学位論文要旨



No 113543
著者(漢字) 小川,裕由
著者(英字)
著者(カナ) オガワ,ヒロユキ
標題(和) Geosmithia,Penicillium両属と関連糸状子嚢菌分類群の系統進化
標題(洋)
報告番号 113543
報告番号 甲13543
学位授与日 1998.03.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1902号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉山,純多
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 教授 大坪,栄一
 国立遺伝学研究所 助教授 斎藤,成也
 東京大学 助教授 横田,明
内容要旨

 現生菌類の既存の分類体系は、主として比較形態学的データにもとづいて構築されている。また、その系統進化の推定に遺伝的形質が十分反映されているとは言い難い。系統分類の基礎は生物の系統進化を念頭に置き、相同形質と相似形質を検出し、形質状態を評価し、分類・体系化することである。今日では、分子進化学の進歩により遺伝子塩基配列、タンパク質のアミノ酸配列の比較解析から、分類群の分岐年代や進化の歴史を推定することが可能になりつつある。形態学をはじめ、従来の研究手法では困難であった菌類の系統進化が、ようやく解明されようとしている。

 本研究では、応用菌学上重要なアナモルフ菌類(不完全菌類)Geosmithia,Penicillium両属および関連糸状子嚢菌類について分子系統学的解析を行い、主要な形態的形質と比較解析し、マユハキタケ科菌類分類群の系統関係の一端を明らかにした。さらに、分子進化を裏づける形態進化の形質の探索を行い、以下の知見を得た。

【1】不完全菌類Geosmithia属の多系統的起源と閉子嚢殻形成菌類の系統関係

 高等菌類(子嚢菌類、担子菌類およびアナモルフ菌類)は、その生活環においてテレオモルフ(減数分裂を行い、有性胞子を生じる時代)とアナモルフ(有糸分裂を行い、無性胞子を生じる時代)を持ち、それらは別個に、あるいは、同時に観察される。同一生物種でありながら、モルフ(型)の違いによって2つの学名を持つことが命名法上許されている。このため、両モルフに対してそれぞれ独自の分類体系が適用されてきた。しかし、一般にテレオモルフの方がアナモルフよりも系統を反映した特徴を持つため、重視される。これまでの分子系統学的研究から、アナモルフ菌類は、系統的に子嚢菌類あるいは担子菌類に属することが判明しており、テレオモルフの分類体系に組み入れられて解析されるべきである。

 Geosmithia属は、その形態的特徴によりPenicillium属から分割・創設されたアナモルフ属である。基準種はG.lavendula(テレオモルフを欠く)で、関連テレオモルフ属はTalaromyces属、あるいは Chromocleista属である。現在では10種が容認され、うち4種のテレオモルフが判明している。これらのテレオモルフ属は、分類体系上、不整子嚢菌類マユハキタケ科に帰属する。不整子嚢菌類の形態的特徴は、その閉子嚢殻にあるが、閉子嚢殻を形成する菌類は核菌類、盤菌類、小房子嚢菌類にも散在する。Geosmithia属の系統的起源を明らかにし、系統進化にもとづいた分類形質を評価し、また、閉子嚢殻形成菌類との系統関係を調べるために、まず、子嚢菌類全体について18SリボソームRNA遺伝子(18S rDNA)塩基配列にもとづき系統樹を作成し、解析した。

 その結果、子嚢菌類は真正子嚢菌類(糸状子嚢菌類)、半子嚢菌類(子嚢菌酵母)、古生子嚢菌類の大きな系統群に分かれ、真正子嚢菌類では不整子嚢菌類および核菌類がそれぞれ単系統群を形成したが、盤菌類、小房子嚢菌類は単系統とはならなかった(図1)。次に、Geosmithia属が含まれた、不整子嚢菌類、核菌類を中心とした18S rDNA塩基配列にもとづく系統解析の結果、Geosmithia属は基準種G.lavendulaおよびG.putterilliiが核菌類系統群に位置し、ボタンタケ科菌類分類群に含まれた(Geosmithia-I)。他のGeosmithia属菌種6種は不整子嚢菌類エウロチウム目マユハキタケ科系統群に位置し、5種がPenicillium属菌種と同様にTalaromyces,Eupenicillium両属に相当する系統群(それぞれGeosmithia-II,Geosmithia-III)に、残り1種(G.argillacea)がマユハキタケ科系統群の基部に位置した。すなわち、Geosmithia属は一つの属でありながら、綱レベルの分類学的枠組みを越えて、系統進化上2億7千万年以上も前に分岐したと考えられる系統群に帰属した。この系統的位置づけは、5SrRNA塩基配列にもとづく系統樹からも支持され、また、28S rDNA塩基配列にもとづく系統解析でも、GliocladiumアナモルフをもつNectria属菌種、閉子嚢殻を形成し、かつ、Acremoniumアナモルフを生じるMycoarachis inversaとの関係が示唆された(図2)。このような事実はこれまでの比較形態学では説明できず、分子系統学的解析とそれを裏づける形態的形質をつきとめる必要があることが強く示唆された。そのため、アナモルフの分類指標である分生子形成様式の微細形態を透過型電子顕微鏡を用いて観察した。その結果、Talaromyces属系統群に含まれるGeosmithia属菌種とボタンタケ科系統群に含まれたGeosmithia属菌種との間では相違点が存在するらしいことが示唆された。このように、従来の分類学では同属と見なされていたものが、分子系統学の威力により、その本来の帰属が解明され、それにより初めて、その分子データを裏づける形態的データを導き出そうという試みがされている。これは、高等菌類の分類学にとって、さらなる進展への第一歩である。

