学位論文要旨



No 112678
著者(漢字) 石神,健
著者(英字)
著者(カナ) イシガミ,ケン
標題(和) 生理活性物質に関する有機化学的研究
標題(洋)
報告番号 112678
報告番号 甲12678
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第1741号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 室伏,旭
 東京大学 教授 瀬戸,治男
 東京大学 助教授 作田,庄平
 東京大学 助教授 渡辺,秀典
内容要旨

 生理活性物質とは、生物の営む精妙な生命現象に微量で関与し、影響を与える物質と定義されているが、その具体的な活性は極めて多様であり、作用機構の詳細まで明確に解明されていないものも多い。この分野における有機化学の役割としては、新規活性物質の開発に始まり、活性本体の構造決定、活性試験への試料の供給、誘導体合成による構造活性相関の解明、プローブ合成などによる作用機構解明への寄与などがあげられる。具体的なその主な手段としては、いわゆる「ものとり」と「有機合成」の2つのアプローチが考えられるが、これらは互いに独立しては発展し得ない。本研究では生理活性物質の研究上基盤となる有機化学の立場から、生物機能の解明に多少でも寄与したいという観点で、活性酸素生成を作用機構とする抗腫瘍抗生物質の研究と光学活性な様々な生理活性物質の合成研究を行った。

1.活性酸素生成を作用機構とする抗腫瘍抗生物質の研究

 化学療法は癌の治療法に不可欠であり、抗癌剤の開発は重要である。しかし、ほとんど全ての抗癌剤は正常細胞に対しても細胞毒性を示し、副作用が生じるため、いかに選択的に腫瘍細胞を傷害するかが課題である。

 TNF(tumor necrosis factor)は腫瘍細胞に対し特異的に細胞傷害を起こすサイトカインであるが、最近になり、その作用には活性酸素であるO2が関与しており、その消去系の1つであるMn-SOD(superoxide dismutase)の発現が低下した腫瘍細胞は、TNFに対し著しく高い感受性を持つことが明らかにされた。

 ある種の腫瘍細胞は悪性化の過程でこのような活性酸素消去系を失っており、TNFのように細胞内に活性酸素を生成する物質は、こうした腫瘍細胞に対し選択的に傷害を引き起こすことができると考えられる。そこで腫瘍細胞への傷害作用が活性酸素消去物質ジチオスレイトール(DTT)の添加で抑制されることを指標に、活性酸素生成を作用機構とする抗腫瘍抗生物質の探索を行なった。その結果、新規抗腫瘍抗生物質menoxymycin A,Bおよびcororubicinを発見したので、これらの構造と作用について解析した。

(1)Menoxymycinに関する研究

 Streptomyces属に属する土壌分離菌KB10株の培養濾液を酢酸エチルで抽出し、塩酸で逆抽出した後、再度酢酸エチルで抽出した。これをシリカゲルTLC、Sephadex LH-20カラム等のクロマトグラフィーにより精製し、新規化合物menoxymycin A,Bを得た。Menoxymycin AはNMRデータの比較から、medermycinの窒素原子がN-オキシドになったものであると決定した。MenoxymycinBの構造解析ではHMBCによりメチルエステルの存在、ジメチルアミノ基の置換位置、糖のナフトキノン骨格への置換などを決定し、最終的には酸性条件下で加熱することによりmedermycinへ変換されることから、図のように構造決定した。これらは種々の腫瘍細胞に対し強い増殖阻害活性を示し、ヒト子宮頸癌細胞ME-180に対するIC50はそれぞれ0.18M、0.051Mであった。

(2)Cororubicinに関する研究

 Micromonospora属に属する土壌分離菌JY16株の培養菌体をアセトンで抽出後、クロロホルム-メタノール(10:1)で抽出し、リン酸水で逆抽出した後、再度クロロホルム-メタノールで抽出した。これをシリカゲル、Sephadex LH-20、ODS-HPLCなどのクロマトグラフィーにより精製し、新規化合物cororubicinを得た。Cororubicinの特徴的な紫外可視吸収よりアンスラサイクリン系の化合物であることが示唆された。構造解析では1H-1H COSYにより糖などのユニットが判明し、アノメリックプロトン、芳香族プロトン、メチルプロトンからのHMBCにより各ユニットの結合を決定した。Cororubicinはアミノ糖が結合したアンスラサイクリン骨格を有する図のような新規構腫瘍抗生物質であった。本化合物も各種腫瘍細胞に対し強い増殖阻害活性を示し、ヒト子宮頸癌細胞ME-180に対するIC50は1.1Mであった。

