学位論文要旨



No 112930
著者(漢字) 李,捷生
著者(英字)
著者(カナ) リ,ジェシェン
標題(和) 中国国有企業の経営と労使関係 : 鉄鋼産業の事例を中心に
標題(洋)
報告番号 112930
報告番号 甲12930
学位授与日 1997.04.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第111号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 佐口,和郎
 東京大学 教授 仁田,道夫
 東京大学 教授 森,建資
 東京大学 教授 中兼,和津次
 東京大学 教授 田嶋,俊雄
内容要旨

 本論文では、新中国の成立期から93年現在に至るまでの国有企業の労使関係の実態と変化を経営方式との関連において検討してきた。要点は以下の通りである。

I方法

 序論では、(1)「労資関係」または「労使関係」の方法論が「社会主義」体制分析に適用できるか、(2)労使関係と経営・管理方式がどのような関連をもっているのか、について、先行諸業績(大河内一男、氏原正治郎、山本潔、兵藤つとむ、佐口和郎、仁田道夫など)を検討しつつ、分析視角を確定した。すなわち、労使関係の一元化あるいは二元化という論理と関連しつつ、熟練の「技術的側面」と「社会的側面」との関連、管理方式に対する労使関係の反作用、管理組織と労使関係統轄組織との関係、などに分析力点をおくような視角が得られた(序論)。

II管理方式と労使関係

 (1)「大躍進」(1958〜60年)期にソ連モデルが修正された。以後、指令性経営の下での企業管理は集権的生産管理と分権的管理組織、計画経済と成りゆき管埋との組み合わせによって特徴づけられた。つまり政府の生産計画が調度システムを通じて集権的に遂行されるが、生産諸単位(工場から作業班まで)が「同等」の管理諸機能をかかえ独立性が強かった。作業現場では標準作業基準が確立されず、労働意欲の発揚は党組織の動員に依存した。労働能率の低下は雇用・分配制度と関わる問題であった。まず利潤全額上納制と賃金統制の下で能率改善の成果が企業と労働者に還元されず、分権的管理組織は能率規制の道具として作用した。つぎに労働者を精神的に動員する根拠も次第に枯渇してきた。「労働者=主人公」との理念の実質的内容は解雇されないことにとどまり、「幹部」「工人」との身分制度が厳存し、分配面における労働者の発言権もなかったからである(I部1〜2章)。

 (2)政府が改革を進めた最初の目的は企業の利潤上納を刺激し、計画経済の投資機能を回復させようすることにあった。紆余曲折を経て成立した利潤上納逓増請負制は投資機能を政府から企業へ移行させ、賃金と福利の増加をも投資活動の効果である実現利潤の成長にスライドさせるようになった。投資の増大→生産性の向上→利潤増大→パイ増大の回路を確立させたことは、利潤逓増請負制が比較的生命力のある経営方式になりえたポイントである(II部1章)。

 (3)経営自主権が政府によって制限され、作業過程の統轄権を経営側が掌握していなかったことが自主経営を制約する要素であった。第一の制約を克服するための方策は政府規制の弱い分野へ進出していく経営多角化政策であった。第二の制約を克服するための方策は、全員請負制と科学的管理法の導入であった。総じていえば、企業は政府との関係において留保利潤を実現利潤の上昇にスライドして増大させていくシステムをかち取った。企業と労働者の関係において賃金上昇と福利増大を生産性向上と連動させ、かつ身分制度を打破したことなど、新たな権利が与えられた代償として、科学的管理が労働者によって受け入れられ、労働強度が増大した。結果として設備能率と労働生産性はともに上昇した(II部3章)。

III労使関係の統轄機構

 (1)建国以来、企業は二つのシステムを体験した。まず1950年代前半には、企業経営は企業長の専権となったが、賃金・福利などの分配問題は、企業長と工会との団体契約によって律せられることになった。企業長は政府主管部門にのみ責任をもつ存在であり、工会は労働者の分配利益の代弁者として独自な交渉権が与えられ、その発言権は大きかった。企業長の官僚主義の台頭と工会の独立傾向の増大という労使関係の二元化傾向が問題とされ、党組織による一元的指導が強調されるようになった。その結果、1950年代半ば頃から80年代半ば頃にわたって、企業は党委員会(以下では党委と略す)指導下の企業長責任制の下で運営されてきた。企業党委は企業管理の実権をにぎり、同時に企業内労使関係をも統轄した。「高蓄積・低賃金」政策の下で、二つの機能は整合性をもたず、つねに相反する性向をもつものであった。というのは党委は賃金増加と結びつかない生産増強をはかりながら、労使関係の協調を求めるという難しい立場に立っていたからである。さらに企業党委は政府に責任をもつ管理者でありながら、一般党員の代表者でもあるという二重の立場にあったが、その二つの立場の整合性も大きな問題点であった。鉄鋼争議はこの非整合性の問題を端的に示した(I部3章)。

 (2)改革後、経営請負制の成立は企業党の存在形態と深い関係を持っている。企業党委は利潤や賃金分配をめぐって企業と従業員の利益を代表して政府との交渉や駆け引きに臨んだ。政府と企業との関係において、党委は従業員の代表としての役割を演じた。他方、従業員との関係において、党委は生産・労務管理の合理化を進める経営者に変身した。改革当初、党委は「経済的動力」をテコにして能率向上に向けて従業員を動員しながら経営合理化を進めたが、それに伴う企業内での摩擦が増える一方であった。経営者としての党委の地位獲得は従業員からの支持基盤の喪失の危険性をも孕んでいた。首鋼と政府との意見対立、経営と従業員との緊張関係が増す中で、党委は危機に直面した(第II部3章)。

 (3)危機打開策は民主改革であった。その第一の内容は党委が「家の当主」の座を制度として職・工代表大会に譲り、それによって新たな次元での一元的な従業員統合システムが確立された。それは二つの意味で、自主経営に組織的な根拠を与えた。すなわち、政府との交渉力を強化する根拠が得られたこと、従業員参加の機能を充実しつつ、従業員管理を強化する根拠が得られた。民主改革の第二の内容は「生活管理の自治」であった。この「自治」の下で福利厚生事業が拡充された。首鋼が成功した原因の一つは能率向上の成果を福利事業に還元し、それによって従業員の自主経営への自発的な協力を獲得したことにある。この制度が党組織を中核とする職・工代表大会による一元的な従業員統合システムが成り立ってきた根拠である。かくて企業党組織の従業員組織としての性格が濃くなった。

 (4)しかし、民主管理は経済的動力に依拠する色彩が濃い。企業経営が拡大傾向にあり、経済的動力の利用に必要な原資が充分であることはこのシステムの成立条件である。さらに能率指向の一環として、党組織のエリート化も避けられない。弱者と強者との関係をどう調整するかも課題の一つとなる。

IV『単位』主義的労使関係

 全体分析から、労使関係と管理方式における中国的な一般特徴として『単位』主義がとりあげられる。仮説的に提示すると次のようになる(終章)。

 (1)管理方式について時間が経っても変わらない要素がひとつある。すなわち企業内の生産・協業諸単位がいずれも<同等の管理諸機能>をもつことである。その<同等の管理諸機能>の内容が生産から、政治・生活にわたる広範囲のものでありながら、明白な形で「系統別」に分類されている。あらゆる生産単位が「系統別」管理機能からなる自己完結の<単位>である。中国の工場内分業がこの<単位>の形で編成されている。改革後も変わっていない。請負制の導入もこの<単位>を前提に行われた。請負制のもとで「系統別」諸機能がすべて評価され、査定をへて経済報酬とリンクされるようになった。熟練の面においても、同様な要素が見られる。個人の実績評価の対象が「系統別」能力であり、まとまった<単位>としての総合能力である。熟練における中国的な特徴がここにある。

 (2)労使関係の編成原理も<単位>と結ばれている。<単位>内の人間関係をまとめ、対外的に<単位>の利益を代弁する主体が党組織である。工場の党委にせよ作業班の党小組にせよ、いずれも自らの<単位>の管理主体でありながら、労使関係の処理を担う主体でもある。そして党員が<単位>構成員の中核的な存在である。熟練との関連において「系統別」諸能力が評価された者のみが党員になる。党員からなる党組織が自らの<単位>の利益を追求する主体である意味で、<単位>的なエゴを持つと同時に、上位の<単位>の一構成員である意識をももっている。<単位>の行動原理が自らの<単位>の利害と上位の<単位>の利害との間で如何にバランスをとるか、に規定される。このような<単位>的論理に基づいて編成された労使関係は『単位』主義的な労使関係と名付けたい。

 (3)『単位』主義的な労使関係の成立の原点が毛沢東の『大躍進』運動にある。工業化と理念を両立させようとする毛沢東の改革には、平等主義的分配と分権化という二つの流れがあった。平等主義的分配は半熟練労働者の熟練の形成プロセスと乖離し、新たな不平等を生み出したがゆえに、継続することができなくなった。

 (4)分権化の流れが再編されながらも今日もなお存続している。かつて50年代前半に見られた経営管理の集権化と労使関係の二元化の流れにとってかわって、経営管理の分権化と労使関係の一元化が押し進められた。分権化は政府や企業長のもつ管理諸機能を工場→現場へと下放する運動でもあった。ここで働いた平等主義の論理はあらゆる生産単位において<同等の管理諸機能>をもつべきだというものである。企業長や党幹部に対する能力評価-系統別諸能力からなる総合能力への評価-のやり方も作業員にも適用されるようになった。<単位>に立脚する『単位』主義的労使関係成立の原点がここにある。近代的能率主義と折り合いながら、現在も存続しているこの論理こそ、国有企業の管理方式と労使関係の特徴を解くためのキーポイントである。なぜなら自主経営の展開過程において、内発的な改革の論理はこの『単位』主義的労使関係と深く係わっているからである。

審査要旨

 李捷生氏から提出された博士論文(課程搏士)「中国国有企業の経営と労使関係-鉄鋼産業の事例を中心に-」は、中国鉄鋼産業の事例分析を通じて1949年から93年にいたる国有企業の、雇用分配関係・工場管理方式・労使関係統括機構の変遷を経営管理方式と関連づけて明らかにしようとした作品である。従来個々の論点について分散的に議論される傾向のあったこの領域の問題が、包括的かつ歴史的視角から検討されているのみでなく、首都鉄鋼公司の実態調査に基づいた重要なファクトファインディングも示されている。

 以下ではまず提出論文の各章の要約を行い、ついで評価を述べる。

提出論文の概要

 「序論 課題」では、主に本論文の問題関心(課題)が示される。(1)雇用分配関係、工場管理方式(秩序)、諸主体の利害調整機構、を相互に不可分な一つのシステム(著者の用語では「労使関係」)として把握し、かつその内的矛盾をも探る(=動態化)、(2)計画経済下での低能率問題、その後の能率管理問題の変化の過程を相互に不可分な一つのシステム(「労使関係」)の中に位置づけてとらえる、(3)企業内共産党組織がこうしたシステムにいかにかかわっているのかを明らかにする、の三点である。また基本的事実(特に(2))が不明という研究状況をふまえて事例研究という方法が採られたこと、企業改革のパターンセッターであるがゆえに鉄鋼産業が選ばれたことも示される。

 「第I部 計画経済と労使関係」は、78年以降の経済改革の史的前提を分析した部分である。「第1章 雇用・賃金制度」では、1950年代の「固定工」制度、賃金総額抑制を前提とした頭脳・熟練労働者優位の能率給(「能率主義的低賃金」)の導入がまず指摘される。だが「大躍進」失敗後の大規模人員削減は前者を揺るがし、ざらに後者は農民出身の非熟練労働者の要求を反映した賃金の「平等化」政策(「平等的低賃金」=「大躍進」期、「文革」期)にとってかわられるなど政策的には大きな変動を繰り返すこととなる。

 「第2章 指令型経営」では「大躍進」期以降の企業経営システムを、中央・地方政府が共同で国有大企業の生産を管轄するという「二重管理」を前提とした「系統別・二級管理」体制と特徴づけて分析していく。系統別に編成された職能管理部門が、政府・公司・工場という各段階で縦の関係をもつことが「系統別管理」、各工場が諸職能管理部門を有し、財務福利厚生管理の単位であり、工場党委員会が企業党委員会の基礎単位でもあるような独立性の極めて高いあり方が「二級管理」と称される。ここで焦点となるのが能率管理問題である。集権的な生産管理系統は「調度システム」を通じて実現されることが期待されていたが、現場レベルでは標準的作業基準が示されず、能率管理が作業班組に委ねられ、労働意欲の発揚は現場党組織の政治的動員に任される(「動員型成りゆき管理」)といった状況であった。これには「平等主義的低賃金」や「利潤全額上納制度」などに起因する労働へのインセンティブの欠如が深く関わっていたのである。

 「第3章 労使関係の統括機構」ではこうした経済改革以前の仕組みの下での企業内党組織の機能と問題点が明らかにされる。1950年代半ば以降中国国有企業は党委員会指導下の企業長責任制(「企業内党委員会指導制」)をとった。この下では企業党委員会が企業管理の意思決定と労使関係の調整という二重の機能を担い、さらに政府に責任をもつ企業管理者でありながら企業内一般党員の代表者でもあるという二重の立場にたつこととなった。だが「高蓄積・低賃金」政策の下でこのような制度が安定的である保証はなく、実際70年代前半の武漢鉄鋼公司争議のように、企業党委員会が末端党員の苦情処理・意思疎通機能を全く果たし得なくなった事例も指摘されるのである。

 このように中国国有企業は70年代に入った時点で、雇用分配関係、工場管理方式、諸主体の利害調整機能などの側面からみて構造的問題に直面していた。「第II部 自主経営と労使関係」では、こうした事態に対処すべくとられた80年代以降の諸改革過程が首都鉄鋼公司(以下首鋼と略記)を事例に詳しく分析される。まず「第1章 製鉄所の特質」でその設備体系・企業組織上の特質が述べられた後に、「第2章 自主経営」では経営請負制の導入の過程が考察される。「工業経済生産責任制」→「利潤定額上納請負制」という模索を経て、82年に「利潤上納逓増請負制」は成立し現在(93年)に至っている。この新しい経営請負制は、利潤上納額の算出には長期の固定逓増率を適用し、実現利潤と上納額の差額は全部企業に留保、それを企業が生産基金・奨励基金・福利基金として利用するという制度である。投資機能が政府から企業に移行し、また賃金や福利の増加も実現利潤の成長にリンクさせられることとなったのである。このことは企業が長期的経営目標をもつ経営体へと変身したことを意味するが、そこには鉄鋼分野の投資制限等様々な政府規制が残存するといった問題も多く孕まれていた(結果としての首鋼の多角経営化〉。

 こうした改革は、首鋼での雇用分配関係、能率管理方式に大きな変化をもらした。「第3章 能率管理」では、この問題について詳細に検討されている。まず83年から試行され始めた「契約工」制度によって、企業は自らの裁量で労働者を雇い、彼らと雇用契約を結ぶ関係となった。ここで著者が強調するのは、解雇ができないなど雇用・生活保障の権利という点では実質的には旧来の「固定工」と大差なく、変化したのは保障する主体が国家から企業になったという点である。次に能率管理に関連しては、「全員請負制」(81年)によって、職務内容・責任を明確化し、実績に応じて奨励金を分配していく仕組みが始まったが、請負指標についての「客観的な根拠」や「客観的な査定基準」の欠如という問題を抱えていた。これへの対応としての「浮動賃金制」(82年)・「職務・持ち場別等級賃金制」(84年)の導入、「幹部・工人」の身分撤廃(86年)などは、昇級(給)へのインセンティブを高めつつ、査定における「公開」性を高め、技能向上に基づいて昇進できる道筋を開くものであった。またこれらの措置の定着のために、客観的な職務分析に基づく標準的作業基準の設定(科学的管理法)がなされたが、同時にそれは班組長の地位・育成方式の変更にみられるような現場監督機能の強化と結びついたものであった。ただし著者はこの過程で各工場の権限と独立性が強化されたことにも注意をうながす。そしてこのことがプロセス・アンバランス問題を顕在化させ、その解消のためには党組織による動員機能が依然として重要な役割を果たしていると指摘するのである。

 「第4章 労使関係の統括機構」では首鋼での自主経営・能率管理の展開の中で、企業内党組織が、職・工代表大会などとの関係でどのように機能していったのかが明らかにされる。一般的には中国国有企業では86年以降、「企業長責任制」に移行し長年企業管理の担い手であった企業党委員会が後景に退き、企業長が経営の責任を負い党委員会指導下の職・工代表大会に独自の権限が付与されることになった。これは70年代末からの改革の第一段階で企業党委員会が対政府関係で従業員の利益配分に偏った点を反省したものであったが、今後各主体が実際にどのような関係に立つのかは流動的である。様々な可能性があるなかで首鋼では次のような道が選択された。まず70年代末には党委員会指導下の「総経理責任制」が導入され、企業党委員会は対政府交渉では従業員代表者の機能を、企業内部では効率的生産組織確立を追求する経営主体の機能を担った。だが対政府・対従業員の関係双方とも利害調整が付かなくなるにいたり、86年には工場委員会指導下の「総経理責任制」へと移行した。それは企業党委員会指導下の職・工代表大会が企業の意思決定機関となり、その常設機関の工場委員会の指導下で総経理が日常的経営を指揮し、経営者(三役)を従業員の選挙で選出するという仕組みであった。また労働者生活に直接関係の深い福利事業の管理運営を、行政部門から職・工代表大会生活管理委員会へ委譲するという措置も伴っていた。著者はこの新しい「総経理責任制」への移行(=「民主改革」)の現実的意図を、上級党組織の拘束を回避することによる対政府交渉力の強化、および経営への従業員の自発的協力・参加の強化として把握する。そしてこうしたなかで企業内党組織は従業員組織としての性格を強めていったとする。同時にこの新しい改革が、従業員統合の手段として「経済的動力」に過度に依存していること、能率指向のなかで深化する党組織のエリート化を生んでいるという問題も指摘するのである。

 「第5章 自主経営の論理と理念」では、首鋼での改革の中心人物である周冠五(経営者、党委員会書記)の思想が紹介され、最後の「総括」では各章の議論の要点が手際よくまとめられている。

提出論文の評価

 冒頭でも述べたように、本論文は従来分散的に議論されてきた中国国有企業の雇用分配関係・工場管理方式・労使関係統括機構を、経営管理方式と対応させつつ、相互に不可分な一つのシステムとして描くことを意図している。そして前述の要約からも明らかなようにこの点について相当程度成功していることが本論文のメリットの第一として挙げられる。このことは現地調査も含めた重厚かつ周到な実証と、それぞれの要素の論理的連関をひとつひとつつきつめていく作業によってはじめて可能になったといえる。同時に中国社会主義とは何かについて、イデオロギー的言辞にとらわれずに問いつめていく著者の一貫した姿勢に裏打ちされたものであるともいえよう。

 第二に日本での労働問題研究の成果を駆使し、中国国有企業における生産・労務管理、労使関係などの実態を、詳細に分析していった点である。とりわけ能率問題がどのような制度的連関のなかで発生し展開していくのかについての分析は、こうした方法の優位性がいかんなく発揮されている部分である。また日本での生産・労務管理、労使関係の歴史的展開過程を強く意識した分析となっており、この意味で本論文は今後の国際比較分析の発展に貢献していく可能性も有していると評価できる。

 第三は企業内党組織の機能について、経営管理方式や雇用分配関係・工場管理方式の変遷と関連づけつつ、詳細に分析している点である。企業内党組織は実証面でもまた分析方法という面でも困難な対象であり、従来ほとんど本格的な研究がなかっただけに本論文はパイオニア的位置を占めているといえよう。特に首鋼の企業内党組織が様々な試行錯誤の末に、従業員組織としての性格を強めていったことを浮かび上がらせた分析は印象的である。対象内在的に先入観なく立ち入ったからこそ、このように企業内党組織の機能を柔軟にとらえることができたと評価しうる。

 このような重要なメリットを指摘できる一方でいくつかの問題点も残されている。第一は中国での経営管理方式改革全般のなかでの首鋼の事例の位置づけが必ずしも説得的になされていない点である。例えば鉄鋼企業をとっても、鞍山、宝山などとの共通性、差異を明確にし、首鋼での「成功」の要因を相対化していく作業は今後に残されているといえよう。特に最近になっての首鋼での流動的事態はそうした作業の重要性を示唆している。

 第二は本論文が実証に重点を置いた構成になっている一方で、理論的吟味についてはやや厚みにかける点である。例えば日本での伝統的労働問題研究の方法についても、単にそれを応用するだけでなく、本論文での分析が逆にどのような理論的問題を日本の労働問題研究に投げ返すのかという視角も必要だったのではないか。また企業管理制度に関しては米国を中心にいくつかの理論的研究がなされてきており、日本でも中国国有企業についての木崎翠氏などの研究がある。こうした一連の研究に対する本格的検討も今後に残されている。

 第三に実証面では、文書や言説でなく、実際に機能しているメカニズムについてさらに深く検討していくことが今後に残されている。例えば科学的管理の実際の運用、あるいは企業によって保障されることとなったとされる雇用保障の実態などをたぐっていくと、本論文では発見できなかった別のメカニズムが存在するかもしれないと考えられる。

 以上のような問題点は、見方を変えれば著者の研究の今後の発展性を示唆するものであり決して本論文の価値を失わせるものではない。本論文は国際的レベルでもみても、この領域での研究を大きく前進させるものであるといえる。以上の評価をふまえて、李捷生氏によって提出された論文は、博士(経済学)の学位授与に値するものと認められる。

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