1.論文全体の構成 本学位論文は、リスクの市場価格についての理論と実証の乖離に関する「エクイティ・プレミアム・パズル」を解決する新しい道筋を提示した前半部(第1章-第3章)と、株式市場のインサイダー取引規制の経済学的意義について考察した後半部(第4章-第6章)の2部構成になっている。理論的道具立てから言えば、前半の研究では不確実性下の意思決定モデル(いわゆる個人的選択理論)における新しい概念の導入が分析の鍵である。また、後半の研究は、情報の経済分析と寡占的価格形成の理論枠組みを利用して、情報の偏在のもたらす経済的非効率性の条件を明らかにしようとしたものである。 全体の構成は、以下の通りである。第1章「The Equity Premium Puzzle:A Survey」はエクイティ・プレミアム・パズルに関する文献サーベイに当てられている。著者は「安全志向」という効用関数上の特徴における投資家間の異質性に注目してパズルを解くのであるが、第2章「Heterogeneity of First-Order Risk Aversion and the Equity Premium」ではその静学モデルによる分析を行い、第3章「安全志向の異質性と資産価格の変動」では分析を動学モデルに拡張している。 後半部も、前半部と同様の章構成になっている。すなわち、まず第4章「インサイダー取引規制」において文献サーベイを行ない、第5章「証券取引所はインサイダー取引を規制するか?」で著者の基本的な理論モデルの提示とそれによる分析を行い、第6章「企業家の投資行動とインサイダー取引規制」でモデルの拡張を試みている。 以下、前半部と後半部について内容の要約と批判的検討を行い、最後に総合的な評価を下すこととする。 2.エクイティ・プレミアム・パズル エクイティ・プレミアム・パズルとは、時間加法的な効用関数を持つ代表的個人の最適化行動から導かれる資産価格モデル(具体的にはConsumption Capital Asset Pricing Model)が、現実のデータに適合しないというものである。Mehra and Prescott(1985,Journal of Monetary Economics)は、1889年から1978年の米国の年次データから、株式の期待収益率と安全利子率との差(エクイティ・プレミアム)を約6%と推計している。この6%を説明するには、危険資産のリスク(ここではその背後にある消費の変動性)が十分に高いか、もしくは投資家の危険回避度が十分に大きくなければならないが、Mehra and Prescottは、いずれの観点からも6%のプレミアムは過大すぎるとした。これが、以後、現代経済学の標準的な資産価格理論の現実妥当性を問う本質的な理論パズルと考えられるようになった。第1章では、従来のパズル解決の試みを、(1)時間加法的期待効用のクラスに属さない効用関数を持つ「代表的投資家」を仮定した研究、(2)完全・完備市場の仮定を外した研究、(3)投資家間に何らかの異質性を仮定した研究、(4)非合理的投資家の存在を仮定した研究、の4つに分類して、サーベイを行っている。 著者が第2章で展開する理論モデルは、次のように理解することができる。標準的な資産価格理論では微分可能な期待効用関数が想定されるが、微分可能性は効用が局所的に線形近似可能であることを意味する。それは、効用関数が局所的に危険中立的であるに他ならず、このような効用をもつ投資家は、プレミアムが正であるかぎり、いかなる小さなリスクでも正のプレミアムを求めてリスクを積極的に負担しようとすることになる。換言すれば、摩擦のない市場で投資家が危険資産(株式)をまったく保有しないのは、危険資産(株式)のプレミアムがゼロの場合にかぎられる。 しかしながら、著者が引用するMankiw and Zeldes(1991,Journal of Financial Economics)のパネル・データ研究に待つまでもなく、6%のプレミアムを前にしてなお、株式をまったく保有しない家計が数多く存在し、また株式非保有者が資産蓄積の低い層に集中しているわけでもないのが現実である。