学位論文要旨



No 114127
著者(漢字) 伊藤,竜一
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,リュウイチ
標題(和) 原始紅藻シアニディオシゾンを用いたミトコンドリアと葉緑体の個別的分裂制御機構の分子細胞生物学的研究
標題(洋)
報告番号 114127
報告番号 甲14127
学位授与日 1999.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3616号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒岩,常祥
 東京大学 助教授 西田,生郎
 東京大学 助教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 助教授 河野,重行
 東京大学 助教授 箸本,春樹
内容要旨

 ミトコンドリアと葉緑体は独自のゲノムを持つオルガネラであり、その起源はそれぞれ紅色細菌、藍藻様の原核生物に遡る(図1)。両オルガネラは新規合成はされず、分裂によって増殖する。従って真核細胞の核は両オルガネラの増殖を調節し、確実に娘細胞に分配する必要がある。オルガネラ分裂・分配の制御機構を明らかにする上で、単細胞の原始紅藻Cyanidioschyzon merolaeは有用である。C.merolaeは核、ミトコンドリア、葉緑体を各1個しか持たず、またミトコンドリア・葉緑体の分裂装置が両方発見された唯一の生物である(黒岩ら1993)。私は修士課程において、C.merolaeを用いた阻害剤実験によって両オルガネラの分裂制御機構を解析した。その結果、核DNA合成の阻害剤アフィディコリンによって葉緑体分裂は阻害されないがミトコンドリア分裂は阻害されること、原核型DNAトポイソメレース「の阻害剤ナリジキシン酸によって葉緑体核分裂は阻害されるがミトコンドリア核分裂は阻害されないことを見い出した(伊藤ら1996.97a.b)。以上の実験から「祖先(藍藻)の性質を色濃く残し、核の制御からは比較的自由な葉緑体」と「核に付き従うミトコンドリア」という、分裂における両オルガネラの性質が浮かび上がってきた。この性質の違いは何に由来するのか。本研究では、太田ら(1998)が全塩基配列を決定した両オルガネラゲノムの遺伝子構成をヒントに、葉緑体は保持しているがミトコンドリアでは失われた分裂関連遺伝子の解析によって、この問題へのアプローチを試みた。

