本論は、十世紀後半から十一世紀前半にかけて成立したガイバ思想の発展経緯を、当時のイマーム派の代表的ハディース学者であるシャイフ・サドゥーク Muhammad b. ’Ali b.Husayn b.Babuyah(Babawayh)al-Qummi(d.381/991)の『信仰の完成と恩寵の充足』Kamal al-Din wa-Tamam al-Ni’mahの分析を通じ、解明するものである。 本論は、十二イマーム・シーア派のガイバ思想を、従来の研究でみられたような完成された一つの公定教義としてとらえず、個々の思想家たちによる知的作業が結晶化したものと考える。このような立場から、『信仰の完成と恩寵の充足』を、十二イマーム・シーア派のガイバ思想全体を構成する一構成要素として分析する。 従来の研究では『信仰の完成と恩寵の充足』は、ハディース集の形式をとる「(派内の信者に対する)教示的」テクスト、「伝聞による論証」のテクストとして、クライニーやヌウマーニーのガイバ論と同類視されてきた。本論では、この分類規定で網羅しきれていないシャイフ・サドゥークのガイバ論に固有の部分に焦点をあてる。 『信仰の完成と恩寵の充足』は、十二代イマームのガイバの内容を規定する部分、具体的情報やイマームなどからのハディースによって一連のガイバ規定を正当化する部分、物語ハディースの引用によってそれらを補完する部分の三層構造をなす。 十二代イマームのガイバの内容を規定する部分と、ハディースによってそれらの規定を正当化する部分では、従来のガイバ論での方法が全面的に継承されている。それに対し、シャイフ・サドゥークのガイバ論固有の論証が展開されるのが、物語ハディースを採用した部分である。この部分では、過去の預言者や伝説的人物の物語が、イマームのガイバと対応するように配置され、物語が常にイマームのガイバを暗示するよう、さらに、十二代イマームのガイバの規定も常に物語を喚起するものになるよう構成されている。 物語の採用により、ガイバ思想は、十二代イマームの不在という特定の一時点にのみ関わるものではなく、アーダムに始まる原初から神の審判が下される終末までの時間全体を視野に入れた原理として認識される。過去の預言者に関する物語、長寿物語、ズー・カルナインとユーザースフの物語の三種類の物語を通じて初めて、ガイバが原初〜現在〜未来という時間全体を集約するものとして、巨視的にとらえられる。 さらに、物語の採用は、読者(信者)の心理作用として、十二代イマームのガイバそのものに備わる「不可知のもの」としての属性を開示させる。「不可知のもの」としての属性は、十二代イマームのガイバを、真正性が要求される歴史的事実の領域から、人知では推し量ることの不可能な信仰真理の領域へと転化させる。それを受けて、シャイフ・サドゥークは、「不可知のもの」であるガイバを全面的に受け入れ、自己の置かれた立場に耐えることこそがイスラームの信仰であると結論づける。彼は、十二代イマームのガイバを、イマーム派の信仰に対する試金石として機能させ、来世における救済の主要動因として位置づけたのである。 シャイフ・サドゥークのガイバ論は、この物語採用により、クライニーやヌウマーニーのテクストとは異なるガイバ論テクストであると結論づけらる。そこには、同派のガイバ思想が明確に進歩発展している経緯が読み取れるからである。シャイフ・サドゥークのガイバ論は、既存のガイバ認識を継承し、それらに新たな解釈や情報を加えるとともに、物語ハディースを多用することで、ガイバの「不可知のもの」としての属性を開示させ、ガイバを真偽を問う領域から、絶対服従が要求される信仰真理の領域へ転移させた「巨視的ガイバ論」といえる。 |