学位論文要旨



No 112498
著者(漢字) 呉,国江
著者(英字)
著者(カナ) ウー,ゴジィアン
標題(和) D1タンパク質の光化学系II複合体への組込み機構に関する研究 : 単離葉緑体への輸送実験系を用いた解析
標題(洋) Import of Modified D1 Protein and Its Assembly into Photosystem II by Isolated Chloroplasts
報告番号 112498
報告番号 甲12498
学位授与日 1997.03.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3278号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邊,昭
 東京大学 教授 近藤,矩朗
 東京大学 助教授 中野,明彦
 東京大学 助教授 池内,昌彦
 名古屋大学 教授 杉浦,昌弘
内容要旨

 葉緑体は、もともと独立に生存していたラン藻の祖先が真核生物に共生するようになって生まれたと考えられている。進化の過程で葉緑体を構築するタンパク質の遺伝子の多くは、共生ラン藻のゲノムから核ゲノムへ移行したと推定されている。この遺伝子の移行の過程でこれらのタンパク質は細胞質で前駆体として合成され、葉緑体の内部に輸送される機構が成立したものと考えられる。一方、遺伝子が葉緑体ゲノムに残っているものは、葉緑体内での転写と翻訳は機能単位複合体の構築あるいは活性の制御に有利であるか、または、翻訳終了後のタンパク質自身の構造が葉緑体への輸送に支障をきたすようなものである。

 葉緑体のチラコイド膜にあるタンパク質のうち、約半分が細胞の核DNAにコードされている。試験管内での転写・翻訳系で合成した前駆体タンパク質や組み換えDNAを大腸菌で発現させて得られた分子を単離葉緑体または単離したチラコイド小胞への輸送実験から、これらのタンパク質の葉緑体への輸送機構に関する多くの知見が得られた。しかし、葉緑体DNAにコードされたチラコイド膜タンパク質のチラコイド膜への挿入、または機能複合体への組込みについては、適切な実験系をないためほとんど知られていない。

 葉緑体のpsbA遺伝子にコードされるD1タンパク質は、光化学系IIの反応中心の場を構築し、光化学反応の過程で重要な役割を果している。本研究においては通過ペプチドを持つキメラD1タンパク質を試験管内で発現させ、単離葉緑体への輸送実験系を開発した。この実験系を用いて、まず、葉緑体に輸送されたキメラD1タンパク質が光化学系II複合体に正しくに組込まれるかどうかを調べた。そして、このタンパク質のチラコイド膜への挿入に対する膜電位、SecAタンパク質の影響を調べ、最後に、D1タンパク質の葉緑体包膜の通過について解析した。

結果および考察1.D1タンパク質の単離葉緑体への輸送および光化学系II複合体との会合

 D1タンパク質を単離葉緑体に輸送するために、トマトCLycopersicon esculentum L.)RuBisCO小サブユニットの成熟タンパク質のN末端20アミノ酸部分を含む通過ペプチドをコードするcDNAとイヌホオズキ(Solanum nigrum L.)のpsbA遺伝子を読み枠を一致させて繋ぎ、T7プロモーターの下流にクローニングした(図1)。T7ポリメラーゼを用いて、このキメラpsbA遺伝子を試験管内で転写し、35S-Metの存在下でコムギ胚由来の翻訳系を用いて翻訳させた。得られたキメラD1前駆体をアラスカエンドウから単離した無傷葉緑体に加え、ATPの存在下で輸送させた。この前駆体タンパク質は、まず葉緑体のストロマに輸送され、そこで通過ペプチドがプロセシングを受けることが示された(図2)。プロセシングを受けたタンパク質は、その後チラコイド膜に移行して、葉緑体内で翻訳されたD1タンパク質前駆体と同様にC末端がさらにプロセシングを受け、チラコイド膜に組み込まれることが明らかになった(図2、3)。輸送後のチラコイド膜から得られた光化学系II粒子をdodecylmaltosideで処理し、蔗糖密度勾配遠心法により分画した結果、チラコイド膜に見いだされたD1タンパク質は、光化学系II複合体と会合していることが確認された(図4)。また、チラコイドのトリプシン処理によって得られたキメラD1タンパク質の分解のパターンも、葉緑体本来のD1タンパク質のものと極めてよく似ていた(図5)。これらの結果から、この前駆体タンパク質は、まず葉緑体のストロマに輸送され、そこで通過ペプチドがプロセシングを受けることが示された(図2)。プロセシングを受けたタンパク質は、その後チラコイド膜に移行して、葉緑体内で翻訳されたD1タンパク質前駆体と同様にC末端がさらにプロセシングを受け、チラコイド膜に組み込まれることが明らかになった

2.キメラD1タンパク質のチラコイドへの挿入

 脱共役剤CCCP、ナイジェリシンとバリノマイシンそれぞれをATPを含む輸送反応液に加え、暗黒条件で輸送反応を行った。輸送反応後回収したチラコイド膜を解析した結果、これらの脱共役剤の存在下でも成熟型のキメラD1タンパク質がチラコイド膜に見られ(図6)、このタンパク質のチラコイド膜への挿入には膜電位は関与しないと考えられる。