葉緑体ftsHと核コードftsHの比較解析

 ftsHは、分裂が阻害されて細胞が繊維状に伸長する大腸菌のts変異株の1つから単離された遺伝子である。その産物はAAAファミリーに属するメタロプロテアーゼであることが明らかにされている。ftsHは調べられた限り全ての細菌(藍藻を含む)に存在し、細胞分裂に普遍的に重要な遺伝子と考えられる。C.merolaeでは葉緑体ゲノムにftsHがコードされるが、ミトコンドリアにはない。そこで、核に移行したと考えられる第2のftsHの単離を行った。C.merolaeの核DNAを鋳型としたPCRによってftsHと相同性のある748bpの断片を増幅し、この断片をプローブとしてゲノムライブラリーをスクリーニングした結果、染色体の同一部分を含むと考えられる4つの候補を得た。これらの候補についてサブクローンの配列決定を進め、ORFを確定した。葉緑体FtsH(FtsHcp)は推定分子量66kD、603aaからなり、N末端の2つの膜貫通領域(TM1,2)、ATPを結合するWalkerモチーフ、亜鉛結合部位等の一次構造は全長に渡って細菌型との高い相同性が見られる。一方、核コードFtsH(FtsH2)は推定分子量100kD、920aaからなり、酵母で3種存在するミトコンドリア局在型FtsHホモログの一つRcalpと最も高い相同性を示した(図2)。しかし、N末端の300aa領域は従来報告されたどのFtsHとも相同性の低い固有の配列であった。N末端25aaに螺旋構造をとらせると、疎水性残基が螺旋の片側に、正電荷を持つ残基が反対側に偏る、ミトコンドリア移行シグナルに特徴的な構造が見られた。相同性とN末端の構造という2点から、FtsH2はミトコンドリア局在であることが示唆された。2つの膜貫通領域のうち、よりN末端側のものは細菌型と相同性のない独自なもの(TM1’)であった.大腸菌では、膜貫通領域がプロテアーゼ活性を調節しているという報告があり、このTM1.1’が両オルガネラFtsHに固有な性質と結びついているかどうかに興味が持たれる。TM2、Walkerモチーフ、亜鉛結合部位等の一次構造は細菌型と相同であった.全DNAに対して弱い条件てササンを行った結果、C.merolaeのゲノム中にはただ1つの核コードftsHが存在すると推定された(図3)。更にバルスフィールド電気泳動(PFGE)サザンにより、ftsH2はC.merolaeの17の染色体のうち470kbの3番染色体にあることが示された(図4)。ftsHcpをプローブとした場合、ウェル部にバンドが見られ、核ゲノムにはftsHcpと相同な遺伝子がないことが確かめられた。ftsH2の発現様式を調べる為、明暗同調培養中、間期に相当する明期0.6h、オルガネラの分裂が進行し始める暗期0.1.2.3h、そして殆どの細胞が分裂中となる暗期4hでそれぞれ全RNAを回収し、ノザンにかけた結果、分裂周期を通して3.0kbの転写産物の蓄積が見られ、分裂期に若干の減少が見られた(図5)。また、間期から分裂初期にかけて4.0kbの転写産物の蓄積が見られ、分裂期には著しい減少が見られた。2種の転写産物が検出される理由は今のところ明らかでないが、ftsH2は分裂周期依存的な発現調節が行われている可能性がある。両FtsH蛋白の発現や局在性を調べる為、抗体作製を行った。FtsHcpのC末端100aaの領域(cp-C)に6xHisのタグをつけた融合蛋白を大腸菌で過剰発現し、Ni-NTAカラムで精製してマウスに免疫した。その結果、抗原自身及びC.merolaeの66kDの蛋白を特異的に認識する抗体が得られた(図6).この分子量はFtsHcpの推定値と一致し、また膜貫通領域を削除したFtsH2融合蛋白とは交差しないことから、FtsHcp特異抗体が得られたと考えられる。明暗同調をかけたC.merolaeの各時期の全蛋白に対するウェスタンを行ったところ、全ての時期でバンドが見られ、時期特異性は見られなかった。免疫電顕を行ったところ、確かに葉緑体上に金コロイドが観察され、抗体の特異性が確認された(図7)。金コロイドの分布は葉緑体上でほぼ一様であり、分裂面等への局所性は見られなかった。FtsHcpとFtsH2のオルガネラ分裂における機能を探る為には、細胞内での過剰発現が有効と思われるが、C.merolaeでは今のところ形質転換が行えない為、大腸菌での過剰発現による細胞分裂の変化をモニターすることを試みた。両ftsHの全長(f1)、膜貫通領域を削除したもの(dTM)、膜貫通領域を大腸菌のものと置換したもの(EcTM)の3種、計6種のコンストラクトをpQEベクターにつなぎ、JM109又はXL-1Blueに導入し、過剰発現が及ぼすドミナントな効果を観察した。形質転換体が得られたのはftsHcp-dTM,ftsH2-fl/JM、ftsH2-dTM,EcTM/XLの4種であったが、いずれの株でも発現誘導直後から顕著な生育抑制と細胞の伸長が見られた(図8,9)。オルガネラftsHの過剰発現により細胞分裂が阻害されたことは、両ftsHのオルガネラ分裂における調節的な役割を示唆するものと言える。

