審査要旨 | | ヒト腎臓ジペプチダーゼは,分子量約82kDaのホモダイマーのポリペプチドに約50kDaの糖鎖が付加した糖蛋白質であり,各モノマーのSer369に結合したフォスフォアチジルイノシトールグリカン(GPIアンカー)を介して腎臓皮質の膜表面に結合する含亜鉛酵素である。本酵素は,ペプチド基質としてはジペプチドのみを加水分解し,ペネムとカルバペネム系の-ラクタム抗生物質,グルタチオン代謝物やロイコトリエンD4を加水分解する。 本論文は,ヒト腎臓ジペプチダーゼの三次元構造と活性発現の機構の解明を研究の目的とし,その結晶構造のX線解析と得られた結果について論じたものである。 研究では,まず,バキュロウィルス感染のカイコにより産生された組換え体ジペプチダーゼを結晶化したが,この結晶は分解能4A程度のX線回折斑点しか与えず,X線照射による損傷も大きかった。次に,メタノール資化酵母Pichia pastorisでの発現試料の糖鎖をエンドグリコシダーゼ酵素で短鎖化した試料について良質な結晶を得た。この短糖鎖化試料の結晶について,多重重原子同型置換法によって初期位相を算出し,溶媒領域と非結晶学的対称性に基づく電子密度の平均化を行った。結晶学的な構造精密化の結果,分解能2.3AでR因子0.198のネーティブ体の構造を得た。さらに,基質類似阻害剤のシラスタチンとの複合体の結晶を調製し,X線回折強度データを120Kにおいて分解能2.0Aまで収集し,結晶学的な構造精密化を行った。得られた主な知見は以下のとおりである。 ジペプチダーゼ分子は,歪んだ(/)8バレル構造のモノマーがバレル筒の軸を平行にして対向し,分子の長軸方向が約100A,幅と高さが約40Aの細長い楕円体の形状をしている(挿入した構造摸式図を参照)。膜への結合部位はバレルを構成する鎖のC末端側に位置し,活性部位を成す亜鉛イオンの結合部位はこの膜結合部位側にあり,筒の底面のほぼ中央に位置する。モノマー内に4ヶ所存在する糖鎖結合可能部位のうち,Asn316とAsn41にN-アセチルグルコサミンが結合している。モノマーの2本のヘリックスが他方のモノマーの相当するヘリックスとの間の原子間接触は密であり,これら4本の平行なヘリックスが束ねられた部分にはバリンやロイシンなどが多く存在する。これらの疎水的な相互作用とCys361間のジスルフィド結合によりダイマー構造が安定化されている。 亜鉛イオンの結合部位は,サーモライシンなどの亜鉛プロテアーゼに共通するHEXXHモチーフとは全く異なる2核の亜鉛イオンの構造をとっている。2個の亜鉛原子はGlu125で直接橋渡しされ,その間の距離は3.6Aである。亜鉛Zn1にはHis20,Asp22,Glu125と水1分子が配位し,ゆがんだ四面体配位となっている。亜鉛Zn2にはGlu125,His198,His219と水2分子が配位し,三角両錘型の配置を取っている。基質結合ポケットは長さが約14A,幅が約7Aと狭く,基質結合ポケットの長軸端側は疎水性残基による壁面が形成されている。この結合ポケットの構造がジペプチドのみを加水分解する本酵素の基質特異性を発現している。 活性発現の機構としては,亜鉛イオンに配位する水分子が基質のカルボニル炭素を求核攻撃すると考察した。この水分子は,亜鉛Zn1,亜鉛Zn2,Asp22,Asp288により活性化されうる位置にあり,シラスタンシンのカルボニル炭素との距離も2.9Aと近い。求核攻撃によって生じる四面体中間体のオキシアニオンは,近くに存在するHis152やHis198,さらに,2核の亜鉛イオンの正電荷により安定化され,また,His152は脱離基に対するproton donorとして働くと考えられる。この機構は,一次配列が既知の哺乳類の腎臓ジペプチダーゼにこれらの残基が共通して保存されているという知見とも合致する。 図表 バレルの形状と活性部位の三次元構造に関しては,単核亜鉛のアデノシンデアミナーゼや,2核のニッケルのウレアーゼとの間に共通する類似性を見出した。特に,ウレアーゼとは,金属イオンに配位するアミノ酸残基と,それらが位置するバレルの鎖への帰属に共通点が存在する。これらの酵素は一次構造的には相同性が見られないが,加水分解的な反応を触媒する点では共通しており,構造の類似性は,バレルの三次元構造を安定的に保持し,かつ,バレルのC末端側の筒底面に金属イオンの結合部位を形成するように収束的に進化した結果であると提起した。 糖蛋白質は糖鎖部分の不均一性などのため,良質な結晶を得ることが困難なため,その構造研究例は極めて少ない。本研究は,短糖鎖化により良質な結晶が得られ,高分解能でのX線解析が可能であることを初めて示した。 本論文は,糖蛋白質ヒト腎臓ジペプチダーゼの構造と機能の理解に必須とされる詳細な三次元構造知見を与え,また,本酵素で代謝されない抗生物質などの設計創製にも有用な構造情報をもたらすものである。よって,本論文は,蛋白質の構造化学,構造生物学および製薬化学の進歩に貢献するところが大きく,博士(薬学)の学位の授与に価する内容を有すると判定した。 |