学位論文要旨



No 112623
著者(漢字) 武田,雅敏
著者(英字)
著者(カナ) タケダ,マサトシ
標題(和) 正20面体クラスター固体の構造と光伝導に関する研究
標題(洋)
報告番号 112623
報告番号 甲12623
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3901号
研究科 工学系研究科
専攻 材料学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 木村,薫
 東京大学 教授 井野,博満
 東京大学 教授 牧島,亮男
 東京大学 教授 桑原,誠
 東京大学 教授 藤原,毅夫
内容要旨 【緒言】

 近年,カーボン60やシリコンクラスレート化合物などのいわゆる『クラスター固体』が,その構造だけでなく物性の面でも注目を集めている。III族のボロン,アルミニウムもまた固体中で正20面体クラスターを形成している。ボロンはIII族で唯一半導体となる元素で,ボロン単体およびボロンを高濃度に含む化合物では,ボロン原子12個から成る正20面体クラスター(B12)が構成要素となっている。アルミニウムは単体では面心立方構造の金属であるが,Al-Cu-Fe,Al-Pd-Reといった合金系で準結晶や近似結晶構造をとった場合には,やはり正20面体クラスターを構成する。ボロン系半導体,アルミ系準結晶合金は,同じIII族元素を主成分とし,同じ正20面体クラスターを持っているにもかかわらず,両者の関連について議論した例は殆どない。これまで半導体の分野で議論されてきたボロン系半導体と,金属の分野で議論されてきた準結晶合金を,それぞれの関連物質として位置づけ,共通の土俵で統一的に理解しようというのが本研究のねらいである。

 以上のような考えのもとで,構造と物性の両面において,ボロン系半導体,アルミ系準結晶合金の関連について調べることを目的として,次の2つのアプローチを行った。

 ・ ボロン系における半導体準結晶の探索

 アルミ系準結晶と多くの構造の類似点を持つボロン系半導体において,準結晶実現の可能性を検討し,準結晶の形成要因に関する知見を得ることを目的とする。

 ・ ボロン系半導体,アルミ系準結晶合金における光伝導測定

 光学遷移とキャリア伝導が関与した光伝導測定により,両物質群のバンド端近傍,ギャップ内状態について考察することを目的とする。

【半導体準結晶の探索】ボロン系準結晶構造の推定とその安定性の評価

 準結晶は,2種類の菱面体単位胞(Prolate Rhombohedron:PR,Oblate Rhombohedron:OR)で構成されている(図1(a),(b))。菱面体晶ボロン(以後ボロン)は,図1(c)に示すように菱面体単位胞の頂点にB12正20面体クラスターが配置した構造であり,PRに類似している。ボロンをPRと考えると,対応するORは図1(d)のようになる。しかし,そのORにはクラスター同士が近づきすぎている部分があるため,一部の原子を取り除き,残りの原子を分子軌道法を用いてエネルギー的に最も安定な位置に移動させることで,安定な構造を得た。こうして推定した構造をもとに,ボロン系準結晶の凝集エネルギーを次の2つの方法で見積もった。

 1.クラスター内結合エネルギーとクラスター間結合エネルギーから,PR,ORのエネルギーを計算し,準結晶中でのそれぞれの存在比から見積もる方法。

図1:準結晶を構成する2種類の単位胞(a)PR,(b)OR。(c)菱面体晶ボロンの単位胞,(d)それをもとに推定したORの構造。表1:凝集エネルギーの計算結果

 2.準結晶中でクラスターがおかれる環境(クラスター間結合の数と方向)のうち,代表的な6種類を選び,それらのクラスター内,クラスター間結合エネルギーから見積もる方法。

 2つの方法で計算したボロン型準結晶の凝集エネルギーを,実在するボロン,菱面体晶ボロン(以後ボロン)について同様の方法で計算した結果と共に表1に示す。表にあるように,ボロン型準結晶の凝集エネルギーは,実在する2つの結晶の中間の値となっており,エネルギー的には準安定相として準結晶構造が実現する可能性がある。

実験によるボロン系準結晶の探索

 多くの準結晶合金が準安定相として発見されていることから,ボロン系のアモルファス相を真空蒸着法で作製し,その結晶化過程を調べた。

 実際の結晶中ではB12クラスターは歪んでいるが,基本単位であるB12クラスターが歪んでいては,正20面体の対称性が成長して準結晶構造に発展する理由がない。そこで,ボロンと同じ構造を持つボロン系化合物のデータをもとに,最も歪みの小さいB-C系を探索の対象に選んだ。さらに,カーボン濃度が低いほど歪みが小さいこと,先に推定したORにはカーボンの入るサイトがないことから,カーボン低濃度域で準結晶構造が実現する可能性が高い。

 カーボン濃度3,5,7at.%のアモルファス相で,熱処理後,BやB-C系の結晶にはない相が熱処理後の粉末X線回折測定で観測された。その相の電子線回折測定を行った結果,図2(a)に示したような回折パターンが観測された。これは準結晶ではないが,明るいスポットが歪んだ10角形をつくる近似結晶特有の特徴を示している。図2(b)は1/0-1/0-0/1斜方晶近似結晶の計算で求めた(擬10回)回折パターンであり,観測された回折パターンを良く説明することができる。この構造はPRのみで構成されており,準結晶となるにはORが実現される必要がある。しかしながら,発見した近似結晶の単位胞体積は元の結晶の4倍になっており,菱面体の軸角も準結晶のそれに近づいている。また,近似結晶は常に準結晶の生成領域の近傍で見つかっており,この結果はボロン系における半導体準結晶の存在を大きく示唆するものである。

図2:(a)B97C3アモルファス相1400℃,0.2時間熱処理後の電子線回折パターン。(b)1/0-1/0-0/1近似結晶の擬10回パターン(計算)。
【ボロン系半導体,アルミ系準結晶合金における光伝導】

 本研究では光電流の測定方法としてTime of Flight法,変調法を採用し,ボロン系半導体のバンド端,ギャップ内状態について調べた。さらに準結晶合金について変調法による光電流の測定を試みた。

Time of Flight法

 電圧を印加した試料に半透明電極を通してパルス光を照射し,電極付近にキャリアを励起し,その励起キャリアの伝導による電流をオシロスコープで観測する。

 アモルファスボロンで観測された光電流の波形は,通常のアモルファス半導体で観測される,分散型伝導の特徴を示した。この波形の解析から見積った電子,正孔のドリフト易動度の温度依存性を図3に示す。これより活性化エネルギーは,電子:約20meV,正孔:約85meVと見積もられた。

 正孔に対する電界依存性の測定から,正孔はホッピングによって伝導しており,そのホッピング距離は約11Åと見積もられた。アモルファスボロンにおいても構造の単位はB12クラスターであることがわかっているが,この距離はクラスター2個分の距離に相当する。

図3:アモルファスボロンのドリフト易動度の温度依存性。●:電子,白抜き記号:正孔,TS:作製時の基板温度。

 ボロンにおける正孔のドリフト易動度も熱活性化型の温度依存性を示し,活性化エネルギーを見積もると,240meVとなった。ボロンでは,光吸収などの実験から,価電子帯の上約200meVのところに内因性アクセプタ準位が存在していると考えられているが,本研究で得られた活性化エネルギーはこの値にほぼ等しい。この準位の起源は,歪んだB12クラスターから遊離したクラスター内軌道と考えられている。このことから,ボロンにおける光励起された正孔の伝導は,アクセプタ準位への捕獲,つまりB12クラスターへの局在とそこからの熱離脱によって特徴づけられている。

変調光電流法

 直流電圧を印加した試料の電極間に断続光を照射し,試料に流れる光電流の振幅,位相遅れをロックインアンプで検出する。

 図4に解析に用いたモデルを示す。光キャリアの生成プロセスとして,伝導帯に直接光励起されるK1と,局在準位に光励起され,そこから伝導帯に熱励起されるK2プロセスの2つを考慮している。通常は,局在準位への光励起は無視できるので,K1プロセスのみを考慮したモデルで解析される。測定された位相遅れの周波数依存性から,このモデルに基づいて光電流の周波数依存性を計算し,実測と比較することで,モデルの妥当性を確かめる。

図4:解析に用いたモデル

 図5にアモルファスボロンの光電流の周波数依存性を示す。図の破線は,位相遅れからK1のプロセスのみを考慮したモデルで計算した光電流であり,測定データを良く再現している。一方,図6,7に破線で示すように,ボロン,Al-Pd-Re準結晶の光電流はこのモデルでは説明できない。なお,準結晶において光電流が観測されたのは本研究が初めてである。そこで,K2のプロセス,つまり局在準位への光励起も考慮したモデルで計算を行った。その結果が実線であり,実測データを再現している。ボロンでは内因性アクセプタ準位が存在すると考えられているが,その密度が高いために,そこへの光励起が無視できないものと考えられる。準結晶では,フェルミ準位近傍に状態密度の深いくぼみ(擬ギャップ)が形成され,そこでは電子が局在化していると考えられている。この光電流測定の結果は,それらを支持する実験結果である。準結晶合金への変調光電流の適用という新しいアプローチは,準結晶の電子構造の解明へ向けて今後より重要な情報をもたらすものと期待される。光照射によって伝導に寄与しているエネルギー準位を変化させ,さらに変調周波数によって光伝導に寄与している準位も変化させることができ,より詳細にギャップ内状態を調べることが可能となる。これによって,バンド伝導とホッピング伝導のどちらが支配的か,計算で示されているスパイキーな構造が存在するのか,といった最も注目されている問題への解決の手がかりを与えることができるものと期待される。さらに,擬ギャップ内の局在状態と擬ギャップ外の非局在状態との境の易動度端の有無等,これまで準結晶の分野では無かった新しい議論や概念が生まれる可能性もある。

図5:アモルファスボロンの光電流の周波数依存性(●)。破線は位相遅れから,バンド間遷移のみを考慮したモデルで計算した値。図6:ボロンの光電流の周波数依存性(●)。破線はバンド間遷移のみを考慮したモデルで計算した値。実線は局在準位への遷移も考慮したモデルで計算した値。図7:Al-Pd-Re準結晶の光電流の周波数依存性(●)。破線はバンド間遷移のみを考慮したモデルで計算した値。実線は局在準位への遷移も考慮したモデルで計算した値。
【結言】

 本研究で,ボロン系半導体において近似結晶が見つかり,アルミ系準結晶においてボロンと類似した形でギャップ内準位が関与した光伝導が観測されたことは,構造と物性の両面で,両物質群が密接な関連をもっていることを示している。本研究で測定した光伝導に見られるように,ボロン系半導体においては,B12正20面体クラスターが物性に大きく関与している。同じ正20面体クラスターで構成される準結晶合金においても,同様のことが言える可能性がある。両物質群は,『正20面体クラスター固体』という一つのカテゴリーで統一的に理解され得ることを最後に指摘しておきたい。

審査要旨

 ボロンとアルミニウムは、同じIII族に属し、同じ正20面体クラスターを構造単位とする固体群を持っている。ボロン系正20面体固体には、単位胞中に12個から1600個の原子を含む8種類の結晶構造が知られており、すべて半導体である。正20面体クラスターに起因すると考えられる、様々な特異な物性が報告されており、特に高温での熱電能が大きいことから、熱電材料の候補として有力である。アルミ系正20面体固体には、格子定数が有限な結晶から、無限大の準結晶までが存在し、基本的には金属であるが、高電気抵抗率を初めとする異常な電気物性が注目されている。本研究は、これまで半導体の分野で議論されてきたボロン系と、金属の分野で議論されてきたアルミ系を、構造と物性(光伝導)の両面から、正20面体クラスター固体として統一的に理解しようとすることを目的としている。論文は、6章より構成されている。

 第1章は序論で、本研究の目的と論文の構成について述べている。

 第2章では、研究の背景となる従来の研究について概観している。

 第3章では、ボロン系準結晶構造の推定と分子軌道法による安定性の評価を行い、ボロン-カーボン系アモルファス相の結晶化過程で、半導体準結晶の探索を行い、新しい近似結晶を発見している。これまで、準結晶は合金系でしか見つかっておらず、半導体準結晶は発見されていない。まず、菱面体晶ボロンの単位胞が、正20面体準結晶構造中の2種類の単位胞の一つに近いことから、もう一つの単位胞の構造を推定した。分子軌道法による凝集エネルギーの計算から、上述の2つの単位胞によるボロンの準結晶構造は、菱面体晶と菱面体晶の中間の安定性を持ち、準安定相として存在できることを示した。実験における系の選択としては、菱面体晶ボロンの単位胞の体対角線上に他の原子を挿入することにより、正20面体クラスターの歪みを制御することができ、歪みが最も小さいボロン-カーボン系を選んだ。さらに、上で推定した構造から予想したカーボン濃度におけるアモルファス相を、電子ビーム蒸着により作製した。アニールして結晶化する過程で準結晶構造を探索し、1/0-1/0-0/l近似結晶を発見した。この構造は、菱面体晶ボロンの単位胞の平行なすべての原子面に、双晶境界が挿入されたもので、単位胞の体積が4倍となり、軸角も理想値に近づいている。近似結晶は、アルミ系においても、準結晶相の組成近傍で見つかっており、この新しい近似結晶の発見は、ボロン系における半導体準結晶の実現の可能性を大きく示唆するものである。

 第4章は、ボロン系半導体であるアモルファスボロンと菱面体晶ボロンについて、Time of Flight法による過渡光電流を測定し、伝導機構について議論している。この方法は、電子とホールの易動度を独立に求めることができる。アモルファスボロンのドリフト易動度の温度依存性から、電子と正孔の活性化エネルギーとして、それぞれ約20meVと約85meVが見積もられた。また、正孔易動度の電界依存性から、ホッピング距離が約11Aと見積もられ、これは正20面体クラスター2個分の距離に相当する。これらの値は、通常のアモルファス半導体における値より小さく、狭いバンド内で、正20面体クラスター間をホッピング伝導していると結論している。また、菱面体晶ボロンの正孔の活性化エネルギーは約240meVで、これはボロンの正20面体クラスターに起因する内因性アクセプター準位と価電子帯のエネルギー間隔に相当している。ボロンにおける正孔の伝導は、内因性アクセプター準位への捕獲と熱離脱によって、特徴づけられているとしている。

 第5章は、前章と同じボロン系半導体と、アルミ系準結晶合金について、変調光伝導の測定を行い、励起および伝導機構を議論している。この方法は、測定感度が非常に高く、基本的には金属であるアルミ系準結晶合金において、光伝導を初めて測定することに成功している。アモルファスボロンの光電流の周波数依存性は、励起過程として伝導帯(または価電子帯)に直接励起される過程のみを考慮し、励起電子(または正孔)が、局在準位に捕獲と熱離脱を繰り返しながら伝導するモデルで説明できる。一方、菱面体晶ボロンとAl-Pd-Re準結晶合金の光電流の周波数依存性は、励起過程として、局在準位を経由したものを追加したモデルでないと、解析できない。菱面体晶ボロンに関しては、このことはバンド・ギャップ内に高密度の内因性アクセプター準位が存在することで説明できるとしている。準結晶合金において光電流が観測できたことは、フェルミ準位付近に深い擬ギャップが存在することを、また、励起過程に局在準位が関与することは、擬ギャップ内の状態が局在準位であることを意味していると結論している。

 第6章は、総括である。

 以上要するに、この研究は、III族のボロンとアルミニウムを主体とした、正20面体クラスターを構造単位とする固体群を、構造と物性の両面において統一的に理解することを試み、ボロン系における半導体準結晶の実現の可能性を示し、また、ボロン系のギャップ内およびアルミ系準結晶合金の擬ギャップ内の高密度の局在準位が、光伝導という物性に重要な役割を演じていることを示した。特に、準結晶合金において光伝導が測定できることを示したことは、従来、特異な金属として研究されてきた準結晶を、半導体としてその電子構造を解明できる新しい道を築いたことを意味している。これらの成果は、物質科学や材料学の発展に寄与するところが非常に大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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