そこで、著者は、「安全志向」(safety-inclination)という概念を効用関数に導入する。この「安全志向」の測度が正であるような効用関数を想定すると、正のプレミアムを提供する危険資産をまったく保有しない投資家の存在が理論的に説明可能になる。ただ、それだけでは、株式をまったく保有しない家計の存在が説明できるのみで、エクイティ・プレミアム・パズルそのものを解くことはできない(Epstein and Zin,1990,Journal of Monetary Economics)。著者の着想は、従来の資産価格理論における重要な2つの前提、すなわち微分可能な期待効用関数と「代表的投資家」の市場モデルの両方を外して、問題を再定式化するという点にあった。 著者が定義する「安全志向」は、その程度が強い投資家ほど、危険資産を少しでも保有するためにより高いプレミアムを要求する、という性質を持つ。したがって、安全志向の程度が異なる複数の投資家が参加する市場では、均衡において株式保有者と非保有者が併存する。そして、株式保有者にマクロのリスクが集中するので、市場で決定される株式のプレミアムが「代表的投資家」モデルの含意する水準よりもはるかに高くなる。これが、著者が示すエクイティ・プレミアム・パズル解決の道筋である。 第3章では、著者は上の着想を動学的モデル(世代交代モデル)に適用して、エクイティ・プレミアム・パズルを越えた地平に新たな経済学的含意を導こうとする。その含意は、企業業績(著者は配当と呼んでいる)に負の系列相関がある場合と、正の系列相関がある場合に分けて語られる。 まず前者のケースで何が起きるかを要約しよう。好況期に人々は将来の不況を予想することになるが、その場合市場の均衡圧力は株式のリスク・プレミアムを十分に高めて、全投資家によるリスクの分担を実現しようとする。つまり、好況期には、安全志向の弱い投資家だけでなく、安全志向の強い保守的な投資家も株式の購入にあずかる。一方、不況期には人々は将来の好況を予想することになるが、その場合には(株式のリスク・プレミアムが十分に高まらないために)安全志向の強い保守的な投資家は株式市場から退出する。したがって、安全志向の弱い投資家が、好況期・不況期を通じて株式を保有するのに対して、安全志向の強い投資家は、好況期には株式を買い、不況期には株式を放出する。そして、後者のタイプの投資家の株式市場への出入りは、株価の高い好況期にはさらなる株高を、株価の低い不況期にはさらなる株安を演出し、株価のボラティリティーを増大させる。 後者のケースでは、上と反対の現象が起きる。すなわち、好況期には人々は好況の持続を予想するために、安全志向の強い保守的な投資家は株式市場から退出し、不況期には人々が不況の継続を予想するために、プレミアムが上昇して安全志向の強い投資家を株式市場に呼び戻す。そして、一部投資家の株式市場への出入りは、株価の高い好況期には需要圧力を低め、株価の低い不況期には需要の創出につながるので、結果として株価のボラティリティーを低下させる。別の言い方をすれば、安全志向の強い保守的な投資家は株式市場にとって「限界的な」投資家であるが、この限界的投資家の層に厚みがある経済では株価のボラティリティーが小さくなる。 以上が、本論文前半部の骨子である。著者の定義する「安全志向」は、株式保有動機の低い投資家を効用関数の特徴として理論上きちんと捉えた概念である。そして、安全志向の強い、株式市場にとって限界的な投資家の存在が、マクロリスクの全投資家による分担を不可能にし、そのために株式のリスク・プレミアムが「代表的投資家」の市場モデルの予測をはるかに超える水準になる。これは、確かに、膨大な先行研究の存在するエクイティー・プレミアム・パズルの領域において、新しいパズル解決法を示した理論モデルである。さらに、著者の理論モデルは、株式保有家計の消費の変動は大きく、株式非保有家計の消費の変動は小さいという、消費と資産選択の関連に関する周知の実証結果をも、うまく説明する。また、第3章は、「安全志向」の相違する複数タイプの投資家が参加する市場モデルを動学モデルに拡張した意欲的な試みであるが、この拡張によって、景気変動の自己相関性と株価のボラティリティーの関係に関する興味深い理論的予測を導き出すことに成功している。 