 

 これらの化合物の細胞傷害作用は、活性酸素消去物質DTTの添加により顕著に抑制された。また腫瘍細胞ホモジェネートにこれらの化合物を添加したところ、O2の生成が検出され、活性酸素生成を介した作用機構が示唆された。したがって本化合物は、活性酸素消去系を失っている腫瘍細胞に対し、選択的に細胞死を引き起こす新しい抗癌剤となりうる可能性が考えられる。

2.光学活性な様々な生理活性物質の合成研究(1)アメリカヤシゾウムシ(Rhynchophorous palmarum)の集合フェロモンRhynchophorolの両鏡像体合成

 アメリカヤシゾウムシは、熱帯アメリカ地方や西インド諸島に生息するココナッツや油ヤシの主な害虫である。この雄が生産する集合フェロモンであるrhynchophorol(A)は1991年にRochatらに発見され構造決定された。しかしこの絶対立体配置が不明であったため、この解明を目的としてrhynchophorolの両鏡像体を高光学純度で合成した。不斉点の導入は酵素を用いた光学分割によって行った。ラセミの中間体(±)-1のアセテート2やプロピオネート3に対し、リパーゼを用いた不斉加水分解を繰り返し行い、最後に結晶性の誘導体4に導き再結晶によりさらに光学純度を向上させた。高光学純度の5を加水分解後還元すればrhynchophorol(A)の両鏡像体がそれぞれ約98%e.e.で得られた。この合成と同じ年にOehlschlagerらによっても約90%e.e.の両鏡像体が合成され、彼らの生物試験により天然物はS-体で、R-体は全く活性を示さないことがわかった。

 

(2)ACAT阻害剤であるacaterinの4つの立体異性体の合成

 ACAT(アシルCoA:コレステロールアシルトランスフェラーゼ)の活性の阻害は動脈硬化や高コレステロール血症などに効果的であると考えられる。1992年にEndoらにより放線菌から天然のACAT阻害剤としてacaterin(B)が単離された。活性的な興味の他に、構造的にもアセトゲニン類にみられる不飽和-ラクトン環を持ち興味が持たれた。Acaterinの持つ2つの不斉点の立体化学は不明であり、その絶対立体配置の決定と異性体間での活性差を調べることを目的に考えられる4つの異性体をすべて合成した。

 

 光学活性な出発原科(R)-および(S)-3-ヒドロキシブタン酸エチル5より6段階で-ラクトン7へ導いた後、2度の塩基処理による置換基の導入により-ケトラクトン8を得た。このケトンの水素化ホウ素ナトリウムでの還元は9とそのpseudo-体をほぼ1:1で与え、それぞれからスルホキシドを脱離させればacaterin(B)とそのpseudo-体を合成できた。両者のNMRは差がなく区別できなかったが、TLC上でのRf値から高極性の異性体が天然物であり、旋光度の符号から4-位の立体はRであると判明した。しかし水酸基の立体は不明であり、結晶性誘導体でのX-線結晶解析もうまくいかず、次の分解実験を行った。合成した(S)-pseudo-Bより導いた10と既知の光学活性なエポキシド11より導いた10の旋光度が一致したことから、天然物の立体は(4R,1’R)であると判明した。また4つの異性体はいずれも活性があったが差はなかった。

(3)細胞周期阻害剤であるRadicicolの合成研究

 細胞周期特異的阻害剤は細胞周期の制御機構解明のための有効な研究用試薬となり得、またこれが抗癌剤としてはたらく可能性も考えられる。1992年にKwonらによってradicicolが細胞周期阻害剤として再発見された。RadicicolはSrc系キナーゼの強力な阻害、様々な癌遺伝子でトランスフォームした細胞に対する形態の正常化など様々な活性を示すが、作用機構は未だ明らかでなく、結合蛋白精製のためのプローブの合成や効率よい全合成経路の確立が必要となった。

 

 合成は芳香環部分とマクロ環部分をHormer反応とマクロラクトン化でつなぐことにした。芳香環部分はアセト酢酸エチルから得られるジエン13と、ジエチルアセトンジカルボキシレートから得られるアレン15のDiels-Alder反応により構築し、この16をホスホネートに変換して17とした。マクロ環部分は(R)-3-ヒドロキシブタン酸エチル5をTakaiのオレフィン化などで、増炭した18のヨウ化物とし、プロパルギルアルコールユニットとのクロスカップリングを経て19をE/Z比4:1で得た。このホモアリルアルコールをSharplessのエポキシ化と末端のDess-Martin酸化で20のアルデヒドへ導いた。17と20のHomer反応はLiCl、DBUの条件で行いE-オレフィンを導入したが、この際にイソクマリン型の環を形成した21のみが得られた。これを保護した後Lindlar触媒で半還元し、さらに加水分解してヒドロキシカルボン酸22を得た。これを環化前駆体として、現在マクロラクトン化を検討中である。