ftsH2近傍に存在する新規ftsZ

 ftsH2クローンの配列決定の過程で、このクローンがftsZと相同な断片をも含むことを発見した。ftsZは細菌の細胞分裂リングを構成するGTPアーゼをコードしており、ftsH同様、細菌に普遍的な遺伝子である。近年FtsZは葉緑体にも存在し、その遺伝子は核コードであること、ftsZの遺伝子破壊により葉緑体分裂が阻害されることが示され、葉緑体分裂におけるFtsZの機能が注目されている。そこで、このftsZホモログの全長塩基配列を決定した。このFtsZの一次構造は、高原(1998)が報告したC.merolaeの2つのFtsZの内、藍藻型のFtsZ2と極めて高い相同性を示した(図10)。両者は共に503aaであり、終止コドンの位置も同一であった。しかし、局在シグナルを含むと推定されるN末端80aaの領域は相同性が低く、PFGEサザンにより、このftsZはftsH2と同じ3番染色体にあること(ftsZ2は16番)が確認されたことから(図11)、このftsZを新たにftsZ3と名付けた ftsZ3がftsH2の近傍にあることは、ゲノミックサザンのパターンの同一性からも裏付けられた(図12)。異なるオルガネラ由来の分裂遺伝子が染色体中に近接して存在することには何らかの進化的(外部DNAの挿入を受け易い部位へのオルガネラ遺伝子の一斉移行等)または機能的(クラスター形成による協調的発現等)意義があるのではないかと考え、ftsH2の両隣を検索したが、fts等の細菌由来遺伝子は見い出せなかった。しかしftsZ3の発見は、シロイヌナズナで葉緑体内に輸送されるFtsZと、葉緑体分裂に関与しながら葉緑体内に入らないFtsZの2タイプが存在することを考慮すると興味深い。FtsZ2,3のN末端の違いは局在の違いを反映している可能性もある。N末端を除く配列の高度な保存性は、葉緑体由来のftsZが核移行後重複し、各々独立の局在シグナルを付与された進化過程を顕しているように見える。外膜の外、膜間、内膜の内の3層からなる葉緑体分裂リングの構築とFtsZ2,3の局在との関連を明らかにすることで葉緑体分裂の機構と進化に迫れると考えている。

ミトコンドリアの分裂・分配に関与するMDM/MMM遺伝子の探索

 オルガネラ分裂の分子機構を探る戦略として、上述のような細菌の分裂遺伝子の真核生物ホモログの単離・解析の他に、オルガネラ分裂変異体の解析と原因遺伝子の単離という手法も考え得る。酵母ではミトコンドリアの分裂・分配が異常なmdm/mmm株が取られ、その原因遺伝子が単離されてきた。そこで、ミトコンドリアの形態と増殖様式が極めて単純なC.merolaeにおいてこれらの分子装置が働いているかを調べる為、配列が公表されたMDM1.2.10.12.20.MMM1のホモログを核DNAに対するディジェネレートPCR又はサザン法により探索した。その結果、PCRによりMDM2(OLE1:9脂肪酸不飽和化酵素遺伝子)と相同性のある645bpの断片を増幅できた。9不飽和化酵素は、ミトコンドリア膜の流動性を調節してその形態変化に作用すると推測される。この断片をプローブにゲノムライブラリーをスクリーニングし、得られた候補について4.7kbの配列を決定した結果、プローブと同じ配列を含む、55kD、476aaの蛋白をコードするORFが見つかった。この遺伝子(FAD9)のアミノ酸配列と動物・菌類型9アシルCoA不飽和化酵素、藍藻の9アシル脂質不飽和化酵素を比較すると、両端を除けばFad9は他と全体的に保存されており、活性中心である鉄原子のリガンドとなるヒスチジンモチーフも完全に保存されていた(図13)。Fad9の大きな特徴は、C末端でシトクロムb5様領域と融合したキメラ酵素になっていることである(図14)。一般にシトクロムb5はERに独立して存在し、不飽和化酵素の鉄原子に電子を供給する。キメラ構造の9不飽和化酵素は酵母に固有と考えられてきたが、今回植物で初めて発見されたことになる。ゲノミック及びPFGEサザンによりFAD9はゲノム中に1コピー存在し、830kbの11番染色体の遺伝子であることが判った(図15)。またノザンの結果、分裂周期を通して1.6kbの転写産物の蓄積が観察され、時期特異性は見られなかった(図16)。