 アジ化ナトリウムはSecAタンパク質に依存する輸送経路を阻害することが知られている。アジ化ナトリウムの濃度を変えて葉緑体を処理し、輸送反応実験を行なった。この阻害剤の存在下でも、成熟型のキメラD1タンパク質がチラコイド膜に見られたことから(図7)、D1タンパク質のチラコイド膜への移行は、SecAタンパク質の働きにも依存しないことが明らかになった。

3.キメラD1タンパク質の葉緑体包膜通過

 通常の葉緑体タンパク質前駆体の輸送においては、包膜への結合と通過に葉緑体のストロマに存在するATPがエネルギー源として必要であることが知られている。しかし、キメラD1タンパク質の包膜通過は、光をエネルギー源とするとその輸送効率が極めて低くなることが観察された。この輸送効率の低下は輸送反応液にATPを加えることによって回復した(図8)。この結果はキメラD1タンパク質が包膜を通過するためには葉緑体外部にATPが必要であることを示唆している。また、こうした輸送上の特徴はRuBisCO小サブユニット前駆体の輸送とは対照的であった(図9)。キメラD1タンパク質の輸送のATP要求性は、外部から添加したATPをapyraseで分解した場合(図10)、または、ATP-analogによる阻害実験においても確認された(11)。さらに尿素処理によって前駆体の構造を緩めてもD1タンパク質の輸送効率は回復されないことから、葉緑体によるキメラD1タンパク質の輸送のATP要求性はそのタンパク質の高次構造に由来するものではなく、タンパク質自身の一次構造に依存していることが示唆された(図12)。

まとめ

 本研究では、葉緑体DNAにコードされているD1タンパク質のN-末端に通過ペプチドを加え、葉緑体の外からこのタンパク質を単離葉緑体に送り込む実験系を確立した。

 葉緑体に送り込まれたキメラD1タンパク質はチラコイド膜に移行し、本来のD1タンパク質と同じ膜貫通構造をとって光化学系II複合体に組み込まれることを確認した。このキメラD1タンパク質のチラコイド膜への挿入はチラコイド膜の膜電位およびSecAタンパク質の働きに依存せず、その前駆体の構造自身に依存することが示唆された。この実験系ではチラコイド膜への挿入に対するATPとストロマ因子の影響は調べられることができなかったが、これらの関与について確認する必要が残されている。

 キメラD1タンパク質は葉緑体包膜を通過する時に、他のタンパク前駆体と違って葉緑体外部のATPを要求する。このATPの要求性はタンパク質の高次構造に由来するものではなく、一次構造に依存するものであることが示唆された。D1タンパク質がもつ葉緑体への輸送における支障は、進化の過程でpsbA遺伝子が葉緑体ゲノムに残された原因のひとつであるとも考えられる。

図1 キメラ遺伝子psbAの構築□:成熟タンパク質の20アミノ酸を含む通過ペプチドをコードするrbcS領域、:キメラ遺伝子構築時導入した残基、■:psbA遺伝子図2 キメラD1タンパク質の単離葉緑体への輸送TP:キメラD1前駆体翻訳産物 上の数字は輸送時間を示している Int:中間体キメラD1タンパク質、Mat:成熟型タンパク質図3 キメラD1タンパク質の単離葉緑体への輸送TP1:キメラD1前駆体翻訳産物 TP2:native D1前駆体翻訳産物、I:無傷葉緑体 S:ストロマ画分T:チラコド膜画分、Int:中間体キメラD1タンパク質、 Mat:成熟型タンパク質図4葉緑体へ輸送されたキメラD1タンパク質の光化学系II複合体への組み込み上の数字が密度勾配遠心から取ったサンプル番号(遠心管の上から) A:CBB染色ゲル B:同じゲルの放射能分布図5 チラコイド膜のトリプシン処理によるD1タンパク質の分解A:葉緑体本来のD1タンパク質 B:チラコイド膜に組み込まれたキメラD1タンパク質図6 チラコイド膜への組込みに対するアジ化ナトリウムの影響TP:キメラD1前駆体翻訳産物、Int:中間体キメラD1タンパク質、Mat:成熟型キメラタンパ質図7 チラコイド膜への組込みに対する脱共役剤の影響TP:キメラD1前駆体翻訳産物、Int:中間体キメラD1タンパク質、Mat:成熟型キメラタンパク質図8 ATPによるキメラD1タンパク質の単離葉緑体への輸送翻訳産物に含まれたfreeのATPをsephadexカラムで除去し、光条件下で輸送を行った TP1:キメラD1前駆体翻訳産物 TP2:native D1前駆体翻訳産物、+ATP:輸送反応に3mM ATP添加、-ATP:輸送反応にATP無添加図9 Rubisco小サブユニットとキメラD1タンパク質の葉緑体への輸送の比較A:光条件下の輸送、B:暗黒条件下の輸送図10 キメラD1タンパク質の単離葉緑体への輸送に対するATPanalogの影響図の上に輸送条件を示している図11 キメラD1タンパク質の単離葉緑体への輸送に対するapyraseの影響図の上に輸送条件を示している。TP:キメラD1タンパク質の翻訳産物図12 ureaで変性キメラD1タンパク質の単離葉緑体への輸送+ATP:反応液に3mM ATP添加TP:キメラD1タンパク質の翻訳産物
審査要旨

