学位論文要旨



No 112882
著者(漢字) 似内,靖
著者(英字)
著者(カナ) ニタナイ,ヤスシ
標題(和) 糖蛋白質ヒト腎臓ジペプチダーゼのX線結晶構造解析
標題(洋)
報告番号 112882
報告番号 甲12882
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第793号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
 東京大学 助教授 原田,繁春
内容要旨

 ヒト腎臓ジペプチダーゼは腎臓皮質の膜表面に存在する糖蛋白質である。本酵素は、ジペプチドのみを加水分解し、トリペプチド以上のオリゴペプチドやエステル基質は加水分解しない。生理的な役割の詳細は未だに解明されていないが、グルタチオン代謝物やロイコトリエンD4を加水分解することから、腎臓におけるこれらの物質の代謝にも関わっていると考えられる。また、ペネム、カルバペネム系の-ラクタム抗生物質の代謝にも関わっている。

 本酵素は、モノマー2個がジスルフィド結合で架橋された分子量約82kDaのホモダイマーである。天然型酵素のSDS-PAGEの結果からは、ダイマーあたり約50kDaの糖鎖が結合している。また、Ser369に結合したフォスフォアチジルイノシトールグリカンを介して膜に結合する。一次配列上で相同性を持つ蛋白質は近縁のジペプチダーゼのみであり、活性発現には亜鉛イオンが必須とされている。しかし、活性残基としてはGlu125が同定されているのみで、活性発現についての構造知見は全く得られていない。本研究では、このヒト腎臓ジペプチダーゼの三次元構造の解明を目的とし、そのX線結晶構造解析を行なった。

【結晶化とX線構造解析】

 研究では、まず、バキュウロウイルスを感染させたカイコにより産生された、C末端側の疎水性アミノ酸26残基を除いた369残基、約41kDaの組換え体ジペプチダーゼを結晶化した。SDS-PAGEの結果によると、この試料にはモノマーあたり約1kDaの糖鎖が付加されている。ポリエチレングリコール8000を結晶化剤として四角両錐状の結晶を得た。しかし、この結晶は分解能4A程度のX線回折斑点しか与えず、X線照射による損傷が著しく大きいことから、X線回折実験には適していないと判断した。

 次に、メタノール資化酵母Pichia pastorisでの発現試料を、エンドグルコシダーゼHfによって糖鎖を短鎖化した試料を結晶化した。ポリエチレングリコール8000を結晶化剤に用いることにより箱形の結晶が得られた。この結晶は少なくとも分解能2.3AのX線回折斑点を与え、その空間群はP21、格子定数はa=81.64A、b=81.82A、c=57.04A、=96.58°であり、非対称単位中に1ダイマーが存在する。

表1 Statistics on Diffraction Data Collection表2 Isomorphous Replacement表3 Crystallographic Refinement

 ネイティブ結晶については、10個の結晶を用い、回転銅対陰極X線発生装置をX線源として、イメージングプレートを用いる読み取り装置一体型振動カメラにより回折強度データを2.3A分解能まで収集した(表1)。また、シラスタチン溶液にネイティブ結晶をsoakingする事により、シラスタチン複合体結晶を調整し、その回折強度データを120Kにおいて2.0A分解能まで収集した。次に、表2に示す通り、3種の重原子誘導体の結晶を調製し、多重重原子同型置換法により分解能3.0Aで初期位相を得た。

 溶媒領域の電子密度の平滑化と、非結晶学的対称性に基づいてのダイマー分子の電子密度の平均化を行い、構造の初期モデルを構築した。プログラムX-PLORによる結晶学的構造精密化の初期段階では、非結晶学的対称性に基づく束縛条件をモノマー間に付加した。ネイティブ構造の分解能15-2.3Aでの結晶学的構造精密化、及び、シラスタチン複合体構造の分解能10-2.0Aでの結晶学的構造精密化の結果を表3に示す。