まとめ

 ftsH2とその近傍のftsZ3、そしてFAD9を新たに単離した(図17)。葉緑体分裂の制御は、核遺伝子(ftsZ3.ftsZ2等)と葉緑体自身の遺伝子(ftsHcp等)との協調によってなされるのに対し、ミトコンドリア分裂の制御は核遺伝子(ftsH2.FAD9.ftsZ1等)に強く依存しており、ミトコンドリア自身の遺伝子の関与は少ないと推測される。

図1.オルガネラの成立とその分裂機構。ミトコンドリア、色葉体(葉緑体)の祖先である紅色細菌、藍藻様の原核生物は、分裂溝の内側にFtsZ蛋白質を主体とする環状の分裂装置(黒いリング)を形成して分裂する。一方、真核生物では、オルガネラの内外両面に分裂装置(黒と赤の二重リング)が形成される。オルガネラは独自のゲノムを保持していることから、その分裂機構は"内からの"(オルガネラ自身のゲノムによる)制御と"外からの"(核ゲノムによる)制御の両面から理解されるべきである。図2.FtsH2の一次構造。(左)FtsH2(上段)と出芽酵母のミトコンドリア局在型核コードFtsHホモログの一つRca1p(下段;TzagoloM et al.1994)のアミノ酸記列のアラインメント。両者共通のアミノ酸を反転で示してある。両者は27.7%の相同性を示す。(右上)FtsH2のN末端25アミノ酸のhebcal wheel。疎水性アミノ酸をグレーのボックスで、正の電荷を持つアミノ酸を(+)で示してある。(右下)FtsHcp(上段)とFtsH2(下段)の一次構造を比較した模式図。図3.C.merolae全DNAに対するftsHcp及びftsH2のゲノミックサザン。1はDra I,2はBst Pl,3はBgl IIで切断したDNAを使用。両者はクロスハイブリダイズしないことがわかる。図4.PFGEにより分離したC.merolae染色体DNAに対するftsH2及びftsHcpのサザン。1はエチジウムブロマイド染色像(左のローマ数字は染色体番号を矢印はウェルの位置を示す)、2はftsH2を、3はftsHcpをプローブとしたサザンのオートラジオグラム。図5.明暗同調下の各時期のC.merolae全RNAに対するftsH2のノザン。レーン左から明期0h,6h暗期0h,1h,2h,3h,4h。図6.抗FtsHcp抗体を用いたウェスタン。上段はCBB染色像,下段は免疫染色像。左のレーンから、明暗同調下、明期0h,4h,8h,暗期0h(=明期12h),4h,8h,12hにおけるC.merolae全蛋白質、抗原とした融合蛋白質Hcp(11kD)の強制発現前(a)及び4h後(b)の大腸菌全蛋白質、Hts Trapにより精製したHcp(c).膜貫通領域を削除したFtsH2融合蛋白質(FtsH2-dTM;62kD)を強制発現させた大腸菌の蛋白質(d)図7.抗FtsHcp抗体を用いたC.merolaeの免疫電子顕微鏡像。c:葉緑体、m:ミトコンドリア。スケールバーは500nm。図8.大腸菌の増殖曲線。横軸はIPTGによる発現誘導からの時間(h)、縦軸は培養液の600nmでの吸光度。赤色は無添加対照、緑色はIPTGを添加したもの。図9.pOE30-ftsH2-IIを導入した大腸菌JM109株のDAPI蛍光/位相差類微鏡像。上段は無添加対照、下段はIPTGによる発現誘導をかけたもので、共に無添加時刻から5h経過したもの。スケールバーは5m。図10.C.merolaeのFtsZ3(上段)とFtsZ2(下段:高原199〓のアミノ酸配列のアラインメント。両者はアミノ酸レベル〓78.3%の相同性を示す。下線は、FtsZ及びチューブリンで保〓されたGTP結合モチーフ["tubulin signature motil": (S/A/〓GGTG(S/A)G]の領域を示す。図11.PFGEにより分離したC.merolae染色体DNAに対するftsZ3のサザン。1はエチジウムブロマイド染色像、2は比較としてftsH2を、3はftsZ3をプローブとしたサザンのオートラジオグラム図12.C.merolae全DNAに対するftsZ3のゲノミックサザン。比較としてftsH2をプローブとした結果も右に並べた。1はDra l.2はBst Pl.3はBgl IIで切断したDNAを使用。図13.FAD9とその上・下濃域の塩基配列。コード領域の下段にアミノ酸配列を示す。塩基配列に付した下線はディジェネレートPCR法により増幅した領域を、アミノ酸配列に付した3ヶ所の下線は不飽和化酵素で高度に保存されるヒスチジンボックス(N末端側からHRXXXH,HRXHH,HNXHH)を、C末端の破線はシトクロムb5様領域を示す。図14.Fad9C末端のシトクロムb5様領域(Cm:図13の破線部)と、出芽酵母Mdm2p/Ole1pの対応する領域(Sc).及び各種のシトクロムb5蛋白質の全長のアミノ酸配列の比較。Hs.b5はヒト、Os.b5はイネ。Sc.b5は出芽酵母のシトクロムb5全長。3ヶ所の下線は、シトクロムb5に共通なヘム結合ポケットに対応するアミノ酸[N末端側から(D/E)HPGG(Cmでは(D/E)がQになっている),DAT,H(S/T)]を示す。図15.(左)C.merolae核DNAに対するFAD9のゲノミックサザン。1はEco Rl.2はXno l.3はPst lで切断したDNAを使用。(中央・右)PFGE分離した染色体DNAに対するサザン。1,2は染色体全体を分離する標準条件で、3,4は標準条件ではスタックする第9番から第13番までの染色体を良く分離する条件で泳動したもの。1,3はエチジウムブロマイド染色像、2,4はサザンのオートラジオグラム。図16.明暗同調下の各時期のC.merolea全RNAに対するFAD9のノザン。レーン左から明期0h,6h,暗期0h,0.5h,1h,2h,3h,4h。図17.まとめ。線、ミトコンドリア、葉緑体の3ゲノムによるオルガネラ分裂制御。Chr.染色体(chromosome)、UFA;不飽和脂肪酸(unsaturated fatty acid)。
審査要旨

