序文 細胞膜を7回貫通する数多くの受容体は  三量体型GTP結合蛋白質(G蛋白質)を介して細胞内に受容体刺激の情報を伝える。GSやGqはその サブユニットを介して極めて限定された細胞内情報分子(セカンドメッセンジャー)産生酵素を活性化する。一方、百日咳毒素感受性G蛋白質(Gi)は、様々な細胞内情報伝達への関与が示唆されており、Gi連関型受容体刺激により制御される細胞応答の全貌は明らかでない。その制御は、 サブユニットのみならず サブユニットによっても行われ、 の作用は よりも高濃度を必要とする。Giは他の三量体型G蛋白質に比べて細胞膜における存在量が多いことから、 を供給できると考えられている。 本研究では、Gi連関型受容体刺激を解析する中で、アデニル酸シクラーゼとPI3キナーゼのサブタイプによっては、単独ではほとんど作用を示さないが、これらの酵素が他の受容体刺激による活性化を受けている時に有効に作用し、その活性を増強するという、ユニークな現象を見いだした。また、PI3キナーゼに関しては、その増強作用が関与する細胞応答を明らかにした。 第1章;モルモット好中球におけるGiの サブユニットを介したcAMP産生の増強 周知のように、GS によってアデニル酸シクラーゼが活性化され、cAMP産生が上昇する。一般的な細胞において、Gi連関型受容体刺激はcAMPの産生を抑制するが、モルモット好中球においては、逆に増強することを見いだした。 化学走化性ペプチドfMLPは、Giを介した受容体刺激を行う典型的なアゴニストである。モルモット好中球において、fMLPは、単独の刺激ではほとんどcAMP産生を起こさないが、プロスタグランジン(PG)Elによって引き起こされるcAMPの蓄積を著明に増強することを見いだした(Fig.1-A)。この増強作用は、Giの特異的阻害剤である百日咳毒素で完全に抑制されたことから、fMLPの作用は確かにGiを介していると考えられた。 fMLP+PGElで起こるcAMP産生は、通常アデニル酸シクラーゼを活性化するフォルスコリンによって逆に抑制されるという特徴を見いだした(Fig.1-B) Fig.1 モルモット好中球におけるfMLP受容体刺激によるcAMP産生の増強 従って、fMLPによるcAMP産生の増強は、フォルスコリン抑制型のアデニル酸シクラーゼに担われると考え、性質を調べるために部分精製を行った。フォルスコリンの抑制作用は、細胞膜をあらかじめGTP Sで処理し、GS と複合体を形成させて活性化型にすることで観察された。通常の条件下では、フォルスコリンアガロースに対して親和性が低く精製が困難であったが、Mn2+の添加で親和性が上昇することを見いだし、精製を可能とした。部分精製標品(GS で活性化されたアデニル酸シクラーゼ)は、精製 の添加により活性化され、その活性はフォルスコリンにより抑制された(Fig.2)。以上から、PGE1によるcAMP産生に対するfMLPの増強作用は、GS で活性化されたアデニル酸シクラーゼに対してGiの サブユニットが作用することに基づくと考えられた。 Fig.2 GS により活性化されたアデニル酸シクラーゼに対するG蛋白質 サブユニットの作用第2章;CHO細胞におけるGiの サブユニットを介したPIP3産生の増強 PI3キナーゼはイノシトールリン脂質の3位をリン酸化する酵素で、様々な受容体刺激で活性化され、細胞内でPIP3を産生する。現在その活性化機構は、PI3キナーゼのサブタイプによって2種類に分けられる。1つは、p85調節サブユニットとp110触媒サブユニットからなるヘテロダイマー型に対する機構で、チロシンリン酸化配列との結合によって活性化される。もう1つは、p110のモノマー型に対する機構で、cell-free系で によって活性化されることから、Giによって制御されることが予想されている。ところが当研究室では、ヘテロダイマー型に対しても、 が作用するというデータをcell-free系において得ているが、受容体刺激を介した制御は不明である。これを解析するために、インスリン受容体によるチロシンリン酸化を介したヘテロダイマー型PI3キナーゼの活性化が良く解析されているCHO細胞に、Gi連関型の典型であるfMLP受容体を強制的に発現させて、両受容体刺激によるPIP3の産生を解析した。 インスリン及びfMLP受容体を発現させたCHO細胞(CHO-IR/FPR細胞)において、fMLPは単独ではほとんどPIP3産生を起こさないが、インスリンによるPIP3の蓄積を顕著に増強した(Fig.3)。このfMLPの作用は百日咳毒素感受性であり、確かにGiを介していると考えられた。この増強作用は、プロテインキナーゼCの活性化や細胞内カルシウム動員とは無関係であることを確認した。また、fMLPは、インスリン受容体のチロシンキナーゼ活性を強めないことも確認した。 Fig.3 CHO-IR/FPR細胞におけるfMLP受容体刺激によるPIP3産生の増強 以上の結果を受けて、cell-free系における の作用を検討した。