【2】マユハキタケ科菌類の系統進化

 最近の分子系統学的研究から、マユハキタケ科菌類は、ベニコウジカビ科を内部に含むことが判明している。また、かつて盤菌類に含められていた、ツチダンゴ目(Elaphomycetales)ツチダンゴ科(Elaphomycetaceae)とともに単系統群を形成し、テレオモルフ、アナモルフを合わせ、600種以上の種から構成される大きな菌群である。前述のように、この中には経済的、医真菌学的に重要なAspergillus,Penicillium両属が含まれているので、系統関係を反映したマユハキタケ科菌類の分類体系を確立することが各方面から要請されている。従来、マユハキタケ科菌類の系統進化は子嚢果壁の形態と個体発生の様式から考察されてきた。Malloch & Cain(1972)の説によれば、マユハキタケ科菌類は子嚢殻を形成するボタンタケ科菌類に類似の共通祖先から進化してきたものであると考えられ、閉子嚢殻は子嚢殻の孔口が閉じたものであるとされた。また、閉子嚢殻の進化は、子嚢胞子の分散遅化現象であり、子嚢果壁のみならず内部器官の分散機構にも種々の段階的変化をもたらしたとされる。そのアナモルフは、ペニシラス様構造からアスペルジラム様構造へと進化したと推定されている。

 そこで、不整子嚢菌類を中心に37属60種の18S rDNA塩基配列にもとづく系統樹を作成し、分子と形態の両形質の統合的解析を試みた。その結果、分子系統樹上で、マユハキタケ科菌類は大きく2つの系統群に分かれた。最初に分岐した系統群には、アナモルフとしてPenicillium,Geosmithia,Paecilomyces属をもつ、Talaromyces,Trichocoma,Thermoascus,Byssochlamys,Chromocleista cinnabarinaが位置し、次に分岐した系統群には、アナモルフとして、Penicillium,Geosmithia,Merimbla,SaropholumをもつEupenicillium,Hamigera,Penicilliopsis,Chromocleista malachiteaおよびAspergillusアナモルフを生じる菌種が位置した。子嚢果の比較形態学から推定された系統関係に対し、18S rDNA遺伝子系統樹からみたマユハキタケ科菌類では、菌糸型殻壁から偽柔組織化・菌核化殻壁への進化仮説は支持されなかった。しかし、子嚢胞子の形態、すなわち、楕円形で表面が滑面もしくは突起がある形態から、滑車形で様々な表面構造をもつ形態へと進化したことが推定された(図3)。他方、子嚢胞子の分散遅化現象、環境耐性増大(たとえば、耐乾性)は、系統進化上、大きな意味を持つとはいえない。また、アナモルフの分生子形成構造では、ペニシラス様からアスペルギラム様への進化が概ね支持された。

 ここ数年で飛躍的な進展を見せている分子系統学、あるいは、分子分類学により、形態学にもとづく現分類体系では不明もしくは誤りであった菌類の帰属が明らかになった事例が多い。また、アナモルフ菌類はテレオモルフを欠き、系統を反映した形態的特徴に乏しいために、それを正しく分類体系に位置づけるには分子データを用いた解析が必須である。現在の糸状子嚢菌類の祖先と子嚢菌酵母の祖先は、約3億年前(古生代石炭紀後期)に分岐したと推定される。今日、我々が観察し得るのは、その子孫たちである。祖先形質は現生菌類の形態的データにより推定され、そのため、糸状子嚢菌類の進化に関する様々な仮説が提案されたが、分子系統学の導入により一応の解決を見ることができるであろう。しかし、形態進化と、現在では系統進化の指標として使われている18S rDNAなどの分子進化は本来別個のものであるので、両者のデータが一致したときは説得力があるが、単一の分子種によってのみ進化を論じることは危険である。菌類分類体系を再構築するために、有用な他の分子種も用いて比較解析し、系統学的に意味のある形態的形質を検出することが急務である。

図1.糸状子嚢菌類の系統分岐 分岐年代はBerbee & Taylor(1993)によるが、盤菌類・小房子嚢菌類の分岐年代は不明。核菌類・不整子嚢菌類以外は単系統ではなく、また、ラプルベニア菌類はデータが少ないため推定から除外した.図2.不完全菌類Geosmithia属の3系統と密接に関係するテレオモルフ諸属.図3.不整子嚢菌類マユハキタケ科分類群の系統関係.テレオモルフ(子嚢果)とアナモルフ(分生子形成構造)の図解はSubramanian(1979)より引用.
審査要旨