 本論文は3章からなり、第1章では原始紅藻Cyanidioschyzon merolaeのftsH遺伝子群の単離とその解析について、第2章ではC.merolaeのftsZ遺伝子の単離とその解析について、第3章ではC.merolaeのデルタ-9-アシルCoA不飽和化酵素の遺伝子(FAD9)の単離とその解析について述べられている。

 葉緑体とミトコンドリア(両者を併せて「オルガネラ」と呼ぶ)は、真核細胞における「エネルギー変換工場」であり、我々人間を含むほぼ全ての真核生物の生命の営みに欠くことの出来ない存在である。オルガネラの進化的起源はバクテリアにあるとされ、実際、オルガネラはバクテリアと同様に分裂によってのみ増殖でき、それを絶やすことは細胞の死を意味する。従って、オルガネラの分裂とその娘細胞への分配は、有糸分裂・細胞質分裂に匹敵する重要な生命現象である。それにもかかわらず、オルガネラ分裂・分配の分子機構は殆ど明らかでない。論文提出者は、オルガネラを一つずつしか持たないという、極めて単純な細胞内構築を持つ単細胞真核生物C.merolaeをオルガネラ分裂・分配の研究のモデル生物と位置づけ、この未開拓の研究分野に突破口を切り開くべく、研究を行った。