 また、結合蛋白精製のためのプローブ合成も検討中で、フェノール性水酸基にエーテル結合やエステル結合を介して側鎖を伸長した化合物を合成し、活性を検討しながらプローブ合成を目指している。

審査要旨

 本論文は生理活性物質に関する有機化学的研究に関するもので二部よりなる。

 生理活性物質の研究上基盤となる有機化学の立場から、生物機能の解明に多少でも寄与したいという観点で、活性酸素生成を作用機構とする抗腫瘍抗生物質の研究と光学活性な様々な生理活性物質の合成研究を行った。

 第一部では活性酸素生成を作用機構とする新規抗腫瘍抗生物質の単離、構造決定とそれらの活性について研究した結果について述べている。化学療法は癌の治療法に不可欠であり、選択性の高い抗癌剤の開発は重要である。ある種の腫瘍細胞は悪性化の過程で活性酸素消去系を失っており、細胞内に活性酸素を生成する物質は、こうした腫瘍細胞に対し選択的に傷害を引き起こすことができると考えられる。こうした観点で、活性酸素生成を作用機構とする抗腫瘍抗生物質の探索を行なった結果、新規抗腫瘍抗生物質menoxymycinA、Bおよびcororubicinを発見し、構造と作用について解析した。第一章でスクリーニングについて示した後、第二章ではmenoxymycin A、BをStreptomyces属の土壌分離菌KB10株の培養濾液より単離し、各種NMRなどによる構造決定について述べている。これらは種々の腫瘍細胞に対し強い増殖阻害活性を示し、ヒト子宮頸癌細胞ME-180に対するIC50はそれぞれ0.18M、0.051Mであった。第三章では、cororubicinをMicromonospora属の土壌分離菌JY16株の培養菌体より単離し、各種NMRなどによる構造決定について述べている。本化合物も各種腫瘍細胞に対し強い増殖阻害活性を示し、ヒト子宮頸癌細胞ME-180に対するIC50は1.1Mであった。

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 これらの化合物の細胞傷害作用には、活性酵素生成を介した作用機構が示唆された。したがって本化合物は、活性酸素消去系を失っている腫瘍細胞に対し、選択的に細胞死を引き起こす新しい抗癌剤となりうる可能性が考えられる。

 第二部では光学活性な様々な生理活性物質の合成研究について述べている。

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 第一章ではアメリカヤシゾウムシ(Rhynchophorous palmarum)の集合フェロモンrhynchophorol(A)の両鏡像体合成を絶対立体配置の決定を目的に行った結果について述べている。リパーゼを用いた光学分割により、約98%e.e.の両鏡像体を合成したが、Oehlschlagerらによる活性試験の結果より、天然型は(S)一体であると判明した。

 第二章ではACAT阻害剤であるacaterinの絶対立体配置の決定と異性体間での活性差を調べることを目的に行った4つの立体異性体の合成について述べている。光学活性な出発原料(R)-および(S)-3-ヒドロキシブタン酸エチルより得られる-ラクトンを中間体としてacaterin(B)とそのpseudo-体を合成できた。TLC上でのRf値、旋光度の符号、分解実験などより、天然物の立体は(4R,1’R)であると判明した。また4つの異性体はいずれも活性があったが差はなかった。

 第三章では細胞周期阻害剤であるradicicolの効率よい全合成法の開発を目的とした合成研究を行った結果について述べている。マクロライド骨格は、Horner反応とエステル化で形成することとした。Diels-Alder反応を経て合成できる芳香環を持つホスホネートと(R)-3-ヒドロキシブタン酸エチルよりTakaiのオレフィン化やSharplessのエポキシ化などを経て得られるアルデヒドとをHorner反応により連結した。さらに半還元、加水分解してヒドロキシカルボン酸とした後、山口法でマクロラクトン化を行った。

 また、結合蛋白精製のためのプローブ合成も検討中で、フェノール性水酸基にエーテル結合やエステル結合を介して側鎖を伸長した化合物を合成し、活性を検討しながらプローブ合成を目指している。

 以上本論文は、生理活性物質に関して、単離、構造決定、活性、全合成、プローブ合成と極めて広範なアプローチで研究を行っており、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54584