ただ、微分不可能な期待効用関数という道具立ては、理論モデルの数学的操作性を大きく犠牲にするものという懸念を免れない。この印象は、第2,第3章に登場する諸命題ならびにその証明がやや数学的エレガントさに欠けることと無縁ではないかも知れない。この批判に答えるためには、著者は本論文で用いた効用関数の応用可能性を、ファイナンス理論のより広範なテーマについて、具体的な分析で示す必要があろう。これは著者も最終面接試験の場で認めているところであり、複数危険資産への人々の投資行動がいわゆるトーピンの分離定理に反するという「アセット・アロケーション・パズル」の解決に、その可能性を見出している。 もう一点、あえて言うならば、株式保有動機の高い投資家と低い投資家の存在をパズル解決の糸口にするためには、「安全志向」という期待効用関数の微分不可能性を前提にすることが必須というわけではない。確定給付型年金基金のように、バランスシート上に大きな固定支払いに近い債務を抱える投資家と、バランス・シートの資産側の拡大だけを目指す投資家の併存、株式が将来の所得に対するヘッジ資産の役割をうまく果たすような所得流列を持つ家計とそうでない家計の併存、投資ホライゾンの長い(そのために株式保有動機の強い)投資家と投資ホライゾンの短い投資家の併存など、エクイティー・リスクの一部投資家への集中とそれによるリスク・プレミアムの上昇を説明できそうな要因は、標準的な効用関数を捨てなくても、現実経済に多く観察可能である。考えてみれば、異質的な投資家の併存がもたらす経済諸現象の理論分析は、現代ファイナンス理論ではまだ未開拓に近い領域であり、本論文では十分にその役割を果たした効用関数の特殊性に過度にとらわれることなく、著者がこの領域での理論構築にチャレンジし続けることを期待したい。 3.インサイダー取引規制 日本の証券取引法は、合併・新製品の企業化・配当政策の変更などの重要情報が公表される前に、「インサイダー」が株式などの上場有価証券を売買することを禁じている。情報を用いた取引そのものを禁止しているのではなく、取引前に情報を開示することを義務づけているところに特徴があり、「開示または断念の原則」と呼ばれる。法律の規定するところによれば、「インサイダー」とは、会社役員や大株主などの企業内部者、取引銀行や弁護士など企業と取引関係にある準内部者、および内部者や準内部者から情報を得た者を指す。本論文後半で、著者は、インサイダー取引規制の是非と規制の方法について、厚生経済学的分析を展開している。 第4章はインサイダー取引規制に関する文献サーベイに当てられているが、理論経済学的研究を、インサイダー取引と、(1)企業の実物投資、(2)証券市場の流動性または取引費用、(3)株主・経営者間のエージェンシー問題、(4)外部情報の生産、のそれぞれとの関わりを論じた研究に分類して整理しているところに、このサーベイの特徴がある。 後半の基本となる理論モデルは第5章で提示され、それを拡張しているのが第6章である。ここでは2つの章をまとめて、その論旨を要約する。モデルには、インサイダー情報を持つ「内部」投資家と持たない一般投資家、ならびに株式を供給する企業が登場する。企業は株価に対してプライス・テイカーとして行動し、株価が高いときには株式市場から積極的に資金を取り入れて大規模な事業展開を図るが、株価が低いときには株式発行量ならびに事業規模を低く押さえる。したがって、株価と株式供給量の関係(株式の供給関数)は右上がりである。一方、株式の需要関数の導出には、株価のシグナリング機能を取り込んだ合理的期待均衡の概念が適用される。ただし、均衡価格が内部情報を完全に一般投資家に伝えてしまう「強度の情報効率的市場」がモデル内で実現してしまうのを防ぐために、著者は内部投資家の賦存量が偶然の影響(endowment shock)を受けると仮定する。このために、株価が上昇(下落)するときに、一般投資家はそれが発行企業に新たな好材料が出現したためか、それとも単に内部投資家のendowment shockによるものなのかを、完全に判別することができない。