インスリン受容体基質(IRS)-1のp85との結合部位をチロシンリン酸化したペプチドは、インスリン受容体刺激をin vitroにおいて模倣し、ヘテロダイマー型PI3キナーゼを活性化できる。CHO細胞の細胞質画分をMono-Qカラムで分画すると、ヘテロダイマー型PI3キナーゼに対応した活性のみが検出され、これにチロシンリン酸化ペプチドを加えると活性が上昇した。精製 を加えると、このチロシンリン酸化ペプチドの作用は大きく増強された(Fig.4)。 以上から、ヘテロダイマー型PI3キナーゼに対する の作用は、Gi連関型受容体刺激によるPIP3産生の増強を担うと考えられた。 Fig.4 チロシンリン酸化ペプチドにより活性化されたPI3キナーゼに対するG蛋白質 サブユニットの作用第3章;CHO細胞におけるPIP3産生の増強と膜ラッフリングの増強 現段階では、PIP3の生理的意義がほとんど解明されていないことから、Gi連関型受容体刺激によるPIP3産生の増強が制御する細胞の生理応答を解析した。 CHO細胞において、インスリンが引き起こす細胞応答を検索した結果、糖取り込みの増大、ピノサイトーシスの亢進、膜ラッフリングが観察された。これらはいずれもwortmanninで抑制されたことから、PI3キナーゼの関与が考えられた。しかしながら、糖取り込みとピノサイトーシスには、PIP3産生の増強が関与しないことが示唆された。膜ラッフリングは以下に示すように、PIP3産生の増強と良い相関があることを見いだした。 膜ラッフリングは細胞の位置移動に必要と考えられる。ラッフル膜は細胞膜裏打ちアクチンフィラメントを蛍光染色することで明確に観察できる。無血清処理したCHO-IR/FPR細胞をfMLPまたはインスリンで刺激した後に固定化し、蛍光標識ファロイジンで重合アクチンを染色して、共焦点レーザー走査顕微鏡を用いた観察を行った(Fig.5)。インスリン5分間の刺激では僅かな膜ラッフリングが観察されたが、fMLP刺激ではほとんど観察されなかった。これに対してfMLPとインスリンの共刺激では顕著な膜ラッフリングが誘起された。膜ラッフリングはPI3キナーゼの阻害剤であるwortmannin(またはLY294002)で処理した細胞や、p85のdominant negative体を一過性に導入した細胞において完全に抑制された。また、百日咳毒素処理した細胞ではfMLP+インスリン刺激による膜ラッフリングがインスリン単独刺激の程度まで抑制された。以上から、ヘテロダイマー型を介したPIP3産生の増強によって、膜ラッフリングが増強されることが示唆された。 さらに、本当にPIP3が膜ラッフリングを制御するかを検討した。モノマー型のサブタイプであるp110 を定常的に発現したCHO-IR/FPR細胞においては、fMLP単独の刺激でPIP3産生が引き起こされた。これは、細胞系においてp110 がGiによって活性化されることを示した最初の例でもある。このp110 を発現させた細胞では、fMLP単独の刺激で顕著な膜ラッフリングが起こった。これらの知見から、PIP3は膜ラッフリングを制御することが示された。 CHO-IR/FPR細胞において、インスリン単独の刺激と、fMLP+インスリン刺激で起こる膜ラッフリングとでは、形状がかなり異なることから、細胞の形態変化の進行に違いが出ることが予想されたので検討を行った。 インスリン単独で刺激してから5分後に観察される膜ラッフリングは、刺激後60分でも維持されていた。これに対して、fMLP+インスリンで起こる膜ラッフリングは刺激後60分においてほとんど消失した。細胞密度の低いところでは、大きく広がった上皮細胞様の形態を示し、膜ラッフリングが有効に機能したと考えられた、また、密度の高いところではストレスファイバーの発達した線維芽細胞様の形態に変化した。このことから、fMLP+インスリンの刺激で起こる膜ラッフリングは、細胞の形態変化に繋がると考えられた。 Fig.5 CHO-IR/FPR細胞におけるアクチンフィラントの再配列総括 (1)好中球には、フォルスコリンによって抑制されるというユニークな性質を持つ、アデニル酸シクラーゼのサブタイプが存在することを見いだした。Giの サブユニットは、これに作用し、cAMP産生を増強することを見いだした。(2)CHO細胞において、Gi連関型の受容体刺激は、やはり を介してヘテロダイマー型のPI3キナーゼに作用し、PIP3の産生を増強することを見いだした。これらの知見から、他の受容体刺激による細胞内情報分子の産生を によって増強するという、Giの特徴的な性質が示された。 (3)PI3キナーゼの系に関して生理的意義の解析を行い、PIP3産生の増強は膜ラッフリングの増強を行うことを見いだした。その過程で、モノマー型PI3キナーゼであるp110 が、実際にGi連関型受容体刺激で活性化されることを明らかにし、PIP3は膜ラッフリングを確かに制御することも示した。さらに、増強された膜ラッフリングは、細胞の形態変化を起こすことも示した。 |