 本論文は3章からなり、第一章は、キメラD1タンパク質の単離葉緑体への輸送実験系の確立、および、葉緑体に輸送されたキメラタンパク質の光化学系II複合体への組込みについて、第二章は、葉緑体に輸送されたキメラD1タンパク質のチラコイド膜への挿入機構について、第三章はキメラD1タンパク質の葉緑体包膜の通過について述べられている。

 葉緑体のpsbA遺伝子にコードされるD1タンパク質は、葉緑体内で合成され、光化学系IIの反応中心の場を構築し、光化学反応の過程で重要な役割を果たしている。第一章では、このD1タンパク質を外部から葉緑体に輸送して追跡できるようにするために、RuBisCO小サブユニットの通過ペプチドをもち、試験管内で翻訳できるように改変したDNAを作製した。つづいてこのキメラD1タンパク質が単離葉緑体に輸送されることを明らかにすると共に、葉緑体に輸送されたキメラD1タンパク質が光化学系II複合体に組込まれるかどうかを調べている。その結果、キメラD1タンパク質は、まず葉緑体のストロマに輸送され、そこで通過ペプチドがプロセシングを受けることを示した。プロセシングを受けたタンパク質は、その後チラコイド膜に移行して、葉緑体内で翻訳された本来のD1タンパク質前駆体と同様にC末端がさらにプロセシングを受けることを明らかにした。さらに、チラコイド膜に見いだされたキメラD1タンパク質が、本来のD1タンパク質と同じ膜貫通構造をとって光化学系II複合体に組み込まれることを示した。これらの結果は、D1タンパク質の今まで報告されているような翻訳と共役した組込みの機構以外に、このタンパク質の構造に依存して組み込まれる機構の存在を強く示唆するものである。

 第二章では、葉緑体に輸送されたキメラD1タンパク質のチラコイドへの挿入における膜電位およびSecAタンパク質の関与を調べている。脱共役剤であるCCCP、ナイジェリシンやバリノマイシン、または、SecAタンパク質の阻害剤であるアジ化ナトリウムの存在下で行った輸送反応実験の結果は、成熟型のキメラD1タンパク質が対照実験と同様にチラコイド膜に蓄積することを示している。これらの結果は、D1タンパク質のチラコイド膜への挿入が、D1タンパク質の構造に依存し、チラコイドの膜電位やSecAタンパク質の働きに依存しないことを意味している。残念ながら、この実験系ではチラコイド膜への挿入におけるATPとストロマ因子の関与は調べられることができず、これらの因子の関与については確認する必要性が残されている。しかしながら、葉緑体にコードされている膜タンパク質のチラコイド膜への挿入機構を調べるための一つのアプローチとして評価できる。

 第三章ではキメラD1タンパク質の葉緑体包膜通過について解析した。通常の葉緑体タンパク質前駆体の輸送においては、包膜への結合と通過に葉緑体のストロマに存在するATPがエネルギー源として必要であることが知られている。しかしながら、本研究で用いたキメラD1タンパク質の包膜通過は、光のみをエネルギー源とするとその輸送効率が極めて低くなり、輸送反応液にATPを加えることによって回復すること観察された。こうした輸送上の特徴はRuBisCO小サブユニット前駆体の輸送とは対照的であった。キメラD1タンパク質の輸送のATP要求性は、外部から添加したATPのアピラーゼによる分解、および、ATP-アナログによる阻害実験においても確認している。これらの結果から、キメラD1タンパク質が包膜を通過するためには、葉緑体外部にATPが必要であることを示唆した。また、尿素処理によって前駆体の構造を緩めてもD1タンパク質の輸送効率は回復しないことから、ここで観察されたATP要求性が、そのタンパク質の高次構造に由来するものではなく、D1タンパク質自身の一次構造に依存していることを示唆した。

 本論文は、光合成の過程で重要な機能を果たすD1タンパク質の光化学系II複合体への組込み、チラコイドへの挿入機構および葉緑体包膜通過について新たな知見をもたらすだけでなく、D1タンパク質の代謝回転、葉緑体にコードされているチラコイド膜タンパク質のチラコイド膜への挿入機構、および、タンパク質の葉緑体への輸送の機構を完全に理解するための研究のきっかけになるものであることが、高く評価される。

 なお、本論文は渡邊昭氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって、博士(理学)の学位に値するものであると認める。

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