明らかとなった。中枢神経系におけるagmatineの機能については、神経伝達物質あるいは神経調節物質として働く可能性を追求する研究が中心に進められてきている。しかし、脳虚血後や生後発達に伴いagmatineの生合成が上昇するので神経細胞の生死に関わっていると推察される。本研究では小脳由来の培養神経細胞を用いて生存に対するagmatineの作用を検討した。

 新生仔ラットより単離した小脳顆粒細胞にagmatineを適用すると、神経線維、細胞体の脱落、核クロマチンの凝集が観察された。適用24時間後のlactate dehydrogenase(LDH)の細胞外漏出増加はagmatineの濃度依存的であった。この細胞死誘導作用は(1)未成熟な培養細胞では観察されないこと、(2)K+濃度に比例して増大することから、グルタミン酸あるいはNMDAの神経細胞傷害作用との類似性が認められた。次に低K+曝露により誘導されるアポトーシスに対するagmatineの作用を検討した結果、agmatineにより抑制されることを明らかにした。以上の結果から、agmatineは細胞死を誘導する作用と細胞死を抑制する作用をもつこと、つまり神経細胞の生存を両方向性に調節しうることが明らかとなった。

 さらにagmatineの作用機序を検討した。agmatineの細胞死誘導作用は競合的NMDA受容体拮抗薬、チャネル遮断薬、グリシン結合部位阻害薬で完全に抑制されたが、non-NMDA受容体拮抗薬では全く抑制されなかった。これよりagmatineの細胞死誘導作用にはNMDA受容体の活性化が必要であることが示唆された。NMDA受容体を活性化する機構として、内在性のグルタミン酸を介する可能性が考えられた。そこで細胞外のグルタミン酸を酵素的に除去したところ、agmatineの細胞死誘導作用は抑制された。また、神経終末からの伝達物質放出を抑制するbotulinum toxin Cによっても細胞死の誘導が抑制された。これらの結果から、agmatineは神経細胞から放出されるグルタミン酸を介して細胞死を誘導することが示唆された。

 次いで、培地中のグルタミン酸濃度およびグルタミン酸の取り込み活性を測定した。agmatineを適用すると、約90分後から培地中のグルタミン酸濃度は有意に上昇した。この時LDHの漏出増加が認められなかったことから、グルタミン酸濃度上昇は細胞膜の障害によるものではないと考えた。グルタミン酸取り込み活性は時間経過と共に減少したが、agmatineによりグルタミン酸が遊離・蓄積したことによる二次的な減少と考えられた。これらのagmatineの作用は、主にグリア細胞を含む培養系では認められなかったので、agmatineにより遊離されるグルタミン酸は神経細胞由来であると考えられた。また、グルタミン酸濃度上昇がNMDA受容体阻害薬によって抑制されたことから、agmatineのグルタミン酸遊離作用にNMDA受容体が関与していることが示された。

 低濃度のグルタミン酸、NMDAは低K+曝露によるapoptosisを抑制することが知られているので、agmatineの細胞死抑制作用についてもグルタミン酸受容体が関与する可能性を検討した。しかし、agmatineのアポトーシス抑制作用はNMDA受容体遮断薬によって抑制されず、細胞死誘導作用とは異なる機序によることが示唆された。また、代謝型グルタミン酸受容体拮抗薬はいずれも影響しなかった。以上の結果より、agmatineのアポトーシス抑制作用にグルタミン酸受容体は関与しないことが明らかとなった。

 agmatineが低K+曝露以外のアポトーシス誘導方法による細胞死に対して抑制作用を持つか否かを検討したところ、コルヒチン及びスタウロスポリンによる細胞死も抑制した。従って、agmatineはこれらアポトーシスカスケードの共通した過程を抑制すると考えられた。カスパーゼ活性に対するagmatineの作用を検討したところagmatineは低K+曝露によるカスパーゼ活性の上昇を完全に抑制した。また、agmatineは活性化したカスパーゼの基質分解反応自体を抑制しなかったので、agmatineはカスパーゼが活性化されるまでの過程を抑制することが示唆された。

 以上、本研究において中枢神経細胞の生存に及ぼすagmatineの作用を検討し、agmatineが細胞死を誘導する一方でアポトーシスを抑制することを見出し、細胞死誘導作用はNMDA受容体の活性化を介してグルタミン酸遊離を促進させることを示した。gmatineは単純な化学構造にもかかわらずユニークで多様な作用を発揮することから、脳内における生理的役割だけでなく、薬物開発にも重要な知見を提供することが期待される。従って、博士(薬学)の学位に値すると判断した。

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