このような設定で均衡分析を行うと、情報の非対称性が大きいケースほど需要曲線が価格に対して非弾力的となり、均衡が成立しない可能性が大きくなることが明らかにされる。通常の市場モデルを念頭に置くと、需要が不足して市場が売り注文ばかりになっているときには、価格が下落して新たな買いを喚起し、需給のバランスを回復させるはずである。ところが、情報が一部投資家に偏在する場合には、価格が下落すると情報から疎外された一般投資家の中には、価格下落から発行企業についての売り材料の発生を読みとり、むしろ株式の売り手側に回る者が出現する。一方で、価格の下落によって喚起される新たな買い需要もあるが、前者が大きい割合を占める場合には、「売りが売りを呼び」、需給のバランスは回復しない。需要が超過して価格が上昇する場合も、「買いが買いを呼ぶ」方向で同様の現象が起きる。以上が、著者の展開するモデルの基本構造である。 第5章ではインサイダーが企業の事業意思決定や株式発行量の決定に関与できない場合が、第6章ではインサイダーが企業のそうした意思決定に関与する場合が分析される。具体的には、インサイダーとして、取引銀行のような企業の「準内部者」を想定しているのが前者であり、会社役員などを想定しているのが後者である。 第5章のモデルでは、企業の株式供給(=事業規模)が十分価格に対して弾力的であれば、情報の偏在に起因する需要の価格非弾力性を打ち消して、取引破綻が防がれることが示される。先のケースに戻ると、売り注文が超過して価格が下落するとき、企業が事業規模の計画を縮小して株式供給量を大きく削減するために、需給のバランスが回復するのである。一方、第6章のモデルでは、実物投資が弾力的であると、逆に、取引が破綻しやすくなる。情報の偏在が強いほど、インサイダーは自分の持つ情報レントを守るために、株式の取引量を減らして情報の漏洩を防ごうというインセンティブを持つ。インサイダーが企業経営者である場合には、その上、自分が投資家として抱えるリスクの大きさは事業規模そのものの選択によって調整することができるので、株式売買の規模は小さくて済む。このような傾向は実物投資の価格弾力性が大きいほど強くなるので、市場取引が破綻する可能性が増大するわけである。 後段で著者が行っているのは取引規制の厚生経済学的分析であり、問題にされるのは参加者個々の効用の大きさを基礎にした経済効率性である。つまり、市場参加者間の公正の観点から問題が論じられるわけではないので、取引の全面禁止は選択肢に入らない。換言すれば、開示規制(情報開示の後に取引させる)と、規制なし(インサイダー情報を使った取引を禁止しない)が、与えられた選択肢である。さらに、開示規制をかけなければ取引が破綻するケースでは、開示規制がベターな選択肢であることは明白である。したがって、理論分析によらなければ明確な解答が導き出せないのは、開示規制をかけなくても取引が成立するケースである。 これに関して、著者は次の結論を得る。まず、期待取引額の最大化を目的とする証券取引所の立場から言うと、インサイダーが準内部者であるという第5章のモデルでは、開示規制がベターであるのに対して、インサイダーが企業経営者であるという第6章のモデルでは、規制なしがべターである。一方、社会的厚生の観点に立てば、どちらがベターな規制かについて一般的な命題は成立しない。これは、上記の選択に関して、インサイダーと一般投資家の利害が常に対立するからである。 ところで、情報開示が行われない場合に取引が破綻する可能性は、第6章のモデルの方がはるかに大きい。銀行などの準内部者がインサイダーである場合には、投資が弾力的であれば取引は破綻しないが、インサイダーが企業経営者である場合には、投資の弾力性がかえって取引破綻の可能性を増幅させるからである。店頭市場のように、オーナー経営者の株式保有比率が高い企業の株式が盛んに取引される市場では、情報の開示規制こそ、一般投資家を市場に呼び込み、市場からの資金調達パイプを太くするための最重要の制度的要件であるという主張がよくなされるが、以上の分析はこの「常識論」に理論的な拠り所を与えている。 