 第1章では、原核生物における普遍的な細胞分裂遺伝子ftsHのホモログをC.merolaeの核ゲノムから単離し、葉緑体ゲノムにコードされるftsH遺伝子との比較解析を行った。その結果、核コードのftsH遺伝子(ftsH2)は、(1)第3番染色体上に存在し、(2)ミトコンドリア内で機能する蛋白質をコードしていると推定され、(3)その3.0kb及び4.0kbの2種の転写産物が共に分裂周期依存的な発現調節を受けていることを明らかにした。一方、(4)葉緑体コードのftsH遺伝子が、実際に転写・翻訳されていることを初めて証明し、その遺伝子産物の特異抗体の作製によって、(5)その発現レベルは分裂周期に非依存的であり、(6)免疫電子顕微鏡法によって、FtsH蛋白質の局在は葉緑体内で一様であって、オルガネラ内の局所性がないことを示した。更に(7)大腸菌内での両FtsH蛋白質の過剰発現によって、大腸菌の細胞質分裂が阻害されることを示し、オルガネラのFtsH蛋白質が実際にオルガネラ分裂という現象に深く関与している可能性を示唆した。

 第2章では、原核生物の細胞質分裂装置の最も重要かつ普遍的な構成要素であるFtsZ蛋白質の遺伝子のC.merolaeにおけるホモログを単離・解析している。その結果、(1)今回単離されたftsZ遺伝子(ftsZ3)は、葉緑体の起源であるシアノバクテリアのftsZ遺伝子と最も近縁であり、また、そのアミノ末端に葉緑体移行シグナルと思われる配列を付加していることから、葉緑体の分裂に関与しているFtsZ蛋白質をコードしていると推定された。また、(2)FtsZ3蛋白質のアミノ酸配列は、先に同定されたC.merolaeのFtsZ2蛋白質のアミノ酸配列と極めて類似しており、両者がシアノバクテリア由来の同一のftsZ遺伝子の重複によって生じたことが示唆された。更に、(3)ftsZ3遺伝子は、C.merolaeの核ゲノム上で、ftsH2遺伝子と同じ第3番染色体上に存在し、両者が同一染色体上の少なくとも7.5kb以内という近傍に位置していることを明らかにした。

 出芽酵母Saccharomyces cerevisiaeにおいては、ミトコンドリアの分裂・分配に異常をきたすMDMおよびMMM変異株が単離され、その原因遺伝子が単離されてきている。そこで、ミトコンドリアの分裂・分配様式が酵母に比べてはるかに単純なC.merolaeでこれらの遺伝子の解析を行うため、MDMおよびMMM遺伝子群のホモログの単離を網羅的に行った。その結果、(1)デルタ-9-アシルCoA不飽和化酵素をコードする遺伝子であるMDM2(OLE1)のホモログ(FAD9)を藻類としては初めて単離した。FAD9は、(2)第11番染色体上に存在し、(3)1.6kbの転写産物が分裂周期を通して発現していることを明らかにした。また、(4)Fad9蛋白質が、そのカルボキシル末端にシトクロムb5(不飽和化酵素への電子供与蛋白質)様ドメインを融合したキメラ蛋白質であることを見いだした。このような構造のデルタ-9-不飽和化酵素は植物としては最初の報告となった。

 論文提出者は、オルガネラの分裂・分配という従来着目されてこなかったテーマの重要性をいち早く見抜き、その研究に着手した。この問題を解明するためにC.merolaeという、これまでは使われてこなかったが研究を遂行する上で有利な生物を用いて、分子生物学的手法から超微細形態観察にいたる広範囲な技術を駆使してオルガネラ分裂の機構を解析した。FtsZの葉緑体分裂における機能は、近年ようやく注目され始めてはいるものの、FtsHや脂肪酸不飽和化酵素にまで照準を広げて行われた研究は他に類を見ず、論文提出者の独創性と柔軟性、そして研究者としての幅広い視野が見て取れる。本論文第3章は、戸田恭子・高橋秀典・高野博嘉・黒岩常祥との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク