学位論文要旨



No 113688
著者(漢字) 濱田,耕造
著者(英字)
著者(カナ) ハマダ,コウゾウ
標題(和) ラット視床におけるセロトニン及びアスコルビン酸代謝回転の光感受性日周・日内律動、領域特性セトロニン・ノルエピネフリン除去擾乱応答
標題(洋)
報告番号 113688
報告番号 甲13688
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1349号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 助教授 渡辺,知保
内容要旨

 視床は、感覚・運動・情動など多様な情報を大脳皮質に伝達する役割を担う亜核の複合体で、且つ、皮質脳波の自発的律動の発現に関与する。これらの生理機能は睡眠覚醒・意識等の脳の内的状態に依存し、この機構には脳幹上行系・皮質視床系等の調節系神経伝達物質の関与が示唆されている。本研究は、これらの伝達物質と生理機能との接点を求め、伝達物質の視床内分布・代謝・動態を探索し、新しい動態構造の同定・機構解明を探究したものである。

 筆者らは脳幹上行系神経伝達物質であるアミン系に着目し、視床内セロトニン(5-HT)、ノルエピネフリン(NE)、ドーパミン(DA)及び前駆アミノ酸・代謝産物・補酵素の含量をマイクロディセクション法に従って定量し分布を調べた。5-HT・NEはそれぞれ膝状体・前核群に高濃度存在し、正中領域には5-HT・NE・DAが共存することを見出した。これは、アミン系が視床全体の統合より寧ろ亜核特異的な役割を担うことを示唆する。前駆体・補酵素・伝達物質の分布様式は、酵素学的律速概念に矛盾しなかった。伝達物質に対する代謝産物の存在比から、代謝回転特性の領域差が推論された。

 視床アミン系の内在的動態を求め、組織含量の経時変化を追跡した結果、神経伝達物質濃度が動的に変動している可能性を見出した。5-HTは、明期優勢の日周変動、NE及びDAは明期優勢、暗期優勢、そして両者の混合したものが領域特異的に観察された。前駆アミノ酸は、領域に関わらずトリプトファン(Trp)は暗期優勢を、チロシンは明期優勢を示した。

 生化学的理解を求めて、5-HTの前駆アミノ酸であるTrpの酵素的除去実験を行った。筆者らはKg単位の菌体(Pseudomonas)からTrp側鎖酸化酵素(TSO)を大量精製し、電気泳動により単一蛋白であることを確認した。TSO(20単位)を腹腔内投与して6時間迄に視床のTrpは領域に関わらず正常濃度の20%以下に減少した。5-HTは後部視床では30%、前部視床では50%に低下した。以上から視床の5-HTは前駆体濃度に依存すること、更に代謝回転の領域差が示唆された。これらの領域差は質的に異なる複数の代謝プールの存在比に依存すると考えられる。

 次に、同一個体に於ける代謝変動を追求するため、マイクロダイアリシス法に従って無麻酔・無拘束ラットの脳内アミン系神経伝達物質の代謝回転動態を調べた。5-HTの代謝物(5-ヒドロキシインドール酢酸5-HIAA)の細胞外濃度が、日内律動(周期:45〜100分)を伴った夜間優勢の日周律動(周期:約24時間)を示すことを見出し(図1)、筆者は実験系を確立した。これらの日周・日内律動の視床内分布を76匹のラットを用いて調べ代謝律動の地図を得た(図2)。結果、大部分の領域(n=45/57)で夜間優勢の日周律動が観察された。マイクロディセクションの結果と対応させて考えると、視床内5-HTの組織含量が低下する夜間に於いて5-HTの代謝回転が増大している事実から、これは代謝増大の結果5-HTが低下したのか、或いは、合成・蓄積過程と代謝過程との負の相互作用、又は独立制御等の可能性が考えられる。これらの日周律動の強度は領域によって異なった。外側膝状体(LGN)、中心外側核(CL)、前核群(AV/AD/AM)、内・外側腹側核(VL/VM)、視床網様核(Rt)、正中核群(Re/Rh/IMD)、腹側後核の一部(VPL)に於いて、著明な日周律動が観察された(図2B)。一方、日内律動の分布はこれと異なり、束傍核(PF)、後核群(Po)、中心外側核(CL)で見られた(図2C)。この分布の異方性は日周律動と日内律動の発現機構が異なる可能性を示す。

図1. セロトニン(5-HT)及びアスコルビン酸(AsA)代謝回転の日周(A)・日内(B)律動(n=4)図2. 視床の水平断脳地図(A)と視床内5-HT及びAsA代謝回転の日周(B)・日内(C)律動の分布を表す模式図(n=57)

 局所固有の5-HT代謝機構の特徴を調べるため、Ca2+の局所除去応答を調べた。日周律動が優勢で日内律動が貧弱なLGNと、日周・日内律動共に優勢であるCLの応答を比較した結果、前者の5-HT代謝回転が急速に低下したのに対し、後者では応答がなかった。これはCa2+依存型と非依存型の二種の代謝機構が存在し、これら代謝様式の特異的分布が律動発現の領域差に関与する可能性を示す。

 5-HT系は、脳全域を一貫して統合する全体調節系であると推測されてきた。しかし局所の5-HT代謝に関して考えると、本研究の結果から、全体制御に加えて局所機構の概念を導入する必要がある。筆者の見出した二種の代謝機構及び日周・日内律動の特異的分布は、近年の解剖・生理学的研究により示された質的に異なる複数の5-HT系サブシステムに関与する可能性がある。更に推論すると5-HT細胞体の神経活動はサブシステムに関わらず同様に変化することから、領域差を発現する機構は細胞体の神経活動以外の他の要素、即ち局所の5-HT系の生化学的多様性と、他系による局所調節の可能性が強調される。

 代謝律動の機構解明を目指し、5-HT律動と同調する物質を見出した。筆者は神経調節物質の候補であるアスコルビン酸(AsA)との同一性を調べ、電気分解の半波電位及び逆相カラム保持時間の一致、更にAsA酸化酵素の基質になることを見出し、この物質がAsAであると結論した。

 近年、脳のAsA放出起源に関与する複数の仮説が提案されている。副腎の研究では、AsAはCa2+依存性小胞機構を介してNEと共放出される事が示された。しかし、筆者の研究では、細胞外NEの動態と、NE輸送体の阻害剤(desipramine)存在下でのNE動態は共にAsA動態と位相が異なり、また、NEの合成律速酵素の阻害剤(MT)投与の実験結果からも、筆者らはNEとの共放出に否定的である。そこで、他の可能性を検証した。近年、興奮性神経伝達物質グルタミン酸との交換輸送を介したAsA放出機構が提案された。神経膠細胞へのグルタミン酸の取り込みに着目して阻害剤(SITS)の局所灌流実験を行った結果、細胞外AsAは半減した。従って、グルタミン酸との交換輸送仮説が支持された。皮質視床神経および上行系感覚神経は興奮性アミノ酸を含有するので、視床局所の細胞外AsA動態はこれらの神経活動を反映していると推論できる。

 細胞外AsAの日周律動(図1)はLGN、VM/VL、CL、AV/AD/AM、Rtで観察され、日内律動の分布はPF、CL及びPoに於いて最も顕著であった(図2)。この分布は5-HT代謝律動の分布と同様で、両系の空間的相関が明らかになった。このことは、5-HT・AsA代謝回転の同調は、局所固有の同調単位に基づいて発現する可能性を示す。局所に5-HT,Trp,AsA,デヒドロAsAを灌流しても、正の相互作用は見られなかったので、両系以外の局所同調因子の存在が考えられる。現段階での一つの候補は、グルタミン酸が考えられる。これは、SITS局所灌流下の5-HT代謝回転がAsAの減少に対し鏡像的に増加した事実に基づくもので、細胞外グルタミン酸濃度上昇に応答する各系固有の放出、或いは、代謝賦活機構を仮定すれば両系の局所同調を説明できるからである。

 時間的、空間的観点からAsA及び5-HT代謝回転を詳細に比較すると、両系の振る舞いは完全には一致せず、従って、両者の内在律動の構築には、更に別の時空因子を想定する必要がある。VM/VL、CL、AV/AD/AMでは、5-HT代謝回転の日周律動が正弦波型を示すのに対し、AsA代謝回転は明暗の切り替え時に高速のレベル遷移を伴う矩形型を示すことを筆者は見出した(図1,3Ab)。このタイプの光感受性日周律動は松果体・網膜のメラトニン合成に知られているが、脳組織では新しい現象である。光の関与を詳しく調べるため、様々な明暗環境下に於いて動態を観察した。恒暗条件下ではAsA代謝回転は夜間優勢日周律動を示し、5-HT系との同調が増強した(図3Aa)。これはAsA・5-HT代謝回転が内因性のcircadian clockの支配下にあり、且つ内因性の同調機構を示唆する。通常より明期を延長した環境下ではAsAと5-HTの代謝回転は解離し、AsAのみが顕著な光応答性を示した(図3Ac)。3時間毎の明暗サイクル下の実験では、アスコルビン酸は時刻に関わらず明刺激により抑制され、一方5-HT系は夜間のみ暗刺激に対し顕著に応答した(図3B)。この異なる光感受性によって、通常の明暗サイクル下の5-HT・AsA代謝律動構造の差異は説明可能である。内因性のcircadian clockとされる視交叉上核は、睡眠覚醒、行動、体温調節等の多様な日周律動を制御し、更に網膜視床下部経路を介して明暗環境に対する同調化を担う。明暗情報と内的時計情報の直列過程が脳内日周律動を一元的に決定するか否かは未決問題であったが、本研究の実験事実は各々の時間情報が部分的に並列の中継過程を経由して視床領域に伝達される事を示し、脳内時間の並列機構が強調される。

図3. 明暗刺激に対する視床局所内5-HT(○)及びAsA(●)代謝回転の応答(n=4)

 5-HT・AsA代謝動態構造に於けるアミン系の関与を調べるため、5-HT・カテコールアミン(CA)除去応答を調べた。TSOを夜間に投与した場合は、5-HT系と同調したAsAの急速な減少過程が観察され、その後投与3時間以降は反調上昇が観察された(図4下)。これに対して明期にTSOを投与した場合、AsAは全領域に於いて投与3時間以降の反調上昇を示した(図4上)。AsA代謝回転の光感受性は消失した(図4)。この二様の反転制御を総合すると光感受性AsA代謝プールは視床外5-HT系による活性化により駆動され、同時に光非感受性プールは視床内或いは視床外5-HT系により通常は抑制されていると考えられる。MTを腹腔内投与した後、AsA代謝回転の光感受性は消失したが、AsA・5-HT代謝回転の夜間優勢日周律動は保存された。従って、CA系は特に光伝達過程に関与することが示された。

図4. TSO投与後の5-HT(左)及びAsA(右)代謝回転の応答(n=6)

 以上、本研究で同定した視床におけるアミン系神経伝達物質の分布・代謝回転の生化学的解析により、アミン系の代謝動態の存在とその領域差の可能性が導かれた。マイクロダイアリシス法では同一個体の脳内アミン系及びAsAの局所固有の内在代謝動態を同定した。この動態構造に重要な要素として日周日内律動・局所同調単位そして並列の光感受性機構を見出し、5-HT及びCAの除去実験より、この複合型の律動発現機構にはアミン系代謝回転が必須であることを実証した。

審査要旨

 本研究は、ラット視床におけるセロトニン及びカテコールアミン含有神経細胞の伝達物質代謝動態、特に日周及び日内変動と光刺激による調節を、微小切片での含有量の測定と、脳局所灌流透析法による測定により調べたものである。本研究の特色は、視床微小領域の伝達物質量および代謝産物量を短い時間間隔で調べ日周および日内変動に関し莫大な生データを得ていること、トリプトファン側鎖酸化酵素の投与によるセロトニン除去という独特な実験条件を設定したこと、アスコルビン酸放出量の日周及び日内変動を見いだしその動態を解析したこと、の3点である。以下の具体的な結果が得られた。

 1.脳局所灌流透析法により測定される5ヒドロキシインドール酢酸及びアスコルビン酸量が、1日の明暗条件により変動すること(日周変動)、また明または暗条件内でも短い時間間隔で変動すること(日内変動)を見いだした。

 2.この日内および日周変動は、視床全域で一様に観察されるものではなく、特に日周変動は外側膝状体などの視覚系からの入力がある特定の領域で特に再現性よく観察された。

 3.日周変動が顕著に観察された領域では、5ヒドロキシインドール酢酸量及びアスコルビン酸量は、明から暗への外部環境変化で増加し、暗から明への変化で減少した。セロトニンの代謝とアスコルビン酸の放出が、光刺激によって調節されると推測される。

 4.トリプトファン側鎖酸化酵素の投与によりセロトニンを除去すると、アスコルビン酸放出量変化の光感受性が消失した。光によるアスコルビン酸放出の調節機構にはセロトニン系が必要と推測される。

 5.チロシン水酸化酵素阻害剤投与によりカテコールアミンを除去すると、アスコルビン酸放出量の光応答性が減弱した。光によるアスコルビン酸放出の調節機構にはカテコールアミン系も関与すると推測される。

 6.グリア細胞へのグルタミン酸取り込みの阻害剤、4-アセトアミド-4’-イソチオシアネイト-スチルベン-2,2’-ジスルホン酸(SITS)を局所投与すると、細胞外のアスコルビン酸量が低下し、細胞外の5ヒドロキシインドール酢酸量は上昇した。外側膝状体に投射する視神経の伝達物質はグルタミン酸と考えられる。放出されたグルタミン酸がグリアヘ取り込まれる際アスコルビン酸が放出される可能性が考えられる。また、細胞外に放出されたグルタミン酸はセロトニンの放出を促進すると推測される。

 これらの結果は、視床内のセロトニン含有神経の活動が外部明暗条件によって変動を受けること、セロトニンの存在に依存してアスコルビン酸の細胞外への放出も光刺激によって変動すること、を示している。視床内には、グルタミン酸を含有する視神経、セロトニン含有神経、カテコールアミン含有神経の軸索が存在する。これら軸索末端あるいは軸索中の球状結節(varicosity)の間、あるいはアスコルビン酸の供給源と考えられるグリア細胞との間で、局所的な相互作用が存在すると推測される。

 以上本研究は、視床内の神経伝達物質アミンの動態の解析により、アミン含有神経細胞とグルタミン酸含有神経細胞またはグリア細胞との相互作用を理解するための基礎的知見を提供するものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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