この領域での先行研究の多くは、企業株主の立場からインサイダー取引規制の是非を分析している。例えば、インサイダー取引は経営者の成功報酬を補完する効果があり、エージェンシー問題を緩和する。したがって、インサイダー取引は企業株主の利益につながり、取引規制を全く行わないのが望ましい、というLelandの主張(1992,Journal of Political Economy)などがその代表である。これに対して、本論文では、インサイダー取引規制を企業株主の立場ではなく、証券取引所の立場やそれぞれの市場参加者の観点から考察している点に特徴がある。もう一点上げると、取引規制に関する先行研究の大部分は、インサイダーによる取引が完全に禁止されるケースを扱っている。しかし、日本での規制は、取引禁止ではなく、「開示または断念の原則」による開示規制である。この現実に対応した分析が行われている点も、本論文の特徴であり、長所である。 ただし、分析に用いられたモデルには、自明でない理論的前提が三点存在する。第1に、開示規制の場合にインサイダーが情報を歪曲しないと仮定されているが、この点に関して著者の分析をより完全にするには、正確な情報開示に関するインセンティブ構造の分析が必要である。第2に、著者はインサイダー側には自発的に情報を開示するインセンティブが存在しないと考えているようであるが、情報開示がインサイダーの効用を高める場合には、開示規制がなくてもインサイダーは情報を自発的に開示するはずである。この情報開示のインセンティブを分析に取り込むと、社会的に最適な取引規制は何かという問題に、もっとすっきりとした結論が出てくる可能性はないであろうか。第3は、投資家、とりわけインサイダーの取引行動に関する仮定の恣意性である。本論文では、情報を開示しないで取引がなされる場合には、インサイダーはプライス・メーカーとしてモデル化されている。一方、情報を開示した後で取引がなされる場合には、インサイダーは一般投資家と同様、プライス・テイカーとしてモデル化されている。しかし、株価に対する(買い手独占的)価格支配力と情報の独占とはまったく別物であり、情報を独占している場合にはプライス・メーカー、情報独占がない場合にはプライス・テイカーというのは、あまりにアド・ホックな仮定と言わねばならない。著者がもし、この対応関係に理論的根拠があると考えているならば、その部分を分析から導くべきであるし、そうでなければ、どちらかに統一して分析を展開する方が、はるかに説得力が高い。さらに付け加えるならば、後者の道を選んでいたとしても、取引規制のありかたに関する結論に本質的な違いが出るとは予想しにくい。上の第1,第2点は、それに応えるだけで独立の業績になるような注文であるが、第3点は比較的容易に分析を修正することができよう。 もう一つ、今後の課題として注文を付けておきたい。本論文ではノイズ・トレーダーの存在を仮定していない。これは、面接試験の場で著者が答えたように、取引規制の影響について市場参加者ごとの効用分析をきちんと行うためであろうが、市場取引の破綻の問題にはノイズ・トレーダーの存在が大きく影響を与えることが予想される。著者はendowment shockの導入でそれに替えているが、ノイズ・トレーダーの存在は合理的期待均衡を成立させるための理論的道具という以上の現実的な含意があるのではないか。このタイプの市場参加者をモデルに導入した場合に、本論文がどう書き変わるのか、大いに興味のあるところである。 4.総合評価 以上、論文の前半部と後半部について内容を要約し、その特徴、ならびに長所と問題点、今後の課題について、本審査委員会の意見を述べた。どちらも、理論モデルのオリジナリティと分析の確かさの点で、十分に高い水準に達した研究業績であり、委員会は、本論文が博士(経済学)の学位にふさわしい水準に達していると認めるものである。なお、第1章は『ファイナンス研究』、(1995年)第2、第3章の一部はThe Japanese Economic Review誌(1998年)、第5、第6章の一部はJapanese Journal of Financial Economics(1998年)に公刊済みである。 |