【結果】

 ヒト腎臓ジペプチダーゼは、(/)8バレル構造のモノマー分子がバレル軸を平行にして対向し、ジスルフィド結合で連結されている(図1)。ダイマーの長軸方向は約100A、幅と高さは約40Aであり、細長い楕円体の形状をしている。膜への結合部位はバレルを構成する鎖のC末端側に位置する。活性部位を成す二核の亜鉛の結合部位はこの膜結合部位側にあり、バレルの筒底面のほぼ中央に位置している。

図1 膜側から見たジペプチダーゼのリボンモデル図2 ジペプチダーゼのモノマーの二次構造

 図1と図2に示すように、モノマーの折れ畳みは1バレルの構造である。バレルの形状はゆがんでおり、非結晶学的二回軸に近いヘリックスと鎖は長く、二回軸に対して立っているのに対し、ダイマー周辺のヘリックスと鎖短く、二回軸に対して横倒しになっている。また、81の間には、主鎖原子間の水素結合が存在しない。一次配列上で、バレルのN末端側にはa、C末端側にはdeのヘリックスが存在し、これらがバレルを構成する鎖のN末端側を覆っている。また、バレルを形成するヘリックス1-81-8のほかに、一組のヘリックス2a2aが、34の上部の間隙を充填して存在する。32aとも平行シートを形成している。

 モノマー内には、ダイマー周辺と活性部位近傍に2つのジスルフィド結合が存在し、ループ構造の安定化に寄与している。モノマーに4ヶ所存在する糖鎖が結合可能な部位のうちAsn41とAsn263はやや膜側に向いている。電子密度では、一方のモノマーのAsn316と他方のモノマーのAsn41にN-アセチルグルコサミンが結合していることが明瞭に認められる。

 平行に並んだ23と他方のモノマーの間23との間の接触は密であり、これら4本のヘリックスが束ねられた部分の中央にはバリンやロイシンなどが多く、疎水的なコアが形成されている。この疎水的相互作用とCys361間のジスルフィド結合によりダイマー構造が安定化されている。

 亜鉛結合部位の構造は、サーモライシンなどの亜鉛プロテアーゼに共通する構造モチーフHEXXHとは全く異なっている(図3)。活性残基と考えられているGlu125が2つの亜鉛イオンを直接橋渡しして配位しており、亜鉛間の距離は3.6Aである。亜鉛Zn1にはHis20、Asp22O、Asp22O、Glu125Oと水分子Wat451が配位している。その配位形式は、Asp22のカルボキシル基を一つのグループと見て、ゆがんだ四面体配位だと考えられる。また、亜鉛Zn2にはGlu125O、His198N、His219N、及び、2つの水分子、Wat452とWat453が配位しており、三角両錘型の配置を取っていると考えられる。

図3二核の亜鉛の結合部位(ステレオ図)

 シラスタチン複合体構造においては、シラスタチンは二核の亜鉛を覆うように結合しており、ペプチド結合に隣接するカルボキシル基がArg230と2本の水素結合を形成している。また、この基の酸素原子の一つは、亜鉛Zn2から距離2.3Aの位置にあり配位可能である。ペプチド結合のカルボニル炭素周辺には、水分子Wat421が距離2.9Aに位置している。三員環の部分はTrp25やTyr68とvan der Waals相互作用をしていた。

図4シラスタチンの電子密度(ステレオ図)
【考察と結論】

 糖蛋白質は糖鎖部分のヘテロ性のために、糖鎖を除去しないと良質の結晶が得られないと考えた。N-グリカナーゼで処理し、糖鎖を完全に除去すると活性が失われる。カイコでの発現試料は、エンドグルコシダーゼHf処理の試料と糖鎖含有量にはほとんど差がないにもかかわらず結晶性に差があり、X線回折能は良好ではなかった。これは、カイコ発現の試料では糖鎖含有量が少ないものの糖鎖にヘテロ性が存在するためであろう。

 /バレルの形状と活性部位の三次元構造に関しては、単核亜鉛を活性部位に持つアデノシンデアミナーゼや、二核ニッケルを活性部位に持つウレアーゼとの間に興味深い類似がみられる。特に、ウレアーゼとは、金属イオンの配位子として働くアミノ酸残基が/バレルを構成する何番目のストランドに所属しているかということについて、多くの共通点が見られる。これらの酵素は一次配列に相同性が全く無いが、加水分解的な反応を触媒する酵素であるという点が共通しており、バレルの三次元構造を安定的に保持し、かつ、バレルのC末端側の筒底面に金属イオンの結合部位を形成するように収束的に進化した結果が、この類似性の由来と考えられる。

 活性部位における基質結合ポケットは、長さが約14A、幅が約7Aと狭い。また、基質結合ポケットの長軸端側は、疎水性残基により壁面が形成されている。このような基質結合ポケットの立体構造が、ジペプチド以上のオリゴペプチドを加水分解できないこと、また、N末端側に疎水性残基を有するジペプチドを基質として好むことなどの、ジペプチダーゼの基質特異性の一端を担っていると考えられる。

 シラスタチンの結合様式が基質の結合様式と大きく変わらないという事を仮定すると、シラスタチン複合体の構造から、大きく分けて2通りの活性発現の機構が考えられる。第一の機構は、Asp22、もしくは、Asp288の側鎖のカルボキシル基が直接カルボニル炭素に求核攻撃する機構である。しかし、シラスタチン複合体の構造では、これらのカルボキシル酸素とカルボニル炭素との距離が、約4Aと遠く、可能性は低いと考えられる。第二の機構は、図4中の水分子Wat421がカルボニル炭素を求核攻撃する機構である。この水分子は、亜鉛Zn401、亜鉛Zn402、Asp22、Asp288により活性化されており、カルボニル炭素との距離も2.9Aと近いので、こちらの反応機構の方が有力であると考えられる。

 水分子が求核攻撃して生じる四面体中間体のオキシアニオンは、活性部位近傍に存在するHis152やHis198、さらに、2つの亜鉛イオンの正電荷により安定化されると考えられる。また、His152は脱離基に対してproton donorとして働く可能性が考えられる。哺乳類の腎臓ジペプチダーゼは、ヒトを含めて6種の一次配列が知られているが、いずれのジペプチダーゼでもこれらの残基は保存されており、この反応機構を支持していると考えられる。

審査要旨

 ヒト腎臓ジペプチダーゼは,分子量約82kDaのホモダイマーのポリペプチドに約50kDaの糖鎖が付加した糖蛋白質であり,各モノマーのSer369に結合したフォスフォアチジルイノシトールグリカン(GPIアンカー)を介して腎臓皮質の膜表面に結合する含亜鉛酵素である。本酵素は,ペプチド基質としてはジペプチドのみを加水分解し,ペネムとカルバペネム系の-ラクタム抗生物質,グルタチオン代謝物やロイコトリエンD4を加水分解する。

 本論文は,ヒト腎臓ジペプチダーゼの三次元構造と活性発現の機構の解明を研究の目的とし,その結晶構造のX線解析と得られた結果について論じたものである。

 研究では,まず,バキュロウィルス感染のカイコにより産生された組換え体ジペプチダーゼを結晶化したが,この結晶は分解能4A程度のX線回折斑点しか与えず,X線照射による損傷も大きかった。次に,メタノール資化酵母Pichia pastorisでの発現試料の糖鎖をエンドグリコシダーゼ酵素で短鎖化した試料について良質な結晶を得た。この短糖鎖化試料の結晶について,多重重原子同型置換法によって初期位相を算出し,溶媒領域と非結晶学的対称性に基づく電子密度の平均化を行った。結晶学的な構造精密化の結果,分解能2.3AでR因子0.198のネーティブ体の構造を得た。さらに,基質類似阻害剤のシラスタチンとの複合体の結晶を調製し,X線回折強度データを120Kにおいて分解能2.0Aまで収集し,結晶学的な構造精密化を行った。得られた主な知見は以下のとおりである。

 ジペプチダーゼ分子は,歪んだ(/)8バレル構造のモノマーがバレル筒の軸を平行にして対向し,分子の長軸方向が約100A,幅と高さが約40Aの細長い楕円体の形状をしている(挿入した構造摸式図を参照)。膜への結合部位はバレルを構成する鎖のC末端側に位置し,活性部位を成す亜鉛イオンの結合部位はこの膜結合部位側にあり,筒の底面のほぼ中央に位置する。モノマー内に4ヶ所存在する糖鎖結合可能部位のうち,Asn316とAsn41にN-アセチルグルコサミンが結合している。モノマーの2本のヘリックスが他方のモノマーの相当するヘリックスとの間の原子間接触は密であり,これら4本の平行なヘリックスが束ねられた部分にはバリンやロイシンなどが多く存在する。これらの疎水的な相互作用とCys361間のジスルフィド結合によりダイマー構造が安定化されている。

 亜鉛イオンの結合部位は,サーモライシンなどの亜鉛プロテアーゼに共通するHEXXHモチーフとは全く異なる2核の亜鉛イオンの構造をとっている。2個の亜鉛原子はGlu125で直接橋渡しされ,その間の距離は3.6Aである。亜鉛Zn1にはHis20,Asp22,Glu125と水1分子が配位し,ゆがんだ四面体配位となっている。亜鉛Zn2にはGlu125,His198,His219と水2分子が配位し,三角両錘型の配置を取っている。基質結合ポケットは長さが約14A,幅が約7Aと狭く,基質結合ポケットの長軸端側は疎水性残基による壁面が形成されている。この結合ポケットの構造がジペプチドのみを加水分解する本酵素の基質特異性を発現している。

 活性発現の機構としては,亜鉛イオンに配位する水分子が基質のカルボニル炭素を求核攻撃すると考察した。この水分子は,亜鉛Zn1,亜鉛Zn2,Asp22,Asp288により活性化されうる位置にあり,シラスタンシンのカルボニル炭素との距離も2.9Aと近い。求核攻撃によって生じる四面体中間体のオキシアニオンは,近くに存在するHis152やHis198,さらに,2核の亜鉛イオンの正電荷により安定化され,また,His152は脱離基に対するproton donorとして働くと考えられる。この機構は,一次配列が既知の哺乳類の腎臓ジペプチダーゼにこれらの残基が共通して保存されているという知見とも合致する。

図表

 バレルの形状と活性部位の三次元構造に関しては,単核亜鉛のアデノシンデアミナーゼや,2核のニッケルのウレアーゼとの間に共通する類似性を見出した。特に,ウレアーゼとは,金属イオンに配位するアミノ酸残基と,それらが位置するバレルの鎖への帰属に共通点が存在する。これらの酵素は一次構造的には相同性が見られないが,加水分解的な反応を触媒する点では共通しており,構造の類似性は,バレルの三次元構造を安定的に保持し,かつ,バレルのC末端側の筒底面に金属イオンの結合部位を形成するように収束的に進化した結果であると提起した。

 糖蛋白質は糖鎖部分の不均一性などのため,良質な結晶を得ることが困難なため,その構造研究例は極めて少ない。本研究は,短糖鎖化により良質な結晶が得られ,高分解能でのX線解析が可能であることを初めて示した。

 本論文は,糖蛋白質ヒト腎臓ジペプチダーゼの構造と機能の理解に必須とされる詳細な三次元構造知見を与え,また,本酵素で代謝されない抗生物質などの設計創製にも有用な構造情報をもたらすものである。よって,本論文は,蛋白質の構造化学,構造生物学および製薬化学の進歩に貢献するところが大きく,博士(薬学)の学位の授与に価する内容を有すると判定した。

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