 Penicillium属とその類縁諸属は、菌類の中でも伝統的分類体系が確立している菌群である。しかし、その分類体系は、表現形質(主として形態)に基づいて構築されたものであって、その系統推定には遺伝形質が反映されていない。本菌群には、有用種や有害種を多数含むため、その系統分類の確立は各方面から要望されている。また、これらの菌類は、興味深い進化パターン、たとえばホロモルフ、痕跡的なテレオモルフを生じる種、明確なホロモルフ祖先を欠く種、テレオモルフを欠きかつ適応放散したアナモルフ種などがあり、菌類系統進化研究のモデル生物としても適している。本論文は、分子、形態両形質の統合的解析から、Geosmithia属の多系統的起源およびマユハキタケ科分類群の系統関係を明らかにしたものである。

 第1章(序論)では、高等菌類の多型的生活環、子嚢果・子嚢胞子・分生子形成構造の形態的特徴と関連づけて、Penicillium、Geosmithia両属および関連テレオモルフ諸属の分類と系統に関する研究の歴史的背景を概説し、問題点を抽出している。第2章では、材料と方法について説明している。

 第3章第1節はGeosmithia属の多系統的起源と閉子嚢殻形成菌類の系統関係についての結果と考察である。Geosmithiaは、G.lavendula(テレオモルフを欠く)を基準種として、その形態的特徴によりPenicillium属から分割・創設されたアナモルフ属である。その関連テレオモルフはTalaromyces、Chromocleista両属である。現在では10種が容認され、うち4種がテレオモルフをもつ。これらのテレオモルフ属は、分類体系上、不整子嚢菌類マユハキタケ科に帰属する。不整子嚢菌類の形態的特徴は閉子嚢殻にあるが、閉子嚢殻形成菌類は他の綱レベルの菌群にも少なからず散在する。そこで最初に、子嚢菌類全体について18S rDNA塩基配列に基づく系統解析を行い、子嚢菌類は古生子嚢菌類、半子嚢菌類、真正子嚢菌類の3大系統群に分かれ、真正子嚢菌類では不整子嚢菌類と核菌類がそれぞれ単系統群を形成し、盤菌類と小房子嚢菌類は単系統にはならなかったことを示した。この中で、Geosmithia属菌種は不整子嚢菌類と核菌類に位置し、多系統であることが判明した。

 次に、Geosmithia属が含まれた不整子嚢菌類、核菌類を中心とした18S rDNA塩基配列に基づく細部の系統解析を行い、Geosmithia属は基準種G.lavendulaおよびG.putterilliiが核菌類ボタンタケ科に含まれることを提示した。残りのGeosmithia属6種は不整子嚢菌類エウロチウム目マユハキタケ科内に位置し、5種がPenicillium属菌種と同様にTalaromyces属もしくはEupenicillium属の系統群に、残り1種(G.argillacea)がマユハキタケ科系統群の基部に位置した。すなわち、Geosmithia属菌種は、綱レベルの分類学的枠組みを越えて、約2億7千万年前(文献値)に分岐したと推定された。この系統的位置づけは、5S rDNA、28S rDNA部分塩基配列に基づく系統解析からも支持された。アナモルフの分類指標である分生子形成様式もGeosmithia属菌種間で異なることが示唆された。

 第2節は、マユハキタケ科菌類および関連菌類の系統進化に関する解析結果と考察である。不整子嚢菌類を中心に37属60種の18S rDNA塩基配列に基づく系統樹上で、マユハキタケ科菌類は大きく2つの系統群に分かれた。最初に分岐した系統群には、アナモルフとしてPenicillium、Geosmithia、Paecilomyces3属の一つをもつ、Talaromyces,Trichocoma,Thermoascus,Byssochlamys,Chromocleista cinnabarinaが位置し、次に分岐した系統群には、アナモルフとしてPenicillium,Geosmithia,Merimbla,Saropholum4属の一つをもつEupencillium,Hamigera,Penicilliopsis,Chromocleista malachiteaおよびAspergillusアナモルフを生じる諸属が位置した。

 以上の結果から、不整子嚢菌類の祖先は核菌類であるというMalloch& Cainの仮説は否定された。子嚢果の形態よりも子嚢胞子の型が分子系統を反映し、子嚢胞子は偏長型から偏円、滑車型へ進化したと推定された。また、アナモルフの分生子形成構造では、ペニシラス様からアスペルギラム様への進化傾斜が検出された。

 第4章の総合討論で、分子系統学の菌類系統分類へのインパクト、単一遺伝子による系統推定に対する危険性が指摘されている。

 以上本論文は、分子と形態、両形質の統合的解析から、形態的概念で定義されたGeosmithia属の多系統的起源とGeosmithia、Penicillium両属および関連テレオモルフ分類群が含まれるマユハキタケ科菌類の系統進化的関係を明らかにしたものであって、菌類系統分類学上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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